小学校笑いぐさ日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2007-12-16

70年代の児童文学について。

先日来続行中の、本のpdf化作業。

 

色々悩んだんですが、すでに定年された先生から頂いた本もpdf化することにしました。

頂き物を裁断機にかけるのは実に気が引けますが、捨てるわけではないし……。

 

「彼らは死ぬのではない、永遠になるのだ!」

うう。

 

それらの本の中に、「日本子ども文学 四年生」(東京私立初等学校国語研究部文学研究会:1971)という本がありました。

f:id:filinion:20071216201535j:image

 

わりと古い本ですが、なにしろ最初に載っているのが

 

「ひとつの花」(今西 祐行)

 

「ゆみ。さあひとつだけあげよう」

 

うわーん。

すでに泣きそう。

 

(ちなみに教科書に載っている文とちょっと違う)

 

その他にも、

キリン」(まど みちお)

「モチモチの木」(斎藤 隆介)*1

と、後に教科書に採用される名作が。

 

さて。

 

そんな作品の中から、一つをご紹介したいと思います。

 

塩川先生」(宮口 しづえ)

です。

このお話は、わたしの三年生、十さいぐらいのころだったでしょうか。そのころ、わたしたちは塩川先生という、となり村からかよってくる先生に教わっていました。

いつももめんの手織の着物を着て、パンパン音のするような、はかまをはいていられました。*2

「パンパン音のするような」はかま、というのがどんなものか、すでに現代っ子の私には理解できないのですが。

(よくのりのきいた、といった意味でしょうか?)

この辺が、本作が現在あまり顧みられない理由かも知れません。*3

 

さて。

 

先生がある朝(略)いつになく下のほうを向かれていて元気がありません。

 

どうしたどうした。

 

「きのう、わたしの小さいころからなかよしだった友だちが、遠い満州へいっていて、七年ぶりで帰ってきて、たずねてきてくれました。

 

満州とか。

 

いろいろと話しているうち夜もふけたし、それに友だちはお酒が大すきだったので、ごちそうしてあげるつもりで、わたしはあまりのめなかったけれど、友だちにすすめるうちに、ついたくさんのんでしまい、けさ学校へくるのがやっとでした。

こうやって、みんなのまえに立っていても、頭がいたくて、ふらふらします。

 

二日酔いかよ!

台詞が妙に言い訳がましいぞ、塩川先生。

 

すこし休んだら、じきによくなると思いますから、ここでしばらく休ませてください。

みんなは、おとなしく国語のかきとりでもしていてください。

 

……って、おい!

 

それで塩川先生、教室の板の間にごろ寝してしまってですね。

 

子どもたちはみんな、びっくりしながらも黙って書き取りを始めるんですが。

で、まあ、先生が寒そうに感じた子どもたちが、みんなで自分の着ていた羽織を先生にかけてあげて、目を覚ました先生が、涙ぐんで

 

「ありがとう。あとがとう」*4

と、くりかえして、おっしゃいました。

 

という、「いい話」で終わるんですが……。

 

いや……。

 

教室で寝るな。

 

ていうか、授業できないほど具合が悪いなら教室に来るな。

 

ちなみに、巻末の「読書の発展のために」によると、これを書いた宮口しづえ氏は、一九○七年生まれ。昭和二年師範学校を卒業し、小学校に勤務。……だそうです。

 

教職経験者が書いた話かよ。

 

……たかだか30何年前に出た本なのに……。

 

現代では考えられぬお話だなあ、と思いました。

 

ちなみに裏表紙。

f:id:filinion:20071216210826j:image

 

現代では考えられぬ。*5

*1:ちなみに「モチモチの木」では、豆太の内心の声が、
―イシャサマオヨバナクチャ!
になっています。
 
光村の指導書によると、これが本来の形なんだとか。
 
絵本出版にあたって、編集者がこれを
「イシャサマ
と直したら、
「豆太の動転した様子を表すには“オ”でなきゃだめなんだ」
と、作者が怒った、というエピソードが載っています。
 
でも教科書では「を」。

*2:改行引用者。以下同様。

*3:「ごんぎつね」の「赤い井戸」だって、一読して意味がわかるとはとても言えないですが。

*4:原文ママ。

*5:ちなみに、ウサギ人食い土人槍を持った人も、収録されたいずれの作品中にも登場しません。