後悔堂々巡り

大学に入ってから、高校で同級生だった女子と親しくなった。何度か一緒に電車に乗って食事をしたり、映画を見に行ったこともある。
どの機会も、わざわざ向こうから誘ってきてくれたものだった。向こうから誘うくらいだから、ある程度の好意があったんだろうと思う。けれども僕から誘ったことは、一度もない。それは僕に向こうに全く好意がなかったというわけではなくて、むしろあったのだけれども、ただ積極性のなさから誘うことができなかったというだけのことだった。
その僕の積極性のなさは、誘う誘わないのことに限らなかった。例えばメールが来ても、すぐに返そうとしない。何を書いたらいいのか分からないから書けずに、一晩間を開けてからようやく返す。返す場合はまだマシな方で、何日経っても返さないままタイミングを失って返さないことすらあった。
映画を見に行った時はもっとひどい。普通なら映画を見た後はあれこれと映画の内容について、面白かった、あの場面が良かった、などと一緒に寸評するのだろうけれども、当時の僕には「感想を軽々しく喋るのは愚かしい」などという本当におかしな観念があったから、映画の後に喫茶店に入っても無言でいた。
今から考えれば、最悪だ。どれもが最悪だ。男としてじゃない、もう人間として最悪だ。社会的動物として最悪だ。
結局、一年ほど経ってからはその女子からは連絡も来なくなってしまった。当然の帰結だろう。向こうにはどう思われたのだろうか知らないが、僕の方は特別に何とも思っていなかった。ああ、また連絡が取れる人が減ってしまったな、くらいにしか考えていなかった。
それを今さら、何故か今この最近になって、非常に後悔を感じている。夜中に寝床に入っても、そのことを考えただけで朝が来るまで眠ることができない。あの時こうしていれば、ああしていたら、などという考えが頭中を巡りに巡って、思いっきり自分の全身をコンクリートの固い壁に打ち付けたくなったりもする。一言で言うと、苦しい。
僕はなんて馬鹿な奴だろう。思えば僕の生きてきた時間の中にはそういう後悔しかない。誇れるものがない。全てを悔いている。後悔、後悔、後悔、後悔、後悔。本当にそれの連続だ。後悔の中から反省し学ぶことはあっても、生かす機会がまだない。もしかすると、今後もないのかも知れない。
けれどもいくら後悔を感じていたとしても、あるいは後悔するあまり失望に繋がったとしても、そういった負の気持ちが他に向くようなことがあってはならない。自分の中で解決させなければいけない。そのためには、早く働き始めて社会的に自立しなければ、と思う。