「水曜どうでしょう」についての、長い長いメール(兼blogエントリ)

●●くん


僕のブログの更新頻度が落ちているとのご指摘なので、エントリのネタにすることを前提に文章を書いてみましょう。僕は「水曜どうでしょう」に少し前までハマっていました。今、一緒に展覧会を企画している人から面白いと聞いて、見てみたのです。僕は最近まったくテレビを見ませんが、これは面白かった。ちょっと長くなりますが、覚悟して読んでください(正確には、簡単に書く筈だったんだけど、長くなったのでblogに転用してやろうと目論みました)。


水曜どうでしょう」は1996年から2002年に北海道のローカルテレビ局で作られたバラエティ番組で、放送開始当時まだ大学生だった大泉洋という人を結果的に全国的なタレントにするきっかけとなった番組として有名だったみたいです(いまだにDVDが売れてます)。簡単に言えば、「水曜どうでしょう」は、企画者で大泉の所属事務所の社長(兼タレント)と大泉を不条理に過酷な旅行(サイコロの目で行き先を決める、クイズで答えられなかった地理の問題を実際に確かめに現地に行く、ジャングルで一夜を過ごすetc.)に連れ出すというもので、社長と大泉のタレント2人が、同行するディレクター、ハンディカメラ1本で記録するカメラマンに向かって不平や文句をつけながら、時折起きるアクシデントなどへの反応を、わりとだらだと映しています。


四六時中笑いっぱなし、というような刺激的な番組でもなければハラハラドキドキのドキュメンタリーでもありません。当然のように「仕込み」があり、その「仕込み」もゆるく仕込まれていて、だから「マジかネタか」という論点もありません。例えばこの番組では、東京-博多間を単に「サイコロの選択肢で示されたから」というだけの理由で深夜バスで移動します。この移動は10時間を越えるのだけれども、普通の状態だった大泉が、後のカットでは憔悴した表情で出てきます。出発前の「こんなくだらないこと本当にやんのかよ」というフリと、「こんなくだらないことで、こんなダメージを受けました」という切り返し、そしてそのことに対するタレント2人の愚痴で30分、更にはそれを何週にもわたって番組にしてしまう。


それのどこが面白いのか、と言えば、まずはこの、安直で無意味な過酷さが妙にリアルというのがあるんじゃないかと思います。


僕たちの「苦しさ」とは、例えばほぼ同時期に放送されていた「電波少年」が「作りもののドキュメント」で示したような不自然な過酷さとは異なります(いや、●●は「俺の大変さは猿岩石並みだ」というかもですが)。もちろん「電波少年」は、その、あえて作り込んだ過酷さで見るもののストレスを発散させていたのだけれど(つまりそこにはクライアントである視聴者と、サーバーであるタレントの権力・暴力関係が、大手テレビ局-タレントのヒエラルキーに投影されて稼働していた)、それはいつまでたっても「私たちの過酷さ」を相対化しないんじゃないでしょうか。単に一時的に忘れさせるだけ。


エヴァンゲリオンの監督の庵野秀明が、妻である安野モヨコの漫画(働きマン)に対し、「大抵のエンターテイメントは現実を忘れるように作られているが、彼女の作品は現実に帰るようにできている」というようなことを言っていたけれども、「水曜どうでしょう」という番組は、私たちの日常に帰ってくるような、どこかリアルな力を持っていて、それを笑い飛ばす(あるいはふて寝してやりすごす)大泉とこの番組は、私たちの、毎日の辛さ、過酷さを、ふっと昇華させる機能を持っている。そんな気がします。


例えば、不毛な社内事情で残業しているとか、意義を確認できない長時間労働を強いられているとか、まぁ他にもいろんな意味で「バカバカしい」と思っている事って、僕にも●●にもあると思うのです。そういう時に、現場で同僚と、「いやバカバカしいよね」と笑い合えると、その辛さがなんとか乗り切れたりする。こういうアナロジーで番組を語ることは危険かもしれませんが、多分、今や僕たちは「バカバカしさを笑い合う同僚」というものからも分断されつつあって、だとしたら、このような「機能」を持った「水曜どうでしょう」は、むしろ放送当時より今の方がアクチュアルになっているかもしれません−もっとも、この構図は徐々に変化します。


水曜どうでしょう」のサイコロの旅行は、彼等の出発点である北海道までなんとか帰りつくことが目的なのだけど、実際には期限までに到着できず、もう間に合わないことがはっきりしたりします(笑)。間に合わないこと(目的が達成できないこと)がわかりながら全員が一応選択された場所(例えば淡路島)まで行くところを捉えて、そのままなんのフォローもなく終わってしまう。そして次回からはまた新しい企画が行われる。くだらないことを、くだらねーといいながら、時折起きるアクシデントや、緩い仕込みのイベントの時だけ、愚痴り、怒り、笑う。


この時の大泉洋が、とにかく掛け値なしに面白いんですよ。状況を誇張してみせる。自分にこんなことを強いているディレクターをののしってみせる。ぼやき、突っ込み、あるいはなにもせず寝てしまう。


この番組は事件を起こす必要が無いんですね。世界を歩いていれば、そこには無数のきかっけが転がっていて、この番組と大泉洋は、そのきっかけを丁寧に拾っては投げ返す。それはテレビのこちら側にも転がっているきっかけであって、だから大泉の作る笑いは、私たち自身の、今日この場所を笑いに変える。例えば今、「電波少年」を見るのはなかなか難しいと思うのだけれど、「水曜どうでしょう」を見るのはまったく辛くない。それは、番組中カメラマンの言葉として語られた「(なんで昔の企画が今でも売れるのかといえば)新しいことを何もしていないからだ」という言葉にも示される「普遍性」を、この番組が獲得している証明となっているように思います。


それと、これは今思いついたのですが、「水曜どうでしょう」で大泉洋が深夜バスに乗る/あるいは無意味に北海道から四国や九州や北欧に移動を繰り返す、という行程が中毒的になるのは、大泉洋の、「くだらなさの受入れ」の瞬間に発生する、ある自由の感覚の発露にもあるかもしれません。大泉洋には、ただの大学生だった初回から(というか大学生という立場だからこそ)テレビの権力関係に、どこか無頓着な感覚がある。もちろんタレントたろうとしている大泉に、この企画を断る自由はないのだけど、そのかわりに大泉は、その「受苦」を徹底的にぼやく=受入れることで、テレビというもの、企画というもの、それを見ている視聴者という立場、その全ての縛りや、そこに込められている力関係といったものを一時的に解除してしまうんですね。


なにごとかの力を受入れて自由になる。大泉洋という人には、この感覚があります。これは、テレビ企画内部で作り込んだネタを演じてみせる、という「あえてのシニシズム」とは違います。それなら単にテレビの「中」の事情の受入れでしかない。そうではなくて、テレビそれ自体が持っている力関係全体を受入れて、その上でそれをぼやいていく。


バカバカしいのに振り切れない力というものに世界は満ちています。テレビもその一つで、だからここでの大泉の「あえて」は、テレビの「外」にも敷衍できるスタンスなのではないでしょうか。そして、そこでの「受苦」を受入れることで発生する「自由」は、もはやテレビの中の人間関係や支配関係における自由、つまり視聴率を取る事ができるとされている、あるいは視聴者の欲望の焦点になっているタレントがディレクターや一般の人に対して「権力」として発動できる自由とは次元の異なる、より本質的な自由です。


とんねるずの「業界ネタで、そこでの強者をあえて演じることで自由な感覚を産む」という方法は、かならずそこに「弱者」を産みます。それは例えば石橋貴明に殴られるADであり、木梨憲武がいじる芸人です。そのカタルシスは、しかしテレビが象徴する権力関係自体は揺るがしません(むしろ補強します)。視聴者は視聴者という立場でその「強み」を、彼等を通して確認する。とんねるずは、デビュー当時の実績のない頃はそのあり方が特定のラディカルさを持っていたのですが、実際に彼等が視聴率がとれるタレントになってからは、テレビ的なる力関係のショーアップと再強化を加速させてしまった。このことは彼等の優秀さでもあり、またある程度当時の状況から逃れられない、つまりとんねるずが嫌でもやらざるをえない必然でもあったかもしれませんが、だとしたらとんねるずが、大泉洋の才能の全国区での適切な紹介者であったこともまた、ある必然性を持っているように思います。


大泉洋は、いかに人気が出ようと北海道出身のローカリティを捨てないし、また捨てることもできないでしょう。大泉洋は、その原理において「強者」でありえません。そしてもっと言えば、いかなテレビとはいえローカル局の作る「水曜どうでしょう」は、東京で作られるようなテレビ番組の「暴力的強大さ」とは無縁な存在です。デビュー間もない大泉洋と、地方局の番組「水曜どうでしょう」は、対等とはいえないまでも相互に突っ込み可能な「どうでもよさ」を共有していた。このどうでもよさ、あるいはくだらなさを受入れることで大泉洋は、不思議な求心性を獲得します。地方のディレクターとカメラマンが撮る地方のタレントの無意味な旅。この、いつばらばらになってもおかしくない-実際初期の番組改編期に、大泉洋と一緒に出演している大泉の所属事務所の社長の鈴井貴之は「どうせすぐ終わる」「続くと思わなかった」と言っています−「力」を大泉が受入れたことで、その「どうでもよさ」「くだらなさ」それ自体が彼等を一つにまとめあげ、視聴者も吸い込んで、その全体が支配とか権力とか欲望とかいったものから解き放たれた「自由の空間」となっていきます。


そしてその結果、初期の「マジ切れ」期を過ぎて、この番組はいつからか(たぶん放映時期の中程、1998年くらいからでしょう)「終わらない修学旅行」の様相を呈してきます。移動中繰り広げられるあほらしい会話。宿で始まるバカな遊び。眠りこける電車のシート。車の中の鼻歌、モノマネ。アラスカまでいって延々下手な料理を作っては「まずい!」と言い合っているだけのくだらなさ。このくだらなさは、ほとんど男子校の遠足の再現です。中学や高校の校外学習ほど「無意味」な旅行は、人生においてなかなかないものですが、だからこそそこには、奇妙に相互に結びついた親密な自由が仮託されます。


もちろん、現実の学校の旅行はそのままリアルな学校の権力の空間移動で、そのような「自由」からほど遠いですが、だからこそ人は「理想の修学旅行」に、少しだけ感傷的な憧れを持ったりもします。「水曜どうでしょう」は、少年であることを終えてしまった人々の、夢の修学旅行として、放映後10年たっても古びない鮮やかさに満ちています。こう考えれば、番組が大泉洋のメジャー化と共に、自然に終えられたことはむしろ幸福なことと言えましょう(これがスタッフごと中央のキー局に買い取られて無理に続けられていたらと思うとぞっとします)。その後たまに作られるスペシャル版が最近ないのもしかたがないかもしれません。


それにしても、中でたまにゲスト出演している安田顕という人は異能ですね。この人ももう少し全国区で活躍してもいいなと思います。


また会いましょう。