攝津正

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攝津正の日常

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攝津正の生きている記録。苦しいよ。

プロフィール

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一行紹介

「廃業」した元哲学屋。三流音楽家。無職。(ニート?)

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自己紹介

出生

1975年、大分県に生まれる。父親はサックス吹き、母親はピアノ弾きだった。生後数年で、父親の病気(結核)・家庭内暴力が悪化、両親は離婚する。母親に引き取られ、その後小学生時代までを大分県で過ごす。

関東へ

中学から私の進学のために一家で関東(千葉県船橋市)に引っ越した。愛犬のチロも一緒だった。中学は七林中学校、高校は津田沼高校だった。大学は早稲田大学第一文学部哲学科に進学。中学の時、初めて男の子(同級生)を好きになる。中2(14歳)で、不登校。吉本隆明・島田雅彦・高橋源一郎を読み耽る。ホロヴィッツのピアノに出会い、魅せられる。高校時代、バド・パウエルとセロニアス・モンクに出会う。

初恋と大学時代

大学1年の夏、高校の後輩の花子ちゃんという女の子と恋愛。最初は勘違いから始まった愛だったが、私は次第にのめり込み、結婚を申し入れるまでにいたる。しかし花子ちゃんは別の男の子との恋愛を選択し、私は5ヶ月ほどで捨てられてしまう。大学時代、授業よりもサークル活動(文学研究会)に没頭。フーコーやドゥルーズ、柄谷行人を読む自主ゼミ等を催す。また、在学中、奥島総長によるサークル部室撤去の方針が出され、それに怒って新学館闘争に一時参加する。また、阪神大震災、地下鉄サリン事件が起きるが、当初、サリンばら撒きにも「賛成」であった。サリンばら撒き反対派に「転向」するのは、後遺障害を負った人達の存在を知ったからである。

花子ちゃんと別れた後、Occur(動くゲイとレズビアンの会)に参加、理論構築活動等に参加するが、馴染めず、ヒステリーの発作を起こして退会。孤独になる。

大学院

早稲田大学大学院文学研究科に進学。修士課程で、ドゥルーズの超越論的経験論を研究する。とはいえ、語学力等、足らないものが多過ぎて、研究者としては続けていけなかった。指導教官の先生の退官等の事情もあり、修士で大学院を出る。他の大学院に進む等のことは考えていなかった。

NAMとフリーター生活

大学院を出て、讀賣新聞社等を受験するが受からず、自宅にて引きこもりに近い生活を続けていたところ、文芸誌で柄谷行人が資本と国家を揚棄する社会運動NAMを始めると知り、web検索したところホームページがヒットしたので、即座に入会を決める。これこそ、人生の「指摘教師(private teacher)」である柄谷行人からの「呼び掛け」に他ならないと確信し、それに「応答」したのである。NAMでは、メールを書き過ぎて、それが無職故の暇さからくるものだろうと、飛弾五郎さんから紹介されて、埼玉の受験情報を扱う会社進学データシステムにパートタイマーとして入社した。

NAMでは私は、地域系東京の副代表、ジェンダー/セクシュアリティ系の連絡責任者、センター事務局の副事務局長等「NAM内官僚」として振る舞う。地域通貨Qが出来てからは、Q普及に邁進した。

911同時自爆事件のショックで、不安障害を発症、職場の人からの勧めもあり、精神科(高根台メンタルクリニック)を受診、今日に至る。

Q-NAM紛争とイラク反戦

Q-NAM紛争(その詳細については『重力03』を参照して欲しい)に際して、NAMの原理の原理主義者として、西部忠吊るし上げ等を行い、最終的にQ代表団やQそのものの誹謗中傷・破壊活動を行う。

NAM解散後、アメリカのイラク攻撃が近づき、美術家の岡崎乾二郎の呼び掛けもあり、進学データシステムを退職して無職になっていた私は、生活を賭けて反戦運動に没頭した。精神的に異常な状態でありながら、デモ、集会等に積極的に参加する。

また、無職になった私は、早稲田にある交流フリースペース「あかね」で女装してスタッフを勤め始めた(相方はさんだー杉山さん)。

週一日の「あかね」当番の他は、ネット上でのまた路上での反戦運動で日々が暮れていく、そんな毎日を1年ほど過ごし、これでは駄目だ、と「仕事をください」というメールを各MLに発信。ハローワークに通い、明光義塾鎌ヶ谷大仏教室に事務担当アルバイトとして採用される。

フリーター生活

私のフリーター生活は、基本的に月給5万円から多くて7万円で、一日4時間労働であり、病気から回復途上にあった私には丁度良い具合であった。明光義塾での上司はモラロジーを信奉するネオリベの「勝ち組」だった。1年と少し勤めた後、上司が退職することが決まり、上司から「おまえもいつまでもフリーターやっててもしょうがないだろ?」と言われ、明光義塾退職が決まる。ハローワークや直接応募で10社ほど受けたが、どこも正社員採用はされなかった。

無職或いは芸音ホール代表としての日々

現在は、無職だが、実家店舗部分でフリースペース「芸音ホール」を運営しようと準備中。


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