宇都宮の県庁と道路と明治

宇都宮にある栃木県庁は、過去、2度も焼失している。一度目は1888年、2度目は1936年。

宇都宮に最初の県庁が建てられたのは、1884年明治17年)のことだ。

郷土出版社の「目で見る 宇都宮の100年」をつらつら眺めると、なかなか興味深い。

強制的な寄付による多額の費用と、多くの労働力により完成した県庁は、百日余の突貫工事ながら、時計台のそびえる和洋折衷の近代的な建物であった。

強制的な寄付…。恨みがましさを感じる文章である。誰から、いくら、どうやって集金したか、興味惹かれる。

しかし、そんな多大な犠牲を払って建てられた県庁がたった4年で焼け落ちるとは。無念だっただろう。

また、明治と言えば囚人労働。
北海道の囚人による開拓事業は有名だが、宇都宮の街づくりもまた囚人労働が一役かっている。

県庁の建築工事には建物のほかに道路改修も重要な仕事であった。これら一連の工事には囚人たちが玉石・砂利・砂を西鬼怒川から運び、また大量の大谷石が運び込まれた。

現在、東武宇都宮駅のある場所に宇都宮監獄署があったので、そこの囚人たちがこき使われたのだろう。当時、何人の囚人が、どんな仕事を、どんな環境で行ったのか。資料は残っているのだろうか。ここもまた興味をひかれるところだ。

強制的な寄付と囚人労働で成し遂げられた県庁建築と街(道路)の整備。
「明治だなぁ」としみじみ思う。