について語って

断念すべきことがらを語ってしまったと後味の悪さが残った。自分にどうにもできないなら、戦争について語るべきではないのではないのか。自分は安全な場所にひきこもっていての情勢分析など、唾棄すべきものではないのか。それが最低限の倫理というものではないのか、などと自省した。
イラクアフガニスタンも問題だが、自分一人生きるか死ぬかというのも解決できないでいて、大問題を語っても意味ないように思う。自分は35歳無職ひきこもりの社会不安障害回避性人格障害(不安人格障害)に過ぎないのだ。そういう卑小な自分に平和を希求する権利があるのか、と思う。
というか。自分の言説、典型的なニヒリズム、ないし、シニシズムのそれだよね。それって昔から自分が批判してきたものでは? 自己撞着を起こしてるのではないの? と自己ツッコミ。
でも、ニヒらずにやってられるかよ、とも思う。大状況も小状況も。世界大の事象も、身の周りのささやかなことがらも。

Place To Be

先程の日記の続きだが、結局私は、運動に、Place To Be、居場所を見出すことができなかったのだ、と思う。勿論運動組織体は、もろもろの課題を解決すべきものであって、単なる居場所の提供や友達作りの場であるべきでもない。だが私は、賃労働の場でも、地域でも、運動においても、居場所や友人を獲得できなかった。結局、Cafe LETSに回帰するよりほかなかった。
思い返せば、Cafe LETS第一期は、「革命トシテノ無為、無為トシテノ革命」というイベントをやったが、これがまた参加者=0という画期的なもので、結局、無為のうちに崩潰したのであった。
私がフリーター労組を辞めようかと考えているのも、私がなんというか、闘争的主観性のようなものを共有できないからだ。なんというか、活動家失格。運動ができない、のである。だから、運動団体から退く、というのは理に適っている、と思う。
私は、平和運動をやりたいと思ったこともあった。だが、残念なことに私はエゴイストで、想像力によって掴まれる無数の死のリアリティよりも、自分一個の生存の可否といった問題のほうを優先せざるを得なかった。そこにおいて、私は、倫理を喪失し、活動家たるの資格を喪失した。故に惰民であり、転向である。
十年以上前からそうであったように、私は端的に病人、(柄谷風にいえば)「ビョーニン」である。他者を志向する倫理的運動などを目指すべきではないのだ。欺瞞に陥りたくなければ、社会運動に関わるべきではない。
太宰治ではないが、私は、人間失格、だと思う。

片山広明・林栄一『デ・ガ・ショー』

デ・ガ・ショー

デ・ガ・ショー

グリルドチーズ願望のツイート

http://twitter.com/GrlldChsAsp/status/10862519134

日本でアナキストを標榜してるやつらって正味のところ、多数の「《野郎共》になりたい《プチブルへたれインテリ》」と極少数の「《プチブルへたれインテリ》並みになりたい《野郎共》」ばっかりで構成されてるからな! RT @umeten: 日本にはアナキスト人口が少なすぎると思うなう

基本、その通りだと思う。私は、勿論「プチブルへたれインテリ」だが、「野郎共」になりたいとはもう思わない。だから、アナキストを標榜・支持・共感しなくなった。単なる戦後民主主義者ですよ。

放送告知

図書館行ってきたけど振り替え休日で休館。仕方なく返却ポストに返却だけして帰宅した。

面白いと思うもの。
http://twitter.com/GrlldChsAsp/status/10862519134
その通りだよね。

というわけで、放送告知。

攝津正のインターネットラジオ今夜十時より、以下にて。
http://tds.radilog.net/

繋がらない場合Skype。femmeletsまでコンタクト取ってね。

quasimodo / Freedom

はまぞうでどう検索したらいいかわからん。

FREEDOM QUASIMODE JAZZ COLLECTION

FREEDOM QUASIMODE JAZZ COLLECTION

FREEDOM QUASIMODE JAZZ COLLECTION、これだ。

Bill Evans / Consecration 1

ラスト・レコーディング I

ラスト・レコーディング I

iwaさん情報だが、『プレイボーイ』誌にて若手女性ピアニストにビル・エヴァンスこの一枚、を訊くという企画があったそうで、国府弘子が『アンダーカレント』、山中千尋が『アローン』、木住野佳子が『ワルツ・フォー・デビイ』、アキコ・グレースが『Consecration』を挙げたそうだ。アキコ・グレースだけ異色だと思った。そして、ビル・エヴァンスのラスト・レコーディングである本作を聴き返してみようと思った。

  • Bill Evans, piano
  • Marc Johnson, bass
  • Joe LaBarbera, drums
  1. You And The Night And The Music
  2. Emily
  3. The Two Lonely People
  4. I Do It For Your Love
  5. Re:Person I Knew
  6. Polka Dots And Moonbeams
  7. Knit For Mary F
  8. Someday My Prince Will Come

Total Time 49:39

業務終了、来客なし。

電話で済んだ。簡単に言えば、商談成立せず。利益出ない。
Cafe LETSは、本体の店の前に、ガラス張りの事務所がくっついているという構造になっているのだが、本体店舗は生演奏等をやるとして、ガラス張り事務所をどうしようか、と攝津家一同検討しているのだが、なかなか妙案が出ない。とりあえず、私が作った音楽カセットテープやミニコミなどを販売してはどうか、と思った。自分で手作りなら、仕入れの金も要らないし、いいのではないかと思ったが、どうかな。買う人、いないか。芸術ウピョピョン会復活?

Mary Lou Williams / Black Christ Of The Andes

アンデスの黒いキリスト

アンデスの黒いキリスト

同情せずとも金をくれ!?

1円でもいい。

  • 郵便振替口座 / 口座番号:00140-7-259673 / 口座名称:攝津正
  • 郵便局「ぱるる」記号:10530 番号:58918151 口座名:攝津正
  • イーバンク銀行 ワルツ支店 普通 1256853 攝津正
  • 千葉銀行 二和向台支店 普通 口座番号:2194468 攝津正

This is Miles アコースティック・サイド

欲しいが入手できない。

もう一度出してくれ。

The Complete Live At The Plugged Nickel 1965

The Complete Live At The Plugged Nickel 1965

Miles Davis Quintet With John Coltrane In Copenhagen 1960

IN COPENHAGEN 1960

IN COPENHAGEN 1960

性について頭の中を整理する。

怒羅衛門(どらえもん)さんの日記へのコメントがきっかけで、性について考えていることを整理しておこうと思った。
まず、脳などによってどこまで生物学的に決定されているのかは、まだわからないということ。それについては、「ブレンダと呼ばれた少年」でググっていただければわかるかと。
性別、性指向などどこまで、生物学的に決定されていて、どこからが文化の領域なのか、は判然としない。ただ、漸進的に科学的探求は進んでいる。
議論としては、本質主義構成主義との対立、というかたちで進んでいるが、実際は双方の要素が複合して性現象(セクシュアリティ)が出来上がっているのではないか。

もし望むのなら、誰でもトランスジェンダーになれる、というひびのまことさん(id:hippie)の主張について。
私は、トランス失敗組である。NAM解散後、「リンダちゃん」として女装して活動していたが、結局加齢と共に自らの「男性」性を否定できなくなった。越境失敗である。意志が弱かったのかもしれないが、自己決定、選択の問題だけではないようにも感じた。
同性愛者としても適応に失敗している。二丁目恐怖症。貧乏。内面化された同性愛嫌悪。などがある。カミングアウトも失敗している。
とりあえず、一旦ここで送る。

nqa

nutty queer associationistと以前は名乗っていた。気違いでオカマのアナーキスト、という意味で。
だが、段々とそう名乗らなくなってきた。特に何である、誰であるとも名乗れぬ個としての自分への意識が前面に出てきたから。
nuttyというのは、Thelonious Monkに同名の曲があるが、風変わりなとか、頭のおかしいとかいう意味である。私は以前から、その曲が好きだった。今でも好きである。
queerというのは言うまでもなく、性的少数者のこと。
associationistとは、プルードンの影響が濃いアナーキストのこと。
段々そう名乗らなくなったというのは、政治から距離を取り始めたからだ。
まず苦しい。なので、他者に倫理的に関われない。運動ができない。その自覚があり、共産主義無政府主義のシンパというより、保守的になった。
ノンポリというわけではないが、意味ある活動や表現ができないことを自覚した。
地域通貨や協同組合、フェアトレード等についても、その困難を(やってみて実際に)身にしみて実感した。
プレカリアート=不安定労働者運動に参加したが、『生きさせろ』(雨宮処凛)出版の頃の高揚を持続することはできなかった。自分も社会の正規のルートから外れた人間だと自覚しているが、困った人を助けるだけの余裕がない。こりんが言った、支援する側ではなく支援される側だという指摘が耳が痛かった。ニート支援とか言ってる場合じゃない、自分自身がニート、いやそれ以下なのだ。

ここで一旦送る。

貧乏なので買春してないが

将来、いつの日か、私も逮捕されるんだろうか。私も基本、少年愛の人なんですよね。

中1男子を買春 特別支援学校教諭ら逮捕
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1150913&media_id=88
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4385913.html
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100323-00000065-jij-soci

Duke Ellington The Blanton-Webster Band / Never No Lament

ブラントン=ウェブスター・バンド(1940-1942)

ブラントン=ウェブスター・バンド(1940-1942)

Never No Lament the Blanton-Webster Band

Never No Lament the Blanton-Webster Band

雑感

食事をして、幾つかのことを考えた。
まず、私が性を語っても、一切色気とかセクシーさといったもの、情緒的要素がないということ。全て理詰めであり、退屈である。
次に、精神障害者当事者掲示板で、回避性人格障害(不安人格障害)と診断されたと書き込んだらレスがあって、「複雑性PTSDならカウンセリングは有効と示唆されます。」と言われたのだが、要するにトラウマ(心の傷)等多過ぎて屈折しまくりということか? 確かにそうかもしれない。もうすぐ佐々木病院でカウンセリングが受けられるので、それに期待すべきだろうか。
それから、私の欲望自体が犯罪的だということについて。私は、少年に性的欲求を抱くし、それのみならず彼らを去勢することを夢見るのだが、私の夢想は犯罪的だろうか。少年達を去勢して性奴隷にしたいという妄想は、それ自体が非倫理的だろうか。最近の都条例の非実在青少年を巡る議論についても、三十年前と違いオタクがメジャーになった今も被害者意識を持つのはおかしいという議論があるが、私の欲望はオタクの中でも更に特殊で、異常で犯罪的なのだが、こういう場合はどうなってしまうのだろうか。

フリーター労組を辞めようかと考えているが、十五年前、大学生の頃から進歩がない。私は、当時所属していた動くゲイとレズビアンの会(OCCUR)を精神病が悪化して退会したのだ。今また、同じことをしようとしている。人間変わらないものだというか、自分進歩ないねーっつーか。少しは変われよ、進歩しろよと思うけど。

「同性愛者として自己実現することに失敗した」ということが人格障害(パーソナリティ障害)にも暗い影を投げかけているように思える。
これまで出会った性のパートナーの中で一人だけ、私が美しいと思う少年がいたのだが、彼は私に露骨に金銭を要求してきた。私が金を払わなかったので、彼との関係は続かなかった。そういう思い出、というかトラウマが無数にあるのだ。そして、もう三十五歳。パキシルで性欲消失。なんか存在意義そのものがないように感じる、自分。もう、若くはない。中年。なのに心はガキのままだ。

t[ジャズ][nowplaying]至上の愛

至上の愛〜ライヴ・アット新宿ピットイン

至上の愛〜ライヴ・アット新宿ピットイン

考えさせられるが

俺は「反」知性主義にはならないな。知性主義、合理主義だ。
http://d.hatena.ne.jp/pumpkinphilicity/20100315/1268586559
id:pumpkinphilicity
この人はtop.ではないがtop.みたいなアナキスト増えてるのかねー。おれは違うけど。