進化する大人たちへ

2017-05-24 購入本

応地先生の本、ちょっと高いっす。

トンブクトゥ 交界都市の歴史と現在

トンブクトゥ 交界都市の歴史と現在

稲と米の民族誌 アジアの稲作景観を歩く (NHKブックス)

稲と米の民族誌 アジアの稲作景観を歩く (NHKブックス)

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/eurospace/20170524

2017-05-18 メモ(インド農業、灌漑、井戸、地下水)

○インドの地下水灌漑とその持続性

→参考:

藤田幸一「インドの米需給と関連する諸政策」日本農業研究所編集『世界の米需給動向と主要諸国の関連政策:世界の米需給動向と政策研究会報告』(日本農業研究シリーズNo.18)、2012年、pp.79-94。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/eurospace/20170518

2017-05-17 メモ(スリナム農業)

○スリナムにおける水田開発、灌漑稲作の歴史的経緯:オランダ植民地支配下時代の1950年代に、スリナムのワーヘニンゲンで、大規模稲作プロジェクトが実施された。これにより、人口一人あたりで世界最大規模の灌漑稲作水田を有するようになった。また、この地では、セスナ機を活用した農薬散布などによる、大規模な機械化された稲作が展開されている。だが、この機械化された稲作農業は、東南アジアの稲作農業よりもコストが高い。これが何とか成り立ってきたのは、ACP加盟国として、EC/EUへの輸出が特恵関税の恩恵を受けていたから、の模様。


→参考:

及川洋征「スリナム低地農業の現状と課題」『熱帯農業』49, pp.87-88

・Theodorus Petrus Maria de Wit, "The Wageningen rice project in Surinam: A study on the development of a mechanized rice farming project in the wet tropics", <http://edepot.wur.nl/45837>

・Bastiaan de REGT, "Irrigation and the rice sector in Suriname", http://www.nzdl.org/gsdlmod?e=d-00000-00---off-0hdl--00-0----0-10-0---0---0direct-10---4-------0-1l--11-en-50---20-about---00-0-1-00-0--4----0-0-11-10-0utfZz-8-00&cl=CL2.14.6&d=HASH987f9add1c8651aadec09d.7.11&x=1

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/eurospace/20170517

2017-05-16 メモ(東南アジアや南アジアで灌漑が発達していた地域)

○東南アジアや南アジアで灌漑が発達していた地域(それゆえに緑の革命に反応した地域)

・フィリピン中部ルソン

・インドネシアのジャワ

・インドのパンジャーブ

・スリランカ など

→以上についての参考:

・速水佑次郎『開発経済学』新版、創文社、p.112。

・粗信仁「灌漑の国スリランカ」『ARDEC』第54号。

・中村尚司『スリランカ水利研究序説:潅漑農業の史的考察』論創社

・山岡茂樹「王様のタンクから平和の水を」『農業土木学会誌』72(2)、pp.136-138。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/eurospace/20170516

2017-05-15 メモ(単収、灌漑・土地改良、改良品種の採用の伸び方)

○世界各国の穀物(特に米)の単収の伸び方、灌漑・土地改良の伸び方、改良品種の採用の伸び方の歴史的経緯とデータ

・日本、インドネシア、フィリピン、台湾、朝鮮・韓国での単収と灌漑の伸び方→速水佑次郎『開発経済学』新版、創文社、2000年、pp.96-107。


・日本、台湾、朝鮮・韓国、フィリピンでの単収と灌漑の伸び方→速水佑次郎・神門善久『農業経済論』新版、岩波書店、2002年、第4章。

*台湾、朝鮮での灌漑の整備は台湾で先行し、朝鮮は少し遅れたこと、それゆえに単収の伸びも、台湾のほうが先行したことが、紹介されている(pp.115)。


・日本、タイ、フィリピン、ビルマ、仏印、マレー、蘭印、台湾、朝鮮、中国での単収の伸び方→下村恭民「農業生産力から見た東南アジアの開発初期条件」『国際開発研究』第25巻第1・2号、pp.139-145(自給率のデータもあり)。


・フィリピン、スリランカでの単収と灌漑比率と改良品種の伸び方→菊池眞夫「緑の革命と灌漑:アジアとサブサハラ・アフリカ」日本農業研究所編集『世界の米需給動向と主要諸国の関連政策:世界の米需給動向と政策研究会報告』(日本農業研究シリーズNo.18)、2012年、pp.21-56。

*「改良品種の導入に先立ち灌漑比率の上昇が始まっている」(pp.37-38)、「灌漑面積の増加がより大きな稲生産量の増加をもたらす」(p.38)、「灌漑発展→改良品種普及→肥料増投という、モンスーンアジアにおける典型的な稲作発展経路」(p.38)、「途上国の灌漑投資は、(中略)太宗は世銀やアジア開発銀行等の国際援助金融機関の融資やUSAIDやJICAのような先進国の国際援助機関の支援によるもの」(p.40)、「国際米価水準の高騰傾向が灌漑投資を誘発し、それが改良品種の導入、肥料の増投を準備した」(p.41)、「いったん建設された灌漑システムはシステム運用のための維持管理費(O&M)を必要とし、また建設から時間が経てば、システムの大修繕、近代化が必要」(p.41)、「灌漑は先行条件的重要性を持つ」(p.50)。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/eurospace/20170515

2017-05-14 メモ(東南アジア農業の2類型)

○「内向きで閉ざされた農村社会」と「外向きで開かれた農村社会」に関わって

→参考:

・加納啓良「農村社会の再編」加納啓良責任編集『植民地経済の繁栄と凋落』(岩波講座東南アジア史 第6巻)岩波書店

・斎藤照子『東南アジアの農村社会』(世界史リブレット, 84)山川出版社


○「山地での焼畑稲作」と「平地での水田稲作」に関わって

高谷好一『「世界単位」から世界を見る:地域研究の視座』京都大学学術出版会。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/eurospace/20170514

2017-05-13 メモ(東南アジアでの稲作水田開発と灌漑整備の歴史的経緯)

○東南アジアでの稲作水田開発と灌漑整備の歴史的経緯(「開かれた農村社会」にも関わって)

→タイ、ビルマ=ミャンマー、仏印=ベトナム、蘭印=インドネシアでの大規模な灌漑・排水事業について、下村恭民「農業生産力から見た東南アジアの開発初期条件」『国際開発研究』第25巻第1・2号、pp.139-145、では、19世紀以降の下記のことについて、言及がなされている。

・チャオプラヤーデルタのランシット地帯の排水運河建設・灌漑事業

・ビルマ運河条例下での灌漑用水、築堤工事

・メコンデルタでの多数の運河開削・排水事業による水田面積の急増

・オランダの近代技術によるジャワでの科学的灌漑の推進


抜粋:

「このような戦前の経験は、戦後の精力的なインフラ整備の苗床であったといえる」。「1938年度のビルマの灌漑面積は総耕地面積の8.5%」、「ジャワの水田における『科学的灌漑』普及率(1940年)は42%」、「台湾の田畑の灌漑率(1941年)は62%」(下村論文、p.143)。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/eurospace/20170513

2017-05-12 メモ(東南アジアのデルタでの稲作について)

チャオプラヤーデルタ、メコンデルタ、イラワジデルタでの19世紀後半以降の水田開発についての比較記述と統計データ

→参考:

・宮本謙介「植民地社会の経済構造:南・東南アジア」長岡新吉・太田和宏・宮本謙介編『世界経済史入門:欧米とアジア』ミネルヴァ書房、pp.181-185、にまとまった記述あり。

・杉山伸也『グローバル経済史入門』岩波書店、pp.161-167、にまとまった記述あり。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/eurospace/20170512

2017-05-11 メモ(ビルマ=ミャンマー、イラワジデルタ農業)

○外向きで開かれた農村社会(3):イラワジデルタ

→参考:

・斎藤照子「ビルマにおける米輸出経済の展開」加納啓良責任編集『植民地経済の繁栄と凋落』(岩波講座東南アジア史 第6巻)岩波書店(輸入したヨーロッパ側での需要の質についても論じられている)。

・岡本郁子の一連の業績。http://ris.toyo.ac.jp/profile/ja.1500ead950115d802765177cca62de78.html

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/eurospace/20170511

2017-05-10 メモ(ベトナム、メコンデルタ農業)

○外向きで開かれた農村社会(2):メコンデルタ(原洋之介『開発経済論』第2版、岩波書店、第6章より要約)。

→参考(メコンデルタの農業開発について):

・高田洋子「インドシナ」加納啓良責任編集『植民地経済の繁栄と凋落』(岩波講座東南アジア史 第6巻)岩波書店

・高田洋子の一連の業績。http://www.u-keiai.ac.jp/teacher/international/inter-study/takada/index.html

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/eurospace/20170510

2017-05-09 メモ(タイ、チャオプラヤーデルタ農業)

○外向きで開かれた農村社会(1):チャオプラヤーデルタは、人類史での最後の大未利用地だった。19世紀以降、輸出米生産の適地として急速に開拓された。そこでは第1に、河川氾濫水を利用して稲作が行なわれていたので、水の利用を契機とした村のまとまりが発達していない。第2に、海外米市場の拡大に刺激されて開田・開拓された新開地であったため、人口密度が低く、誰も使っていない土地が存在し続けた。開拓空間的生活様式が形成された。第3に、外部の人間を容易に受け入れてきた。第4に、所得格差が大きくなることはなかった。誰でも農地の利用が可能であり、農地所有規模の格差に起因する固定的な所得格差が形成されにくかった(原洋之介『開発経済論』第2版、岩波書店、第6章より要約)。

→参考:

・中島健一『灌漑農法と社会=政治体制』校倉書房(タイの稲作・灌漑についても論じられている)。

・石井米雄『タイ国:ひとつの稲作社会」創文社

・宮田敏之「戦前期タイ米経済の発展」加納啓良責任編集『植民地経済の繁栄と凋落』(岩波講座東南アジア史 第6巻)岩波書店

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/eurospace/20170509

2017-05-08 メモ(ベトナム、紅河デルタ農業)

○内向きで閉ざされた農村社会(2):北ベトナム紅河デルタ地域では、10世紀ごろから、人口増加に起因して発生してきた貧富差の拡大を抑えるべく、水田の割替えを行なう公田制が発達(原洋之介『開発経済論』第2版、岩波書店、第6章より要約)。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/eurospace/20170508

2017-05-07 メモ(インドネシア、ジャワ農業)

○内向きで閉ざされた農村社会(1):ジャワ島は人口稠密地域であり、リカードの罠が発生する危険性が高い。この地域は、緑の革命の成功例となったが、この農業開発が、ジャワを中心とする1960年代以降のビマス計画(米増産型農業開発)。肥料に対して多大の補助金が投入されただけでなく、灌漑施設の修復・増設でも政府の役割が決定的に大きかった。灌漑に関しては、基本的にオランダ時代に作られた施設の管理・拡充が中心事業であったが、幹線灌漑は公共事業省が管理し、末端水路は村が管理するしシステムになっていた。高収量品種栽培にかかわる普及も、農業普及員によって担われた(原洋之介『開発経済論』第2版、岩波書店、第6章より要約)。

→参考:

・大木昌「インドネシアにおける稲作経済の変容:ジャワと西スマトラの事例から」加納啓良責任編集『植民地経済の繁栄と凋落』(岩波講座東南アジア史 第6巻)岩波書店

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/eurospace/20170507

2017-05-06 メモ(中近東農業とエジプト農業)

○農耕が最も早く開始された(と考えられる)のは中近東。チグリス・ユーフラテス河の沖積平野では、水の確保の必要性と洪水の危険性が同居していた。ゆえに、灌漑農業が発達。水の制御に成功した集落が、農業生産の余剰を集積し、都市国家が形成されたと考えられる。また、水の制御には多くの労働力が必要だった(中西聡「東西文明の興隆」金井雄一・中西聡・福澤直樹編『世界経済の歴史』名古屋大学出版会、より要約)。


○ナイル河流域では、天水農耕は不可能。だが、ナイル河は定期的に増水し、有機質に富んだ沃土が運ばれるので、次の増水期までに農耕生産がなされた(主に冬季の小麦)。この地域では、増水を、水路を通じて広範囲に流し込む、独特の貯留式灌漑農法が発達。ただし水路の開削には、多くの労働力が必要だった(中西聡「東西文明の興隆」金井雄一・中西聡・福澤直樹編『世界経済の歴史』名古屋大学出版会、より要約)。

→参考:中島健一『灌漑農法と社会=政治体制』校倉書房、では、エジプト・ナイル河流域における農耕、氾濫水位とその制御などが論じられている(ウィットフォーゲルやタイの稲作・灌漑についても論じられている)。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/eurospace/20170506

2017-05-05 メモ(中国農業)

○紀元前4000〜3500年頃の長江下流域での水田址からは、当時の稲作は面的な広がりを持たず、農耕では生活が安定せず、狩猟採集と並行していた可能性が、指摘されている。その他の水田址では、粗放な水田から、灌漑施設をともなう水田への段階的移行が認められた。当時の日本は縄文時代に相当するが、中国の農耕開始から、日本への稲作技術の伝播までに時間がかかったのは、中国の稲作技術の発達が緩慢だったため。日本への伝播は、一般には中国の山東地域からとされるが、長江下流域から直接伝播した可能性もある(中西聡「東西文明の興隆」金井雄一・中西聡・福澤直樹編『世界経済の歴史』名古屋大学出版会、より要約)。


○黄河中流域では、黄河が黄土による肥沃な土壌により、長江流域に先行して文明が発達。ただし、少ない降水量と低い気温の関係で、稲作には適さず、雑穀類が栽培された。降水量が少ないため、灌漑用の水路を建設する必要から、早くから国家が形成された。水路の完成とともに広大な農耕地が成立。紀元前3000〜2000年頃の平糧台遺跡では、排水施設や手工業設備の存在が確認される(中西聡「東西文明の興隆」金井雄一・中西聡・福澤直樹編『世界経済の歴史』名古屋大学出版会、より要約)。


明代、清代は、農業生産力の上昇が進展。江南地方(長江下流域)では、水車の普及によって、また華北では鑿井灌漑の普及によって、耕作面積が拡大肥料では、大豆などの絞り粕の使用が、土地生産性を上昇させ、各種の商品作物栽培(綿花、桑、麻、茶、葉タバコなど)が新たな輪作体系のもとで可能になった。これに伴い、米・麦などの穀物の商品化が進展し、長江中流域の穀物が、江南地方の商品作物栽培地域に供給された。こうして、中国農民が収益性の観点から商品作物栽培に傾斜することで、過小の土地に最大限の労働・資金を投入するアジア的農法が確立(萩原充「中国」長岡新吉・太田和宏・宮本謙介編『世界経済史入門」:欧米とアジア』ミネルヴァ書房、より要約)。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/eurospace/20170505