くらのかみ

くらのかみ (ミステリーランド)
小野 不由美


傑作だと思う。このシリーズの中で群を抜いて出来が良い。現代の子供も読める、おもしろい小説を書くという命題への一つの回答だ。

きっちりした話だ。はめ絵がぴったりと収まるべき所に収まっている、といった印象を持った。中心となる登場人物は小学5、6年生ぐらいの子供達だ。彼らは遠い親戚にあたり、ある目的のために田舎の本家に集められるところから話がはじまる。

最初は子供達の数は4人だった。本家の廊下続きの蔵の中で遊び、出て来たときには5人になっていた。一人はくらのかみ。でも誰かわからない。

佐藤さとるとの共作で多数の傑作挿絵を残している村上勉が絵を描いている。とても豪華だと思う。やわらかな線で丁寧に具体的に仕上げた絵が、ともすると冷たい印象さえ与えかねない完成度の高い話に丸みと深みを加えている。幸せな出会い。

一応ミステリーなのでプロットについて具体的に語るのは御法度だろう。しかしこの本は見事に中心となるプロットを要として完成している。なるほど、こういう手があったか。

子供達の会話が良くできている。たしかに子供らしい会話なのだが、実は冷静な推理を展開している。子供だから、という不注意さや、子供だからという考えの甘さは前提とされていない。その潔さが作品に品を与えている。子供は、彼らの世界、文法で十分に合理的であり、大人の文法とは異なるだけだ、とでも言うような描き方だ。

それに比べると大人の描き方は多少皮肉っぽい。大人の弱さが全体に強調されており、なんだか子供の視点からディストーションされた世界を覗いているかのようだ。

舞台となる本家の大きな屋敷と、その周りの森や沼がとてもイメージゆたかに表現されている。屋敷の構造など多少迷路めいた所もあるが、それもまたおもしろい要素の一つだと思った。

小野不由美というと、アニメの十二国記しか後は知らないのだが、この作も同じテイストを持っている。それはかなり強面な倫理をベースとした舞台設定であり、合理的な思考を中心にすえた登場人物たちの鋭利な会話である。馴れ合いや、不分明なままの状態でごまかす、といった態度は、この作家にもっとも似合わない書き方だろう。十分に良い作なのだし、楽しませてもらったのだから文句を言う筋合いではないのだが、私がこの作家の作品をさらに読もうと思わないのは、そこに原因がある。実に良くできているのだが、では、作者は何に憧れをもって、これを書いたのだろうか。そう思ってしまうのだ。

例えば作者は「くらのかみ」の実在をどう思っているだろうか。不思議を扱う小説を描く作家にはいくつかのタイプがある。これは内田百間集成4『サラサーテの盤』の巻末に三島由紀夫が書いている解説に出てくるような、例えば佐藤春夫泉鏡花、そして内田百間の違いである。この飛行船通信を受け取っている皆さんにも、それぞれ自分のタイプがあるだろう。それは人間の想像力と世界との関わり合いに関するスタイルと言っても良いかもしれない。そして多少大げさに言えば何故毎日を楽しく過ごせるのか、という心の健康の土台とも言えるものだ。

『くらのかみ』は良くできている面白い小説だ、だがしかし、そこには私が期待するある隙間がない。それは文章に曖昧さがないからではない。ボルヘス山尾悠子のような切り詰めた文章であっても、であるがゆえに彼らの場合には構造的に発生する、埋める事のできない隙間がある。それが私には感じられない。これは不満ではない。優れた作品は、自分自身のあり方を教えてくれるものだ。