片田舎で働くシス管の日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-06-08

風俗規制と壊れる情景

風俗も、結構通った。そんなに狂うってほどでもなかったけど。一年ぐらい、もう、明け暮れるように通った。その頃、嫁は居ることは居たけど、そういうことに無頓着な相手だったし、性的な欲求が希薄な人だったこともあって、当然、今よりは元気だった私にとっては、物足りなかったわけだ。


http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090608/crm0906081220014-n1.htm


を読む。今更、こんな事は言うまでもなく、公然の秘密だった事だ。この公然の秘密をグダグダと言うには訳がある。


別に、歴史までひもといて、何かを書くつもりは無い。けれども、「公娼」がいる場所としての「吉原」「赤線」というモノが、社会に良い影響を与えていた事実を消すことは出来ない。事実、それらが解体された結果、より巧妙な売春行為が増加したことは事実である。その解決に掛かった労力は決して安いものでは無かったはずだ。それまでは、男性側も、「公娼」が認められているのであれば、そこを利用したのだ。


さらには、男性の好みも変わってきたのかもしれぬ。例えば、風俗経験のある人なら、かなり有名だが、熊本県の風俗街は、地方にありながら、非常に有名で、通称「お仕事系」などと呼ばれる。これは女性の粒が揃っているだけに限らず、女性に対する教育が行き届いており、サービスも充実しているということである。素人の女性なら、躊躇するような事であっても、そこは仕事でもあるという割り切りか、教育の賜物か、確実なサービスを受けることが出来ることで名高い。しかし、それよりも、それらのプロとしての仕事、サービスよりも、「若さ」のみが、価値として認められつつある昨今では、中高生や小学生が性行為を行ったビデオすら、売られている始末。フェミニストから言わせれば、


「男性の自信の無さの現れであり、幼い対象を自分の意のままにすることによって、支配欲を満たす行為である」


とか言うんだろうと思う。まあ、そういう面も否定しないし、


アニメやゲームにおけるご都合主義的な展開を現実世界にそのまま置き換えてしまう」


とか、まあ、最もらしい物言いなんぞ、いくらでも出てくるわな。しかしだな、そういうことではなくて、この一種の幼児偏愛の最も大きな現況は「少子化」なんじゃないのかなと常々思っていて、核家族化し、一人っ子が多かったりすると、歳の離れた子供の子守りをする体験なんて無いだろうし、逆もまたしかりで、歳の離れた兄弟と一緒に何かをするという経験が格段に減るわけだ。その経験の無さが、常識では考えにくい「幼児性愛」みたいなモノに繋がっているような気がしてならない。しかし、それらも含めて、「公娼」「赤線」を封じた結果じゃないかと思う。「公娼」「赤線」に、年上の兄弟や親戚、会社の先輩が後輩を連れて行く事はそれほど珍しい事では無かったと聞く。この行為を善悪で判断してはならない。素人と婚前に行為をした結果としての「堕胎の増加」「性病の蔓延」など事態は悪化したではないか。正しい知識を持った人による「てほどき」はある程度は必要な事に私は思える。これらも含め、全ては、国や地方公共団体などが自らの手で起こした始末であり、その始末(不始末)を受けて、民間の多くは、「疑似公娼」とも言うべき、多くの形態の風俗店舗の業態を確立したのだ。その尽力を踏みつぶす行為だと思う。取り締まるよりも、法規制の方向を変えるべき事態じゃないかと感じる。


話が逸れた。別に、風俗店全てをかばう訳でも、認める訳でも無いけれど、全てが十把一絡(じゅっぱひとからげ)に悪いという事は無いはずだと言いたい。さて、本題。このような公然の秘密とも言うべきことを、今更に、取り締まるのは、東京オリンピックを招致している運動によるのだと思う。同様に、東京オリンピックによって、東京の街が大きく変貌したというのは、よく聞く話だけれど、二度目のオリンピックで、再び、安定しつつあった東京を壊してゆくのかと思う。


「東京」という歌がある。マイペースというグループが歌っていた。私もほとんど記憶にない、今のネットユーザのメイン年齢層は、聞いたことしか無いと思うが、


最終電車で君にさよなら

いつまた逢えると聞いた君の言葉が

走馬燈のように巡りながら

僕の心に灯をともす

何も思わず電車に飛び乗り

君の東京東京へと出かけました

いつもいつでも夢と希望を持って

君は東京で生きていました


東京へはもう何度も行きましたね

君の住む 美しい都

東京へはもう何度も行きましたね

君が咲く 花の都


という歌だ。ある時代、東京に行けば、何とかなるんじゃないかと思う若者は多かった。その多くが夢破れて故郷に帰る。これは、「金の卵」と言われた集団就職列車時代後期から、それが廃れていく時期の話である。今の五十代から、六十代の人々の話だ。東京オリンピックの時に、物心ついていて、東京に住み暮らしていた人々が懐かしむ様に、我々の世代まで脈々と続いた。


「上京すれば何とかなる」

「上京して大物になりたい」


という「夢」(一睡のかもしれない)が、大きく消え去って行く。今回の風俗検挙がその始まりの様な気がしてならない。九州の片田舎から、様々の事情で上京し、一定の仕事をし、経験をし、挫折もし、泥も被った。けれど、どれ一つとして、後悔はしていない。全ては自分の起こしたことであり、全ては自分の血肉となり、糧となっている。


そんな場所が壊れてゆく。昔を懐かしむのは、歳をとった証左だというけれど、別に、歳をとらなくても、昔を思い出すことぐらいはある。今の早まった代の流れでは、「十年、ひと昔」どころか。「数年、ひと昔」でも間違いでは無いのだから。

今頃、梅田望夫という人のインタビューについて書くよ。

さて、


http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/01/news045.html

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/02/news062.html


と二つのインタビュー記事を読んでみた。岡田有花が、「ゆかたん」だろうが、「IT戦士」だろうが知ったことでは無いが、この梅田氏のインタビューには、見るべき所があまりにも無い。


はてブのコメントに、


「やめて、望夫のHPはゼロよ」


だとか、書かれてたけど、多分、本当にゼロに近いんじゃないかと思う。当人は、コンサルティング投資の二つをメインに仕事をしている人なのだろうけど、基本的には、コンサルティングに関して言えば、一定規模を持たない会社にとってのコンサルティングなど不必要なモノだと、私は思っていて、一人一人の労働効率が四割を切るような場所では必要だと思うんだが、中小企業の場合はそんなことは無くて、ほとんどの人がそれなりに仕事に追われている。


そんな中で、彼らが言うことは、原理原則に照らした理想論なのであって、現場に則したスタイルを作れるコンサルを見たことがない。コンサルの人々はお勉強は出来るのかも知れないが、実作業においては、役立たずになる場合が多いように思う。梅田氏がそうだとは言わないが、大きな目で見て、コンサルタントという職種(人種と言い換えるのもありか)は、私にはそのようにしか見えないのだ。氏の著作も読んでいるが、彼の書いた著作に「慧眼」である事を感じたことはほとんど無くて、他の多くの人々が書いた「集合知」を整理しただけにしか見えないのだ。それは「勝間本」にも同じ事が言えて、実際に、彼女が努力もして、成功した事は認めるが、彼女の言うことも単なる理想論であって、努力をし、高収入を得て、家事などの労働を外部へアウトソーシングし、さらに、色々な知識や技術を身に付けていくという上昇が出来る人が世の中にどれだけ居るのか、解って書いているのかを問いたい。または、それが解って書いているなら、実用本として売るべきではない。なりたい自分がそこに描かれているから、読んでいるのなら、それはフィクションを読んでいるのと変わらない。


"毎日、仕事と家事に追われて、働いても残業代も出ないと嘆いている私"


が、


"高収入高学歴で、スタイルも良く、イケメンで、家柄も良く、誰からも愛される素敵な彼を手に入れた私"


という、妄想を抱いているという図式にしか私には見えない。それなら、良質な恋愛小説でも読めば良いと思う。唯川恵(私はそれほど好きじゃないが)とか、藤田宣永とか、恋愛小説の上手はいくらでも居るじゃないか。その方がなんぼかマシだ。


話が逸れた。その「集合知」を整理して書いただけの氏が当人に高いクリエイティビティがあると思われた所に悲劇があって、今までの著作を見る限りにおいて、彼から、コンサルという職業(人種)の臭いしかしてこない。


私ははてブのコメントに


「完全に潮流を外れたな」


と書いた。これは当人が世の中の流れについて行けなくなっているという意味でもなくて、集合知を整理する能力にもかげりが見えるという事でもある。


はてな」の取締役であることに関する非難もあるようだが、別に、彼が「はてな」の取締役だからといって、自社のサービスに意見を言って悪いということは無い。別に、言えば良いと思う。満足行かないのなら、そういえば良く。その後、自分の思うところにそのサービスを向ける努力をすれば良いというだけの話だろう。全てが、「YES」の組織ほど脆いモノは無いのは、自明だろうとも思う。


多くの人が、見誤っただけなのだ。「コンサル」は「コンサル」でしか無いということ。そして、ネット上での情報が、蓄積され、正誤も曖昧な情報が溢れている時に、それを整理した氏を慧眼の持ち主であると。