モチベーションは楽しさ創造から

自分自身のモチベーションアップ、仕事を楽しくする方法から、部下・上司・顧客のモチベーションアップのヒントとなるノウハウ、コラムをまとめたブログです

資格ってホントに価値があるのか?web2.0時代は資格価値を凋落させるのか?

あなたは、何か資格をお持ちだろうか?
これから取りたい資格はあるだろうか?
私は今、ITコーディネータという経済産業省の資格を保有している。そしてその資格取得の為に必要な研修会の講師もしている。
この資格がどうこうという話でなく、資格の一般論を考えていきたい。

医師資格、弁護士資格、公認会計士資格、社会保険労務士資格、税理士資格、介護士資格等々資格はいっぱいある。世の中資格ブームだ。頼るモノがなくなってきた時代だからこそ、資格に頼ろうとしている人が多い。しかし、ホントに資格って頼りになるものだろうか?これからも頼りになるのだろうか?

資格は「プロフェッショナルの仕事ができる能力を証明する保証書」であるという誤解から成り立っている。この誤解は、その資格保有者、その資格者を頼りにしているユーザー(世間)の誤解から資格は成り立っている。
世間の誤解は、

  • ・一目でプロかどうかを判断したいという期待
  • ・スキルの検証や信用できるかを考える手間を減らしたいという期待
  • ・判断根拠の責任を問われた際の言い訳用(失敗を上司から問われたときに、あの先生は●●の資格を持っていたので間違いないと判断しましたという言い訳等)といった期待

により生まれている。(子供が急病で医者に行った時、いちいち、その医者のスキルを聞いてはいられない。聞いた瞬間に、違う病院に行かないといけなくなるかもしれない。)


その誤解の上に成り立ったほとんどの資格は「その仕事のプロフェッショナルとしてのスキルを評価しているものではない。」それでは何を評価しているか?その人の「ある特定分野の知識の暗記量を評価している」だけだ。
例えば、弁護士資格はその人の法律に関しての知識の暗記力を保証しているだけのものだ。弁護士資格は持っていても、法廷では役に立たない人は多い。

医者もそうだ。「医療技術に関しての知識」を暗記している人が医者である。職業倫理に優れており、プロフェッショナルとしてのスキルも持っている医者を保証しているワケではない。暗記力を保証しているだけである。それは各資格制度の試験制度や更新条件を見ればすぐ分かる。)資格をとった後でも、その専門分野に関して更なる知識習得に努力している人は希である。

今、ネット時代においては、この知識を取り巻く環境が変わっている。
知識を得るだけで有れば、インターネットがあれば暗記しておかなくても何とかなる時代である。「知る」という事は、情報化時代になり、20年前と比べてカンタンに、早くなってきた。これは、テクノロジーの進化により更に便利になっていくだろう。「知っていること」「知識の価値」は低下し続けているのだ

もちろん、資格が保証している知識の暗記が全く必要ではないという事ではない。ネットで検索する時間がない時の対応や、ネットで集めた情報の正誤を判断する為に必要な知識は暗記しておく必要がある。しかし、この暗記に対しての価値が下がっている時代に対応していない資格について危機感を感じるのだ。


暗記の価値が下がると、資格の価値の低下も起こってくるのではないだろうか?単なる暗記しているだけの人、知っているだけの人の価値は下がるのである。もちろん資格を取り巻く関係者の誤解の構造がすぐになくなるとは考えられない。特に世間は、「知らない事の幸せ」を容認しているところがあるからだ。

しかし、従来の「専門分野の暗記力を評価する」という資格制度から「暗記力は最低限の評価にし、モノの考え方やその仕事をしていく為に必要な技術を正しく評価する資格制度」を作っていかなければ、資格は、単なる「その分野の知識を暗記をしている人というアイコン」に価値が下がっていくのではないだろうか?

資格のアイコンとしての価値が下がれば、その資格を持っていてもその中で格差がでてしまってくる。例えば今でも、同じ歯科医師資格を持っていても、大きな所得格差が生まれている。

WEB2.0の時代が進めば、資格の価値(暗記力)より、ブログでその人がどれだけの情報を発信しているのかを見てその人が任せて良いプロフェッショナルかどうかを判断していく時代になっていくのかもしれない。ネットやブログの進展により、お上が与えた資格という事で人を判断する時代から、自分で情報を見極めて判断する時代になれば、より安心した社会になるのではないだろうか?

今求められているのは、暗記力よりクリエイティビティが求められているのだから!!