2012-02-05
■「幸徳事件」と「ドレフェス事件」と「小沢事件」 日本には「エマ・ゴールドマン」「エミール・ゾラ」はいないのか?
数日前のNHKラジオ深夜便でフランス人の学者が話していた内容が面白かった。
という番組です。
この中で語られたのは、日本の「幸徳事件」の際にフランスやアメリカ、イギリスで抗議のデモが行われていたということ。フランスでは4000人規模のデモがあったらしいこと。・・・これって1910年のことですよ。テレビなんて無い。ラジオだって無かったんじゃない?しかも、ファーイーストのヤパン?の出来事ですよ。日本国内ではもちろんこんなことが起きていたなんて知らないし、報道もされなかった。ただただ新聞雑誌は「ろくでもない赤の幸徳」たちが逮捕され処刑されたと信じていたわけだ。今の北よりも酷い時代だった??わけだよね。
教授はこの日本の事件と自国フランスの「ドレフェス事件」を比べるわけ。
「ドレフェス事件」と「幸徳事件」を知っているか?と、日本人にアンケートをとってみたらいい。おそらく「名前だけは皆知っている」というだろう。私が学校で教わった時期は今から35年も前のことだからだけれども、日本史にも世界史にもこの事件は載っていた。ただしそれだけ。内容も詳しくは教えてもらえなかった。スルーなのだ。だから、その言葉だけは知っているというに過ぎないのだ。
話、戻るんだけれども、この「ドレフェス事件」は、まぁ時の権力者たちがよくやる手で、政権が不安定になるような輩というか気に食わない野郎たちを一気に潰しちまえ!!と、メディアと警察を総動員して国民を煽り「悪いのはあいつだ!!」とやる手法。古今東西、これがまかり通る。国民は洗脳され、暴走する。
当時のフランスで、これにたいして果敢に立ち上がったのが作家「エミール・ゾラ」
「我、糾弾す」だっけか?ともかく、無知な国民に対してこのデタラメな話を暴いたわけさ。説得力を持つために「私は逮捕されるのを覚悟で書く。名誉毀損で裁判にかけられるのを承知で書く」と宣言したうえで「ドレフェス事件」をでっち上げたのはこいつらだと・・・政治家や軍、警察、新聞社・・・等の名前を書き連ねて、批判したもんだから馬鹿な国民もようやく気がついてこれはおかしいと大騒ぎになった事件。
この二つを比べてみるとね、簡単にわかるのが結末。
ドレフェスは釈放された。
幸徳は処刑された。
フランス国民は事実を知って怒った。
日本国民は何も知らないままに終わった。ということかなぁ。
背景 [編集]普仏戦争に敗れた結果、鉄鉱石と石炭の豊富なアルザス=ロレーヌを失い、莫大な賠償金を課せられたフランス経済は大きな困難に直面した。
国内経済の不振で資金は有利な海外投資に向けられ、ロートシルト(ロスチャイルド)などのユダヤ系の金融資本が国民の零細な貯蓄を投資に引き入れ、東ヨーロッパなどへの投資を行った。しかし、1882年には金融恐慌が発生し、多くの投資銀行が破産に追いやられた結果、貯蓄をなくした人々は金融界を牛耳るユダヤ人への憎悪を昂らせた。
一方、保守派と軍部はドイツに対する報復と熱狂的な愛国主義を煽り、1880年代後半には、ドイツへの復讐を叫ぶブーランジェ将軍が右翼・軍部の支持の下に独裁政権の樹立を図る事件を起こし失敗していた(ブーランジェ事件)。
概要 [編集]
ドレフュス大尉の不名誉な除隊を描いた挿絵(官位剥奪式で剣を折られるドレフュス=左側)このような第三共和政の不安定な状況の中で起きたのが、1894年のドレフュス事件である。同年の9月、フランス陸軍情報部は、パリのドイツ駐在武官邸からフランス軍関係者内に対独通牒者がいることを示すメモを入手した。フランス陸軍参謀本部は漏洩した情報を知りうる立場にいた人物達の調査を行い、筆跡が似ているとして、参謀本部付きのユダヤ人砲兵大尉、アルフレド・ドレフュスを逮捕した。しかし、具体的な証拠どころか、ドレフュスが金銭問題を抱えている、もしくは急に金回りが良くなったなどといった状況証拠すら欠いていたため、スパイ事件及びドレフュス逮捕の事実はすぐには公表されなかった。
この事実を反ユダヤ系の新聞「自由言論」がすっぱ抜きで大々的に報じ、ユダヤ人は祖国を裏切る売国奴であり、その売国奴を軍部が庇っていると論じて、軍部の優柔不断を糾弾した。慌てた軍上層部は、証拠不十分のまま非公開の軍法会議においてドレフュスに「有罪」の判決を下し、南米の仏領ギアナ沖のディアブル島(デヴィルズ島)に終身城塞禁錮とした。
ドレフュスは初めから無罪を主張しており、彼の誠実な人柄から無実を確信した妻のリュシーと兄のマテューらは、再審を強く求めるとともに、真犯人の発見に執念を燃やした。1896年、情報部長に着任したピカール中佐は、真犯人はハンガリー生まれのフェルディナン・ヴァルザン・エステルアジ少佐であることを突き止めた。しかし、軍上層部は、軍の権威失墜を恐れてもみ消しを図り、ピカールを脅して左遷、形式的な裁判でエステルアジを「無罪」とし釈放した。
ドレフュス事件をめぐって二分する世論を風刺した漫画その翌々日の1898年1月13日号の新聞「オーロール」は、一面に「私は弾劾する」という大見出しで、作家のエミール・ゾラによる大統領フェリックス・フォール宛ての公開質問状を掲載した。その中でゾラは、軍部を中心とする不正と虚偽の数々を徹底的に糾弾した。
世論は沸騰し、それまで細々と続けられてきたドレフュス支持の運動が一挙に盛り上る一方、各地でユダヤ人迫害事件が頻発した。ゾラも名誉毀損で告発されて有罪判決を受け、一時はイギリスへ亡命を余儀なくされた。ドレフュスらの再審を求める勢力は「人権擁護同盟」を結成して、正義と真理、自由と平等を唱え、軍国主義批判を展開した。反対派は「フランス祖国同盟」を結成して国家の尊厳、軍部の威信を力説した。
エミール・ゾラこうして事態はドレフュス個人の事件から、自由と民主主義・共和制擁護か否かの一大政治闘争の色彩を帯び始め、フランス世論を二分して展開された。その後、ドレフュスの無実を明らかにする事件(彼の有罪の証拠となったものが、偽造されたものであることが判明)が続いたため、軍部は世論に押されてやむなく再審軍法会議を開いた。しかし、ドレフュスの有罪は覆されなかった。
ドレフュスは時の首相により特赦で釈放されたが、その後も無罪を主張し続け、1906年、ようやく無罪判決を勝ち取って名誉を回復することとなった。この事件は軍の威信を傷つけ、軍部と保守派の力を大きく後退させ、その後のフランス軍の弱体化を招くひとつの大きな要因となったと考えられている。事件後のフランス軍は、植民地関連を除き単独での軍事的勝利を収めた経験を持たない。一方、ドレフュスを擁護した民主主義・共和制擁護派が、その後のフランス政治の主導権を握り、第三共和政はようやく相対的安定を確保することができた。
愛国主義者と事件 [編集]常々、「愛国者」を自称していた軍首脳及び右派であったが、自己の保身とユダヤ人排撃のために、本来彼らが言うところの「売国奴」として糾弾すべき真犯人のエステルアジを庇護しつづけた。このためのちに「自称『愛国者』が売国奴と結託した」、「自称『愛国者』こそが実は売国奴」であったなど、内外の失笑を買った。また、彼らは様々な偽証行為によりドレフュスの「有罪」とエステルアジの「無罪」の立証を図り、さらに、偽証発覚後も「国家の敵ユダヤ人に対抗するための愛国心の発露」などと主張して偽証行為の正当化を図った。これらの愛国心の「大廉売」により、フランスでは右派及び軍部の権威は大いに低下した。
幸徳事件出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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幸徳事件(こうとくじけん)とは、大逆事件の一つ。一般に「大逆事件」と言われる際は、この幸徳事件を指す。幸徳秋水事件ともいう。
概説 [編集]明治天皇を爆裂弾で暗殺しようとした計画が発覚、この事件をきっかけに多くの社会主義者、アナキストに対して取り調べや家宅捜索が行なわれ、根絶やしにする弾圧を政府が主導し、捏造したとされる事件。戦後に関係資料が発見されて事件の全容が明らかになった。暗殺計画にいくらかでも関与・同調したとされているのは、宮下太吉、管野スガ、森近運平、新村忠雄、古河力作の5名に過ぎなかった。1910年5月25日に多数の社会主義者・無政府主義者の逮捕・検挙が始まり、1911年1月18日に死刑24名、有期刑2名の判決。1月24日に11名が、1月25日に管野スガが処刑された。
日本国憲法施行後、1960年代に復権の動きが起こり、「大逆事件の真実をあきらかにする会」を中心に、再審請求などの運動が推進された。2001年には新宮で犠牲者を顕彰する会が生まれるなど、今猶事件の検証と犠牲者の復権への運動は続いている。
概要 [編集]判決の2ヶ月前の1910年11月22日を皮切りに、アメリカのアナキスト、エマ・ゴールドマンらがニューヨークで抗議集会を開くなどの抗議運動を展開し、全米に抗議運動が広がった。さらにイギリスやフランスにも抗議運動が起こり、各国の日本大使館に抗議デモが押し寄せた。
布施柑治によると、幸徳秋水は審理終盤に「一人の証人調べさえもしないで判決を下そうとする暗黒な公判を恥じよ」と陳述した、とされている[1]。
刑死した人物は、幸徳秋水、管野スガ、森近運平、宮下太吉、新村忠雄、古河力作、奥宮健之、大石誠之助、成石平四郎、松尾卯一太、新美卯一郎、内山愚童の12人。特赦無期刑で獄死した人物は、高木顕明、峯尾節堂、岡本一郎、三浦安太郎、佐々木道元の5人。仮出獄できた者は坂本清馬、成石勘三郎、崎久保誓一、武田九平、飛松与次郎、岡林寅松、小松丑治の7人。
赤旗事件で有罪となって獄中にいた大杉栄、荒畑寒村、堺利彦、山川均は事件の連座を免れたが、この事件の影響で、社会主義運動は数多くの同志や仲間を失い、しばらくの期間、運動が沈滞したため、「社会主義冬の時代」と呼ばれる。
この二つの事件に対する歴史の評価は確定しているわけ。それでもこういったことは世界中、昔も今も繰り返されているわけで、ましてや現在の無秩序なメディアの氾濫によってこのようなでっち上げ事件は後を絶たないのです。
メディアは国民を洗脳するのです。メディアは時の権力者たちに利用されるのです。だからメディアはそれを自覚し、権力側とは常に一線を引いて距離を保たねばならぬのです。このニッポンのように総理を選ぶのが巨大メディアの暗黒のボス・ナベツネ・・・なんていう話は19世紀ですらありえない馬鹿げた話なのです。
さてね、そんなフランス・ボルドー大学教授クリスティーヌ・レヴィさんのお話を放送したNHKとは実に恥を知らない放送局なんだと笑えるわけで、これって今の小沢事件といわれるものとなんら違いが無い。率先して「幸徳事件」「ドレフェス事件」を今なお続けているという意識の欠片も無いからこんな放送が出来るのでしょう。番組自体はいいものが多いのに残念ですね。
この現在の「ドレフェス・幸徳事件ともいわれる小沢事件」
これに関してジャーナリストの山崎幸太郎さんがブログ「毒蛇山荘日記」2011.10.09で書いておられます。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20111009
ここからも少しだけコピーしておきます。
2011-10-09
「小沢事件」と「ドレフュス事件」の類似性。フランスの作家・エミール・ゾラの「私は弾劾する」で有名な「ドレフュス事件」と「ドレフュス裁判」は、フランスの自称「愛国派、保守派」が仕掛けた冤罪事件であったが、一連の「小沢事件」と「小沢一郎暗黒裁判」を彷彿させる。
1898年、エミール・ゾラというフランスの作家は、普仏戦争(独仏戦争)に敗れ、アルザス・ロレーヌ地方を奪われた上に多額の賠償金を課せられ、フランスの国内経済が疲弊していく中で、自称「愛国派、保守派」によって仕掛けられた「冤罪事件」、つまりフランス陸軍参謀本部勤務の大尉であったユダヤ人、アルフレド・ドレフュスが、ドイツ側への情報漏洩とスパイ活動の疑いで逮捕され、証拠もない不当な裁判の結果有罪となり、太平洋の悪魔島に流刑になった「ドレフュス事件」に遭遇して、不当な裁判に対する怒りと正義感から、「私は弾劾する」という激しい抗議文を発表すると同時に粘り強い抗議行動に出た。その結果、フランスの世論は沸騰し、逆に「ドレフュス事件」をデッアゲたフランス陸軍、自称「愛国派、保守派・・・」は次第に追い詰められていく。その後のフランスの歴史を大きく動かすことになる冤罪事件である。むろん、この事件と裁判におけるエミール・ゾラの存在は大きい。しかし、言うまでもなく、ゾラは、ドレフュス個人を擁護したのではない。裁判の不当性に抗議したのである。今回の「小沢事件」と「小沢一郎暗黒裁判」を彷彿とさせるものである。小沢事件もまた、自称「愛国派、保守派」が仕掛けた冤罪事件であることは間違いない。言い換えれば、日本の自称「愛国派、保守派」も、民主党の小沢一郎を中心とする「政権交代」の胎動に、かなり追い詰められているということである。おそらく、政権交代を国家的危機と感じ取った日本の自称「愛国派、保守派」は、「政権交代潰し」を、法の原則を踏みにじることも恐れずに実行しようとして一連の小沢事件をデッチアゲようとしているのである。しかし、日本の自称「愛国派、保守派」も、大きな壁にぶち当たっていると言わなければならない。「小沢事件」および「小沢一郎暗黒裁判」には、エミール・ゾラのような有名作家は登場しないが、ネットやフリージャーナリスト・・・による有名無名の一群の批判者たち、つまり「無数の、有名無名のエミール・ゾラ」による抗議運動という新しいスタイルが登場している。今日も、渋谷で「小沢支援デモ」が行われたらしいが、これは、こういう政治家の冤罪事件としては異例のことである。新聞やテレビしか情報伝達の手段がなかった時代だったら、「小沢一郎支援デモ」などというようなことは起きなかっただろう。明らかに政治的謀略に基づく冤罪事件であったにかかわらず、「田中角栄支援デモ」や「鈴木宗男支援デモ」というようなものがありえなかったのは、新聞やテレビが情報を独占していたからである。官僚、検察、裁判所、自民党、マスコミ・・・、日本の自称「愛国派、保守派」が、違法な逮捕や裁判を繰り返すのに必死であるにもかかわらず大きな壁にぶち当たっているは、パソコンや携帯という双方向型の情報発信装置、つまりネットやブログ、ツイッターという壁である。(続く)
私はこの渋谷のデモに参加しました。もちろん、このデモはニュースにはなりませんでした。私は山崎さんが言うところの「無数の、有名無名のエミール・ゾラ」なのだと思います。無名のエミール・ゾラでありたいと思います。











お久しぶりです。横隔膜です。
NHKも不感症気味、ということですね。
パーソナルメディアの力を、これからも生かしたいものです。
コメントありがとうございます。
例年に無く厳しい冬といわれていますが、北海道はいかがでしょうか?
こちらこそご無沙汰してまして、コメントいただき恐縮です。
閲覧記録を覗いて見ると、このところ何度か横隔膜さんのブログからのものがありまして「久しぶりだなぁ、随分こちらからコメント打ってないなぁ・・」と考えておりました。
またクラシックに関していろいろと教えてください。