ボビー・フィッシャー、有効なパスポートがないと...

日本政府はボビー・フィッシャーを政治亡命者と見なすことを拒否
Tokyo refuse de considérer Bobby Fischer comme un réfugié politique

TOKYO (AFP),
le 24-08-2004

この問題については、id:Soreda さんが丁寧にフォローしている。id:Soreda さんの、「今ここで私が結婚してもよくってよ、と名乗り出たらどうなるんでしょう?」という爆弾発言もあったが、支援者のチェス協会事務局長の方と結婚したというニュースで、この方面からの手は尽くされてた思ったが、上のニュースの最後のパラグラフに

ボビー・フィッシャー氏は今月初め結婚しようとしたが、有効なパスポートやその他の必要書類を提出できなかったので果たせなかった

とある。有効なパスポート!...
支援サイト http://www.freebobby.org/ で署名を集めている。思ったより伸びていない。何度やってもわからないルーズな形態の署名だが、前にやってしまったので、正直に一回だけにとどめてここで宣伝。

ナポレオン万歳! ソーセージ万歳!

id:sujaku さんの「コンビニ研グルメ班日記」の「学校給食を軸とした、ニッポン食文化変遷史」がついにニッポンを、戦後史をとびだし、19世紀のフランスへ。

徳富蘇峰明治維新史を書こうとしてどんどん遡って100巻の「近世日本国民史」になってしまった現象、フェルナン・ブローデルが概説書を一冊書けと頼まれて引き受けたのが27年後に「物質文明・経済・資本主義」という大著になった現象の再来に私たちは立ち会っているのか。

食べ物は素材として世界をめぐり、感覚によって時代を超える。ル・モンドも8月のはじめの週に、「世界を駆ける美味 Delices Universels」 という5回連載で、カスレ、フライドポテト、クスクス、オムレツ、ピザの時空の旅を紹介し、読者を楽しませてくれた。この夏はオラール派の世界史がブレークなのか。

「学校給食を...」の最新記事52回に出てくる、カール・マルクス、ルイ・ボナパルトのキーワードで、パブロフの犬のように「歴史は二度繰り返す、一度は悲劇として二度めは茶番として」などとうろ覚えの文句を頭の中に響かせながら、マルクスの『ルイ・ボナパルトブリュメール18日』を探し出してめくる。sujakuさんのところの読者数や世代がどのようかは知らないが、私一人でないことを確信している。これは一種の悲しい性(さが)だ。

食べ物に関する記述があったように覚えていたのでこれをめざしてめくっていく。ありました。

1851年12月にクーデーターを起こし皇帝となる前の大統領ルイ・ボナパルトが、国民の支持で大統領の任期を延ばしてもらおうとあれこれやっていた1850年あたりのところ。軍隊組織のヒエラルキーを飛び越してどうにか軍人たちを味方につけようと、国の予算で大盤振る舞いをするルイ・ボナパルトの行動をマルクスはこう記述する。

運命論者であった彼は、人間にとって、特に兵士にとっては、さからうことのできないある種の高い力があるということを生活の信条としていた。そういう力の第一に彼が数えているのは、葉巻とシャンパン、冷やし鳥肉とニンニク入りソーセージである。そこで、彼は、まずはじめにエリゼ宮のサロンで、将校と下士官を葉巻とシャンパン、冷やし鳥肉とニンニク入りソーセージでもてなす。10月3日、サン・モール[パリ近郊クレテイユ近くの町]の閲兵式の際には、彼はこの作戦を兵隊たちに繰りかえし、さらに10月10日、サトリ[ヴェルサイユ南西部の練兵場]で、もっと大々的にこの作戦を繰りかえした。*1

その結果はというと、10月10日の閲兵式では、司令官の事前の命令を無視して

ナポレオン万歳!ソーセージ万歳! Vive Napoléon! Vivent les saucissons ! 」(原文でもフランス語)の声が騎兵隊の一部から聞こえた

ニンニク入りソーセージの威力大である。

さらに記述を追うと、クーデター直前の1851年の秋ごろのできごとしてこんなくだりもある。

さきにルイ・ボナパルトは、9月15日、パリの新中央市場(レ・アール)の建物の定礎式のさいに、マザニエロ[1647年にナポリで市場から広がった反スペイン支配闘争の指導者となった漁師]の再来として中央市場の奥方たち(dames des halles)つまり魚売りの女たちを夢中にさせ−−たしかに実力の点では、魚売りの女は1人は17人の城主にまさっていた−−、が[...]いまや11月25日に、ロンドン産業博覧会の賞牌を彼の手から受け取るために円形競技場(シルク)に集まってきた産業ブルジョアジーの心をうばった。*2

9月15日の日づけかが正しいか確かめようと検索してみつかったある講演録の記述(David Colon, Paris sous la seconde république)では、ルイ・ボナパルトはクーデターの前に、このレ・アールの起工式をやりかったのだと指摘する。そして直前にお流れになったとはいえ最初のクーデター計画は9月17日に予定されており、その直前にこうした儀式を行ったというのは大きな意味を持っていると述べる。

「人間にとってさからうことのできないある種の高い力」の政治的な力がどのくらい与かったかは知らないが、クーデター後の1851年12月20日国民投票で、743万9216票対64万737票でルイ・ボナパルトは信任される。1年後には780万票の支持で世襲制に基づく帝政が復活、皇帝ナポレオン3世が誕生する。

軍の人心を掌握するため兵士にニンニク入りソーセージを配り、クーデターの前にパリの胃袋を整えるルイ・ボナパルトの行動をマルクスはしっかり指摘し、そこに彼の食べ物の持つ力への確信があるのを見抜き、皮肉る。見抜くことのできたマルクス自身もそこから多くを学んだろう。しかし「ある種の高い力」を、胃袋を満たすことに見るか、舌を楽しませることに見るかで、マルクスが学んだものの解釈が大きく違ってくる。そしてマルクスの理論に後者の欲望への視点を見る論点は...うーん、怪しい領域に入ってきたのでやめておきます。

*1:第5章。村田陽一訳、国民文庫版の訳(pp. 92- 93)を一部改変。原典ドイツ語版は、→こちらで、フランス語版は→こちらで読める

*2:第6章。同書,p.136