さすがのわたしも

ついさきほどの話。


夜の9時を少し回って、きのう娘と二人で借りたCDをTSUTAYAに返してこようと家を出た。
ついでにあさっての仕事の資料を持っていって、10時の閉店までスターバックスで読んでこようとも思った。


家の隣はカラオケ屋さんで、隣はジムで、その隣はコンビニで商店街に面している。
そこを渡ってそのまままっすぐ進むと、スターバックスTSUTAYAのある大学通りだ。


コンビニの横に立ち止まり、商店街の車の流れを見ようとしたら、駅の方向から、あの人が近づいてくる。
両手に荷物を持って、笑顔で、この時節ちょっと暗い街灯を逆光にしょって、
いままさに、コンビニからの光に片頬を明らかにしようとしている。


その人が誰だか、先月8日の「他生の縁」を読んでくださったあなたならおわかりだろう。
候補者は二人。
M先生か、Tさんか。


その頬はお雛様のように端正で、目元は涼やか。
口元はいつものローズ系(似合いそうなオレンジベージュの口紅プレゼントしたのにな)。
ころころと転がる笑い声とともに近づいてくる。
Tさんだ。


さすがのわたしも腰砕け。
しゃがみこんでしまった。


だって、わたしが家を出たのは、ランダムで気まぐれな9時6分。
夜だよ。
ここが本宅ではない彼女が、遠路はるばる埼玉から、夜の9時8分頃に、
それもわたしが通り過ぎる前のものの15秒の幅ぴったりにやってくるか。


「脚出したおねえちゃんがいると思ったら。こんな夜中にどこいくの」
彼女はしゃがんでいるわたしに容赦なく、にかにかと問いつめる。
TSUTAYA。脚は出してない、タイツはいてる」


なんとなくいっしょに通りを渡り、大学通りへ向かう。
今夜はこっちで寝るだけなんだと彼女はいう。
だったら10時までお茶を飲もうよと、二人でスターバックスに入る。


その頃には、もうわたしもあきらめた。
彼女とは、こうなることになってるんだ。


閉店きっかりまでおしゃべりし、TSUTAYAにもつきあってもらって、
いっしょに家の前まで帰ってきた。


異性だったら甘い関係だなあ。
手もつないじゃうよねえ、これほどの縁なら。

あれから、これから

桜が咲いて、もう散りはじめている。


歩いている人の髪に、桜の花びらがとまっている。
男性にも、女性にも、若い人にも、年配の人にも。
桜は同じように花びらを降らせる。


あの日の前にはもう戻れない。
それはいつのときも変わらない。
何があったとしても、時は戻せない。


痛ましいことがあっても、
喜ばしいことがあっても、
時間は桜の花びらのように、
ただ、降ってくる。


降ってわたしたちの内に積もる。
痛ましいできごとが見えなくなっていく。
よろこばしいできごとも見えなくなっていく。


でも、なくなりはしない。


よろこばしいできごとを大切にするのであれば、
ときおり、上に積もった花びらをとりのけて、
それを眺めたいのであれば、
すぐ横に埋もれている痛ましいできごとも、
大切に抱きしめて生きていくことだ。


両親と妹を失った少女が祖母の膝の上で笑っている。
その笑顔を、自分のこどものその年頃の笑顔の思い出ごと抱きしめて、
わたしはこれからを生きていく。


そうでなければ、そのようにでなければ、
もうわたしは生きていけない。

運命の人

きのうと同じ書きだしを使おう。


わたしは、外を歩くときに人よりきょろきょろしているらしく、
街で知り合いを見つける確率が非常に高い。


ほんとうにそうなのだ。
これは十代の頃からで、高校のともだちに「生きてる人を呼ぶイタコ」とあだ名されたこともある。


それで、きょう書きたいのは、この「能力」が、特定の人にとても濃く働く場合のことだ。


一人は、長きに渡って地元小学校PTAの相棒だったTさん。
彼女はいまはこの街に住んでいないが、部屋がまだ残っていて、お稽古事やこどもたちの用事でそこにくることが月に数回ある。



彼女の部屋のあるマンションはわたしのマンションから歩いて20秒だから、極めて近いとはいえ、
わたしがこの気まま暮らしのリズムで、好き勝手な時間に家を出てどこかに向かおうとすると、
彼女がまさしくそのときに、わたしのマンションの前にさしかかるという具合。



同じく街なかの方向にいくときもあれば、彼女は部屋に向かっているときもある。
家の前の道をもう少し駅よりまでいったところで会うときもあるし、
ちょっと遠くてスーパーのなか、ということもたまにある。



きょうそちらにいきますとか、何時頃には着いていますとか「一度も」連絡をもらったことはないのだが、
彼女がきているときには「必ず」このようにして出会うのだ。



小指と小指が赤い糸で結ばれているどころではないと思う。
胴体と胴体を真っ赤な注連縄で結ばれたような二人だ。


もう一人は、息子と娘とがつづけて6年間お世話になった、高校進学塾の数学講師M先生。


60歳のベテランの先生で、柔道の心得があり、むっくりとした体格にスキンヘッド、銀縁眼鏡と口髭という強面、のわりに声が高い。
歩いている姿が、ちょっと他の人と違うようにわたしには思える。
なんとなく、目立つ人なのだ。


その塾の教室は、駅前の本部と、わたしがマンションから大通りに出る通り沿いの分室の二つにある。
M先生は、一日に少なくとも一度はその間を往復する。
わたしが地元にいるときの動線と、M先生のそれとが重なっていることは確かだ。


それにしても、わたしは頻繁に、M先生と会ってしまう。
午後から夕方にかけてならば、通りを歩いていてふと顔を上げると
二回に一回はM先生がそこにいる、という感じだ。



上げてないのに、ふっと意識によぎるものを感じて、顔を上げたらM先生だったということもしばしば。



あまりにたびたびなので、最近では、声をお掛けするのもためらうほどだ。
つい数日前は、大通りのケーキ屋さんから出たとたんに、
M先生が右方向からジャストのタイミングで歩いてきて、あやうくぶつかるところだった。


お話するととてもシャイな方で、いやー、どうもどうも、また、どうも、ごにょにょ、と去っていかれる。



先生にとっても、わたしほどしょちゅう出くわす保護者というのはいないのではないかしら。
お互いに、もう少し条件が整っていると、運命の人だわ、と思い込むところだけれど。



それをいうなら前述のTさんだって相当に運命の人である。
TさんとM先生、二人の共通点は、まとっている空気が、通りを歩く他の人と違うということだ。
それは、わたしにとって、ということなのかも知れない。


二人はわたしにとって、いわゆる「フラグ」の立った人なのだ。
また、彼らほど偶然には会わないけれど、見え方が他の人とはくっきりと違う人もいる。
この人にも「フラグ」が立っているのだろう。


彼らの身体の分子構造が、わたしに向かってよく見えるように揃っている、とでもいったらいいか。
そして遠くからでも感知できるような「いるぞ」とか「いくぞ」とかいう信号を全身から発しているのだ。


かくいうわたしもまた、ある女性から
「歩いていると、しゃらーん、と音がしている」といわれたことがある。
そういう彼女も、また分子構造が….



ときりがない。
人と人とが出会ったり、引かれ合ったりするのは、年齢性別関係なく、
お互いの分子構造とそこから発せられる信号(しゃらーん)によるものではないか。



二人の間に生まれるものが、友情でも敬愛でも恋でも、
それは祝福されるべき出会いなのだと思う。

他生の縁

わたしは、外を歩くときに人よりきょろきょろしているらしく、
街で知り合いを見つける確率が非常に高い。


知り合いでなくても、たとえば、朝、最寄りの駅で同じ電車の同じ車両に乗った人が、
帰りの電車でまた同じ車両にいるのを見つけたり、
地下鉄の通路ですれ違った人とデパートのエスカレータでまたいっしょになったり、
人にいってもわかってもらえないから、一人ひそかに驚いているようなことがよくある。



「ヒト顔認識能力」というものがあるとしたら、わたしのそれは高いのかも知れない。
ただ、それ以前に、人と人って、これほど頻繁に、複数回すれ違っているということではないのか、と思う。
つまり、世の中は「袖摺りあうも他生の縁」に満ちているということだ。


「ここで会ったが百年目」なんてとんでもない。
「ここで会ったが2時間後」なんてことが、街のそこかしこで起きている。


とはいっても、さっき表参道駅の通路ですれ違ったスタイリッシュな黒縁眼鏡の女性に、
新宿伊勢丹1階のハンドバッグ売り場の横に上がってくるエスカレータでまた会ったからといって
「さきほどは」と挨拶できないのはもどかしい。



世間がもっとオープンになり、知らない同士ももっと声を掛け合ってもよくなったらいいのに、
と残念に思うのはそんなときだ。


いまのところ、街なかで、知らない人に気軽に声をかけるのは、
おばさんか常識をやや逸脱した人に限られる。



と、書いて気がついたら、わたしは上の特徴二つを兼ね備えているではないか。
おばさんで、常識をやや逸脱した人。
衝撃。



わたしも、本気で黒縁眼鏡の女性と話し込みたいわけではないのだけれど、
会釈くらいはしてみたい。
彼女も地下鉄通路の一件を覚えていてくれて、
会釈を返してくれたら、うれしいだろうなあ。



現実にはそれすら叶わず、
でも、袖摺り合った別れの名残りを胸にしまってまた歩きだすというのも、
それはそれで、いいものだ。

銀のライター

父が遺していった、銀のデュポンのライター。


まだ元気だったときに、なんとなくもらって、3年前にオーバーホールに出した。
部品も取り寄せだったとかで、9000円かかった。


ライターが帰ってきてしばらくして父は亡くなった。
線香の火をつけるのに使おうかとちらっと思ったが、
そこまで父を悼む気にもなれず、ライターは箪笥にしまったまま。


蓋を開けたときの音がいいんだと、父はいっていた。
この音がデュポンなんだと満足げに、何度も開け閉めをしていた。


たしかに、ピン、という音のなかに、コン、が混ざっていて、
後に澄んだ響きが残る。


わたしには腹違いの兄が三人、姉が二人いて、上の兄二人は父と同じくヘビースモーカーだ。
父はわたしにくれたけれど、このライターは兄たちにあげたほうがいいのだろうか。
そんな迷いがいつまでもふっきれず、もう使えるのにがガスを入れていなかった。


いまさっき、ふと箪笥の引き出しを開けて、ライターを出してみた。
懐かしい重さ。
蓋を開けるとあの音がする。


父はショートホープを吸っていた。
ライターの銀とショートホープの箱の白。
父がよく着ていた紺の背広とのコントラストを思い出す。


明日、お店にいって、ガスを入れてもらおう。
そして誰か、煙草を吸う人に会ったら、これでつけて、と頼んでみよう。


理由はわからないけど、そんな気持ちになって、ライターをバッグにしまった。

All the years and all the tears...

『宇宙からの手紙』(角川グループパブリッシング)で、著者マイク・ドゥーリーさんのことを知り、毎日届くメールマガジンを読んでいる。


口語の英文だから、正直いってさらっと読むだけでは半分以下くらいしか意味がわからないのだけれど、さっき開いたきょうの分の冒頭に

All the years and all the tears...

とあって、感覚的にぐっときてしまった。


涙涙の幾年月...


もう涙はいらないなあ。


涙くんさよなら、だけど、そのために流す涙がまだちょっとありそうだなあ。




マイク・ドゥーリーさんのサイトはこちらです。

http://www.tut.com/theclub/

アポー・パイ!

息子の高校の同級生にはおっとりした子が多いのだけれど、なかでもとくにおっとりしていて地顔が笑顔だというNくんは、幼少の頃、ご両親とニューヨークにいたらしい。


住まいの近くに、とてもおいしいパイのお店があり、Nくんのおかあさんは一番人気のアップルパイをぜひ食べたいと思っていた。


それで、お店にいって、アッルパイください、と英語でいうのだけれど、何回いいなおしても「Huh?」と聞き返されてしまい、最後に出てくるのはミート・パイなのだった。


ミート・パイもおいしくなくはないのだけれど、やはり、なんとしてもアップルパイを食べたい。
おかあさんは地元の幼稚園にすっかりなじんでいるNくんに、ある日尋ねた。


「リンゴって、英語でなんていうの」


Nくんは、にこっと笑って答えた。


「アップル」


「それは日本語でいったときでしょ。幼稚園ではなんていってるの」


Apple



おかあさんには「あぽー」とかなんとかとしか聞き取れない、でも感じからして完璧な発音の「Apple」だった。
まるでその瞬間自分の息子が自分の息子でなくなったような、その感じ。


おかあさんはNくんを連れてパイのお店にいった。
店員さんに、まずは「ください」という意味の声をかける。


「はい、なにを」


おかあさんは、Nくんを後ろから抱き上げて、自分の顔より高く構えた。
それが合図で、Nくんは、


Apple


おかあさんはすかさずNくんの横から自分の顔を出し、


「パイ」


店員さんは、全く聞き返すことなく、まぎれもない、アップルパイを包んでくれたそうな。
めでたし、めでたし。





追記


この話を息子から聞いて、改めていまとんでもなくでっかくなっている息子を見た。
でもこの子のことをかつてわたしも抱き上げていたのよね、と思ったら、
ニューヨーク時代のNくんのことが自分の息子のように思え、おかあさんのことも他人に思えなくなり。
わたしたちにもそんなニューヨーク生活があったような気さえしてきて、なんかとても幸せ。