モチベーションは楽しさ創造から

自分自身のモチベーションアップ、仕事を楽しくする方法から、部下・上司・顧客のモチベーションアップのヒントとなるノウハウ、コラムをまとめたブログです

部下の志気を高めるには、自分がゴキゲンに仕事をする事が最も大事?

人生はミスマッチ (内田樹の研究室) というエントリがとても勉強になりました。

現場の教師の士気を低下させることで、子どもたちの学力や道徳心が向上するということはありえないからである。
現場の教師のみなさんには、できるかぎり機嫌良くお仕事をしていただきたいと私は願っている。
人間は機嫌良く仕事をしているひとのそばにいると、自分も機嫌良く何かをしたくなるからである。

子供の学習意欲やモラルを高めるに最も大事な事は、「先生が機嫌良く仕事をしていくことではないのか?」という主張です。これって、企業の中でも同じだと思うのです。


つい、部下や組織のモチベーションを考える時は、「どうすれば部下はモチベーションがあがるのか?」とか「あいつがモチベーションが上がらない原因は何か?」とか、対象である「部下」についてばかりを私達は考えてしまいます。



しかし、ホントに大事なのは、上司(自分)自身の問題という事の方が大きいのではないでしょうか?自分自身の立ち振る舞いが「部下のモチベーション」を落とすような状況の原因になっている事が・・


このエントリでの主張は、子供に対する教師のあり方いう部分でこうまとめてあると思います。リーダー論としても参考になると思いますのでご紹介していきます。


  • 子供の学習意欲や道徳心を向上させていく為の最も重要な事は、「先生が機嫌良く仕事をしていくこと」



  • 人間は機嫌良く仕事をしているひとのそばにいると、自分も機嫌良く何かをしたくなるからである。



  • 「学ぶという事が、気持ちがいい(ゾクゾクする、ワクワクする)」ということを自分自身を素材にして、子どもたちに伝えることである。



  • 教師が知的な向上心を持って仕事をしていれば、生徒たちにはそれが感染する。子供達は、先生が機嫌がよくしている理由が知りたくなるのである。



  • 教育の本義は「子どもの欲望」を起動させることである。しかし、このモチベーションが今、うまくいっていない。

    それは、教育する側の大人たちが「欲望」の語義を読み違えているからである。



  • 現代の大人たちのほとんどは「子どもの欲望」もまた収入や地位や威信や情報や文化資本という外形的なものでしか起動しないと思っている。だから、「勉強すればいい学校に入れる」とか「良い大学に入ればいいところに就職できる」というような近視眼的な目標設定にすがりつく。





  • だが、本来の教育の目的は違う。



  • 教育の目的は、「 勉強すること自体が快楽であること、知識や技能を身に付けること自体が快楽であること、心身の潜在能力が開花すること自体が快楽であることを子どもたちに実感させること」である。



  • 「いわゆる目標」なるものは、そのような本源的快楽を上積みするための「スパイス」にすぎない。単なるスパイスが目的に変わってしまっているために、子供達は学ぶことへの意欲が減少してきているのだ。



  • 今の教師を取り巻く環境で、「機嫌良く」仕事をしろというのは難しい。だからこそ「機嫌よく笑ってみせる」ことが死活的に重要。



  • しかし、私たちには誰でもどのような環境でもけっこう楽しく暮らせる能力が備わっているのである。



  • 先生は、自分の「どんな仕事でも楽しくこなせて、どんな相手とでも楽しく暮らせる」汎用性の高い能力の開発に力を注いで、毎日を機嫌良く仕事ができるようになる事が、最も大切な事ではないだろうか?



こんなところが、このエントリの主張だと思います。(後、就職する人達へのメッセージもありますが、ここでは話がそれちゃいますので、興味のある方は、人生はミスマッチ (内田樹の研究室) をお読み下さい。とてもよい内容でオススメです。)






さて、ここで述べられている事って、ビジネスでも同じ事が言えると思いませんか?先生という事をリーダーと置き換えてみるとどうでしょうか?生徒や子供を部下に置き換えてみるとどうでしょう。



  • 部下の仕事への意欲や学習意欲を向上させていく為の最も重要な事は、「リーダーが機嫌良く仕事をしていくこと」



  • 「仕事をする、学ぶという事が、気持ちがいい(ゾクゾクする、ワクワクする)」ということを自分自身を素材にして、部下に伝えることである。



  • リーダーが知的な向上心を持って仕事をしていれば、部下たちにはそれが感染する。部下達は、上司が機嫌がよくしている理由が知りたくなるのである。



  • リーダーシップの本義は「部下の欲望」を起動させることである。しかし、このモチベーションが今、うまくいっていない。

    それは、指導するリーダーたちが「欲望」の語義を読み違えているからである。



  • 現代のリーダーほとんどは、「部下の欲望」はまた収入や地位や威信や情報や文化資本という外形的なものでしか起動しないと思っている。

  • だから、「ガンバッテ仕事をしていけば、もっと給料が上がる」とか「我慢すれば出世する」というような近視眼的な目標設定にすがりつく。




  • だが、本来のリーダーが行う教育の目的は違う。



  • リーダーが行う教育目的は、
    • 仕事をすること自体が快楽であること、
    • 勉強すること自体が快楽であること
    • 知識や技能を身に付けること自体が快楽であること
    • 心身の潜在能力が開花すること自体が快楽であること
    を部下に実感させることである。



  • 「いわゆる目標」なるものは、そのような本源的快楽を上積みするための「スパイス」にすぎない。単なるスパイスだったはずの「目標」が、いつのまにか目的に変わってしまっているために、リーダー達は学ぶことへの意欲が減少してきているのだ。



  • 今のリーダーを取り巻く環境で、「機嫌良く」仕事をしろというのは難しい。不必要と思えるほどの報告書の山。理不尽とも思える顧客からの要望。上司からのプレッシャー。



  • だからこそリーダーは、「機嫌よく笑ってみせる」こと、機嫌良く仕事をしていくが死活的に重要。



  • 私たちには誰でもどのような環境でもけっこう楽しく暮らせる能力が備わっているのである。楽しさを創造していく力が潜在的にあるのだ。



  • リーダーは、「どんな仕事でも楽しくこなせて、どんな相手とでも楽しく暮らせる」為の汎用性の高い「楽しさ創造力」の能力開発に力を注いで、毎日を機嫌良く仕事ができるようになる事が最も大事なのではないだろうか?



私達ビジネスマンは、そう置き換えて考えてみるといいのではないでしょうか?だからと言って、もちろん「自分が機嫌良くなるために、部下を奴隷のように使う」っていうのは、もちろんNGですけどうですけどね。(そうすれば、部下が協力しなくなり自分が機嫌よくできなくなってしまいますからね。)

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