http://togetter.com/li/317900
「非常に優秀で思慮深い主人公は昨今のライトノベルでは極めて稀」(なりたい自分にキャラチェンジ!しゅごキャラがついてるよ!)
「内容も詰込型で流行はずれ」(信者にさえ読み飛ばしを推奨される)
つか5000view超えてるのか。先週書いたソードアートオンラインの2つの感想、編集ページのリンク元の数字は今見たら28と59だったわ。しかも3割がこのトゥギャリからw。(今流行の(?)ラノベ主人公的自虐) 
いわんや、非常に優秀で思慮深い、とかどうでもよく、本当にそう読んでるなら若干頭がおかしいってだけだよw まあこの作品は語られ方が間違ってるんでしょう。みんながもっと島耕作とかテニプリ的に消費してくれればいいのですが、どうやら作者さんはマジっぽいからのうw この主人公は重力制御型熱核融合炉を作って世界を手中に収めるつもりの魔王勇者系主人公だしw 
でも、主人公は海水浴話で修行で傷だらけになったらしい自分の肉体を地の文で賛美しながら「ああ、すまない。見ていて気持ちのいいものじゃないな」と女性キャラ5人くらいに言い放って自分で脱いだパーカーを羽織り直しながら書いてる作者がうっとりしてるようなオモシロ主人公なんだからそんな真剣になって読むような小説じゃないよw ぶっちゃけ幼稚な全能感撒き散らしてるだけ。商業ライターはこういうのにも加担しないといけないのがかわいそうだね。(えらそう)
まあラノベとか読む奴の9割くらいはアホばっかという業界の共通認識の中でネット小説という強烈な願望充足の嗜好を押し付けられてみんなが「?」って戸惑ってる間に「これはアリ」なんだと洗脳していくっていう感じじゃないの。思春期の子供の自己不全感につけこむにしてももうちょっとマシなロールモデル提供しろよって思うけど。しかし書いてる本人がやり直しの利く学校よりも失敗すると終わりの社会を上位に置いてその中で被害者面しつつ周りの人間をひたすら卑下させて最強主人公を仰ぎ見るような小説を大マジに書いてるっぽいのでまともなPCは望めないでしょう。
あと、ジュブナイル的だとして昨今のライトノベルとは一線を画しているかのような語りは欺瞞。それがやりたいならもう少しマジで語らないと。菊池秀行の名前あげた程度でさ……。関係ないけどこのラノの2005年だかに出た奴で某作家は近年の自分の読書傾向にデリダとかソシュールとかネグリとかあげてたYO!


浅慮なラノベの感想を貯めたので放出します。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (ガガガ文庫)

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (ガガガ文庫)

トラウマを抉られつつも超おもしろかったです。友達がいなくても強く生きていく勇気をもらいました!

平坂読が帯に寄せたコメントだけど、帯からしてもうハイコンテクスト。 ぼっちやルサンチマンの偽装って目配せがバレバレだから異常に野暮ったいんだけど、青春小説を消費するのにわざわざ卑屈にならなければならない文化圏というのもあるんだろう。  
主人公が入部する部活が露骨に矯正施設部活(青春するための訓練施設というか)で、そこはちょっと批評性を感じたw しかしなぜかこじらせてる本人たちが依頼人のコミュ問題を解決するという謎展開。
結局のところぼっちごっこルサンチマンごっこのやれることは青春を謳歌することであり、そのためのこじらせと言い訳でしかないのかなあ。はがないとかもそうだけど、空気の読み合い、腹の探り合いで、これもまあそのうち似たようなことになりそう。
オタクジャーゴン援用で青春小説やろうとすると誰が書いても同じような雰囲気になる。常に作為的なテンションで読まされるというか、素敵イベントが毎日ある高校生活はあまりにアゲアゲで普段の生活がムダに躁的に語られるので、そのへんはちと暑苦しかった。ええ、饒舌がしんどくなってくるオッサンです、はい。
いずれにせよ、緩やかな連帯感を維持しながら友達になっていくそのコミュニティのワイワイガヤガヤな青春を眺め、あるいは疑似体験として楽しむというのがいいと思うんだけど、はがないと同様に男の主人公いらねえなw はやくラノベの流行が少女主人公になりますように。南無南無。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。2 (ガガガ文庫)

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。2 (ガガガ文庫)

「悩める子羊達の青春バイブル。……と見せかけてこれ渡航先生の自伝だろ。」

逢空万太の帯コメですが、まあ、うん。作家として生きていくってのも大変なんだな。
2巻にしてはやくもトラブルシューターのコミュニケーション講座みたいになってる。
多くの青春ラノベは出力にいたるまでがハイコンテクストなのであって、作品で行われる行為はどちらかというとベタに「こんな青春が理想だったと思わせること」が商品としての目的なので、これもそれかなあ。なんか特に感想が出てこない。
主人公の人格は自虐ハードボイルドキャラとして完成していて、それを引きにするということはこれからメインの子たちが主人公のこじらせを解きほぐしていくようなのだけど、ぶっちゃけ全く興味がわかないw 鈍感だろうが敏感だろうがめんどくさいなとしか思わないし、そういう解きほぐしってはがないフォロワーワナビなら1巻でケリをつけなければならないような話だ。
もしかしたら、残念系ってファウストチルドレンというかユヤタン(なつかし)滝本竜彦(なつかし)の10年代版みたいなもんかもなあ。空気を読むことや、仲間内の共感を破綻させずに維持することは文学的テーマになりうるだろうし。さすがラノベ界のカテゴリーエラーのガガガ文庫ですね!感性が鋭い!
ツイッターでいっぱいおもしろいことをつぶやいてくれる作家が書くキャッチャーインザライだな。ライ麦フォロワー万歳!みんなぼっちで繋がってる!
ネットスラングとしてのぼっちの、共感前提の厭世観……。

デート・ア・ライブ 十香デッドエンド (富士見ファンタジア文庫)

デート・ア・ライブ 十香デッドエンド (富士見ファンタジア文庫)

「俺たちがラノベをこじらせたことに、理由(ワケ)なんてねえんだよ。ただ少しだけ、不器用だったのかもしれない」
「いこうぜ、ピリオドの向こうへ」

引用枠は作品からの引用ではなく氣志團ネタです。One Night Carnivalのポエトリーっぽく読んでください。このラノベのおもしろさはバンドに例えるならば氣志團。道化を演じながら先行する作品のパスティーシュをやるという。ここでゴールデンボンバーと言えないのが私のオッサン性である。ギャグがちゃんと演出としてギャグになっていてちょっと感心したな。こういうのは日常系ではできない笑わせ方だ。
カラオケで大マジに尾崎を歌う時のための布石として歌われる氣志團みたいなラノベだけどちゃんと少年性に立脚していて、オッサンじゃないのよ。ハイコンテクストなのはハイコンテクストだけど、実存をこじらせたポーズをとる残念系青春小説よりもこういうやつの方が好みだな。ISのスタッフでアニメ化期待w

ストライク・ザ・ブラッド (1) 聖者の右腕 (電撃文庫)

ストライク・ザ・ブラッド (1) 聖者の右腕 (電撃文庫)

この00年代ぽさ安心するわ〜(ミサワ)
小説偏差値は間違いなくデートアライブより高いのにデートアライブよりおもしろくないなんて……。
なんか、こういう話にこういう設定いるんだろうかと思ってしまったけど、まあ異能ラノベってそういうもんだよな! むしろそれが異能ラノベエクリチュールや。この設定でもう一歩踏み込んだらいいのになあ。もったいないで。
でも、何らかの理由を持って襲ってくる敵の攻撃から自分以外の何かを守るという構図はやはり焦点がぼやけるね。ここでは主人公の住む街を文字通り守ったわけだけど、主人公が戦うことに踏み切る理由が「それができるのが主人公しかいない」というのは……。基本的に主人公の視点で語られて、敵役の視点は隠しながら話を進めていくスタイルだけど、そうなると主人公に関わりの無い敵の物語に後から顔出してその敵の物語を主人公が頓挫させるってことだから。作中でもその部分が検討されるけど、でもなし崩し的に自分の街を守っちゃうんだよなw 学園モノ異能モノで主人公にヒロイズムを保障させるのは強引にでもそうせざるをえないのだろうなあ。
やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。3 (ガガガ文庫)

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。3 (ガガガ文庫)

予想通り引き伸ばし、まあガガガのドル箱として期待されているからな。
オタク向けの恋愛小説ってホントめんどくさいw 一般文芸の恋愛小説って読んだことないけど。
ユヤタンや滝本はもうちょい自分のニヒリズムに当時は向き合っていたと思うけど、はまちはダメだな。もう今のラノベニヒリズムという言葉さえ扱えなくなってしまったんだ。もっとさあ、学校や部活への破壊願望とかさ、あるだろ。制度に保護されながら問題を先送りとかめんどくさいわw もう孤高とかどうでもいいやん。
作中で主人公が大学生の飲み会のアゲアゲぶりを批判するんだけど、この作品が大学生の空騒ぎを批判するってわりとブーメランっぽいなあと思った。まあ主張というほどのものでもないギャグシーンだし、ぼっちコンテンツは私小説ではないからそれはそれでいいんだろうけど。盛り上がらなければならないという使命感に動かされている点では大学生の飲み会もぼっちコンテンツも同じようなもんだよ。平坂読逢空万太も帯で大学生的に「イエーイ」なコメントくれてるしw
なんかこう、この作品は人間関係とか学校制度をギャグにはするけど本当のところはそれらを憎んでないからつまんないんだよなあ。小説家の私小説ではなくて注文に合わせて書かれたラノベだもの。なるほど、これがぼっち系の次にくると言われている異世界召喚型の強くてニューゲームラノベかという。でも異世界に召喚してもこの人たちなんでこの人たちはこんなルールで戦ってるんだろうって思う。主人公も、刺激を求める強い好奇心を持っているんだけど主人公たちが現実世界にいた時を読者は知らないから説得力に欠ける。飄々としすぎで主人公ぽくないし、参謀キャラみたいなことばっかやってるし、というか異世界に召喚されたばっかりの1巻から自分で筋書きを提示する主人公ってそれどうなの?w サバイブ系?w まあそういう「異世界でもクールでうまく立ち回るキャラ」の主人公ってのがイマドキっぽいっちゃっぽい。
勢いがあるのはいいんだけど、ちょっと作劇が強引すぎるかなあ。でも、こういうTUEEE系ラノベは、いつ異世界の正しい統治、とかやりださないかドキドキしてしまうね!
やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。4 (ガガガ文庫)

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。4 (ガガガ文庫)

もしラノベが100人の村だったら、はまちは精一杯ぼっちキャラを演じて僕たちを笑わそうと頑張るんだろう。たとえ、キャラの完成度が低くても。ぼっちって何巻も続けられるネタじゃないね。うん。なんかもうほとんど普通の事しか言わなくなってるもの。同じギャグをずっと続けると愛想笑いしないといけなくなるから友達同士でもツラいやん? 
一人称が主人公と作者を行ったり来たりなのは最初からだけど、間をあまり空けずにオタ趣味一人称読むと「ツイッターのTLのほうがおもしろい」って思いはじめる。
小学生のぼっち講座とか読者は期待してんのかなあ。ガガガはそういうとこダメだからなあ。せめて本人たちの話をしようぜ。
この合宿のこの雰囲気見たことあるぞ、なんか、テレビで、若い男女がバスに乗って、色んなところ回って、やらせ恋愛とかやらせ喧嘩しながら、なんと言ったか、たしか、らぶわごん。あいのり。そういう名前の番組だったな。はまちはあいのりラノベだ。もうネット民のノリであいのりやってるだけだな。
よし、ゆきのしたNTR来い、来い、葉山頑張れ。作者たのむ、こっちは手のひら返す準備はばっちりだから。
も女会の不適切な日常1 (ファミ通文庫)

も女会の不適切な日常1 (ファミ通文庫)

俺がラノベをこじらせたことに、理由(ワケ)なんてねんだよ。(2回目)
これは上半期の収穫のひとつになるんちゃう? オッサン読者のリアリズムをねじ伏せるくらいの暴力性があって大変よろしい。暴力的ってことはつまり雑ってことなんだけど、共感できる少年性がある小説はやっぱりおもしろく読めてしまうんだよな。まあ別にひとに薦めはしないw 
パッチワークの軽薄さの中で切実なエモーションを語れるのもラノベの魅力のひとつだと思いますが、そういうのは望まれていないのか。道化を演じて埋没しているフリをするよりこういう小説のほうが好きだな。
はぐれ勇者の鬼畜美学(エステティカ) (HJ文庫)

はぐれ勇者の鬼畜美学(エステティカ) (HJ文庫)

やったー、ブラジャーのあるファンタシイな異世界だ。(TLのオッサン師匠たちのおかげで突っ込めるようになりました。)
強くてニューゲーム、スタート。地の文に書いてある。
魔法科高校とやってることだいたい一緒で吹いたw 
作者のやりたいビジョンがポリティカル異能なとこまで一緒だったw 2巻は運動会で主人公たちの華麗なる圧勝劇が繰り広げられるに違いない。
いやこれ冗談抜きで1巻だけならマジで一緒。現代学園異能にもテンプレはあるけど、すでにポリティカル学園異能でもこういうのが確立しているんだな。しかしオッサンラノベとしての「俺ってかっこいい演出」は魔法科のほうが優れている。こっちは主人公が追い詰められたりしてるし、エロが野暮ったいし。主人公がピンチになるとか、そんなの時代遅れでしょ。(某スレでそう言ってる人を見ました) しかしそういうある種のバランスを保とうという意志があるくせに強くてニューゲーム設定が女性キャラにえっちな悪戯するためにしか役に立ってないという意味でバカラノベ的である。(褒めてます。というか強さの証明として下着を取るスキルというセンスはまさにオッサン的である)
「こういうふうに振舞いたい、見られたい」という上位イメージがあってそれに対する言い訳として異世界から帰還した勇者という下位イメージが「設定」として与えられているだけである。筋書きは全く同じでも、魔法科のひねくれた自己顕示欲とは異なり、こっちはシンプルにそれを追求させています。他人を不必要に貶めないだけでずいぶんまともに見える。

ないようがないよう。おかしい、アマゾンでは高評価なのにw







BLOOD-Cの劇場版が思いのほかおもしろかった。特に最初の10分くらいは年間ベスト級の迫力。
IGのパブリックイメージの中から出なかった印象なんですが、現代伝奇アクションアニメの達成と限界を提示したようなフィルムでした。
舞台がド田舎から近未来(?)の東京になったことでおもしろハッキング(というか脚本がハッキングに頼りすぎだった)はじめ現代的な意匠で展開されていくのだけど、小夜と古きもののアクションが見せる異形っぷりと中途半端に観客を説得しようとするIG的なリアリズム美学がコンフリクト。誰得サプライズの乱れ撃ちと結局茶番でオトそうとするのはアレだったけど素直にびっくりしてしまったのでまあ許す。
結局文人のキャラを掘り下げずになんかよく分からないけどすごい権力者以上にも以下にもしなかったのがダメだったと思うんだ。映画は小夜と文人の二人の話だったはずで、でもそれが全然伝わらないような脚本で映画にしてしまったのでもったいないなあと。ざっくり言うと非モテ男女二人のすれ違いの恋みたいなものをやったわけなんですが、迷惑極まりないよこいつら。世界最高レベルの金と権力持ってる非モテ男がセカイ系な吸血鬼の女の子に惚れちゃったからまあ大変ってなもんですよ。

しかしまさかクライマックスで小夜がエクスカリバーを使って巨大怪獣を一撃で倒すだなんてw 文人もなんかジャンヌダルクの幻覚を見たジルドレみたいに素直になってるし、きっと四月一日のとこで手に入れたあの刀が宝具的な曰くつきのすごい刀だったんだね! 
東京湾に巨大怪獣現る、というハルマゲドン的イマージュが刀の一振りで消滅するという破綻、その破綻の概念そのものが文化庁の金で作った3DCGで迫り来るわけで、(違う)そのバカバカしい現代異能のイマージュは結局のところ世界を破滅に導いてはならない程度に抑えなければならず、そうであるがゆえに異能のイマージュと戯れ続けていられるのだというアンビバレンツな気持ちになってしまいましたとさ。特撮と現代異能の交錯は難しいね。

オチとしては、文人が非常に優秀で思慮深くなくてよかった。あなたが小夜の鞘だったのですね的な意味で。(ドヤア 結局彼は鞘にはなれずに死んでいったけど。もし非常に優秀で思慮深ければ、文人が超絶アクションしながら殺し愛を演じて、さらに頭脳も世界最高なのでなんかすごい発明をして人間と古きものの問題を解決させて本当に小夜の鞘になってしまっただろう。
吸血鬼モノで「過去に唯一愛し愛された存在」みたいな設定ってベタだけど中には失敗例もあるという、そういう話だったのかなと。そういうのが見たいかって言われると話は別であるが。破綻する恋愛、破綻する異能、という、そんな感じでした。