攝津正

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2009-12-16 現実を肯定できないのが一番の問題

[]現実を肯定できないのが一番の問題 00:04

自分の今の現実を肯定できないのが一番の問題でしょ。

つか俺がいうまでもなく雨宮とかにとっくに同じ事さんざん言われてるだろ

聞く耳もってないだけだよ

ぐさりと来た。図星?

[]6:40起床 07:03

気持ちの良い朝である。今日は月に一度の通院日である。佐々木病院へ行く。

[]長編小説労働』最初の挫折 08:15

以下のように書き始めたが気に入らなかった。

僕が労働について書くことが相応しいかどうか分からぬ。僕は二千九年の段階で三十四歳になるが、これまでパートタイム労働しか経験してきていない。ずっと一日四時間労働で通してきたが、昨年から一日八時間労働をしてきており、今日に至っている。

[]パートタイマーの地位向上を目指して 11:23

やはり僕には小説よりも、ブログ更新のほうが似合っているようだ。

それで書こうと思って書き忘れていたことをまた一つ書くけれども、濱口桂一郎http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/『新しい労働社会』のはじめの章が確か語っていたが(僕の記憶違いかもしれぬ、また同様のことを多くの論者が語っているであろう)、日本社会正社員メンバーシップ制)中心の社会からパートタイマーなど非正規労働者ジョブ制)中心の社会に大きく転換している。そして、日本がかつての日本のように、正社員社会の大多数を占める社会に戻るとは考えられない。今後の日本社会は、少数の正社員と、膨大な多数の非正規労働者から成る社会として存続するであろう。であれば、主婦パート学生アルバイトを典型として非正規労働者を考えるのをやめなければならぬ。それで生計を立てている者としてパートタイマー、特にフルタイムで働くパートタイマーは考えられねばならず、賃金等もそれに応じて上げるべきだ。一日も休まず早退もせず月フルで働いてなお生活できぬというのは異常である。この現状を何とか是正する必要があると思う。

このようなことを小説労働』でも説こうと思っていた。凡庸な認識かもしれぬが。

新しい労働社会―雇用システムの再構築へ (岩波新書)

新しい労働社会―雇用システムの再構築へ (岩波新書)

[]ソングス・イン・ア・メロウ・ムード 11:27

[]本日ラジオ放送19:00-20:00 11:38

昨日は告知が放送の15分前でリスナーが3人しかいなかったから、今日は早めに告知を出しておく。

以下から。

http://tds.radilog.net/

今日サーバ応答しなかったら運営に電話する。

今後の放送予定:

12/16(水)19:00-20:00

12/19(土)22:00-23:00

12/24(木)22:00-23:00

12/25(金)19:00-20:00

12/26(土)22:00-23:00

[]サラ・ヴォーン・イン・ザ・ランド・オブ・ハイ・ファイ 11:54

[]不可能 12:14

ジャズピアニストになりたいが不可能。作家になりたいが不可能。生きる術がない。

[]攝津正 総合更新 15:26

ブログ文章を切り貼りしているだけだが。不可能なことは不可能として、可能なことを地道に続けるしかない。

http://book.geocities.jp/tadashisettsusougou/

[]弁護側、被告精神鑑定求める…元次官宅襲撃 15:41

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091216-00000663-yom-soci

僕は小泉毅は正気だと思うけれどもなあ。人間の情念は不思議なものよ。

[]『奔馬』読了 17:56

三島由紀夫の『豊穣の海』第二巻『奔馬』を読了した。僕は右翼思想に詳しくなく、また親しんでもいないので、この小説は分かりづらかった。次は第三巻『暁の寺』だが、これで躓いたという人が多いので、注意して読もうと思う。

暁の寺―豊饒の海・第三巻 (新潮文庫)

暁の寺―豊饒の海・第三巻 (新潮文庫)

[]造反無理 20:17

インターネットラジオ終わった。

ラジオでも語ったが、今日ピアノ演奏は僕に大いなる満足、自己満足を与えた。客観的に見て、僕のピアノは下手である。全くの素人といってもよい。そのことを認識せざるを得なかったが、それでも、ピアノを弾く純粋な楽しみを味わうことができた。今日休日で、体もきつくないというのが大きいと思うが。リスナーは、熱心に宣伝したにも関わらず、前回より少ない2名、a−29さんとiwaさんだけだった。これならSkypeでやるのと変わらないじゃん。

「犬の仇討ち」の小泉毅についてmixiで触れたら、応援しているという人が2人コメントしてきて驚いたが、僕は加藤智大君、金川真大君、小泉毅さんのような犯罪は、「造反無理」のようなものだと思っている。これもラジオで語ったことだが。造反無理というのは、湾岸戦争があった頃柄谷行人が対談で語っていたことで、フセインは狂気に見えるが、今後アメリカに逆らうには、狂気のような、「造反無理」のようなかたちしかないだろう、と彼は語っていたのだ。僕には日本の人を驚かせるような犯罪者らの行為は、国家レベルでなく個人的レベルの造反無理だと思う。彼らは決起し行動するがそれはナンセンスである。彼らは私的戦争を戦うが、その戦争無意味であり、血は何の意味もなしに流される。そのどうしようもない閉塞が今の時代状況だと思う。

今、三島由紀夫の『豊穣の海』全四巻を第三巻まで読んできているが、僕自身は清顕や勲のような行為する人間の側ではなく、本多のような人間の側に属すると感じている。金閣寺を焼かぬ、不倫の恋に落ちぬ、憂国の志を抱いて決起し自刃せぬ、そういうだらしのない無意味で無価値な生存を選択した。僕の存在そのものが贅肉のようなものである。メタボリックな僕の肉体に相応しく、僕は贅肉なのだ。なくてもいい、どうでもいい存在。ゴミ。屑。

デス見沢先生から指摘された、自分の今の現実を肯定できぬということについても考えた。僕のような人生を送っているものが、自分自身の現状を受容するのは困難である。僕は物書きにもピアニストにもなれぬ。当為と存在が食い違っている。僕の存在そのものが造反無理、というか、生存無理である。僕はもっと前に自殺すべきだったのに、そうしなかった。その代償に、永く続く無意味で無価値な生存という罰を与えられた。僕には自殺する勇気がどうしてもなかった。自殺どころかリストカット、手首自傷もしなかった。痛いのが怖かったのである。そのような臆病者は、その臆病さに相応しい卑小な生涯を送るべく運命づけられているのであろう。

デス見沢先生の指示の一つに、なりたい自分を演じ続けていればなりたい自分になれるというのがあるが、僕にはそれは無理そうである。僕はモンク、パウエルにはなれぬ。いつまでもパーカーパウエルでもあるまいにと思いつつ、パーカーパウエルに固執する僕であるが、彼らのようになり、彼らのように演奏し、彼らのように生きることは僕には絶対に出来ぬ。僕は永遠傍観者、全くの馬鹿者である。ドゥルーズ映画論の第二巻でヴィスコンティ映画に出てくる人物に触れ、彼らは美しいものに囲まれているが創造者ではない、という指摘をしているが、僕もそうだ。数千枚のジャズCDに囲まれているが、自らは不毛不妊ジャズ音楽を生み出す力はないのだ。それも未来永劫、ないのだ。それが僕の運命である。最も望むことをなし得ぬまま、いつか訪れる死をただひたすらに待つしかない、というのが僕のさだめである。僕は他人を殺傷することもなく、自殺することもないであろう。僕が善人であるからではなく、理性があるからではなく、ただ単に勇気がない故に。

ところで話は変わるが、『豊饒の海』を読みながら僕が連想していたのは島田雅彦の『無限カノン』連作であった。『春の雪』を読了して僕に明らかになったのは、島田雅彦は明らかに三島由紀夫の『豊穣の海』連作を意識して『無限カノン』連作を書いた、ということだ。それのみならず島田雅彦作家としての歩みの一々が、いわば新しい三島由紀夫としての振る舞いであるということにも気付いた。そういう目で見てみれば、『僕は模造人間』にせよ新しい『仮面の告白』のようにも見える。島田雅彦三島由紀夫が持っていた毒を正しく継承している。彼は正統的であり、才能も技術も運もある。僕にはそのいずれも欠けている! 永遠の「なり損ない」、それが僕だ。

ここで一旦送る。

彗星の住人―無限カノン〈1〉 (新潮文庫)

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僕は模造人間 (新潮文庫)

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[]『暁の寺』、面白いじゃん。 22:48

つまらないという評判を複数の人から聞いていたが、三島由紀夫『豊穣の海』第三巻『暁の寺』、滅法面白いじゃないか。尤も前半は確かに理屈っぽいが、後半の本多の壊れ方(なんと覗き魔になってるwww)とか面白過ぎる。僕は以前に読んでいるので、ジン・ジャンのレズビアニズムという結末も知っているわけだが、それにしても読んでいて飽きない。三島由紀夫は、本当に優れた技術を持った小説家だったのだな、と思う。

ところで生きるのも死ぬのも難しいならば、中途半端に病むしかなかろう、と自分自身について考える。

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