2012年2月11日:倉数茂、岡崎乾二郎

皆さんおはようございます。相変わらず今日も朝から圧倒的な体調不良で悩んでいますが、9:00に大学生君がドラムの練習に来るので芸音に座って待っていなければなりません。公開するかどうか、は別にして、Facebookのウォールの書き込み(近況アップデート)はどんどん流れていってしまいますから、一応、昨日の一連の書き込みをパソコンのメモ帳にコピペして保存しておきました。仮にブログなどで公開するとしても相当手を入れると思いますが。そうそう、昨晩寝るときに考えていたのは、自分は改稿を絶対しない人だということです。『重力』誌に掲載されるはずであった(しかし没になった)原稿を除いて、私はなんであれ改稿や修正をしたことがないし、その必要を感じたこともありません。『リプレーザ』、『アナキズム』、『情況』その他に寄稿したことがあるのですが、私のやり方は、超高速で、猛烈なスピードで一気に原稿を書き上げ、そして一切修正しないでそのまま編集部に出す、というものでした。これまでそれでなんの問題もなかった。自分はそういうタイプだということですね。

大学生君がきましたが、今日はレッスンでなく練習なので、ただ彼はドラムを叩き、私はここに、つまりパソコンの前に座っているだけです。フーコーを持ってないといいましたが、書庫を調べるとあれこれありました。書庫を見ている間に、朝まず書こうと思ったことが2つあります。一つは倉数さんのことです。もう一つは、フリーター労組をやっていた頃にあったできごとについてです。

倉数さんという人は、文化的に美食家なのかげてもの喰いなのかよく分からないところがあります。ただ、彼は他人のしょうもない表現をチェックしては嗤う、というのが趣味でした。NAMの創設に関わり、初代の事務局長を務めた近畿大の文学研究者の方(註:乾口達司さん)がいましたが、倉数さんは同じ近畿大だったから、その人のことも個人的によく知っていたのですが、非常にバカにしていましてね。というのは、その人が個人ブログを書いていたのですが、それがくだらないというのです。見てみると、温泉がどうのとかそういう話ばかり書いてある。個人的には(別に文学などと無縁なブロガーとしては)別に日々のことを綴るのはそんなにくだらないかなあ、とか思うけれども、倉数さんはあからさまに嘲笑っていた。ちなみにその人は、大阪のスペースAKを巡るNAMの最初の紛争でやめてしまいました。スペースAKのことを説明するとややこしい問題、微妙な問題なのでどうしても長くなりますが、今はそれが主題でないから省きますが、当時一般には、そのスペースAKの中心人物であった空閑明大さんという左翼の方が余り横暴というか、問題を起こし過ぎるのがいけなかったので、事務局長だった人というのは紛争に巻き込まれて可哀想だったという意見が多かったのですが、倉数さんの考えは違いました。倉数さんは実際にその場に居合わせたらしいけれど、NAM創設のときにその人は非常に軽薄に自分から、僕、事務局長やりますよ!と手を挙げたんだというんですね。だから自己責任じゃないか、というのが倉数さんの意見でした。

倉数さんの場合、花田清輝の研究を専門にしていた元事務局長の温泉ブログがくだらないので読まない、ということではない。むしろ毎日チェックして熱心に読んでいた。で、バカにして嗤うのが楽しみ、という感じでしたね。美食家なのかげてもの喰いなのか判然としないというのは、そんなにバカげたものだと思うなら読まなければいいのではないか、とか思うけど、しかし、読んで、なおかつ嘲笑うというのが彼の趣味なわけです。そういう姿勢は一貫していて、例えばNAMの弁護士の人(註:柳原敏夫さん)が個人的な趣味で小説を書いてインターネットで公開していたら、あんなものを公開していて恥ずかしくないのかね、と嗤う。Qで最初に問題を起こした京都の美容師(註:後藤学さん)がゴダール風の(?)"The history of hair cut"という自主制作映画を作って、それをNAMのイヴェントで上映したことがあったのですが、倉数さんの感想は、くだらない、低レヴェル、恥ずかしくないのか、というような感じでした。NAMのメーリングリストに中途半端な「理論的」投稿、例えば宇野弘蔵がどうのというような書き込みがあると、倉数さんは猛烈に軽蔑して嘲笑する、という感じでしたね。私は当時、彼の間近にいたのでそういうのをよく観察していました。

それからNAMには、近畿大関井光男ゼミの学生(大学院生)が大量に加入していたけれども、倉数さんは関井光男本人のことも院生連中のことも非常に軽蔑していた。関井さんは古本屋のおやじみたいなのと変わらないし、関井ゼミの連中にはなんらの独創性もない、ロボットだ、というのです。そのようにいうご自分は独創的だという自負があったんでしょうが、まあ確かに去年、『黒揚羽の夏』『私自身であろうとする衝動』を出したから、オリジナルではあるのかもしれないですね。

しかし倉数さんは文化全般に精通しているというか、文学も映画も詳しいんだけれども、唯一音楽のことはほとんど知らなかったですね。Perfumeが好きで、のっち可愛い、とかいっていた。私は倉数さんとは違いますので、彼がクラシックも現代音楽もジャズも、なにも知らなくても別にバカにはしませんが。ただ、私の狭い経験の範囲では、日本の知識人というか、知識的な人々で、音楽が盲点であるという人は結構多いように思います。倉数さんに限らず。他方、板橋文夫とかと一緒にやっていた立花泰彦さん(ベーシスト)とかは、勿論ジャズミュージシャンだからジャズには精通しているんですが、ジャズ以外のことは余り知らない、とか、そういうすれ違い構造があったように思います。岡崎さんは或る程度ジャズにも詳しいという自負があり、スティーヴ・レイシーのファンだったわけですが、岡崎さんの認識にも私は首を傾げることが多かった。というのは例えば、彼は、オスカー・ピーターソンとかを非常にバカにするわけです。通俗的だ、奴は「手が大きいだけ」だとかいって。しかし、ジャズ・ピアノを専門的にというか中心的に聴いてきた私にいわせますと、個人的な趣味嗜好というか好き嫌いを別にして、ジャズ・ピアノの歴史を考えるならばあらゆる意味でオスカー・ピーターソンの存在は無視できないと思います。

それが悪いというつもりはないですが、岡崎さんは趣味人なんですね。だから、客観的にみればピーターソンは重要なんじゃないか、とかいうふうには考えない。自分の感性としてピーターソンは嫌いである、というだけです。それはそれでいいと思いますが、そのこととジャズの歴史におけるピーターソンの重要性が揺らがないというのは別の問題です。

倉数さんの話題はこれで終わりです。それからフリーター労組時代のできごとということですが、これは非常にシンプルな話で、今は私はたんにひきこもっていますが、なにか活動的にやっていると、様々ないかがわしい人が近付いてくる、ということです。赤軍の塩見さんとかは別にいかがわしいとは思いませんが、もうその党派の名前もその人個人の名前も忘却してしまいましたが、当時或る党派のボス的な人が私に個人的に会いたいといってきたことがありました。それで実際にお会いしてお話をしましたが、彼は自分の党派の機関誌を大量にくれましたが、読みませんでしたね。それはそれだけの話です。ひきこもっていると当然、誰も寄ってこないが、社会的にやっていると、よかれあしかれいろんなタイプの人が接近してくる、というだけのことです。

倉数さんや岡崎さんのことに戻れば、私は生まれて初めてNAMで、そのように文化的に高い人らと付き合ったわけですが、単に、自分とは違うなあ、というふうにしか思いませんでした。私の意見というのは当時も今も同じで、別に素人が小説を書いてネットで公開したり、趣味で映画を作っても別にいいじゃないか、ということです。それが客観的にみて、つまり文芸とか映画の専門的な立場からみて一定のレヴェルに達していなかったとしても、それはしょうがない。だからといって表現すべきではない、公開、公表などすべきではない、というふうには私は考えません。ブログなどであればなおさらですね。くだらない、しょうもないことを書いていてもいいじゃないですか。別に誰を傷付けるわけでもない。社会に害をなすわけでもない。

知的な人、文化的な人、芸術的な人の感性、考え方には私は個人的にはついていけないと感じます。NAMのごく初期に、こういうことがありました。全然有名じゃないし、喰うや喰わずの底辺的な状況だけど、写真をやっているんだという人がいましてね。その写真家さんがね、NAMの芸術セクションの代表をやっている岡崎乾二郎という人は美術家、画家だというが、彼の作品を見たことがないから、一回みんなで見に行こうか、みたいなことを書き込んだことがありました。岡崎さんはそれに激怒しましてね。理由がよく分からないんだけれど、そんな好奇心というか野次馬根性で来るな、というような感じだったと記憶しています。それで写真家の人は非常に恐縮して謝罪した。当時私はそのやりとりを黙って眺めていましたが、不思議だなあ、というか、芸術家と称する人種の考えることはまるでわからん、と思いました。今なら過激ですから、作品見られるのがそこまでいやなんだったら画家なんかやめちまえ、とか思いますが、その当時は岡崎さんに遠慮していたので、何もいいませんでしたね。

まあその一件に限らず、NAMでは岡崎さんとかそういう人、文化人に非常に遠慮していたんですね。自分とは違う人々だからということで。

しかし、別に自分が叱責されたわけでもなく、関係ないので、怒る、立腹するという筋合いでもないですが、当時そういうやりとりを見ていて私が不愉快に感じる、嫌悪を感じるとしても、自然なことなんじゃないかな、とは思いますが。さて、大学生君も帰りましたので、食事にしましょうかね。

岡崎さんには単著は『ルネサンス 経験の条件』という美術の専門書しかないんですが、昔からいろんな雑誌で美術に限らず様々なテーマであれこれ書いていて、知る人ぞ知る存在、だったようですね。私は無知なのでNAMで初めて彼を知ったわけですが、倉数さんや田口君はずっと以前から岡崎さんのことをよく知っていた。特に田口君は、東大の学生だった頃同人誌を出していたそうなんですが、それに特にお願いして岡崎さんに寄稿してもらったことがあると話していました。岡崎さんの本が出版されたときの『批評空間』誌の特集だったかで浅田彰がいっていたんですが、岡崎さんという人はとにかくものすごいアイディアマンで、次から次に無限に面白い、奇想天外なアイディアが湧出してくる。しかし、彼独りではそれを纏めたり、実現できないので、誰かサポートする人間が必要なんだ、という評価でしたが、NAMとかRAMなどを一緒にやってみて、それとQプロジェクトにも途中まで彼は参加していたんですが、私も同じ感想ですね。岡崎さんにはアイディアは無限にある。それは確かです。凄いと思います。が、以前も書きましたが、アイディアを思い付くということと、それを実現するというのは全く違います。そんな自明なことを岡崎さんが分かっていなかったなどとはいいませんが、彼は芸術家気質というか、主観的には自分の想像力が猛烈に「独走」していくこととそれの実現との区別がないんじゃないかというふうに見えましたね。だからQプロジェクトにしても、自分の思う通りにならない、奇抜なアイディアが採用されない、西部さんが経済学者で専門家面していて不快、とかでやめてしまったわけです。

昨日ちょっと参照しましたが、フーコーとヴォリンガーを結びつけるとか、ちょっと常人では考えつかない発想をするのが岡崎さんという人です。そのこと自体は面白いとは思うんですけれどもね。天才だけれど、一緒になにかやろうとするならしんどいというタイプですね。

岡崎さんが、Qプロジェクト(地域通貨のプロジェクト、旧称namプロジェクト)の最初からのメンバーだったといっても、彼の発言は全部、彼自身の「面白いアイディア」の開陳であって、制度設計、実務、プロジェクトの実現に関わる提案など現実的なことは一切ありませんでした。彼は多忙を理由にそういうことには一切、関与を拒んでいた。それが悪いとはいいませんが、そういう人が後になってから、プロジェクトの進み方が自分の考えと違うからやめる、とかいうのはどうなんでしょうかね。ただ、そういう人は別に岡崎さん一人ではなく、沢山いました。設楽農学校の湯本裕和さんという人もそうでした。そもそも私は、経済の専門家などでもなく、地域通貨のプロジェクトに参加する気など全くなかった。それが参加することになったのは、中部在住の湯本さんが上京してきて、その彼と蛭田さんのアパートで会い、地域通貨のプロジェクトが停滞して全くうまくいっていない、困っている、と訴えられたからです。それで私は参加したのですが、当の湯本さんのほうは、暫くして、自分の考えと違うといってさっさとプロジェクトをやめてしまいました。人を誘っておいて、こっちは散々苦労したのに、自分の考えと違うといってやめてしまうというのは、余りにも自分勝手というか我儘だと思ったし、当時湯本さん本人にも言いました。あなたは我々を見捨てて去るんですか、と言いました。それへの返事はありませんでした。具体的な文面は忘れましたが、岡崎さんがやめたときにも、何か言って引き止めた記憶がある。しかし、彼らの決意は変わりませんでした。彼らは、良くいえば個性(自我)が強い、個性的、悪くいえば頑固者でしたが、NAMにはそういう人が非常に多かったように思います。私は凡人ですから、平凡だと感じても、多少自分の意見と違っても、何かを実現するには我慢すべきじゃないのかな、とか思うのですが、そのほんのちょっとの辛抱ができない人ばかりだった。社会性のない私がいうのもどうかと思いますが、協調性がないといいますかね。

湯本さんから誘われてプロジェクトに入った、だけどその湯本さん自身はさっさとやめてしまった、というような過去の経緯も、もう忘れてしまいたい不快な記憶なのですが、どうしても思い出してしまう。それが非常につらい、と感じます。10年以上前のことなんですがね。まあそういうこともしょうがないのでしょう。

西部さんや彼に近いQの人、宮地さんや穂積さんがNAMがいやになってしまったというのも、理由や経緯はいろいろあったでしょうが、岡崎さんのように、それまで制度設計に関わる機会は幾らでもあったはずなのに黙っていた人が、後になって、根本的に気に入らないとか言い出してやめてしまう、ということも大きかったようです。地域通貨などは、社会的にみればちっぽけかもしれませんが、それの実現には多くの人の合意や協力が必要なのは当然です。だけれどもそれがスムーズにいかない、みんな頑固者で我儘、そういうことに嫌気がさしたというのも致し方がないのかもしれません。

但し岡崎さんは、最初から悪意があったといいますか、私は彼から直接考えを聞いたのですが、それによればこういうことでした。岡崎さんの考えでは、地域貨幣がどんどん広がって、その果てに破綻して日本中が経済的に混乱してしまえばいい、経済的に混乱すれば混乱するだけいい、自分のような円経済で苦労してきた人間にとっては、地域貨幣(の破綻)でみんなが混乱して困れば困るほど面白い、と。勿論彼はMLではそういうことを公言しませんよ。だけど私は彼から直接、そういう考えというか気持ちだということを聞いていましたので、最初から彼を信用していなかったし、むしろ警戒していましたね。

幾ら天才的なアイディアマンだか知りませんが、そういう「アイディア」はいかがなものかと思いましたね。勿論そういう岡崎さんの発言が本気か冗談か分かりません。しかし、本気/冗談をはっきり区別できるんでしょうか。彼の話は本気でもあり冗談でもあった、のではないでしょうか。私は彼と直接会って話を聞いて、そのように考えました。

岡崎さんの考えが最初からそういうものだったというのは、西部さんは勿論、他の誰も知らなかったと思います。けれども、私は知っていたわけです。だから、複雑な心境でしたね。

まあそうしたことも不快な記憶、悲しい想い出であるわけです。

私の考えでは、一般に、他人と関わるというのは傷付くということです。それは避けることができない、と思います。ただ、今日も朝からずっと思い返していましたが、NAMというのはちょっと特殊だったのではないかというか、これほどひどい人、というか、言葉を変えれば人間玩弄的な人しかいない場というのはそうそうなかったとも思います。そういうものに遭遇してしまったというのは、不運だったとしか言いようがないのではないか、と思います。

ただ、NAMには700人以上参加者がいたわけですが、当時のことを今でも引きずっているのは私くらいしかいないでしょう。大多数の人は忘れている。健康的でいいと思います。私には忘れられないというだけです。

TSUTAYAから電話があり、Michel Camilo "Spain Again"の邦盤(国内盤)が生産中止で入手不可能ですといわれたので、やむを得ずAmazonで輸入盤を注文しました。

私は柄谷さんが悪意や利己心からNAMを作ったとは思いません。そのような悪意的な解釈をするほど私自身、悪意的な人間ではない。彼なりに善をなそうとしたと思います。柄谷さんの表現では、コミュニズムという形而上学、信(とかいうと、以前話題にした晩年のドゥルーズの「この世界への信」のようですが)を回復しようとした。しかし、結果をみればうまくいきませんでした。私は、柄谷ファン(読者)が集まったから良くなかったとか、現代思想オタクだから駄目だったなどというふうには考えません。しかし、いろいろな理由はあったでしょうが、頓挫したのは事実です。西部さんは私からの非難に対し、君が知識人と大衆のような対立項で考えるのは間違っている、と言いました。確かに知識人一般、文化人一般が非人間的とは思いません。正確にいえば、NAMに集まったような知識人や文化人に独特の問題というか傾向があったと考えます。NAMの特殊性を考えると、一般に多くの社会運動は大衆運動、民衆運動ですが、NAMの場合は知識人中心の運動であったといえます。それは柄谷さんや西部さんのような既に教授(助教授)であった人もそうですし、倉数さんのように当時一般には知られていなかった人もそうですし、或いは岡崎さんのような芸術家もそうです。知識人が中心だと必ず駄目だとは思いません。ただ、NAMの場合はうまくいかなかった。

私は、音楽が好きな人に悪い人はいない、などと考えるほど素朴ではありません。それは動物(犬猫)が好きな人に悪い人はいない、というのと同じくらい無邪気な考えです。ただ、私の知る限り、音楽家とか音楽ファンで、NAMで見てきた知識的、文化的な人々ほど悪意的な人、人間玩弄的な人を見たことがありません。私が知らないだけで、悪意的で底意地の悪いジャズミュージシャンとかも幾らでもいるのかもしれませんが。

ちなみに人間玩弄というのは、一時愛読していた『シュレーバー回想録』(2種類、いずれもそれなりに優れた邦訳があります)でシュレーバー控訴院長が使っていた表現です。シュレーバーを苦しめていた精神病的な妄想というのは、神が人間を、つまり自分を玩弄する、弄ぶということでした。

シュレーバーについてどうでもいい豆知識を披露すれば、シュレーバーの精神病は自然治癒した、寛解した、と一般に考えられていましたが、追跡調査の結果そうではなく、やはり晩年は廃人化、痴呆化してしまった、ということが分かったそうです。一般に、(シュレーバーフロイトが直接診た患者ではありませんが)フロイトの著作に症例として出てくる患者らというのは、予後は良くない場合が多かったと聞いています。当時の精神病理学の限界でしょう。フーコーは、精神医学が役に立つかどうかに自分は興味関心がないといいましたが、勿論患者にとっては重要な問題であることは言うまでもありません。

昨晩考えていたのは、どういう病気であれ、病気と闘って敗北して死んでしまう、というのは極めてありふれているということです。そもそも薬物療法が確立されるまで、統合失調症にせよ(自然治癒、寛解する極めて幸運な人を除けば)治らない病気だったわけです。現代の精神医学の水準でも、薬物療法が無効な疾患(パーソナリティ障害など)が不治に近いという現実があるし、それは致し方がありません。

結核エイズも、昔は治らない病気でした。しかし今は薬剤があります。現在中心的な問題は政治的というか経済的というか、特に第三世界の人が医療なり治療薬にアクセスできない、というところにあります。

ドゥルーズガタリと一緒に、資本主義と統合失調症、という大きな二巻組の著書を書きましたが、しかし、現実の統合失調症の患者には完全に無関心だったそうです。ガタリ精神科医ではありませんでしたが、精神病院に勤務していたので、ドゥルーズに実際の患者を見てもらおうとしたのですが、ドゥルーズのほうが一切興味を示さなかったという話が残っています。

ハイデガーがフランス哲学を非常に軽蔑していたという話があります。ジャック・ラカンが『エクリ』を出したとき、ハイデガーにも贈呈したのですが、そのときハイデガーが、こんなものはパリの知的遊戯、流行現象に過ぎない、と言ったそうです。それは確かにそうかもしれない、とそのフランス思想を勉強していた私自身もそう思います。

以前、精神病、統合失調症の治療の道を開いたのは薬物療法の進歩であって、高尚な思弁ではなかったといいましたね。ラカン理論では、精神病は、父の名の排除、というふうに捉えられます。しかし、そのように理論的に捉えたからといって、精神病治療の道が開けるわけでは全くありません。

ハイデガーサルトル実存主義に対しては、一冊の本を著して明確に批判しましたが(『ヒューマニズムについて』ちくま学芸文庫)、構造主義以降の思想には批判すらしていないというか、関心を示してさえいません。実際は、良かれ悪しかれハイデガーの影響は大きかったのですが、それはフランス哲学側の一方的な片想いというか、ハイデガーにとっては戦後フランス思想はパリの知的遊戯、流行現象でしかなかったのです。

フーコーにしても、後期ハイデガーの影響をはっきり認めています。ハイデガーが存在の歴史とか技術(テクネー)の運命などと抽象的に語ったものを、フーコーは極めて具体的に精査した、とはいえるかもしれませんね。

昨晩サルトルのことを考えていたのですが、彼の主要な哲学思想(『存在と無』)が完全に合理的かというと、それは分かりません。『存在と無』は、ヘーゲルフッサールハイデガーを混ぜこぜにしたもの、という印象です。それを合理的というべきかは私には疑問です。ただ、サルトルが明瞭に世俗的な姿勢を貫いたことには共感します。神とは言わなくても、何か神秘的な匂いのするもの(ハイデガーの「存在」とか)を持ち出す哲学者のほうが多数派です。昔も今も、哲学者でサルトルのような人はほとんどいない。そのことは尊重、重視すべきなんじゃないかな、と思います。

私の個人的な考えですが、完全に合理主義的な姿勢を貫く、というだけでは哲学にはならず、常識というか、一般に「意見(オピニオン)」といわれるものにしかならないんじゃないか、という気がします。しかし、それでもいいのではないでしょうか。哲学に手を出して、なんとなく神秘的な、というか、蒙昧主義的な考えになってしまう人は数多くいる。それよりは、単に合理的な常識人であるほうがいいのではないでしょうか。

ドゥルーズでも、単著であれガタリとの共著であれ、「器官なき身体」という概念を多用していますが、私には昔からそれを合理的に把握することができません。これはアントナン・アルトーの言葉なので、アルトーを調べようと思って、丸善に原書のアルトー全集を注文しようとしたことがありました。大学院生をやっていた頃だと思います。が、丸善の店員から極めてそっけなく、現在入手不可能です、と断られました。非常に高額なものなので、買わなくて結果的に正解だったと思います。

大学(大学院)からも放逐されて、大学院生であることも研究者であることもやめたのだから、別にドゥルーズに忠実である必要はないでしょう。自分が合理主義的であるべきだと考え、そしてドゥルーズの思想は合理的ではない、と判断するならば、ドゥルーズを離れてもいいと思います。分からないものはどうしても分からないのだから、そこをごまかすべきではないし、分かったような顔をするべきではない。

アルトー全集(原書)というのは、大学図書館で見た限りでいえば、かなりの部分が精神病院で綴られたノートで、意味の不明な記号の羅列がページを埋め尽くしている、というようなものだったと記憶します。それは言語実験、などというものではない。精神病の症状なのだから。

宇野邦一という人がいますが、彼がフランスに留学してアルトー研究に打ち込んだ際非常に悩んだそうです。彼はドゥルーズの翻訳者、研究者でもあるのですが、本当にアルトーに忠実であろうとすれば、ドゥルージアンであり続けることはできないのではないか、と思ったそうなんです。ドゥルーズドゥルーズ=ガタリの著書は、合理的に読解可能かどうかはともかく、非常に図式的に整理されているというのは確かです。宇野さんの考えでは、アルトーの文学や思想はそんなに図式的に整理して理解してしまえるものとは違うんじゃないだろうか、ということでした。私にはアルトー、特に邦訳されていない(というか、恐らく翻訳不能)部分は分からないので、詳細は分かりませんが、宇野さんの悩みも分かるような気もします。

別にアルトーでなくてもいいのですが、何らかの「現実」を選択するか、哲学書のなかの概念的な思弁を選択するか、ということだと思います。

久しぶりにドゥルーズを開いてみましたが、研究をやめて長いので致し方がないかもしれないけれども、すっかり理解不能になっていたので意気消沈しました。合理主義者かどうかということではなくて、ただ単に難しい議論についていけなくなっただけなのではないか、と思います。そしてそれもまた、歳を取るということですから、受け容れるべきだと思う。

しかしそれにしても改めて疑問だったのですが、これほどまでに分裂症(分裂症者)を讃美しているドゥルーズが、現実の分裂症患者には完全に無関心だったというのは、個人的にどうしても納得がいきません。どうしてなのでしょうか。哲学者というのはそういうものなのでしょうか。

ドゥルーズが「苦しみによって、生きた身体と、この身体の驚くべき言語とを発見した」と形容しているのは、私が早稲田大学の中央図書館の地下の書庫で見たアントナン・アルトー全集の精神病院でのノート、あの意味不明な記号の羅列のことなのでしょうか。あれが、「文学の完成」なんだろうか。正直私には分かりません。

アルトーのノートは恐らく翻訳できるようなものではないだろうと思いますが、邦訳されているものでいえば、確か倒産したペヨトル工房だったか、『神の裁きと訣別するために』という、アルトーの朗読のカセットテープ付きの本がありました。私はそれも購入できず船橋市の図書館で読んだのですが。記号の羅列ではないですが、初期のものとは明らかに異なりますから、分裂症者(統合失調症患者)としての文学者アルトーを捉えるのにはいいだろうと思います。

桑田禮彰・福井憲彦山本哲士編集『ミシェル・フーコー 1926-1984 権力・知・歴史』(新評論)をざっと読み返してみました。精読ではありません。確認のための流し読みです。この本は、フーコーが亡くなった1984年に初版第1刷が出ていますが、私が持っているのは1989年の初版第10刷です。1989年といえば、私は14歳。随分背伸びした中学生ですね。再読してみて、随分、記憶とは違っていました。まず、それを目的に探したのですが、自分は精神医学が正しいかどうかに興味がない、患者にとっては問題だが自分にとってはそうではない、という趣旨の発言はこの本には見当たりませんでした。フーコーがそのようなことを言っているのは確かなのですが、とすると、渡辺守章との対談『哲学の舞台』か、或いははてまた、膨大な『思考集成』のどこかなのか…。いずれにせよ探すのは骨が折れそうです。

流し読みするうちに気になったのは、フーコーが自分は「非連続性の哲学者」などではない、それは誤解だと強調していることです。とすると、昨日取り上げたいーぐる後藤さんの「フーコー的切断面」もよくある誤解の一例なんじゃないか。それとフーコーは、当時の共産圏、東側諸国の強制収容所問題を『狂気の歴史』以来の自分の仕事に直に関わるものとして深刻に受け止めていますね。ならば最近流行りの、フーコーを左翼、共産主義者マルクス主義的に読む、という読解はまともなもの、というか、正当なものといえるんだろうか、ということも考えてしまいますね。また彼は、自分が権力に取り組んだのは、20世紀の独特な経験としてのファシズムスターリニズムという怪物のような「超権力」があったからだともいっています。このことも、21世紀の現在はかえって忘れられてしまっているかもしれないが、押さえておくべきでしょうね。

「ここに、私がハイデッガーを読んでいた頃に取ったノートを──何トンも!──まだ持っています。しかも、ヘーゲルマルクスについて取ったものよりも遥かに多量にあります。私の哲学的生成のすべてが、私のハイデッガーの読解によって決定されました。しかし、ニーチェの方が優位を占めたことは認めます。私は十分にハイデッガーを知らないのです。私はほとんど『存在と時間』を知りませんし、最近刊行されたものも知りません。」ミシェル・フーコー『同性愛と生存の美学』(増田一夫訳、哲学書房)p.93

同書、p.136.

ジャック=アラン・ミレール「要するに、君にとっては対立し合う主体とは誰なんですか?」
ミシェル・フーコー「これは仮説にすぎないけれど、万人に対して万人だ、と言っておきます。即座に与えられた形で、一方がプロレタリアートであり、他方がブルジョアジーであるような主体は存在しない。誰が誰に対して闘っているのか? われわれは、すべてがすべてに対して闘っている。そして、われわれの内で、常に何かがわれわれの内の別の何かに対して闘っているんです。」
ジャック=アラン・ミレール「ということは、一時的な同盟しか存在しなくて、その同盟のうちの一部はすぐに崩壊してしまい、他のものは持続するということですね。しかし、最終的には、最初で最後の要素、それは個人なんですか?」
... ミシェル・フーコー「そう。個人なんです。そして、部分個人(sous-individus)でさえある。」
ジャック=アラン・ミレール「部分個人?」
ミシェル・フーコー「いけませんか?」

『同性愛と生存の美学』では、古代ギリシャ人はそれほど素晴らしくなかった、という発言を探しましたが、それも見当たりませんでした。『思考集成』のどれかに入っているかな。ところで、抜粋した「部分個人」という表現は、この本が出た当時、随分話題になり、フーコーなどと無縁な、例えば筒井康隆とかも(もしかしたら記憶違いで別の作家かも)、最近の思想は部分個人だなどといっている、これはびっくりだ、とか騒いでいた記憶があります。

桑田禮彰・福井憲彦山本哲士編集『ミシェル・フーコー 1926-1984 権力・知・歴史』(新評論)p67-68.
──あなたの政治学、『知への意志』で記しておられる政治学にもどりましょう。こういわれていましたね。「権力のあるところ、抵抗がある」と。こうしてあなたは、以前、やっかい払いしたがっていたあの「自然」をもう一度呼びもどしたことになりませんか。
フーコー そうは思いません。わたしのいう抵抗は実体ではないからです。抵抗はそれと対立する権力よりも先にあるわけではない。権力と外延をおなじくし、完全に同時的なのです。
──権力の倒立像とおっしゃるのでしょうか。もしそうなら、おなじことになってしまいますね。「砂浜の下には常に敷石」とひっくり返しただけに……
フーコー 倒立像でもありません。もしそうだとすれば抵抗などしないでしょうから。抵抗があるためには、抵抗は権力そのものとして存在しなければ...なりません。つまり、権力とおなじだけ機略に富み、動的で生産的でなければならないのです。そして、権力とおなじように組織され、凝固し、基礎をしっかりとしなければなりません。そしてまた、権力とおなじように、「底辺から」沸き上がって来て、戦略的に配分されなければならないことになります。
──では「権力のあるところ抵抗がある」というのは、結局、同語反復のようなものなのでしょうか。
フーコー そのとおりです。わたしは権力という実体に、抵抗というひとつの実体を面と向かわせるわけではありません。たんに、権力関係があるからには抵抗の可能性がある、といっているだけなのです。わたしたちは決して、権力によって罠にかけられているわけではありません。いつでも、一定の条件内で、明確な戦略にしたがって、権力の企図を変えられるのですから。

ドゥルーズフーコー』(宇野邦一訳、河出書房新社)p.159の注。
「(16) ここから、ハイデッガーに距離を置くフーコーのある種の姿勢が現われる。(いいえ、ギリシャ人は「素晴らしい」とはいえません……、『レ・ヌヴェル』におけるフーコーの対談 Entretien avec Barbedette et Scala, in Les nouvelles, 28 juin 1984)。」

多分これは『思考集成』に入っているな。

ドゥルーズの本ではフーコーと音楽についての発言を探したがなかった。『記号と事件』のほうかなー。

しかし関係ないが、ハイデガーを読み、何トンも(!)ノートを取るとは、フランスのインテリはすごいね。私だったらそんな何トンもノート取るほど根気が続かない。しかも、フーコーは別にハイデッガリアンというか、ハイデガー研究者であったわけでもないでしょう。だからなおさら驚きです。人間やはり努力が大事だね。

それと宇野邦一が訳したドゥルーズの『フーコー』、誤訳とまではいえないが、カント関連でどこかに問題があったように記憶するが、読み返してみれば流麗で非常に美しい、ドゥルーズの思考の魅力をよく伝える素晴らしい翻訳じゃないか。やはりドゥルーズ愛がある人は違いますね。

しかし、フーコーを読み返しても、人間やっぱり努力が大事、とか凡庸なことしか考えない私って非常に駄目ですねえ。

それと新評論の読んで当時の(14歳くらいの)自分のことを思い出したんですが、「哲学」が嫌いだったんですね。だから、思弁に陥らず常に明晰な(そのように私には見えていた)フーコーに惹かれたということでしょう。大学以降ドゥルーズを研究したのは、前も書いたかもしれませんが、フーコーが主要に取り扱っているテキストがフランスの古文書とかなので、それを日本の自分が吟味することなどできないと判断し、哲学史にどちらかというと忠実なドゥルーズを選んだということですね。

哲学嫌いというのは、例えば、中学生だからルソーの『社会契約論』とか読むでしょ。でも、思想史的な意義とかガキだからまだ分からなくて、反感しか抱かない。そういう感じでしたね。

それでグレて吉本とかを読む。思想家としては吉本よりルソーのほうが当然偉大だろうと37歳の自分であれば考えるけど、中学生で幼稚だった自分にはそこがわからない、とかね。

2Fにいます。2FのPCではネットはAurora使ってるんだが、それを更新したりしていました。あ、それと食事して血圧測りました。テレビで犬とか見て、涙腺が緩みました。犬、好きなんですよ。それと、昨日いーぐる後藤さんについてはやっぱ言い過ぎたのでは、と反省しました。今日もそうだが、つい感情的に言い過ぎることが多いです。湯本さんにしても別にNAM終わった後も普通に連絡しているし、今彼が何やっているかも知ってるよ。今彼はインターネット会計やってるの。攝津さんも試してみて、みたいに言われたけれど、インターネット会計で会計処理するほど活発に経済活動をやっていないという理由で協力できないとかね。農学校はどうなったか知らないが、独自に地域通貨やろうとしたけれど、あんまうまくいかなかったみたいね。100wattクラブっていうんだけれど。それでインターネット会計、という流れみたいです。

私の投稿を読むと、倉数さんにせよ岡崎さんにせよ湯本さんにせよひどい人のように書いているかもしれませんが、でも別に普通の人ですよ。ただ、一定の場面というか状況において、出会いが不幸な場合がある、というだけでしょう。

短気なので、立腹するとつい言い過ぎるんですけれどもね。

精神状況もお世辞にも良いとはいえないが、身体が悪いですね。原因不明、とかいいたいが、原因は恐らく察しがつく。減薬でしょう。眩暈がひどく、全身を電気が走るような痛みが襲う、そういう感じでいます。つらいけれど、致し方がないですね。

哲学のことに戻りますと、14歳の私はルソーは読んでいたんですよ。近所の本屋か学校図書館にあったんでしょう。でも、ディドロは存在も知らなかったし、ヴォルテールは名前を聞いたことがある程度。教養ないね。『社会契約論』は、今読むと面白いと思いますよ。岩波文庫で読むんだけれど、読みやすい日本語に翻訳しようと苦心惨憺した結果、かえって読みにくくなっている印象ですね。それで思い出したのが、長谷川宏の新しいヘーゲル翻訳が人気になっているのを浅田彰が批判していたこと。彼は、ベンヤミンの『翻訳者の使命』を援用しつつ、哲学の翻訳は直訳というか逐語訳のようなものが望ましく、安易に「読みやすく」するべきではない、と主張していたんですね。そういう意見もあるのかなあ、とは思ったけれども、でもそれでは、ドイツ語ができない大多数の日本の読者には、ドイツ哲学は永遠に分からないままだと思いますが。私はヘーゲルの『大論理学』を岩波の武市訳で持っているんですが、非常に難解というか、何を言っているのか分からないですよ。他方、岩波文庫の『小論理学』だったら圧倒的に読みやすい。『精神現象学』でも、金子訳、樫山訳だとよく分からず、浅田さんが批判していた長谷川訳でようやく少し理解できた程度。まあ馬鹿なんですよ私は。

マルクスにしても、もうマイミク切ったけど、以前田上孝一さんというマルクス学者とマイミクだったんですが、彼はマルクスもドイツ語で読まないと分からない、っていっていましたね。そういうものなんだ、と思ったけど。ちなみに田上さんのマルクス解釈というのは面白くて、廣松渉アルチュセール疎外論批判は誤りで、本来のマルクスの哲学というのは疎外論であってそれは生涯変わらないのだ、という意見ですね。田上さんの本も図書館に頼んだが、入手不能とかいわれて断られてしまいました。

ヘーゲルも『小論理学』だったらよく読んだんですが、ヘーゲルという人は人間としては非常に常識的な考え方の持ち主だなあ、と思いました。彼のいう弁証法というのは、人間の歴史だとか生活に染み込んでいる知恵のようなものなんですね。遥か昔のことなんですが、ドゥルーズの考えはヘーゲルと違わないんじゃないか、といった人がいましてね。私にはその意見の妥当性は評価できませんが、ドゥルーズヘーゲルの悪口をよく書く割にヘーゲルそのものは全然研究していないですね。嫌い過ぎて読む気にもならなかったんでしょう。若い頃のドゥルーズの先生って二人いて、一人は、今名前を失念したけど、有名なデカルト研究者。もう一人は、イポリットといって、この人は有名なヘーゲル研究者ですね。それで、ドゥルーズは彼らのことが非常に嫌いだったらしい。自分でそう言っています。で、哲学史も、デカルトヘーゲルも大嫌いになってしまった。ドゥルーズ哲学史に忠実といいましたが、彼の哲学史というのは特殊というか、経験論が中心の見方なんですね。そういう考えの人は今も昔も少ないから(例えば、デリダは経験論など哲学じゃない、とまで言い切っています)、そこは面白いと思うけどね。

それで、なんでデリダよりもフーコーが年少の自分にアピールしたのか昨日考えたんですが、こういうことだと思うんですよ。フーコーがいうような、我々にとって自明であるような精神医学や臨床医学の知というのが実は比較的最近できたものなんだ、というのは、目から鱗が落ちるように新鮮に響くわけです。例えば、ホメオパシーってあるでしょ。現代の合理主義的な我々からすれば、それはいかがわしい、って思ってしまうけれど、でも、近代的な合理性が形成される前の知の秩序だったら、そういうのも「あり」、というか、堂々と罷り通ってしまうわけですよ。そういうふうに、自分が自明と思っている現実が実は自明じゃないみたいな話は、非常に面白かったわけです。

他方なんでデリダに興味がないかといえば、私個人にとってはデリダの議論というのは余り壮大過ぎてついていけないんですね。彼がいっている、ロゴス中心主義とか音声中心主義とかは、非西洋世界はどうだか知りませんが、西洋についていえば、西洋の歴史と同じくらい古いわけです。ソクラテスプラトン以来、とすらいえない。例えばヘラクレイトスのようなソクラテス以前の哲学者にしてもロゴス中心主義ですから、デリダが批判、というか、彼の造語では「脱構築」しようとしていたものは西洋の思想史そのものと同じくらい古いということですね。そのような根本的といえば根本的だけれど、壮大といえば壮大だけれど、リアリティが感じられない議論は読む気になれなかったですね。それとデリダの哲学の読み方は、ドゥルーズと違って、非常にオーソドックスなんですよ。彼にいわせれば経験論は哲学じゃないし、アメリカのプラグマティズムとかははなから興味もない。つまり、デリダは「ザ・哲学」みたいな人ですよ。そこが好きになれない理由ですね。

ドゥルーズの先生の名前思い出しました。アルキエって人だ。

大過ぎるがリアリティがないという点では、ドゥルーズの主著である『差異と反復』も大差ないですが。差異と反復という題名は明らかに、ハイデガーの『存在と時間』のもじりですね。ハイデガーなら存在と呼ぶものがドゥルーズにとっては差異であり、他方時間性は彼においては反復として把握される。ドゥルーズの議論というのも、西欧の思想史においてこれまでいかに差異なるものが抑圧され飼い慣らされてきたか、という恨み言なわけですから、デリダと大差ないといえば大差ないですね。

ドイツの哲学者というのは議論というか思考を完結させることができないんですね。フッサールも独自の速記術で死ぬまで膨大な草稿を書き続け、それが今もルーヴァンのフッサール文庫に眠っているし、ハイデガーも『存在と時間』を遂に完結させられなかったわけです。ちょっと思うのは、なんでもかんでも華麗に議論を展開して完結させることのできるフランスの20世紀の哲学者らよりも、ドイツの不器用な哲学者らのほうが思想的には誠実だったのかもしれないということですね。ただ、それでもやはりドイツ哲学は好きになれないですが。

それとこれは彼らの美学なのかもしれませんが、デリダは知りませんがフーコードゥルーズの場合は、未完成の草稿の類いを徹底的に処分したし、残っているものの公刊も遺書で厳禁したわけです。だから、フーコーの『思考集成』にしても、基本的には生前発表されたテクストで構成されています。残された読者からしたら、彼らが未完成で残したものだって読みたかったのにと思うけれど、それを許さなかったということですね。フッサールハイデガーなら、今後幾ら公刊、翻訳しても終わりがないというくらいに膨大、大量にテキストがある。だけど、フーコードゥルーズはそういう膨大な草稿とか資料ってのは全くない。基本的にはね。死後70年だったか経過すれば遺言の効力がなくなるそうなんですが、それまでこっちも生きているわけにいきませんしねえ。

例えばフーコーのライフワークであった性の歴史の次の巻、『肉の告白』っていうのもかなり出来上がっていたんだという話ですが、その未完草稿の公刊も遺書、遺言で厳禁されているので読むことができません。非常に残念だと思いますが。

誰も興味がないであろう話を一人で続けてしまってどうもすみませんね。恐縮です。ヲタクだからしょうがないですね。ちょっとニュースフィードを覗いたら、脱原発一色で、デモに大江健三郎が参加したとかいう話が盛んに語られていますが、私のウォールだけは暢気ですね。

2012年2月10日:ジャズ評論家

油井正一の話をすれば、それ以降のことは知らないが、小曽根真くらいまでは日本のジャズミュージシャンを支援することをやっていたようだ。秋吉敏子アメリカでの活動に行き詰まって一時帰国したときも、ソロピアノアルバムを作るのを助けているし、ナベサダのそばにもいたし、山下洋輔とかフリージャズの人のそばにもいたし、小曽根真には性急にプロデビューするよりバークリーでじっくり勉強したほうがいい的なアドヴァイスをしたようだね。油井さんが亡くなったのって何年だっけ? よーわからんが。彼以降同じような活動をやっている人っているのかな? 間章阿部薫らと同伴したが、余りにも若死にしてしまったしね。今時の批評家先生は否定することが批評家の任務と思ってる方も多いようで、私はそういうのは嫌いだね。いーぐる後藤さんやその取り巻きの連中(コンポスト)がいかに貶そうと、大西順子バロック』が名盤だという私の意見は変わらない。

文芸批評家に喩えれば、柄谷・蓮實は村上春樹を全否定することが自分の批評家としての任務と思っていたんだよね。だけれども、今時の若い批評家で村上春樹を否定する人などいない。つまり、○○を否定することが批評家の任務、とかいっても、時代によって変わってしまうようなものなんだったら、それって意味あるのか?というようなことだけれど。

昔のジャズ批評家といえば山下洋輔の盟友だった相倉久人がいるが、私は彼が嫌いなのね。『現代ジャズの視点』だったか、彼の批評集というかエッセイ集をその昔、読んだんだが、彼の関わっている店だかにローランド・カークが演奏させてくれとやってきたが冷たく断った話とかを書いてるんだが、何様だか知らないが、演奏くらいさせてやれよ、なんて不寛容な、と思った。というか、相倉さんって特に理論的内容も皆無だし、豊富な経験とか知見で読ませるタイプでもないし、ただ単に雰囲気的に60年代の日本のジャズにマッチしたというだけの人でしょう。つまらないよ。後にジャズに厭きてロック評論家になった。

植草甚一のジャズエッセイシリーズとかあったが、彼は英語に堪能なだけで批評性はないみたいなのがいーぐる後藤雅洋さんの評価みたいだけど、それでもいいじゃん。植草甚一の文章、文体面白いし。自分でジャズベースの練習にも取り組み、ミンガスが来日したら熱心にベースの話題で盛り上がるとか微笑ましいよ。

植草甚一を読むと批評性がどうのというのは分からないが、この人はジャズ好きなんだなあ、というのは伝わってくる。平岡正明のパーカー本、マイルス本もそういうタイプですね。

植草甚一平岡正明はジャズの専門知識については見劣りするかもしれないが、文章はそのへんのジャズ批評家先生の百倍は面白いよ。菊地成孔の一連の著作は面白いが彼は「ジャズ批評家」じゃないし。

植草甚一とか平岡正明ってのは物書き、文筆家だから文章のプロでしょ。読ませる文章を書く。ジャズ批評家先生連中の文章は退屈でつまらないよ。ご自身が自負するほど論理性もない。いーぐる後藤さんにせよ、メルロ=ポンティフーコーがどうのとか言ってるが、素人がしょうもない牽強付会しているとしか思わないね。彼らがやっているcom-postにせよ、アーリー・ジャズのこととかよくここまで細かく調べるねえ、とは感心するが、しかしそれだけだ。

いーぐる後藤さんの理屈を乱暴に要約するとこうなる。これまで自分はメルロ=ポンティに触発されて現象学をベースにやってきた。ところが最近(90年代くらいから)そういうやり方では理解、了解できないようなジャズそのものの深い変容が生じてきた。そこで「フーコー的切断面」なるものを考えるに至った、と。私はそういう議論に接しても、そんな安易なものなのかねえ、としか思いませんが。

フーコーだったら言表(エノンセ)って概念が彼の立論の根拠だったが、音楽、ジャズで対応するものあるの。なんもないでしょ。ジャズの根本的な変容が生じたとかいうのも後藤さんの直感でしかないでしょ。もっといえばなんの実証的な根拠もないでしょ。フーコーの議論は、言語の現実性というレヴェルでだけれども、唯物論的なものですよ。つまり、資料のなかで実際に「言われたこと」に根拠がある。そこから彼は、例えば臨床医学的な知の誕生を語っている。そういう厳密、緻密な議論と、突き詰めればただの感想、印象でしかないものを同列に語るべきではない。

ジャズってそれこそニューオリンズの昔から、めまぐるしくスタイルが変遷し続けてきたわけじゃん。今回の変容なるものがそれまでとは全く異質な決定的な切断だっていう実証的な証拠でもあるんですか。なんもないでしょ。感覚、感性だけで言ってるだけでしょ。

フーコーが取り上げた科学ってのは、精神医学(『狂気の歴史』)、臨床医学(『臨床医学の誕生』)、人文諸科学(『言葉と物』)、性科学(『知への意志』)で、バシュラールやカンギレムのように自然科学、精密科学(物理学や生物学)ではないから、当然、科学性(学問性)の条件、というか敷居は低い。しかし、フーコー風にいえば、それらが、いかにいかがわしいものであれ、真理=真なる言表を生産する装置であったということには変わりはない。真理の生産、真なる言表の生産、もっといえば真/偽というこの区別、分割そのものの生産が追求される課題であった。というようなことからみると、音楽、ジャズで同じことはいえるのか。スタイルが変遷しても、別に真なる音楽家、正しい音楽家とそうではない音楽家がいるということにはならない。依然ニューオリンズスタイルやスウィングスタイルで演奏している人だって沢山いるが、別にその人達が正しくないとか間違っているということではない。

というのは、古典的な真/善/美の区別じゃないが、真理の生産の場である科学(学問)と、芸術(狭くいえば音楽、ジャズ)が異なるという自明な事実の確認だが、両者を繋ぐものが何もないわけではない。ヒントは、フーコーエピステーメーという発想の源泉がヴォリンガーやヴェルフリンの美学、美術史にあるのではないかという岡崎さんの推測にある。

私は美術の専門家ではないので詳しいことまで説明できないが、私が読んだ限りでいえば、ヴォリンガー、ヴェルフリンが学問として確立しようとした美学の要諦は、快/不快を感受するカント『判断力批判』の主観、言い換えれば批判(批評)を排除し、ヘーゲル主義的に、言い換えれば様式という客観的なものの継起の歴史を美術史として把握するところにある。カント的批判(批評)には歴史性が不在であり、客観性も不在である。或る主観が或る対象を美しいと感じ、他の主観(複数)に「普遍的同意」を要求するというのが『判断力批判』の基本である。さらにいえば、カントにおいて問題なのは主要には自然美であり、芸術作品ではない。ヴォリンガー、ヴェルフリンの学派はカントやカントに影響された批評や美学を斥けることから始めた。彼らにとって問題だったのは、繰り返しになるが、客観的な様式の概念であった。ヴォリンガーであれば、それを抽象/感情移入という対で把握しようとする(『抽象と感情移入』岩波文庫)。

さて、そのようにエピステーメーと様式を架橋して考えるとしても、それでも後藤さんの議論は成り立たない。ヴォリンガーらのような意味で美学的に考えるのだとしても、そこにはカント的主観が入り込む余地がないのと同様、現象学的な美的体験の主体が入り込む余地もないからだ。言い換えれば批評家、自称「聴くことのプロ」などが介入する余地などない。

さらに、美術史の様式概念をそのまま、音楽、ジャズに持ち込めるのかも大変疑問だといわざるを得ない。我々は、スウィング、ビバップ、などというが、それは厳密に規定された様式だなどといえるのか。そのように考えてくると、音楽美学の確立というのは相当に困難であるといえるでしょう。

断っておくが、私は別に後藤さん個人になんの怨恨もない。たんに彼の議論なり主張が駄目だといっているだけだ。

今日も朝からついうっかりしょうもない議論をしてしまったが、こんなんだから狂犬攝津とかいわれるんだよねえ。いや別に滅茶苦茶感情的な罵倒をしているわけじゃなく、たんに論理的な破綻を指摘しているだけですが。

音楽、ジャズで実証性なり唯物性を担保するのが困難なのは、フーコーでいえば、日本語の翻訳だと資料体とか集蔵体などと訳されているものを確保するのが困難ということだろう。フーコーだったら古文書テキストの総体とか、ヴォリンガーとかだったら彫刻やレリーフなど実際の(モノとしての)美術品の総体とか。音楽、ジャズでは何がそれに相当するのか。クラシック、というか西欧純音楽であれば楽譜テキストの総体がそれにあたるのかもしれない。しかし、クラシックですら演奏が関わってくれば楽譜だけを対象にするわけにもいかないし、ジャズならなおさらだ。音という放っておけば消え去ってしまうものをどうやって客観的、唯物的に捕捉して合理的に分析できるのか、というのはそれなりに難しい。もしかしたら現在の技術水準ならばそれは可能なのかもしれないが、私にはよく分からない。

実証性、唯物性の担保が難しいから、どうしても印象批評、というか個人の勘にだけ頼った議論なり言説ばかりが横行することになる。それには致し方がない面がある。ただ、それが批評家の御託宣として権威に祭り上げられるならば、それは問題だ。

急に話変わるようだが、後藤雅洋さんが自分はどうしてもジャズ批評をやりたい、そのうえでメルロ=ポンティを理論的根拠にしたいんだ、というなら別にいいと思うよ。ただ、その場合、ジャズが変わったからそれが無効になるとかそういう問題ではないとも思う。フッサールは具体的、個別的な芸術論が一切ない人だったし、サルトルサルトルでまた特殊だと思うが(ジュネ論はあるが)、ハイデガーメルロ=ポンティにおいては芸術論というのは重要な位置を占めている。ただ彼らの場合絵画論なんだよね。ハイデガーにおけるゴッホとか、メルロ=ポンティにおけるセザンヌとか。ジャズはおろか音楽をまともに論じたこともないと思う。それでもメルロ=ポンティの知覚とか身体に関する議論をジャズ聴取体験に応用したいんだということならそれはそれでいいと思う。私は余り興味を持てないが。ただ、考えてみれば音楽を考えた哲学者、思想家って少ないんだよね。一番有名で本格的なのはアドルノだろうが、彼は絶対のクラシック(西欧純音楽)至上主義で、ジャズなんてとんでもない、という人だったからね。ジャンケレヴィッチに音楽論があったと思うがよく覚えてない。ドゥルーズ=ガタリが『千のプラトー』で音楽をちょっと論じているが(ロマン派論とか)、ほんの少し触れた程度。単著で音楽を正面から論じたものといえば、ほかには市田良彦の『ランシエール 新〈音楽の哲学〉』(白水社、2007年) くらいしか知らない。私は読んだがよく分からなかった。市田さんがキャプテン・ビーフハートが大好きだということだけはよく分かった。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E7%94%B0%E8%89%AF%E5%BD%A6

思考過剰で体調を悪くして寝ていて今起きたばかりだが、起きて5分でまた具合が悪くなった。まだFacebookにひとつ書き込んだだけなのに…。

市田さんの本についていえば、彼はフランス語で読むんだろうから熟知しているんだろうが、我々一般の日本の読者はそもそもランシエールという哲学者のことをよく知らないケースが多いと思うので(昔アルチュセールの弟子だったというくらいしか私は知らない)、いきなりランシエール論という形式で音楽論を提示されてもよく分からないということがある。倉数さんはちゃんと読んで理解したらしく、「哲学」になってるじゃん、と言っていたが、私のほうは哲学が本職というか専攻なのにお恥ずかしいけれども、よく分からなかったのだ。

倉数さんってのは面白い人で、一時ラカンの『精神分析の四基本概念』が、「綾小路きみまろのように面白い」とか言って嵌っていたのだが、あの本のどこが綾小路きみまろ??? 頭が良い人の感性ってよーわからん。

そういえばラカンも絵画は論じても音楽の話をしているのを読んだことがないな。

フーコーも音楽論ないね。伝記読むと若い頃付き合っていた同性愛の恋人が将来を嘱望されていた現代音楽の作曲家だったが、突然自殺してしまった、ということがあったようだが。ドゥルーズは、フーコーは音楽に逃避するような弱い人間ではなかった、という意味のことをいっているが、人間と音楽の関係ってそういうものなんだろうか。ドゥルーズによればフーコーの思考の質は喩えていえばエドガー・ヴァレーズなんだというが、それもよーわからん話だ。

柄谷さんも音楽を論じたものといえば、坂本龍一の議論を援用したごく短いエッセイが一本あるだけ。蓮實重彦の音楽論とかも聞いたことがない。中沢新一チベットモーツァルト』は内容的にいってチベット密教は関係あるが、モーツァルトは無関係でしょう。浅田彰の『ヘルメスの音楽』は、蓮實重彦浅田彰は隠れユング派と陰口を叩くのが非常によく分かる、図式的なというか、悪い意味で「象徴的」な文章。

理論的な文章ではないが、中上健次の『破壊せよ、とアイラーは言った』(フランスの作家マルグリット・デュラスの『破壊せよ、と彼女は言った』のもじり)は愛読したね。ロジックはいい加減であっても読ませる文章ですよ。

【2012年3月13日の註:正しくはマルグリット・デュラス『破壊しに、と彼女は言う』(河出文庫)】

中上の意見では、コルトレーンはコードとの果てしない闘争だということだが、それだとフリージャズで歴史が終わってしまう。フリー以降もジャズというものは様々なかたちで存続しているわけだが、その存在意義みたいなのがなくなってしまう。

今はフリージャズに親しんでいる人でもそういう人はいないだろうが(太陽肛門スパパーンは例外でしょう)、60年代には政治的なラディカリズムとフリージャズの前衛性を直結させるようなリスナーが無数にいて、それが時代の気分であり、中上の解釈はそのone of themでしょう(余談だが後藤さんははそのような聴き方からジャズ聴取を「自立」させようとしたのでしょう)。山下洋輔がどこかで書いていた話が感動的というか印象的だったんだが、政治運動に挫折して実家の八百屋を手伝っていたあんちゃんの話ってのがあってね。その八百屋のあんちゃんが、毎回毎回、山下洋輔のライヴを聴きに来る。無言だが、ものすごい真剣な表情で聴いている。だけれども、或る日そのあんちゃんは不意に自殺してしまうんですね。それを読んで、自殺までしないとしても、当時はそういう人が無数にいたんだろうな、と思った。

これは後藤さんがブログかなんかで書いていた話だけど、彼が当時経営していたジャズ喫茶でライヴしてもらおうと生前の阿部薫を呼んだんだって。で、阿部薫が来たんだが、後藤さんに「サックス奏者では誰が好きか」とか訊いてきた。後藤さんの述懐では、返答次第では演奏しないぞ、という感じだったらしい。で、後藤さんが「チャーリー・パーカーが好きだ」とか返答したら、阿部薫は「そうか」とか言って演奏してくれた、という。

まあ今だってフリーに限らずミュージシャンはシリアスかもしれないが、当時は超シリアスというか、それこそ命を賭ける、実存を賭けるみたいな「気分」があったわけでしょう。音楽というのが本当にそういうものなのか、という本質論は別にしてね。

それでね。八百屋のあんちゃんの話に戻るんだが、もしかしたら彼は勘違いしていたのかもしれない。山下洋輔であれなんであれ、彼が考えていたようなものではなかったかもしれない。けれども私はそういう勘違いを嗤えない。私はジャズに限らず音楽は一切の救済を与えないと思う。音楽は宗教ではないのだから。しかし、そこを誤解してしまうケースが往々にしてあるというのは、致し方がないんじゃないかと思う。

【2002年3月13日の註:ここで一つ文章が欠落していますが、しかし残念ながら、Facebookから取り出すことが技術的にどうしてもできません。ですから、記憶の範囲で補っておきます。それは山下洋輔が彼自身の最初のソロピアノアルバム『洋輔アローン』について書いていた逸話です。恐らく実話なのでしょう。こういうことです。それが発表された当時、重病で臥せっている女性がいたそうです。その女性はフリージャズが好きで、ベッドのそばにレコードプレイヤーを置いて(当然当時はCDの時代ではなくLPレコードの時代です)、飽きずに繰り返し繰り返し『洋輔アローン』を聴いていました。或る日その女性は亡くなりましたが、枕元のレコードプレイヤーでは、彼女が死んでしまった後も、『洋輔アローン』のレコードが廻り続けていました。そういう話です。】

というのは、ライヴとレコードの違いはあっても、八百屋のあんちゃんであれ病気の女性であれ、どういう気持ちで山下洋輔のピアノを聴いていたんだろう、とふと想像してしまうから。彼らはいろいろとつらいことや苦しいことがあっただろう。それで最終的に辿り着いたのが山下洋輔のフリージャズだった。私はドゥルーズのようにそれを「逃避」とか言いたくない。

自殺と病死の違いはあっても、彼らは自分に残された生の時間が短いことをよく知っていた。その貴重な時間をジャズを聴くということに費やした。それは尊いことだと感じる。

八百屋のあんちゃんにしても、その心境というのはおおよそ察しがつく。政治的に闘いたかったが、それももうできない。やっていけない。だから実家に戻った。家業の八百屋を手伝っている。しかし、八百屋さんとしてごく普通の、当たり前の日常生活を送り続けることも堪えがたいように感じる。救いと思えるのは山下洋輔のライヴを聴いている時間だけ、みたいな。まあ政治闘争とかは一般に、仕事、労働じゃないし、それだけを続けて一生を送るなんてのは、党派の専従とかにでもならなきゃできない。だから多くの人は闘争をやめて「日常」に戻る(戻るしかない。他に選択肢はない)。だが、うまく戻れない人もいる。そういうことだろう。

今日の書き込みにしても、前半の論理的な話と後半の死者たちの話、感情的な話とでは全く人格が分裂していて、一貫性がなにもない。こういうのを解離というのだろうかね。専門家じゃないので自分ではよく分からないが。こういうふうに人格とか気分が支離滅裂、滅茶苦茶に分裂、崩壊しているというのはそれこそカウンセリングでも受けたほうがいいのだろうが、しかし、金がないという。せいぜいメールマガジンで解離の話を読むくらいしかできない。

些細なことで体調を崩したり、心理的、感情的に崩壊してしまうというのは、衰弱しきっているというか、脆弱な状態なので致し方がない。

パソコンの前で長い間一人で号泣していたら、母親がやってきてひどく驚いていたが、彼女にはなぜ、私が悲しんでいるのかが分からない。それはそうだろう。私自身がよく自分が分からないのだから。

たんに情緒不安定(但し、過度に)というだけだろう。

八百屋のあんちゃんは、彼としては不本意であったとしても、社会生活や日常生活は送れていたのだろうが、私にはそれすらまともにできない。生活も崩壊している。

倉数さんは彼の出版された最初の小説について、快楽殺人者の心理がよく分からなくてそこを書くのに苦労した、といっていたが、しかし私にはそれが簡単に分かってしまう。『黒揚羽の夏』で犯人の男が、主人公の子供らに、毎日生きているだけで地獄だという感覚が分かるか、と問い掛ける。子供らは、そんなもの分かるはずがないじゃないか、と応じる。つまり、彼らは生きる世界が違うということなのだ。そしてそれだけだ。

2Fで食事中もずっと泣き続けていたが、両親は、貧しいから、経済的に困窮しているから、私が泣いているのだと思っている。しかし、そういう問題ではない。それと、話が飛ぶが、このところずっと、呪文というか強迫観念のように、「セックスは気晴らし、音楽は気休め」と考え続けていた。つまりセックスも音楽も自分にはその程度の意味しかない、慰藉という意味しかないということだ。ミュージック・ステーションでYUKIだけ見て降りてきたが、彼女が歌っていた"Joy"は新曲ではないね。以前聴いた覚えがある。気晴らし、気休め、慰藉というのは、私はいかなる意味でも救いを信じないということだ。宗教的な救済であれ実存的な救済であれ、政治的な解放であれ、なにも信じない。そういう意味で自分は暗い。

今日は朝から晩まで小曽根真のVerve移籍後第一作"Breakout"を繰り返し聴いているが、少しも頭に入ってこない。

私は他人の言説を全くチェックしないので、自分の議論がどれくらいオリジナルなのかもよく分からないのだが、Watanumaさん、住谷さん、大本さんとか美学をやっている人が面白がってくれたから良かったんじゃないかな。後半はいつもの病的な私、という感じでしたが。議論をブログで公開してほしいと大本さんから言われたが、どうでしょうか。いーぐる後藤さんへのあからさまな批判なので、彼の論旨を精密に再吟味せねばならないとか、ハードルが高そうです。私の誤解で批判したなら彼に済まないからね。そういえばフィード購読者が一人減ったので調べてみたら、Mr.Pitiful=iwaさんが去っていた。私の病的な書き込みが厭になったんだろうが、友人を失うのはつらいものです。しかし、読みたくない気持ちもよくわかるので、致し方がないでしょう。

前もいったけど、致し方がないでしょう、というのは私の口癖ですね。

自分の考え、信念を今一つだけいえば、社会が不条理、不平等なのはしょうがないんじゃないかな。勿論政治的に改革できるところもあるでしょうが、どうにもならない部分も多々あると思う。例えば、社会の多数派ではなくごく一部だが、生存は地獄だと感じながら生きている人がいる。それは運が悪かった、としか言いようがない。限りなく諦念に近い意見ですが、私はそのように考えています。

今日の議論を大本さんは褒めてくれ、公開を勧めてくれたけれども、私が躊躇するのには理由があります。私はリアルでの人間関係も大幅に縮小しましたが、インターネットでもそうしました。人間関係縮小の最大のものが、デス見沢先生といーぐる後藤さんと絶縁したことです。念のために断っておけば、彼らと対立したとか、喧嘩したとかいうことは一切ありませんよ。単にいやになったのです。それまでは、闇の医療相談室とか、いーぐるnoteを閲覧しない日はありませんでしたが、絶縁しようと決めてからは一切見ていません。今日は行き掛かり上、後藤さんの主張に疑問を呈するかたちになりましたが、仮にFacebookの書き込みをブログで公開するとすれば、後藤さんの主張を今一度よく確かめなければならないし、自分自身の書き込みの文章も推敲し書き直さなければならないでしょう。それだけの手間が取れるか、その体力、気力があるのかも疑問です。しかし、公開的に批判するなら、それだけの手続きを踏まなければフェアとはいえないでしょう。

それと昔から私は貧乏でしたから、邦訳であれ原書であれ、高額なフーコーの著書をほとんど全く持っていないのです。全て図書館で読みました。フーコーの主張についても全て記憶の範囲で書いたので、それについても一々文献的に確かめるとしたら相当な手間でしょうし、できるかどうかも分かりません。しかし、自分の主張を正当に出していくとすればそういう手続きも必要でしょう。

ついでにいえば、ヴォリンガーとかヴェルフリンその他も図書館です。流石に『抽象と感情移入』は文庫なので持っている可能性もありますが、しかし、翻訳が非常に古いものですね。

それから、単に私が消極的だということですが、後藤さんのはてなダイアリーの"think"とか、com-postの煩瑣な「往復書簡」などを一々全部精読したくない、という理由もあります。後藤さんと絶縁しようと決めてからは後藤さんのブログも読んでいません。com-postに至っては不快なのでずっと以前から読んでいません。

私が批判した後藤さんの主張というのは、どこか一箇所に纏められているわけではなく、彼のブログの"think"の散発的な連載とか、com-post往復書簡その他多数の場所で断片的に述べられているものです。それを全部、チェックし、取り集めるのも大変です。

そういうわけで、私は公開に消極的です。ただ、後藤さんはブログで批評家として「スノッブ批判」とやらをやるそうなので、それが展開されたら、それへの反批判として彼の理論的主張への疑問を公開するという可能性はあります。ただ、それも、後藤さんのブログで彼の意見を読む気になれば、ということですが。

というのは、スノッブ批判への反批判とかなにかきっかけがなければ、後藤さんと関わり合いになろうという気持ちになれないと思うのです。私は面倒臭がりなのです。議論、論争がやむを得ないとすればやりますが、本当に必要性があるのかどうか、よく分かりません。後藤さんは高名な批評家ですが、私があげつらったようなことは公刊された彼の著書には一切書いてなく、単にインターネットで言っているだけです。その発言にどれだけの責任というか信用性があるのかも疑問です。批評家としての彼の「公式見解」なのかどうかも判然としません。

後藤さんだけではなく、人間の発言には様々なレヴェルがありますね。例えば、ジャズ喫茶いーぐるの公開講演での発言(オフライン)、とか、インターネットでの書き込み、とか、公刊された著書での論述、とか。それぞれ、賭けられている責任なり信頼性というのは異なるでしょう。フーコー的切断面がどうのというのは、インターネットで言っているだけというレヴェルですね。だから彼としてもどれだけ確信があって言っているのか、責任をもって語っているのかということが分からないのです。

まあ但し、以上のようにあれこれ留保をつけるとしても、後藤さんが語っている理論的な主張の確実性が疑問だという私の意見自体は全く変わりません。

ただ、私がふと考えたのは、後藤さんへの批判の公開は控え、今日の議論の積極的な内容、つまり、仮に音楽美学が成り立つとしたらその条件はどういうものなのだろうか、という考察だけを抜粋・編集・改稿して私のブログに掲載したらどうだろうか、ということです。そうすれば無用な喧嘩や揉め事は避けられるし穏便に済ますこともできる。「穏便に済ます」のがいいのかどうかはまた、別問題ですが。

後藤さんの発言の責任が疑問というのは、現段階では彼は「思いつき」を適当に語っているだけなのではないか、ということです。日本では言論の自由が保障されていますから、いい加減な思いつきを根拠なく語る権利は後藤さんに限らず誰にでもあるわけです。そのようなことを一々大真面目に批判すべきなのかな、ということも少し考えます。

後藤さんの主張が哲学的には、或いは理論的には疑問だといっても、後藤さんが哲学の専門家ではないなどということはよく承知していますから、それをいちいちあげつらうのも大人げないという気もします。

彼はジャズの専門家なのだから、実は長年ジャズを聴いてきた経験値(直感、勘…)で語っただけだ、と開き直られればそれで終わりです。

というわけで迷っているが、明日は早朝から夕方までずっと仕事なので、そろそろ休みます。皆様お休みなさい。どうか良い夢を!