2010-01-25
■[グルメ] 南魚沼 しおざわ こしひかり
日本橋三越の地下にお米やさん「みのり」があります。
この場で白米に精米してもらいます。
ちょっと暖かくなるお米。
これを土鍋や圧力鍋で炊きます。
普段だとミルキーにします。もちもちです。
今週はカレーや鯛茶漬けの気分なのでこしひかりです。
手巻き寿司や海鮮丼なんかだとササニシキにします。
保存は冷蔵庫。
お米が美味しいと幸せな気分になりますね!
(「なりますね!」って…、はてな長い間さぼってたので
ブログを書く感じがつかめません。ごめんなさい〜)
この日は高島屋さんの屋上ドッグラン行って*1、
FAUCHONのきのこのフランスパンサンド *2 と紅茶を買って食べて、
交通会館のザ・博多で梅ヶ枝餅 *3 を買って、
三越さんのGIOTTOでアップルパイ食べて、お米買って帰りました。
あ、アップルパイの写真ある
ちょっとまってね
アイスクリームにかけられているのはカラメル。
甘さ控えめで美味しかったですよ。
食べてばっかり。
2010-01-24
■[音楽] エイドリアン・ブリュー
大好きな King Crimson ですが、車の中でかけるとにゃさんにひっぱたかれます。
Stingさんとか正当派が好きで、先日「たま」のアルバムをかけたところ
↓
EVE "WALL-E"
内省的な曲が多いキングクリムゾン。
昔からのファンはエイドリアン・ブリューが楽しそうに
演奏してるのが受け付けられないみたいですね。
高校生みたい。*1
Larks Tongues in Aspic Part II
1:41のところで明らかに1音失敗してます。
お茶目ですヽ(´∇`)ノ
*1:落ち武者ゆーたらアカン
2009-10-03
■[映画] 天然コケッコー
いつも楽しみに拝見しているブログに感想があったので、
とても気になってた映画。
他人とは少し違ったところに強く好みが現れる時、
世間では「フェチ」って言うのだと思うけど、
こう言い表すとなんだか「変態さん」に近い言葉の感覚もあって、すこし抵抗がある。
言い換えよう。萌えポイント。
そんな萌えポイントが2つある。
一つは女性がマフラーをしたときに、マフラーによって
髪が首に押さえられ、頭の後にある髪が少し
緩んでたわむところ。あれかわいい。
もう一つは学校。それも自分が通ってる学校じゃないところ。
部活の関係でお邪魔する高校とか、田舎を車で走っている時に
一瞬で通り過ぎる小さな中学校。
その校庭や靴箱、体育館へいく渡り廊下。水飲み場。
そんなのをみるとなんだか不思議な高揚感が襲ってくる。
生徒は全く居ない方がいい。
ここで喧嘩も、仲直りも、憧れも、悩みも、誤解も、告白も、
毎日沢山あったんだろうなと想像するとほっこりした気分になる。
上履きが違っていたり、廊下の様子が全然違っていたりして、
ちょっとした異世界だったりするのもいい。
もう、選挙の時くらいしかのぞける機会はないのがとても残念だ。
だから天然コケッコー、すごくよかった。
映画は時間軸で空間をスライスしたものだけど、
この映画は空間の空気感をフィルムに吸い込んでる感じがする。
大林宣彦さんのようなエンターテインメントとは全然違うのだけど、
美術の時間の校庭の水彩画のような余計な緊張を抜いた画がきれい。
あと言葉は大切だね。子供の頃は何度か遠くに引っ越した。
だから、映画の中で話されている方言を脳のどこかが
自動的に動き始めて、自分の中に取り込んでいこうとしてる。*1
夏帆さんって初めて知った女優さん。*2
hayakarさんが「こんな娘(むすめ)が欲しい」と書かれていらっしゃったのだけど分かる気がする。
でも実際に娘や同級生でこんなこがいたら、こっちがへんな緊張して会話できないと思う。
私には鉄子とか腐女子の娘とかの方がまだいい。*3
あ、でも楽器はやらせたい。
家族で合奏できるから。*4
「お父さん、コケッコーなんて見てるの?きもっ」
・・・やっぱり腐女子の娘でいいです。 *5
2009-09-18
■[映画] A Beautiful Mind
フォン・ノイマンが着想したゲーム理論を一般化した数学者ジョン・ナッシュの伝記映画。
統合失調症に苛まれながらもMIT、プリンストンで教えノーベル賞を受賞する。
映画としてはもっと別な撮り方がある気がしてもったいない。
ただ「思索の道筋」には数学者でなくても大変な興味があるところだと思う。
例えば、ワイルズがフェルマーを解く際に、モジュラーを道具に
解決する日々の暮らしにはドキドキする。
その数学者がどういうパーソナリティで、何に興味を持ち、その時どういう心理環境下にあったか。
そしてなぜその道程を選んだか。
もちろん、自伝や講義に触れる方がきっとずっと核心に近いのかもしれないけど、
映画だって、周囲の人々が感じ取った数学者というものが投影されているだろうから、
見る前から見る価値無しとは言い切れない。
印象的だったのは、薬で頭の回転が鈍るので飲まずに取っておくシーン。
私が普段飲んでる血液の薬でもぼんやり眠くなる。
やはり数学や工学の領域の仕事は薬の影響が収まる時にして、
薬が効いている時は事務を中心にしたりと工夫が必要になる。
まして頭に作用する薬ならその度合いも大変なものだろうと思う。*1 *2
アメリカ映画で気になるのは、バーで女性をナンパするところ。
トムクルーズ*3も、リチャード・ギア*4だってやってるあれ。
この映画では、そういうシーンが意味するところをそのままずばりと言葉にしてしまって品がない。
品がないで思い出したけど、ノイマンはやはりどこからみても怪物だなと。*5
しばらく前から何となく、私の残りの人生は、詰まるところノイマンの亡霊と戦わなくてはいけないような気がしている。
それはもう避けられないようだ。*6
指導教授 - You do realize this files in the face of a 150 years of economic theory? *7
ナッシュ - Yes, I do, sir.
字幕では「150年の経済理論を覆す気か?」
そりゃ You do で始めるよね。
もちろん、150年誰も気がつかず、気がついても証明できずにいたわけだから、
ナッシュがいかに途方もないことを成し遂げたかを表現している台詞だと思う。
ただ、当の数学者にしてみれば、何年続いていようが間違ったものは
正しいものに書き改められるだけで、けろっとしたものかもしれない。
ノーベル賞の話をもってくる Austin Pendleton が、これまたいかにもいそうな感じ。
こんな上品なおじさんになりたいものだと思う。
ノーベル賞授賞式にて
病めるとき、全身全霊で支えてくれた妻に向かって
I'm only here tonight because of you.
You are the reason I am.
You are all my resons. *8
2009-08-22
■[読書] 変身 カフカ
断片的に
断
吉田戦車のある漫画におっさんが登場する。
おっさんはおっさんの風体でおっさんとして登場し、
おっさん然とした台詞を吐き、
おっさんとしての役どころを1ミリもはみ出すこともなく、
おっさん以外の者からも十分おっさん対応を受けてその空間において相互作用をし、
おっさんとしてのロールを完全に全うする。
しかし、初見の読者には一点だけ無視しようにも到底無視できないところがある。
おっさんの顔面半分は機械になっているのだ。
その通り、サイボーグである。
おっさんはなぜサイボーグなのか。
なぜ、サイボーグである必要があったのか。
そして、サイボーグであることが全く筋書きに影響を与えないのはなぜか。
そのあたり一切の記述はない。*1
我々、吉田戦車の読者は、さも当然のことのように、
何事も万事平穏、天下太平天晴れのもとに、
時間の歩みとともに歩く。
サイボーグに触れてはいけない?
いや、そうではない。
不条理を先刻承知のものとして受容し、ここではサイボーグであることに疑義を差し挟まない?
それもまた少し違う。注意はこの点で使役されない。*2
もはや一瞥する必要すらないある種の超然とした悟性がそこにあるのだ。
ゆえに私はカフカの変身において、「それ」にまつわる一切の因果、説明の類を必要としない。
読者として放置されても、「で、それが何か?」なのである。
美
これは恐らく、私の個人的なことだと思う。
カフカに呼応してマーラーを右に据えてみると分かりやすいかもしれないが、
内省的な絶叫や陰鬱な絶望などの表現において、文学では心が器質的な実質を持ち、
医師を待たずにコード(言語)によるメスでいくらでも切開できるような気がしてくる。
一方、音楽では、例えばどれだけ無調であっても、ノイズであっても、
美しさの破綻というのがないように思える。
これは個人と音への受容体容量の問題なのだろうか?*3
音楽表現が文学表現に比して狭いからなのだろうか?
文学はグロテスクだ。
変身を読んで身体がかゆくなった。*4
死
「それ」の最期についての記述に惹きつけられた。
意思というものは、それがなにものにもかえられない究極の絶対的存在であり、
「全て」と表現しうる最高価値であるはずだが、
実際の忌の際というのは、安楽椅子でうとうととしていて掴んでいる本が
ばさりと床に落下するときの腕がほどける感じにも似た「諦観に近い項垂れ」のように思う。
その意味で、私にとってはとても現実感があった。







