学校教育の気持ち悪さ




我が国では6歳になると、親は我が子を学校に【行かせなければいけない義務】があるらしい。

 

子どもが6歳になると、親もおじいちゃんおばあちゃんも

 

「良かったねえ、楽しみだねえ」

 

などといって、一個数万円のランドセルなどを買い与え、いかにも【これから良いところに行くんだよ】と、いった猫なで声で語り掛ける。

 

まだ6歳の子どもは素直に喜ぶ。

 

「早く行きたいなあ」

 

と・・・

 

しかし子どもは知らないのだ。

 

 

そこが戦場であることを・・・

 

 

学校は子どもを洗脳する場であり、そして競争社会の第一歩だ。親は(無意識に)それを知っているから、小学校に入学する前に読み書きや、算数を教え出す。

 

 

戦場で後れを取らないために

 

 

学校の建前は、読み書きや基礎的な学習をさせることとされているが

 

 

本当は違う

 

 

学校は、社会的に平均的、画一的な人間を養成するための工場なのだ。

 

だから、学校でじっとしていられない、先生のいうことを聞かない子は、こっぴどく叱られるが

 

 

勉強ができない子は叱られない。注目もされない。

 

 

別に叱れと言っているわけではない。もし本当に学習が目的なら、その子を手厚くカバーしてあげればいいはずなのだが、なぜか学校では、勉強ができない子は、置いていかれるだけだ。

 

子どもは先生や大人に対して、従順であるのが一番いい。その次に成績が良かったりすればいい。

 

本の学校教育は、休憩時間と休憩時間の間、大人しく座っており、できればそれなりに勉強についていければそれでいい。そんな子を量産する工場なのだ。

 

学校には運動会というものがある。そこでいまでも行われているのが【行進】だ。日本の子どもは原始時代から明治時代まで、行進なるものを教えられたことがなかった。(当たり前だ(笑))

 

体育の時間や朝礼などがあり、そこでは【整列】するよう言われる。つまり集団行動をするように教えられるわけだ。

 

 

休み時間と休み時間の間、大人しくしており、行進や整列ができる人間を作る。それが学校の第一目的といっていい。

 

 

そして大人はいう。【みんな仲良く】と。

 

いま不登校が増えたり心を病む若い人が多いというが、そんなの当たり前だと思うよ。

行って苦しむような学校はいらない

●休み明けに子どもの自殺が増える

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http://mamapicks.jp/archives/52207130.html より

 子どもの自殺が増えるのは長期の休みがあける前後。

 休み、冬休みやゴールデンウィークの初期や中期には比較的自殺は少ないようです。

 これって子どもにとって学校というのいうものがかなりのストレスになっているということでもあります。

 

 いえ、子どもでなくても、日曜の夕方のアニメ「サザエさん」を観ると、翌日からの仕事を思い出して憂鬱になる『サザエさん症候群』があるくらいですから、休みの終わりが近づくとそれだけでストレスを感じるのは子どもだけではないことがわかります。

 

 と、なるときっと学校の先生たちも夏休み明けが近づくと憂鬱になっているのでしょうね。いまや教育機関ブラック企業といわれる過酷な職場だと聞きますし、心を病む先生もたくさんいるとか。

 

 子どもにとっても先生にとっても、自殺を考えたり病んでしまう学校ってなんなのでしょうね。

 

 

●学校は富国強兵のために生まれた

 近代における学校というのは『国家を支える国民』を作るために生まれました。いまの公教育は19世紀に誕生しますが、それ以前は子どもは各家族や資本家の労働力でした。

 

 労働力ですから、国家が『学校』なるものを作り、子どもがその学校なるものに通うということは、労働力を奪われるということでもあります。

 

 明治時代、学制が布かれ子どもを学校に通わせないといけなくなったとき、労働力を奪われた親たちが、学校を焼き討ちするという事態まであったほどです。

 

 当時数多くいた農民や漁民、商人や職人にとって、学校での教育など必要ないものでした。必要な教育は村落といった共同体で教える。それで十分という考えだったのです。

 

 しかし国家としては、それでは困ります。

 

 子どもを国家のために役に立つために育て上げ、国を富まし場合によっては強い兵隊としても使える『国民』に仕立てなければなりません。

 

 学校は欧米であろうと日本であろうと、富国強兵のために生まれたのです。

 

 

●今も残る軍隊的な教育

 特に日本は欧米以上に軍隊式の教育がとられました。それは21世紀になる、あるいは令和になるいまでも色濃く残っています。

 

 朝の朝礼では「気を付け」「前にならえ」「小さく前にならえ」といった号令に従い、児童生徒たちはいっせいに先生のいうことを聞く。

 

 これって欧米でもやっていない軍隊式の教育です。

 

 戦後、日本の学校教育は日教組といった左翼的なある意味、戦争や軍隊反対をとなえる人たちが教育界にたくさんいましたが、不思議なことにこの軍隊式な教育、ある意味今教練や調練といったことに、反対していません。

 

 おそらく軍隊反対をとなえる先生方も、このやり方が軍隊式とは気が付かず、そして大勢の児童生徒を兵隊のようにしつけることに疑問をもたなかったのでしょう。

 それに大勢な児童生徒が先生の号令ひとつでいうことに従ってくれるというのは、大変便利ですし。

 

 

●学校や社会における同調圧力の強さ

 日本は海外に比べて同調圧力が強い国だそうです。学校でも会社でもみんなと違うことをいうと、いじめられたり仲間外れにされたりすることが多いとか。

 

 この国民性も学校教育に端を発しているのかも知れません。みんな一緒に行動する。それをしない・できない人は叱責するか、あるいは「もっとがんばろう!」とみんなで励ます。

 

 かつては子どもが学校を不登校になると、先生の命令(先生は指導とか提案というが)で、みんなで不登校の子の家に行き、プリントなどを渡すなんてことが、あったりしたそうな。

 

 先生方はいいます。「個性を大切にしましょう」

 

 でもうっかり個性的な行動や言動をしたら、いじめや罰の対象になってしまいます。

 

 そりぁ、『みんなと一緒』が苦手な人は学校がストレスになりますよね。

 

 人が人であるために、子どもが将来自分の力で生きていくために、教育は必要だし、そのために学校はとても大きく重要な機関です。

 

 でもそろそろ軍隊式の『みんなと一緒教育』から離れてもいいんじゃないかなと思います。

 子どもにしても先生にしても、学校に行くことで自殺を考えたり、病んだりするようなら、それってどこか間違っているのかも知れませんよ。

 

 

おぐらおさむ拝

 

 

傷つきやすい人とは被害意識と加害意識とプライドがゴチャ交ぜになっている

 傷つきやすい人とは、被害意識と加害意識と、プライドがゴチャ交ぜになっている人であるのだなあ…

 

 不登校・ひきこもり・ニートの人も、そうでなくても傷つきやすい人は、みんな被害者意識と加害者意識両方を持っていて、それで悩んでいたりするのだと思う。

 

 そしてプライド。

 

 プライドは「誇り」という意味もあるけど、「高慢」「傲慢」「思い上がり」といった意味もある。

 

 そのプライドゆえ、傷つきやすい人ほど、困っていても他人や支援機関に助けを求めにいけない。

 

 でもね、もし本当に被害を受けているなら助けを求めるほうが楽なんだよ。

 

 加害者になっていると思うなら、誰かに相談してほしいなあ。

 

 助けを求めたり、相談は何度してもいい。何十回してもいいんだから。

自分の先入観・価値観を見直してみよう

●その先入観・価値観は正しいのか?

  先入観とは、前もって抱いている考え方や価値観をいいます。

 それは正しいこともあれば、間違ったこともあるかも知れません。良いこともあればそうでないこともあることでしょう。

 

 どちらにせよ、私たちが毎日生きていく上において、常に何かを判断したり感じたちするのは、すべて前もって抱いている考え方からきています。

 

 例えばニュースを目にする。そのニュースに対し「あの国からこうするに違いない」と思うでしょうし「あの人はこんな人だろう」などなど、前もって入っている知識や経験から判断するわけです。

 

 不登校・ひきこもり・ニートの人にもそれがあり、それは「自分自身にたいする先入観と価値観」「他者に対する先入観と価値観」が、どうも違うんじゃね? なんてことが少なくないように思えるのです。

 

 

●自己肯定感の低さと他者への恐れ

 これは不登校・ひきこもり・ニートの人に限らず日本人全体に言えるそうなのですが、自分に対する先入観・価値観がとても低いそうなのです。

 

 

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 上記の図によるとダントツに自分の価値を低く感じているのが日本。


 日本人の場合「謙遜」や「謙譲」と言った自分が遠慮したらいいやとか、自分を低く見せるのが美学的な考え方があるから、実際はもう少し自己肯定感・自己価値観が高いのかも知れませんが、世界トップで自己肯定感・自己価値観が低いのは間違いないようです。

 

 そしてもう一つ、日本人は「他者への遠慮」がとても高いと思えるのです。これも謙遜であり謙譲の精神ですね。

 

 

●人の価値観は全員違う

 自己肯定感が低い人、自己価値観が低い人は、他人を怖れるようになります。当然だよね、自分に自信がないんだもん。自分の意見について他人が否定したり、疑問をもっていると、自分が否定されたと思うから。

 

 ちょっとしたことや、ささいな一言で自分が否定されたと思う。

 

 これ、自己肯定感が低い人の特徴的なことで、その結果は、決してイイことないのね。

 

 他者が自分の意見を否定する。疑問を持つっていうのは至極当たり前のこと。だって自分以外全員別人で違う脳みそを持ち、それぞれ体験も経験も学習も違うわけですから。

 

 むしろ自分とまったく同じ考えの人っていないと思ったほうがいい。

 

 みんな一緒じゃなきゃいけないなんてことはない。みんなそれぞれ違っていていいのです。

 

●先入観・価値観の見直し方

 人は皆、それぞれの先入観や物事の価値観を持っています。

 

 ある人はお金がすべてだと思っているが、別の人はそう考えていない。

 

 ある人は学歴が重要だと思っているが、別の人はそう考えていない。

 

 ある人は容姿がもっとも大事と思っているが、別の人はそう考えていない。

 

 ある人は日本人はすばらしいと考え、ある人は日本人なんかダメだと思っている。

 

 そんなのは先入観にすぎないかも知れません。あなたが価値があると思っているものも、あるいはないと思っているものも、他の人はそう思っていないかも知れない。

 

 一度、すべての先入観や価値観を疑ってみること。

 

 お金がすべてだと思っていたけど、本当だろうか? とか、学歴が重要だと思っていたけど、もっと他に大切なものがあるんじゃないだろうか? とか。

 

 そうすると全然別の世界が見えてくるかも知れませんよ。

 

 

 

おぐらおさむ拝

 

1998年になぜ自殺が激増し現在は減り続けているのか?

●1998年以前の日本に何が起こっていたのか?

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自殺は97~98年に激増、リーマンショック後にも激増している

 自殺者数の推移をみていくと、このグラフのようにバブル景気の頃は下がり、バブル崩壊後に徐々に増えている。

 そして97年~98年に激増しているのだ。

 いったいこの時期に何があったのか?

 4月に消費税が3%から5%に引き上げられている。

 

 その後日産生命保険山一証券、三洋証券などの大企業が経営破綻している。当然それら企業と取引していた中小企業も倒産する。事実、96年から98年にかけて倒産件数は跳ね上がっている。

 

 1998年は、バブル崩壊後、なんとか耐えてきた日本経済が耐えきれなくなった年でもあるのだ。「失われた20年は98年にはじまる」という識者がいるくらいであった。

 

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96~98年に倒産件数は跳ね上がっている

 

 また自殺と失業率は比例するというが、どうだろう?

 

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 やはり、バブル崩壊後に上がりだし97~98年に跳ね上がっている。しかし2002年あたりから下がり、リーマンショックがあった08年後に激増している。

 

 つまり、自殺と経済は密接なつながりがある。事実、自殺者の過半数は無職者なのだ。失業者が増えると自殺が増えるのだ。

 

 

●なぜ2010年から自殺が減りだしたのか?

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 自殺は2010年あたりから減り出すのだが、2010年から落ち込んでいたDTP(国内総生産)が持ち直してくる。

 

 また2010年に、政府が自殺防止キャンペーンをはじめたことも大きいだろう。テレビ等で『お父さん眠れてる?』というCMを覚えている人も多いだろう。

 

 これは自殺する人の多くが、ストレス等からうつ病などの精神疾患にかかってしまうことから来ている。不眠症は、うつ病の入り口なのだ。

 

 自殺防止キャンペーンの実質的な内容は、うつ病対策でもあったのだ。

 

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精神科初診外来患者数の推移

 そのせいもあるのか、このグラフを見てもわかるように、精神科を受診する人は年々増えている。そして自殺する人は年々減っている。

 

 しかし中には「精神科の薬を飲むと自殺率が高くなる」という人もいる。ちょっとした矛盾だ。 

 

抗うつ薬は自殺率を高めるのか?

 自殺者のほとんどが何らかの精神疾患にかかっているというのは有名な話し。ゆえに精神科の薬に反対する人は「精神科の薬は自殺を促進する」という。その薬はSSRIといって、現在もっとも使われている抗うつ薬だ。

 

 自殺が激増した96~98年だが日本では、1999年5月から発売開始されている。と、いうことは自殺の激増と、抗うつ薬はあまり関係がないということになる。

 

 自殺者が増えたのは抗うつ薬を飲むようになったからではなく、自殺を考えるほど苦しんだ人が、精神科に通うようになったというのが合理的な考え方だろう。

 

 しかし抗うつ薬にまったく自殺のリスクがないかというと、そうではないらしい。

 

  例えば、うつ病は自殺率が高い病気で、最近の調査では、うつ病全体で生涯死亡率
2%、かつてうつ病での入院歴のある人では 4%、自殺念慮・企図を伴うエピソードでの入院歴があると、さらに8%に増加するという。

※引用『抗うつ薬で自殺が増加するか?』日本うつ病学会 理事長 野村 総一郎


 上記の論文によると、米国食品医薬品局(FDA)は、2007 年 5 月に 18~24 歳の若年成人において、すべての抗うつ薬が自殺のリスクを増加させることを追加。

 

 一方日本では、厚生労働省での審議の結果、SSRISNRI に関しては、18才未満のうつ病患者に対して同様の注意を払うことが添付文書に記載されたという。

 

 しかしまったく逆の報告もあり

 

 抗うつ薬の処方数の増加に伴い、自殺者数が減少しているのである。あるいは自殺企図は、抗うつ薬療法の導入直前に最も多く、導入後は徐々に減少するという 65,103 名のうつ病患者を対象とした報告もある(Simon ら, 2006)。

 

 と、抗うつ薬を導入した地域は自殺率が減少したという。

 

 うつ病と診断された退役軍人 226,866 名を対象とした解析では、抗うつ薬投与群での自殺企図率は、抗うつ薬非投与群よりも低かった(Gibbons ら, 2007)。

 

 治療開始前の自殺企図率は治療開始後よりも高かった。抗うつ薬毎に比較すると、SSRI で三環系抗うつ薬よりも有意に低かった。

 

 この結果は、成人のうつ病患者を対象としたものであるが、SSRI など
抗うつ薬うつ病患者の自殺を増やすという仮説を支持していはいない。

 

 と、やはり抗うつ薬を飲むことによって、自殺しようという気持ちが減ることが述べられている。

 

 日本で近年、精神科に通う人が増えているのに、自殺が減っているのは、これまで精神科への偏見から、苦しくても病院に行かなかったのが、垣根が低くなって病院にいくようになったからだと考えていい。

 

 

●なぜうつ病治療中に自殺をするのか?

 ではなぜうつ病治療中の人が自殺するのか? よく言われるのが「うつは治りかけが危ない」という。

 

 つまり、うつ病というのは自殺したくなる病気なのだが、それ以上に行動するのもつらい病気なのだ。

 

 皮肉なことに、治療が進んで少しずつ元気を取り戻してきたとき、自殺する元気も取り戻してしまうという。

 

 これを考えてもうつ病は、決して簡単な病気ではない。

 

 

●効果的な自殺予防対策は?

  さて、そろそろまとめよう。どうやらもっとも効果的な自殺予防対策は、景気対策であるようだ。そしてストレスの少ない社会を作ることと言えるだろう。

 

 

 

ひきこもりや精神疾患者は危ない人たちなのか?

 

●ひきこもりのイメージは?

 さてさて、みなさんは「ひきこもり」と聞いて、どんな映像やイメージを思い浮かべるだろうか?

 

 多くの人は長髪、無精ひげ、汚部屋、一日中ゲームばかりやっている、よくわからないが気持ちが悪いとか、そういったものかも知れない。今年3月末にNHKがひきこもりを特集したとき、あるひきこもり当事者が取材されたときのこと。

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NHKニュース7』より

 ネット上では「これは捏造。ひきこもりにしては小ぎれいすぎる」といったたぐいのヤラセ疑惑がでた。つまりそういったヤラセ疑惑が出るほど、ひきこもりのイメージが、固定化しているということだろう。

 現実では、ゲームばかりする人もいれば、ゲームなどしない人もいるし、部屋の片づけをしない人もいれば、奇麗好きな人もいる。つまりひきこもり以外の人と同様、人それぞれなのだ。

 

●ひきこもりの犯罪率は低いが・・・

 今年5月末に川崎で、51歳のひきこもり者が児童ら20人を殺傷するという事件が起こった。

 その事件の影響で、元エリート官僚の父親が息子を刺殺するという事件が起こった。

 

 立て続けに起こったこの2件の事件で、多くの人は『ひきこもり』=『危険』を感じるかも知れない。

 

 では実態はどうなのか?

 大阪大学井出草平さんによると

 

警察庁警察白書』平成17年度版によると、刑法犯数は2186.6万人で、日本の総人口は127619万人であるので、犯罪率は1.7%ということになる*2。また、殺人以外の犯罪では「暗数」*3と言って犯罪が起こっていても、実際に事件にならないものが膨大に存在しているので、実際の犯罪率は、この数値よりもはるかに高い。

 

一般=1.7%
ひきこもり=0.7%

 

数字から「ひきこもり」と犯罪の関連性が非常に低いことがわかる。むしろ、なぜこれほどまでに低いか?ということが問われるべきであろう。

 (井出草平の研究ノート『ひきこもりの犯罪率』より)

 

 と、ひきこもり以外の人に比べると、かなり低いようだ。まあ、それはそうかも知れない。ひきこもりの人は引きこもっているわけで、犯罪のほとんどは他人と接触することで起こる。

 ひきこもりの人は他人との接触は少ないので、当然、犯罪率は低くなるのだろう。

 しかし家族は接触する。

 元エリート官僚が息子を殺してしまった原因に、息子からの家庭内暴力があり「殺さなければ、殺される」とまで思い詰めていたという。

 精神科医斎藤環さんによると

私の統計では、10%弱のケースに慢性的な暴力が伴い、50%程度に一過性の暴力が伴う。暴力と引きこもりは、親和性が高いと言わざるを得ない状況があります。
朝日新聞『家庭内暴力、止める方法あります ひきこもり問題専門家』より

 

 なぜひきこもりに家庭内暴力が起こるのかというと、私が観てきた中では、やはり本人が家族より責められ続け、そして自分自身でも自分を責め続けてしまい、家庭内にも自分の居場所がなくなり、追い詰められてということが多い。

 家族は、ひきこもり当事者がそこまで追い詰められていることに気が付かないのだ。

 それともう一つ、ひきこもり当事者は、ひきこもる以前に学校や社会、あるいは家族にかなり痛めつけられているからひきこもっており、すでに相当に傷ついているのだ。

 それをさらに家庭内でも攻撃される。

 そうなってはひきこもり者に立つ瀬はない。

 

精神疾患の人は危険な人なのか?

 ひきこもりと同じように、社会的に偏見にさらされているものに精神障害がある。

 今月、大阪の吹田市で警官が精神障害者手帳を持っている男に刺され、拳銃を奪われるという事件が起こった。
 どのような病気であったかは報道されていないが、精神障害や疾患を患っている人や家族は「また偏見が強まるのでは?」と思ったに違いない。

 

 答えからいうと、精神を病んだ人の犯罪は少ない。平成29年版の『犯罪白書』を引いてみよう。

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平成29年版『犯罪白書』より

 検挙総数が22万6千376人に対して、精神障害者等はわずかに4千84人だ。

 

 ここで注意してほしいのは、この4千人の中に『精神障害に疑いのある者』が、1621人も含まれていることだ。

 

『疑いのある者』は、疑いであるから精神障害かどうかわからない人ということだ。

 

 つまり、精神障害者のみの犯罪は全体のわずかに1.1%にしか過ぎない。

 

 精神障害とその疑いのある者を含めたとしても1.8%に過ぎないのだ。

 

 放火と殺人は確かに多いのだが、健常者と比べると健常者の方が多い。

(ちなみに「精神障害者は人を殺しても無罪になる」と思っている人もいるようだが、平成16年の『犯罪白書』によると、心神喪失者と認められた人324人中、一審だとわずかに7人しかいない。)

 

 さらに加えよう、現在精神障害と診断される人は、全国で300万人以上、実に40人に一人いる。

 精神障害は、日本人は生涯だと5人に一人の割合で精神障害になる病気。
 つまり至極身近で当たり前の病気であることがわかる。

 

 これで精神障害者が危険なら、日本中危険人物だらけになる。

 

 いってみれば、刑法犯のうち4~10人に一人は水虫だから水虫患者はキケンというのに等しい(日本人は4~10人にの割合で水虫らしいので、おそらく刑法犯も4~10人くらいの割合で水虫患者がいるんでしょう)。

 

 あるいはほとんどの犯罪者は、犯罪の前の食事が、白いお米か小麦粉で作った食べ物を食べていたので、お米や小麦粉を食べる人は罪を犯しやすいというようなものだ。

 

 

 精神障害にせよ、ひきこもりにせよ、世間では偏見という先入観がある。

 

 精神障害者は5人一人がかかってしまう当たり前の病気だし、ひきこもりはおよそ100万人、精神科医斎藤環さんに言わせると200万人はいるらしいし、社会学者の井出草平さんの研究によると10人一人が経験するという。

 

 つまり精神障害者にせよ、ひきこもりにせよ、誰でもがなりえるもの。それをおかしな偏見で見ないようにすることが、大切なのだと思う。

 

 

 

 

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(私、おぐらおさむが描いた漫画『まり先生の心のお薬研究室』ぜひお読みください)

若者より多い中高年のひきこもり

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(私、おぐらおさむが描いた漫画『まり先生の心のお薬研究室』ぜひお読みください)

 

内閣府が中高年ひきこもりを初調査

 以前からひきこもり支援者や関係者の間で「もはやひきこもりは若者だけの問題ではない。おそらくもっとも多いのは中高年だ」と言われてきました。

 

 そして今回、内閣府がはじめて中高年のひきこもりを調査した結果、15~39歳の推計54万1千人に対して、40~64歳が、全国で推計61万3千人というものでした。

 

 これまで中高年の「ひきこもりは若者の問題」という考えが強かったと思うのですが、それが最近になって8050問題(はちまるごうまるもんだい)が話題にでるようになってきたからでしょう。

 

 8050問題とは、これまでひきこもりやニートの子どもの生活を支えてきた親が80代と高齢化し、子どもを支えきれなくなってきたという問題です。

 

 

●中高年ひきこもりの実態

 ひきこもりに詳しいライターの加藤順子さんの記事から、私が個人的にきになったところをいくつかピックアップしてみると・・・

 

<家の生計>  主に本人が生計を立てているという回答が最も高く、約3 割にのぼった。次いで、「父」、「母」、「配偶者」と続き、「生活保護など」は8.5%、「きょうだい」という回答も6.4%あった。

 

 であるそうです。生活保護がわずか8.5%というのは、自己責任論が強く、ひきこもりや病人、介護等家族のことは、国や行政ではなく家族が面倒をみるという傾向が強いことを表しているのでしょう。

 

<通院や入院経験>  複数回答で、「精神的な病気」を挙げた人は、広義のひきこもり群では31.9%と多かった。一方で、「その他の病気」「あてはまるものはない」と回答した人も多かった。

 

  ちなみに広義のひきこもりではない人の場合、5.6%であったそうです。

 

<ひきこもったきっかけ>  複数回答で最も多かったのは、「退職」。次いで、「人間関係やうまくいかなかった」や「病気」、「職場になじめなかった」が挙がった。

 

 というものでした。

(引用:Yahooジャパンニュース『内閣府調査の中高年ひきこもり「推計61万人」報告で見えた、人は何歳からでもひきこもる現実』より)

 

 

● 批難・攻撃・自己責任論よりも社会的な理解を

 中高年のひきこもりについて、これまで「とにかく働け、それしかない」といった意見が中心であると思います。

 

 ひきこもり支援も、これまで「いかにひきこもり者を就職させるか」の一点張りであったように思います。

 

 しかしいま、中高年のひきこもりの人っていうのは、そういった支援の中で、ずっとひきこもりのままであった人が多いわけです。

 

 つまり支援が届かなかったか、あるいはその支援策が通じなかった人たちでもあるわけです。

 

 私個人の考えでは、1億2千700万人いるこの国で、若者中高年含めてひきこもりの人が100万人以上いるということが、特別異様であるとは思っていないのですよ。

 

 異様なのは、大多数の人々が、こういった問題に無関心であり、無関心でない人の多くが、ひきこもりやニート不登校といった人たちに、支援どころか攻撃的であるところにあるかと思っています。

 

 中高年ひきこもりに限らず、問題解決を個人や家族のみに求めるのではなく、理解できるようになることが必要なのではないでしょうか?

 

 ひきこもりにせよ、社会的に弱い立場になってしまうことは、誰にでもある日突然起こってしまいうることなのですから。

 

 

おぐらおさむ拝