「不機嫌な気候が世界を変える」さんへ -- 確実性と可能性の違い

私のブログの事が書かれていました。

温暖化の真偽
また、あるブログでは温暖化の適応の専門家のくせに真偽不明とか語りだすものもいる。また、それに騙されるものも、またいる。

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温暖化の適応の専門家のくせをして、科学的には分からないとか言い出すblogを読んで騙されては困る。温暖化は、多くの方が思っている以上に科学的に確立されている。

私の記事の真意が分からない方にコメントするのは危険ですが、とりあえず一度だけ書きます。

気候モデルを作っている方々は3タイプいます。1)確立が入れられないのでレンジだけ考える、2)確立を何とか入れる、3)主観的な確立をいれる。

1)で何とか温暖化に向かう方向が見れる場合もあります。2)と3)は信憑性に疑念を入れる部分が出来てしまいます。2)ではロンドン大のBeck教授がいう「Calaculation of incuculable」で、どこかに無理があります。3)は予測というよりはシナリオとしてのベンチマークです。ですから、科学的には100%確証できないといっているわけです。これは何人もの気候モデラーと話をした受け売りです。つまり私が常に言っていることは、「確実性が分からない」といっているわけで「可能性がない」とは言っていません。

何度も書いて言いますが、私は気候モデラーではないので、温暖化、正しくは気候変動が起こっているかどうかの「確実性」に口を出せる立場ではありません。自分の専門外は専門家に任せます。自分は自分のできることに誠意を尽くします。

それから、起こっているかどうかわからないので、何もしなくても良いわけではないです。不確定性をどの様に解釈するか、どの様に伝えるかなど、考えることをたくさんあります。確かに、気候変動が起こっているかもしれない事を考慮してそれに大きめに対応することを大事でしょうし、その為にはある種のプロパガンダも行われるでしょう。しかし、これは政治家の仕事ですし、「適応策」の話でもありません。

最後に、「温暖化の適応」の分野の事を分かっている方なら、気候変動を宗教的に信じることは適切では無いと知っているはずです。適応策とは途上国の発展問題の一部として取り上げられることです。コペンハーゲンコンセンサスに賛同していなくても、発展問題の予算が、必要以上に気候変動の適応策に使われることに問題はないでしょうか。

もし貴方が気候モデラーで、何か別の意見がありましたら聞かせてください。もし、趣味で気候変動を勉強せれている方なら、「温暖化と気候変動」、「緩和策と適応策」、「確実性と可能性」、「リスクと不確定性」の違いをもう少し勉強してください。日本の「温暖化の緩和」の話とごちゃ混ぜにしないでいただきたいです。

自分の主観的な過去のブログのチョイス

最後に話をガラッと変えて、この批評からの教訓:アマチュアが巨大な思想の対抗する時はそれなりの覚悟をしてください。特に海外では日本の様に「有名だったら、アマチュアでもエキスパート」になれる世界では在りません。

もちろん、「事前対策」や「事後対策」がだめだといっているわけではない。災害直後には、保険の支払いの計算などしているのでなく、無償の援助が必要だろう。ただ、もっと規模に左右されにくい対策があったらよいと思う。そこで僕は途上国での保険に興味がある。保険のプロジェクトを立ち上げるのに、多くの建物を建設する必要ない。保険の支払いは、メディアや政治に注目されなくても支払われる。

イギリスの気候変動と気候影響プログラム(UKCIP)はもう、気候変動が起こっていることへの法的責任が生ずる「knowledge point」を過ぎていると宣言するぐらい気候変動に疑問を寄せ付けない勢いです。

「地球教」とはうまい表現である。実際、仏教なども環境のことなどに触れているし、キリスト教も環境と人類の関わりみたいなことを述べている。研究者として、どこかに環境が宗教化することには抵抗があるが、彼の言っている問題点は厳密には「環境問題がどのように宗教化」したかだろう。

最後に、ブログにタイトルにも書いてあるように、私は気候の科学者ではありません。気候科学者の友人が「何故僕等が今現在白黒つけられないと言っていることを、社会科学者は白黒つけようとしているのか分からない」といっていました。