Hatena::ブログ(Diary)

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2014-11-12

いつも見る場所

悪いインターネット周辺の人と会っていて、なんか終電近くなって移動することになって、おれ自転車できてるしそこまで自転車で移動しようかな?まあとにかく駅近くの駐輪場に置いておいた自転車どうなっているか見に行ったら、盗まれていた。鍵をかけわすれていた→不安→盗まれていた!っていう気持ちのルートをたどったので盗まれたことになったんだけど、うわあ盗まれた!ってショックを受けているおれが目の前にしているのは、どのパーツも自分自転車じゃない。古い放置自転車の寄せ集めみたいな、タイヤ小さかったりして。しかも前輪にチェーンついてる。でも気持ちとしては盗まれた焦燥感でいっぱいになっている。

そんな夢を見た。

駅周辺や駅構内、そこに隣接するビルエレベーターロータリーあたりの地理や素材は、これまでに何度も見たことのあるもの。今回は行かなかったけど、あそこを行けば別のあそこにつながっている。

2014-11-04

今年5月くらいから日記を書いていたんですけどね

日記ノートに書くやつ。

無印文房具の売り場に無地の束見本(画像検索してください)みたいなノートあるじゃん

あれ使って日記書いていました。

でも忙しくなって中断しました。

日記って頭が勝手に書くこと選別しちゃうじゃないですか。

意識的にあれしてました。

天気と食ったものの一部と家事などの仕事内容と。

天気は洗濯関係するから必要

食ったもの料理関係あるから

そういう日常、生きてる感じのことをノートに書いていた。

でも忙しくて書けなくなって、つまりは生きてないってことなんじゃないか。

べつに生きてなくてもいいし、そのことに気づいても感情はとくに揺れ動かない。

あとボールペンがのきなみ同時にインク切れたんだけど

なんだろう乾いたのかな。

もうちょっと仕事します。

2011-10-19

今夜の『相棒』第10シーズン第1話で唸ったのでメモ

真犯人自白から公判での否認、初公判での否認っていうのが15年前の冤罪事件と同じだ!っていうところがよかった。服役していた人物の母親が序盤にちらっと出てきておいて、あとで活きてくるところもよかった。

冤罪を起こした当時の警察検察、その贖罪っていう題材のために、主要人物に過去瑕疵があったという設定をくっつけてきた。人は誰でも嘘をつく。正義のために嘘をつく。

さらに真犯人が死なず、法の裁きを受けませんでした。殺人そのものよりもその周辺の罪深い行いをテーマに持ってきているわけです。殺人が起こっているのに殺人を話の中心にしない刑事ドラマってすごい。

さらにすごいのは、その悪いやつらの決着を見届けずにエンディングを迎えるところ。悪が懲らしめられたのかわからない。カタルシスがないんです。でもカタルシスないところが今回のテーマにぴったりなんですね。

カタルシスを求める欲求が冤罪を生んじゃうんだよー、っていう。もう刑事ドラマという形式自体を否定。傑作だと思いました。

話がおもしろかったことに加えて、新シーズンの第1話に要求されるポイントも、かなり詰め込まれていました。

相棒』はふつう刑事ドラマではやらないようなことを題材にすることも人気の秘密ひとつなのですが、それはそれとして、「キャラクターもの」として好評を博していたところもあったと思うし、そういう人気の取り方を計画して制作もしていたと思う。

それで映画版の第2作も、テレビシリーズを見てない人を捨ててる感じがして、それって正直どうなんだろうと個人的には感じたわけです。

ところが今シーズンでは第1回目にして、登場人物の行動を変えてきた。捜査一課の3人が特命係に嫌味を言わない、刑事部長(だっけ)が今までと異なるような考え方になった、神保が優しくて不気味、などといった描かれ方があった。これはこれで初見視聴者を置いてけぼりにしているわけですが、映画版とは意味が違うように見えます。

従来のシリーズ視聴者に対しての気持ちいい裏切りと考えると「キャラクターもの」の手法ひとつとして、心憎くもありますが、第1話でそれをするというのはどういうことか。

キャラクターもの」として楽しまれているような作品なのに、唐突に人物の多面性を見せられると、我々視聴者は、なんだか作品の世界風呂敷を閉じにかかっているのではないかと勘ぐってしまう。

料理屋が閉められた点にも同様の予感をおぼえる。シーズンの最初に小料理屋が閉まるということは、今後、離婚エピソードが詳しく明かされるとしか思えない。ということは、右京の身辺が整理されるということでもあり、やはり視聴者クライマックスを感じさせるための工夫と見てとれるわけです。

今回のゲスト、おそらく1回こっきりしか出演しないであろう役者さんたちも豪華だったし。

私は読んでないんですが、週刊誌には最終シーズンか?というようなことが書かれた由。そのこともあいまって、今シーズン通しての期待をさせる戦略は見事だと思いました。ひょっとしたら週刊誌の記事すら作戦のうちなのではないかとすら疑わずにはおれません。

2011-05-07

写真撮らなくなった

コンパクトデジカメ持ってて、非常に重宝してたんだけど、なんか最近撮らなくなった。

カメラ持ち歩いてはいる。

どっか出かけても、携帯電話で1枚だけ撮影するとか。でもよその観光客グループの記念写真はよろこんでシャッター押す。

今年ものを処分したんだけど、そこから執着がなくなってどうでもよくなってきたのかもしれない。

ものやコンテンツの主題や細部は気になるんだけど、それは所有してなくてもまあ幸せというか。

どうせ世の中のどこかにあるだろう、それは記憶のみにしか残らないでも同じことだ、問題はない、というような。

物体は失っていくだろうという予測はうっすらしていたけど、デジタルデータすら持たないでいいというのは予想外で驚き。

ウェブに何か書き残さないのもひょっとしたら物欲コンプリート欲のようなものの欠如と関係あるんじゃないかとか。

これを、アレか、おリアルが充実と呼ぶのかしらん。

日々無表情。

tomblooから投稿テスト

2011-02-12

雪の積もる歩道

関東では雪が降っていたんですが、昨夜服用した頭痛薬がまだ効いていて、謎のハイテンションで傘さして歩き回っていました。

たぶん2時間半くらい。

なんか外食するつもりで歩き始めたのですが、結局ちっともパンチのないラーメン(言い換えると「優しい味」)を食べた。そのラーメンというテクストを単体で考えてみると損な買い物かもしれないが、ひょっとしたら好みかもしれない未訪問の店舗を開拓してみたというコンテクストを含めれば、まあアリだったのかなーとか、そういう納得をする。

散歩しながら考えたんだけど、雪が積もり始める場所ってどういうところなんだろう。

たとえば、アスファルトよりは、土のほうが積もる。芝生の上なんかも積もる。

散歩の途中に気づいたんですが、まず、コンクリとアスファルトの境界とか、工事終わって埋め戻したアスファルトの新旧の境界とか、そういう境目の細く浅い溝の雪がとけずに残るようなんですね。これはなぜだろう。積もり始めるのはこまかいモールからなんですよ。

で、車道から独立した歩道って積もるの早い。車道は車が通るからあんまり積もらないんだけど、歩道は積もる。

住宅街、民家の間を縫うような、自動車がすれ違えないような細い路地は、歩道に比べると積もらない。人通りは歩道のほうがあるのに。

ふしぎだなー。

あーラーメン食べなくてもよかったなーアレ。

2011-02-09

なべを磨いて復活

琺瑯の鍋にこびりついてた汚れをスポンジのジャリジャリしたほうの面でゴシゴシと指に力を入れてこすっていたところ、精神的になんとなくゆるやかな感じになれた。

そのこと自体はライフハックと呼ばれてしまうかもしれない経験による知識なのですが、力を入れて鍋を洗いましょうなんていうすごいポテンシャルまでまず精神を引き上げていくのはすげー困難だし、そこにノウハウはないんだよな。たんなる偶然。

近年まれにみるあまりおいしくないスープを作ってしまったのよ。そんで最初に豚肉を炒めたんだけど、それがうっすら若干のこげつきをしていたのですよ。

それを落としたのです。