音楽彷徨 in あかね

酷暑に汗だく。グッドウィルから抗議あり。レイバーネットに動画公開中止を要請す。帰宅するや否や地震カップラーメン食す。もやいにSOSメールす。あかね当番やフリーター全般労組の電話番辞めひきこもろうかと愚考。

アキコ・グレース『グレースフル・ヴィジョン』
今日3-4回聴いた。最初はさっぱり掴めなかった。3回以上聴いてようやく、オトナな表現なんだということが理解できた。で思ったのは、ロマン主義の根深さ。シューマン等初期ロマン派が物凄く重要なんじゃないか、ということ。フリーで息の根を止められたはずのロマン主義が何度もリバイバルすることに、ロマン主義の生命力、侮り難さを痛感。

GRACEFUL VISION

GRACEFUL VISION

上原ひろみ『ビヨンド・スタンダード』
スイング・ジャーナル人気投票1位。のみならずポップスチャートにも食い込む。アキコ・グレースと比較すると、より分かりやすい(がだらしなくはない)音作りを感じる。幼稚さではない凄く良い意味での「若さ」というか。このアルバム、購入後20回は繰り返し聴いた。何度聴いても飽きない。

ビヨンド・スタンダード(初回限定盤)(DVD付)

ビヨンド・スタンダード(初回限定盤)(DVD付)

ポリーニ演奏ショパン『練習曲集』
これを凌ぐピアノ表現は無いと思う。何度聴いてもその完璧さに圧倒される。

ショパン:12の練習曲 作品10/作品25

ショパン:12の練習曲 作品10/作品25

ラフマニノフ・プレイズ・ラフマニノフ
超絶技巧家としても知られたラフマニノフの自作自演は、過度な感傷を排し、当時としてはさっぱりした表現である。録音がなされるようになってからの巨匠らは、皆、ロマン主義への反動に位置することに注意。が、現代の眼からみれば、彼らとてロマン主義である。当時としては、ザッハリッヒだったということなのだ。

俺も甘やかされてるが…

産経らしいといえばそうなんだが「通り魔「甘やかした結果では」」という題名自体拒否感。そんな簡単な話かよ。
【八王子通り魔事件】母は「うちは教育テレビを見ているから」と不登校かばう
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080724-00000903-san-soci

真っ当に働いた経験なし

33歳になるが真っ当に働いた経験なし。

後は芸音労働のみ。正社員・正職員経験なし。恐らく堪えられぬと予測。生きるの超キビシー。

『オスカー・ピーターソン・ガーシュウィン・ソングブック』

抜群の安定感。愛聴している。

告知

●番組名:攝津正 Tadashi SETTSU a.k.a. "Linda"の音楽彷徨
●番組のURL: http://tds.radilog.net/
●パーソナリティ名:攝津正
●放送開始日時、予定放送時間:7/24(木)22:00-23:00
●本日の放送内容:ピアノ・三味線・ウクレレ演奏とお喋りします。
気楽に聴いてね!
●メッセージ募集要項など:お好きな話題を持ち寄ってください。
●らじろぐチャット以外の掲示板があれば、そのURL:
http://9118.teacup.com/femmelets/bbs
http://chat1.net4u.jp/chat/mkframe.cgi?z=Linda

フレディ・ハバード『ゴーイン・アップ』

聴いてる。

聴いてる

ケニー・ドーハム・ウィズ・キャノンボール・アダレイ『ブルー・スプリング』

ブルー・スプリング

ブルー・スプリング

バド・パウエルの未発表音源がまだ残っていたとは!

ジャズ・アット・マッセイ・ホール Vol.2+6

ジャズ・アット・マッセイ・ホール Vol.2+6

『ソニー・スティット&ザ・トップ・ブラス』

聴いてるが快調そのものだ。

Sonny Stitt & The Top Brass

Sonny Stitt & The Top Brass

欝多氏脳

  • Cafe LETS客一人も来ず利益は一円も出てないのに、音楽著作権協会とか保健所ばっかり来る。
  • 銀行口座確認したがカンパは一円も入っていない。
  • 働く意欲がない。
  • 技能がない。
  • 欝。
  • 出口なし。
  • 暑くて横になっても寝られないし、クーラー掛けて店に居ても座っているのが苦しい。
  • 精神科に入院する金はない。それどころか金支給して欲しい。
  • 主治医は障害年金の診断書を書く気がない。
  • とにかく金が欲しいし必要だが、入る当てがない。
  • 欝。
  • 何もしたくない。
  • 現に何もしていない。
  • 音楽ばっか聴いて一人で店に座っているが意味なし。
  • 無意味。

欝多氏脳 その2

  • 「仕事は?」「ナッシング」この会話グー!と思う。俺も言いたい。
  • 働きたくないが野宿生活もいやだ。
  • 生きるのが面倒になってきた。
  • 息をするのも疲れる。
  • 医者にも会いたくない。
  • 客も来なくていい。
  • 働きたくないし、実際働いてない。
  • 借金返したくない。
  • 金ならない。
  • 金を自分で発行したい。
  • 単なるただの怠け者で何が悪い?何も悪くない。
  • マックの常連になろう。
  • 無為万歳。
  • 無為こそ命♪
  • 欝なのか躁なのか意味不明。
  • 意味不明だがだらだらしてる。
  • 何にもなれないし、別になりたくない。
  • 学者にもアーティストにもなれなくていい。
  • 努力=一番嫌いな言葉。
  • 頑張りたくないし、事実現にまるで頑張ってない。
  • 垂れ流し。

欝多氏脳 その3

2ちゃんねるを覗いてきた。2ちゃんねらーが言ってることにも一理あるのは確か。一番可哀想なのは炎天下立ちんぼで警備労働して一家を支えている73歳になる俺の義父だというのはその通りだ。義父が倒れるか、働くのをやめたら俺の家は崩壊する。それはよく分かっている。義父は地球が爆発する!人類は絶滅する!という誇大妄想にしがみついて日々堪えているが大変だろうと思う。が、なのに33歳の働き盛りの俺が働かない。指一本動かそうとしないのである。絶対働かない。強制収用所送りになっても働かない。奴隷にされても働かない。俺は働くの超嫌いだし、実際働いてない。そして欝だ。躁という話もあるが、欝なのだ。労働を通しての自己実現なんて吐き気がする。学者にも芸術家にもなりたくないし、なれない。努力する気毛頭なし。何もしたくないし、実際していない。それで何が悪い?別にいいじゃん。せいぜい俺の家族が絶滅するくらいでしょ。

欝多氏脳 その5

俺は一日中Cafe LETSに座っているが、客が来たらこれが労働とカウントされ、来なければカウントされないっつーのが理解できない。それが世の中というものだとは思うが、しょうもないと感じる。儲けてもいないのに、保健所がくるのはどうして?改装する金、水道引く金もそもそもないんだよ?どうすりゃいいのさ?

欝多氏脳 その7

二階の自室でこれを打っている。横になっていたが落ち着かず、起きてきた。俺が考えていたのは、俺の人生の転機が14歳、ホロヴィッツとの出会いであったということだ。ホロヴィッツの音楽は俺を魅了し、俺はピアニストになりたいと思ったが、音楽教師らに話すと一笑に付された。以来20年間、俺は「死にたい」という気持を抱えたまま、虚しく生きてきた。その場その場で、例えばQ-NAMがあったり、大学院があったりしたが、基本「死にたい人」であるというのは変わらない。俺が死なないのは、確実に、そして人に迷惑を掛けずに死ぬ方法が見当たらないからでしかなく、自分の生存に積極的な意義を見出しているわけでは全くない。繰り返し語っているように、俺は自分の生存はナンセンスであり、全く無価値だと思っている。俺のように、何にもなれないどうしようもない人は結構いると思う。それで死んだり生きたりしているんだと思うが、ともかくも、生きていても苦痛だし、義務を果たす気もさらさらない。無責任と謗られても平気。大体俺くらい誠実にQ-NAMの総括をやった奴いるか?いないだろ。これ以上、果たすべきどんな責任があるってんだ。んなもんないよ。ともかくも、俺は何の意味も価値もない下らないつまらない生を無理やりに生きてきた。家族を悲しませたくないからとか、他人に迷惑を掛けるからなどの消極的で否定的な理由で厭々生きてきた。しかし、我慢ももう限界なのではないかと思う。もう精神科医にもキレている。もう会いたくもない。同情するなら金をくれ!である。家なき子である(笑)。いや、笑ってる場合じゃないんだが。ともかくも、俺は生きるのが面倒くさいのである。他者にとっては、この社会に適応するのは比較的容易かもしれないが、俺にとっては激しく無理である。それに適応したいという気持が最初から無い。俺は他人に興味ない。何もしたくないし、何もしていない。激情は他者を傷つける方向に向かうし、俺は実際多くの人を傷つけ、時には死に追いやってきた(京都の大学院生Yさんの場合)。俺の激しい言葉は時に人を死に追いやってきた。しかし、それに関して、俺は責任も取りようがないし、どうしようもないのである。加害的というなら、俺の生存そのものが加害的であり、迷惑だというしかないだろう。生きていること=迷惑。俺は迷惑な存在だ。他人に迷惑を掛け、不快な思いをさせたり、傷つけたりするが、それ以外に生きる方法が無いのである。生産的なことをしたいと思うが、まるでできない。毎日パソコンとピアノのキーボードを打つが、それすら意味なし。まるで無意味であり、無価値である。俺は何の技能も資格もなく、生きる情熱すらなく、性欲もない。最近性に嫌悪を感じるようになってきた。中学生の頃は同性愛的な熱情があったが、今はそれもない。もうどうでもいい。恋愛も性交も、成功も、どうでもいいのである。生きること=どうでもいい。無関心。この苦しみを他者に理解してもらおうとは思わないし、他人には人それぞれの生き方があるのだろう。生きることがごく自然であるような人も多いのだろう。だが俺にとっては生きることは不自然で辛いことだった。生きづらさ系は労働運動系に行ってもまるで解消されず、借金は増える一方、なのに無意味な消費に溺れ、買ったCDもろくに聴かず、音楽家にもなれず、仕事はなく、する気もない。とにかく生きているのは暇潰しというか、他者に役立ちたい善意は寸毫もなく、単に生きているだけで、死にたい気持に堪え、ぐっとこらえ、単に生きている。だから何?と言われそうだが端的に事実を報告しているだけである。俺は意味なく価値なくやおい人生を生きているのである。

攝津は…

2ちゃんねるでは「攝津は知障」と言われてるが、今日ラジオのゲストで登場したタニケンは「認知症みたい」と言っていた。欝が激しく口調がとろけそうになっているのをそう形容したようだ。プチ臨死体験というか、吐き気と腹下しで参った。タニケンが帰った直後トイレに駆け込んだが、なんだか死にそうである。だが、別に大丈夫なんだろうな。

今日ラジオ最初即興でピアノを弾いたが8人も聴いてくれて、嬉しかった。がトークに入ると5人に減った。今日の演奏は特にノっていたようだ。タニケンは希死念慮と演奏の出来は比例するのか、と言っていた。