2012-06-02 嘘つき小僧の作り方
■[周辺事態]嘘つき小僧の作り方

ぼくが、はじめて不登校経験者に取材をする前に、不登校経験がある人にこうアドバイスを受けました。
「おぐらさん気をつけなよ、ヤツらすっげぇ嘘つきだから」
その言葉は、少なくとも半分は当たっていましたねえ。
取材をした人は嘘つきじゃなかったんですが、ぼくにアドバイスをした人は、 相当な嘘つきでしたから。(笑)
まあ、人間という社会的生活を営む生き物は、嘘をつかずに生活するのは難しいんでしょうね。
ぼくの知る限り、嘘をついたことがない人間なんて、ぼく以外見たことないし。
なんにせよ、嘘というのは、あまりホメられたもんじゃないというのは事実です。
しかし、人は嘘をつくものです。
『不登校・ひきこもり・ニート』の人の中にも、正直になるのが難しい人がいます。
また、逆に正直すぎてつらい人もいます。
では。なぜ人は嘘をつくのか?
その理由は、自分自身の胸に手をあててじっくり考えればわかると思うんですよ。
そのほとんどは、自分の身と心を守るため、防衛のために嘘をついているんです。
話す相手がね、安心できる人だと、自分が失敗したときや都合が悪いときでも、正直になれるものなんですが……
安心できない人、いつも怒っているような人に対しては、自分の失敗とか隠したいじゃないですか。
つまりね、嘘ばっかりついている嘘つき小僧を作ろうと思ったら、いつも怒って怒鳴って、相手を暴力的に支配・管理すればいいんです。
会社だって、学校だって、上司や先生が、いつも怒っていると、失敗や遅刻をしたとき、怒られたくないから、なんとか誤魔化そうと思うじゃないですか。
逆に上司や先生が、失敗を許す度量の広さがあると、正直に失敗をしたことが言えるもんだと思います。
嘘つき小僧の作り方
これはね、子どもでも大人でも同じで、いつも嘘ばかり言っている人、世間体を必要以上に気にしている人、見えばかり張っている人って、どこかでそうしなきゃならない抑圧を受けてきたんだと思うんですよ。
相手に正直になってもらいたいなら、余計な抑圧を与えないこと、暴力や恐怖で相手を支配しようとしないことでしょうね。
あと、許すことって大切だと思いますよ。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)
2012-06-01 生活保護問題は国家的怠慢である
■[周辺事態]生活保護問題は国家的怠慢である

ある民間人がたくさんの年収(5千万円)をもらっているのに、親が生活保護をもらっていたことが大問題になっています。
国会で問題とされ、ワイドショーや週刊誌で取り上げられるほどに。
どうやら日本という国では、本人のみならず親族も飢えてなければ、生活保護はもらえず、貧乏な家に生まれて、がんばって年収5千万ほど稼げるようになると、稼ぎの無い親兄弟、叔父叔母、イトコの面倒を見るのは当然で、万が一これまで支給された生活保護費は返却せよと、政治家や国民からいわれる国らしいのです。
つまりは病弱だったり出来の悪い親、家族、親族を持つと一生その面倒や責任を持たされるということですね。ひょっとしたら家族を作るということはその瞬間に連帯保証人の印鑑を捺すようなものであるいうことかも知れません。(苦笑)。
つまりは江戸時代の「連座制」が現代でも適用されていて、生活に困った人がいると国家や行政は基本的には面倒なんてみないぞということでもありそうです。
この国の民は、家族が生活に困窮すると、国家行政に頼るのは恥になり、多くの国民に糾弾されたあげく、有名人になると謝罪までさせられるということでもあります。
なにかがおかしい……
シノドスさんに掲載されていた生活保護問題対策全国会の「生活保護制度に関する冷静な報道と議論を求める緊急声明 」から何がおかしいかを解明してみましょう。
第1に、2011年6月の保護利用者数は204万1592人であったが、同年7月の同利用者数が約205万人となったといっても、保護率(保護利用者数の人口比)は約1.6%にとどまり、現行生活保護法において過去最多数の1951年時の保護率2.4%に比してまだ3分の2程度であり、実質的には過去最多とはいえない。
第2に、すべての国民、市民に最低生活を保障するという生活保護の目的からみると、貧困率16%(2009年)に対して、保護率は1.6%にとどまり、やっと10分の1しか捕捉していない。資産要件(貯金)を加味しても3割余りの捕捉にとどまる。
第3に、諸外国との比較においても、日本の生活保護率、捕捉率は際立って低い。よって、生活保護がその役割を十分に果たしているとは到底いえない。
現在求められているのは、貧困の拡大に対して、社会保障制度を拡充し、雇用を立て直すとともに、生活保護制度の迅速な活用によって生活困窮者を漏れなく救済することである。
つまり生活保護を必要としている人に対して、10分の1程度しか受給が行われていないという現実があります。
それらの残りの人々は、本来受けることができる受給を受けないままの生活を強いられているか、その家族が代行している。
もし受給を受けることができても、家族親族に審査がいくため、家族親族に貧困を知られるのを“恥”と感じたり迷惑をかけたくないと感じた人は、生活苦に甘んじる結果になっている。
と、いうことでしょう。
そのために自殺を選ぶ人もいるかも知れません。
教育を受けられずに貧困の連鎖から逃れられない人もいるかも知れません。
適正な治療を受けられない人もいるかも知れません。
今回の某芸能人生活保護事件は、そういった人たちをより困窮に導く誘引になっているかも知れません。
もし、政治家が本気でこの国を良くしたいのならば、いま生活保護を受けるべきなのに、受けていない人に受けさせるように教導し、国を豊かに導くべきでしょう。
残念ながら、一連の事件は、マスコミや政治家による人気芸能人のバッシングと、それにより(正義を口実に)憂さ晴らしをする多くの人たちによる騒ぎであり、困っている人たちを助けるためのものでもなさそうです。
なぜならば、今回の事件は「不正受給をする悪人を防止するよりも、正統な理由で受給すべき人を圧迫し、困窮にいたらしめるほうが大」でしかないからです。
生活保護問題が、今回の事件のように一部国民の「ガス抜き」として扱われるのは、国家的怠慢であると、わたし個人は思っています。
このようはガス抜きをしながら、一方では増税を訴えている与野党ですが、それもまた政治的怠慢だと思います。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)
2012-05-31 みんなみんな幸せになってくださいね
■[対処案][巨椋修通信]みんなみんな幸せになってくださいね

「不登校でいいんです」
「ひきこもりでいいんです」
「ニートでいいんです」
そういう人はたくさんいます。
支援者と称する人の中には
「むしろ不登校の方がいいんです」
なんていう人と、わたし(巨椋修(おぐらおさむ))はたくさん会ってきました。
【一時的には】……、それでもいいでしょう。
【実家が大富豪だったり、一生遊んで食べていける人は】……、それでもいいのかもしれません。
でも
いつまでもそのままでいいわけない。
いいわけないからみんな悩んでいるわけでしょう。
どうしようもなくなって手首を切ってみたり
家族に当たってみたり
攻撃してくる家族から隠れてみたり
人が恐くなったりするんじゃないでしょうか?
「わたし、ひきこもりでいいです」
なんて人とたくさん会ってきました。
でも……
その瞬間は嘘ではないんですけど……
いつまでもこのままでいられるわけではないってことは知っているので、みんな不安なんです。
自己肯定感なんか持てないんです。
一時的には、自己肯定感、持てたかな……って思うこともあるんですけど、数時間、数日後には、自己否定のほうが強くなってしまうんです。
わたしがあった多くの人はみんなみんなそんな人ばかりでした。
わたしは、長くそんな人たちと会って、ただ話しを聞いてきました。
小学生くらいの人
70歳以上の人
いろいろな人の話しを聞いてきました。
これからも聞きに行こうかなと思います。
たまに、ブログや文章にします。
みんなみんな
幸せになってくださいね。
みんなみんな幸せになってくださいね。
それがわたしの願いです。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)
サクラ
2012/05/31 20:59
本当にそうですね。人は幸せになるために、生まれてきたと思うのです。
2012-05-28 義務の恐怖
■[巨椋修通信]義務の恐怖

「アンタは、義務の恐ろしさを知らないから、そんなのんきなことを言ってられるんだ」
―巨椋修(おぐらおさむ)・権利とか正義とかを主張する厚顔無恥な人との対話中―
義務っていうのは、嫌なもんでね。(笑)
人間の三大欲求であるところの、食欲・性欲・睡眠欲でも、義務にされると嫌んなっちゃうんですよ。
もし、1日3回正しく30品目の食事を摂らないといけないとか、夜11時から7時まで睡眠を取るのが義務であるなんて強制されたら、1ヶ月後くらいには、暴飲暴食か絶食拒食、夜更かし朝寝をしたくなる。
SEXなんて、夫婦恋人は必ず週3回することを義務づけるなんて言われたら、男でも女でもたちまちウンザリすると思います。(笑)
義務とか権利とかいうのは一種の脅迫性をもっているんですけど、特に義務っていうのは、人間をカンタンに残酷にしてしまう機能を持っています。
戦場で人を殺すのは、権利というよりも義務かも知れない。
死刑を執行する人だって、義務としてやっている。
保険所で野良犬野良猫を処分する人だって義務ですからね。
こういったのを権利としてやる人は、普通じゃないって言われます。
義務っていうのは、そういったことを正義としてやらせる。
誠意とか善意というのは、人間の美点でもあるんですけど、それに義務や権利が入ってくると、ひどくいやらしくなりますね。
教育の義務とか、育児の義務とか、福祉の義務とかは、義務というより、みんなが率先してできればいいのですけど、なかなか難しいものなのかも知れませんね。
義務も権利も主張しすぎるとちょっと怖ろしいものです。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)
2012-05-23 抑制の逆説効果
■[対処案]抑制の逆説効果

心理学に『抑制の逆説効果』という言葉あるそうです。
というのにおもしろい実験が出ています。
1. シロクマを思い浮かべてください。
2. 次に、シロクマを思い浮かべないでください。
しかし、ゲストの3人は「思い浮かべないようにするのは無理!」という答えでした。
シロクマを考えないようにするには、シロクマが頭の中に入ってきていないことを常に確認し続ける必要があるため、逆にシロクマを浮かび上がらせる結果になってしまうのです。
高いところめぐりツアーに参加した3人の女性たちも、「怖くない!大丈夫!」というおまじないを唱えていました。
高所恐怖症の人たちの頭の中では、これだけではなくもっとすごいことが起きていました。
「怖い」という感情がふくらむと、足がすくんだり、鼓動が高まったりという身体反応が出ます。
それらが脳にフィードバックされ、「やっぱり怖いんだ」と怖さが増幅されてしまうのです。
これを『抑制の逆説効果』というらしいんですけどね。
これを、『不登校・ひきこもり・ニート』に置き換えてみると、非常におもしろいことになります。
つまり、『不登校の方がいいんだ。ひきこもりは素晴らしい。ニートでも大丈夫』と言い続けるということは、不安を増幅しているという結果になるということですね。(笑)
では、どうすれば、その恐怖から逃れられるかというと『ためしてガッテン』の実験によるとですね。
ヘビ恐怖症のディレクターが自ら実験。
ヘビの写真を見続けると、恐怖の度合いを示す発汗量はいったん上がったものの、約10分で正常並みになりました。
ヘビの写真を10分見ていただけで、なぜか恐怖の度合いが下がったのです。
実は、恐怖はいつまでも続くのではなく、ある一定の時間を過ぎると下がり始めます。
その場に居続ければ、いずれその状況でも大丈夫だという体験ができるのです。
これを番組では「OK体験」と名づけました。
専門家によると、もともと「恐怖」は緊急事態に対する反応なので、エネルギーがそう長くは続かないといいます。
本当に危険な場合であれば、いつまでも怖がっていられますが、そうでなければ、遅くとも15分くらいで恐怖の反応は下がり始めるといいます。
と、いうことらしいんですよ。
番組では、高所恐怖症の人に、高さ142メートルのつり橋を歩いてもらって、怖くて足が竦んでしまう場所で10分間、耐えてもらう。
すると、その状況に慣れてきて、自分がこの場所にいても大丈夫なんだ。ここは安全なんだと、恐怖心がなくなってくる。
恐怖心がなくなってきたら、また前に進んで、怖くて足が竦むところまで進む。そこで10分ほど、またガマンしてもらう。
これを繰り返していくうち、番組に出ていた高所恐怖症の人は全員、つり橋の真ん中まで行けたというものでした。
さて、これを『不登校・ひきこもり・ニート』に置き換えてみますとね。
自分が安心できる場所や行動を、少しずつ増やしていくということです。
例えば、対人関係が苦手な人だったら、安心できる人たちのいる場所に出ていってみる。
最初は、恥ずかしいかも知れないし、緊張するかもしれない。話しもうまく出来ないかもしれないけれど、慣れるまでちょっとガマンしてみる。
高所恐怖症の実験みたいに10分で……というわけには、いかないだろうけど、数ヶ月、半年、一年くらいに長い目でみて、少しずつ少しずつ、自分の居られる場所や行動を増やしていくというのが、いいのでしょうね。
番組によると、慣れるポイントがあって
・心を閉じない:
怖くないと言い聞かせたり、他のことに熱中したりしていると、OK体験は訪れません。実際に恐怖を体験することがとても大切です。
·恐怖にのみこまれない:
頭の中が恐怖でいっぱいになってしまってもOK体験は訪れません。ある程度の冷静さを保てるレベルの高さや場所を選んでみてください。
と、いうことらしいんです。
これを応用すると、『不登校の方が素晴らしいんだ』とか『ニートでも大丈夫なんだ』なんて言って、誤魔化して逃げ回っているのは、逆効果だから自分の状況を素直に受け入れる。
でも、急に無理をしようとしないで、自分ができる範囲の、小さな目標をたてる。
それをやり遂げる。
ということになりますね。
FHN放送局
巨椋修(おぐらおさむ)





