規模に左右されにくい対策とは:「事前対策」と「事後対策」の限界

中国とミャンマーで同時に災害が起こっていますね。
今日ボスがインドから約一ヶ月ぶりに帰ってきて、ちょうどその話になった。ミャンマーは『インドの「早期警報システム」の恩地に預かれるはずなのにこうなってしまったね』と言っていた。

中国の地震も予測は出来なくても、「もっと建物を強固に作れなかったのか」とか後からいわれる非難が今後も出てくるでしょう。しかし、一度作ってしまった建物を簡単に立て直すことなどしないので、これも「事前対策」としては回顧的には限界がある。

つまり、「事前対策」は費用がかかるので、簡単の「スケール・アップ」がはかれない。


それでは、「事後対策」はどうだろう。中国は今のところ1万5千人ぐらいの方がなくなっている。そして、日本は5億円ぐらいの援助をする予定のようだ。ミャンマーは4万人ぐらいの方がなくなっていて、日本は11億円の援助のようだ。この数字は今後も変わっていくだろう。

「事後援助」は

  • メディアでのセンセーショナル度
  • 政治的関係や動機

などでも大きく変わってくる。もしこれらの災害が小規模な場合、これらの援助の支援はあっただろうか。多分ないだろう。小規模といって数千人のが何らかの被害にあっているか、数百人が死んでいるかもしれない。これらのは大規模災害のカテゴリーにならないので、メディアも政治も興味の対象にならない。


つまり、「事後対策」は注目度に依頼するので、「スケール・ダウン」した災害にはあまり適応されない。


もちろん、「事前対策」や「事後対策」がだめだといっているわけではない。災害直後には、保険の支払いの計算などしているのでなく、無償の援助が必要だろう。ただ、もっと規模に左右されにくい対策があったらよいと思う。そこで僕は途上国での保険に興味がある。保険のプロジェクトを立ち上げるのに、多くの建物を建設する必要ない。保険の支払いは、メディアや政治に注目されなくても支払われる。

こんなところでも、公民の関連というか、民間(保険)の役割が出てくると思います。それに、無償の援助と違うので、自力でがんばる試みを育てる事になると思います。

昨日、私も一つの命の重みを経験したばかりです。なくなった方の冥福をいのります。

日本は総額で1000万ドル(約11億3000万円)、中国は3000万元(約4億5000万円)の拠出を表明した。

日本政府は5億円の緊急支援のほか、人的支援を申し出ていた。

底つく食料、焦る住民・四川大地震、救援トラック素通り

一般の政策決定にも言えることだと思います。時代の流れが速い今日この頃、来年のことも完全に予想できるものではありません。政治家と分析屋は予想が出来ないと嘆くより、国民に「多様で不確定な未来」に対応できる力をつけることに集中したほうが良いでしょう。国の判断に頼りきりになっていては、困るの自分だと思います。