押し花
歴史についてそれは個人の生についてもいえることだが「あの時こうしていたら」という発想で振り返るより「何故あのようだったのか」という問題が大事なのは言うまでもない。
そこで頭を少し切り替えて、巷で最近云々されている歴史の<嘘>とやらを<想像>と置き換えればそれ全て足跡として寛大になれる。
今の日本は、世界はリアリズムに向かって過ぎる。
未踏の情報過多により人々が右往左往してしまう、これは"右や左の旦那様"情態に似ている。
現状において、私はそれを必ずしも否定はしないが、それが横行する時代とは人々の意図とは逆に平和から遠ざかる。
人は悪い結果/失敗を招いたことを認めることでその経緯を悔いるが成功/勝利/勝者の路を辿っている自負があるうちにそのような反省はない。
自負と偏見は肩を寄せ合っているようなもの。
真実を探求する人あってもユニセフに協力しようとも世界の貧困と病は消えない。
もはや真実を知ることが解決とは限らず。
押し花...視線が合うように、それを認めた私はそれを留めておきたいのだ。
私はそれらを愛で、書物やノートのページに忍ばせやがて、或る物は栞に、或る物は壁に飾る。
私の家にはその土地で摘んだ幾つもの植物のミイラがいる。
日本のものも、西洋のものも、それらはこの家を守っている。
写真は南仏にて繰り返し読んだ我が古書に挿んだ、一輪。
桜井李早