感想文:「神国日本のトンデモ決戦生活」を読んで。

靖国神社」というと、「戦没者(だけではないけど)を神として祀っている神社」というような認識がたぶん一般的だろうと思います。
 
 そこに、「A級戦犯合祀」というようなワードが出てくる方もいるだろうし、
「戦前、戦中には、“戦死者は靖国で日本を守る”というのが政府や軍に利用されたんだよね」
 という方もいるでしょう。
 
 で、その「利用」とは実際のところどんな感じだったのか。
 その一端を垣間見ることができるのが本書といえます。

神国日本のトンデモ決戦生活 (ちくま文庫)

神国日本のトンデモ決戦生活 (ちくま文庫)

 本書は、太平洋戦争下における戦意高揚を意図した宣伝の類いを、出版物から例証していくものです。
 
 この本自体のオススメ度は……星3つくらいですが(後述)、挙げられている資料はたいへん興味深いので、いくつかご紹介したいと思います。
 

靖国作文コンクール

 
 正式名称は「靖国神社の英霊に捧げる文」。
 
 主催は大日本雄弁会講談社(現在の講談社)。
 募集広告は、大日本雄弁会講談社発行の人気雑誌、「少女倶楽部」「少年倶楽部」「幼年倶楽部」に一斉に掲載。

(画像がイマイチ綺麗でないのは勘弁してください。スキャンした時には、こうして紹介するつもりではなかったので……。実際の本はもっと鮮明です)
 
 応募総数1万3968名といいますから相当に盛大なものです。
 
 主催は民間の出版社ですが、後援は陸軍省海軍省、軍事保護院。
 軍と政府、そして靖国神社の密接な協力があって実施されたコンクールです。

 一人一遍、一九○○字以内で、冒頭に「奉納文」という文字を必ず入れるようになっている。
 これは、応募されたすべての作品を「靖国神社の英霊の御前に献納」するためだった。
 今も靖国神社のどこかに、すさまじい作文の山が保管されているかもしれない。

(改行は一部引用者による。以下同じ)
 
 実施企画書によれば、

 この綴方募集の目的は、少年少女達が、その感想を綴ることによって、靖国の英霊に対する感謝の念を深めると共に、ますます愛国心を奮ひ起し、少国民としての尽すべき道を自覚し、以て次代の日本をつぐべき大責任を体得せしめることにあります。

 とのこと。
 
 このコンクールで見事「優等」になった3名のうち、国民学校初等科1年、南雲恭子さんの作品が掲載されているので引用したいと思います。
 国民学校初等科は、現在の小学校にあたりますから、恭子さんは6・7歳。
 戦争で父親を亡くされた、戦争遺児ということになります。
(なお、カタカナを平仮名に改めました)

 おとうさま、恭子はおとうさまにおてがみをかくのがうれしくてたまりません。
 おとうさまが、とほいせんちでなくなられてから、もう七ねんもたちます。……
 早く大きくなって、おかあさまのおてつだひをしたいとおもひます からだがよわいのでもっとぢゃうぶにして、をんなのへいたいさんになって、おとうさまのかたきをうちます。
 さくらがさくと、おかあさまが、やすくにじんじゃにつれていってくださいます……さくらがさいたら、おとうさまに、おめにかかれるのをたのしみにしてをります……
 さくらのさくまで、さやうなら。

「お父様が遠い戦地で亡くなられてから七年」ということは、恭子さんは父親に会ったことがほとんどないわけです。
 当時はよくあったことかも知れませんが、やはり悲劇というほかありません。
 
 恭子さんが父親を失ったことについて、軍と政府は多少なりとも負い目を感じるべきだと思うのですが……

 この南雲恭子さんと「優等」に選ばれたもう一人の男子は、同年四月四日、靖国神社で行われた「靖国神社の英霊に捧げる文」献納奉告祭に参加、神殿に向かって作文を読み上げ、列席した軍人たちを感激させた……と、「少女倶楽部」昭和十九年五月号は伝えている。
 当時の靖国神社宮司・鈴木孝雄予備役陸軍大将に面会し
「からだの丈夫な、心の清らかな良い日本人になるように」
 というありがたい訓示も頂いた、という。

 ……靖国の予備役陸軍大将とその他のえらい軍人さんたち、女児に「女の兵隊さんになって、お父様の仇を討ちます」とか言わせて悦に入ってていいんですかね。

 ちなみに「優等」の賞品は、「勉強机」と「額入靖国神社の写真」。
 次点の「秀逸」は「硯箱」と「靖国神社の写真」であった。

 写真ェ……。
 
 もちろん、21世紀の日本でも、
原子力ポスター、小論文・作文コンクール」http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/06/attach/__icsFiles/afieldfile/2010/06/21/1294983_01_1.pdf
 などというものが行われていましたし(現在は中止)、総務省主催の「人権作文コンクール」も、入賞作品の偏りを指摘する声はあります。*1https://togetter.com/li/221711



 しかし、まあ、雑誌媒体で募集広告が出て、盛大な授賞式(献納奉告祭)の模様が同じく雑誌記事になって、入賞作品が全文掲載される、というのは、破格の扱いと言えるでしょう。
 

「息子さんの戦死おめでとう!」

『聖戦下の式辞と挨拶集』(青年雄弁奨励会編、文英堂、昭和十四年)では、「慰霊祭における戦友の弔辞」「戦没陸軍将士を弔ふ辞」「戦死海軍英霊に献ぐ辞」「青年団代表の弔辞」「村民代表の弔辞」などなど、演説例が豊富に準備されていた。

 弔辞なのに「演説」とはこれいかに。
 その内容とは。

……殊に御老母は御子息の出征以来、日本人の身体は天皇陛下に捧げたものだ、名誉の戦死を遂げることは、日本人の誇り、男子の本懐であるといふ意味のことを、常々隣人の方々に話されてゐたと承っては、尚更ら、私はその御心中を恐察して哀切の感に堪へぬのであります。……
 我が帝国が今日、世界の列強と伍して、一歩も遜色のない国家となりました蔭には、幾多の尊い忠臣義士の人柱が建てられてゐるのであります。今後も亦一旦緩急あらば相当の犠牲者を必要とするのでありませう。

 あっ、これは演説だわ……。
 
 それにしても、息子を失った母親を前に、
「これからもまだまだ死ぬよ! お国のためにそれが必要なんだよ!」
 っていうのが、「模範的弔辞」扱いであったという……。
 
 この「演説」を前に、遺族側も、表立って悲願にくれることが抑圧され、「模範的遺族」として振る舞うことを要求される構造だったのであろうなあ、と思います。
(遺族側の「模範的応答」の例もありますがそれは買って読んで頂くとして)
 
 はたまた、女性誌「婦人倶楽部」付録「すぐ役立つ問答式 新実用お作法」より「戦死者の遺族には何と挨拶したらよいか」。

 此の度は、××さんには勇ましい御戦死を遂げられまして、洵にご名誉なことと存じます……やがて護国の神として、靖国神社にお祀りされるご名誉を担はれますことゝ存じます。
 折角お身体を御大切に遊ぱしますやう。

 この場合、日本における一般的な葬祭儀礼についてわれわれが学んできたような、
「このたびはご愁傷様でございます」や「さぞやお力をお落としでございましょう」といった、なぐさめの言葉は強い禁忌とされている。
 その理由として同書では、

 本来、国家の為に戦死したのですから、軍人の本望であり此の上ない名誉で、「お目出度う御座います」といふのが、一番個人を讃へることになります。…

 ……本来、死ぬために戦争に行くわけではないのだから、戦死自体は「軍人の本望」ではないはずなんでは……と思うのですが、それを「死んでおめでとう」にするのが靖国の力なわけです。
「死ぬ=おめでとう!」
 なのであれば、幼女の父親を死なせたことにだって、何ら良心の咎めを覚えるいわれはない。
 戦争を指導する側からすれば、安心してじゃんじゃん兵士を戦死させることができるし、実際そのようになったという……。
 

靖国の子」……戦争遺児を訪問し「父の慈愛」扱いされる東条英機首相。
 いやいや「本当の父」の方はなんで死んだのかと。
 
 銀河英雄伝説(作者の主張はあんまり好きじゃないんですけど)で、自国の戦死者遺族から
「お前のせいで息子が死んだ」
 と非難されたヤン・ウェンリーは、
「軍人の仕事は、結局はいかに効率的に味方を殺すか、ということに過ぎないんだ」
 と自嘲するわけですが(うろおぼえ)。
 
 もし非難されるのではなく、目をキラキラさせた戦争遺族たちに
「母として息子の命はお国に捧げたのです! もう一人の息子も軍人です!」
「私も兵隊さんになってお父様の仇を討ちます!」
 とか口々に言われたら……舌をかみ切っていたかも知れんですよね。
 

「僕たちも英霊の後に続きます!」……と言いなさい。

 
大東亜戦争小国民の常識」……国民学校生徒の上級試験の受験参考書であり、口頭試問の模範解答として作成されたパンフレットである、とのこと。

問:護国の英霊をお迎へした事がありますか、その時どんな感じを持ちましたか。
答:お迎へ申した事があります。元気に勇ましく出征なさった勇士が、今護国の神として無言の凱旋をなさるのかと思ふと大変おいたはしい感じで、胸のふさがる恩ひが致します。
 護国の英霊に対して、どんなに感謝しても感謝しきれない心で一ぱいになると共に、私達もきっと御後を守って米英撃滅に全身を捧げます事を御誓ひ致すのであります。

問:特別攻撃隊真珠湾攻撃の特殊潜航艇隊。いわゆる「九軍神」のこと)のお話の中でも、どんな所に一番感激しましたか。
答:大君の為に一命を捧げ、生死を超越して敵地に飛込まれた事に感激しました事は勿論、特に九勇士の方々が共に親孝行な方であって、少年時代からすぐれた考へを持って見えた事や、特に特殊潜航艇が岩佐中佐以下の万々が心血を洗いで立案された新武器であった事等涙のこぼれる様な心持が致します。

この想定問答集が怖いのは、「常識」はもちろん、模範的「感想」までも子どもたちに叩き込もうとしているところだ。右の真珠湾特攻への模範「感想」なぞその好例

 道徳の教科化。
 
「死ぬのは名誉」→「ボクたち小国民もそれを模範にしよう!」という「正しい」感想を抱くよう要求されていた、という。

 

戦没者遺族を靖国神社・東京観光に無料でご招待!(ただし……)


 靖国神社戦没者を合祀する「招魂式」、ならびにそれに続く「臨時大祭」には、各地から戦没者遺族が招待されたとのこと。
 筆者は以下のように書きます。

 日本全土はもとより朝鮮・台湾などの植民地や満州国から、戦没者遺族たちが招待された。
 臨時大祭を克明に記録した「靖国神社臨時大祭記念写真帖」(陸軍測量部撮影)を見ると、大鳥居から神門を抜けて拝殿前まで、玉砂利の上にむしろがしきつめられ、遺族たちがその上にびっしりと正座している。
 初日から雨にたたられた昭和十七年秋の臨時大祭では、遺族たちが紋付き・袴をびしょ濡れにしたままかしこまって正座しているという、かなり悲惨な写真が残っている。
 こんな状況であるにもかかわらず誰も文句を言う者がいない……、靖国の霊的権威力とは恐ろしいものであると感嘆した。
 全国から参列した遺族たちには宿舎があてがわれ、東京見物などもセットされていた。
 遺族慰安所として、歌舞伎座明治座・有楽座・帝国劇場・東京宝塚劇場などが開放されて、遺族たちはお芝居を楽しみ、皇居・二重橋から神宮外苑・絵画館に明治神宮など、お仕着せ東京観光コースを巡ったようだ。

 単に式典に参列するだけでなく、東京観光もセットであったと。
 
 ……もっとも、「外出の際は必ず大日本婦人会員の案内で行動し、一人で勝手に出歩かないこと」だそうなので、あまり楽しい東京観光ではなかったんではないか、という気も……。
 北朝鮮観光に行くと、政府の観光ガイドが常時張り付いていて、決して単独行動させてくれない、という話を連想するなど。
 
 ともあれ、政府による「ご招待」ですから、交通費は政府負担。
 内地で印刷された乗車券が、時には航空便まで使って、台湾やら満州やらまで配送されたという……。
 大東亜共栄圏すごいですね。
 ……電子メールもFAXもない時代とはいえ、もっと地方分権的な方法はなかったんですかね……? 
 
 それがなかったのです。

 昭和十六年四月十七日付の、警視庁警務部長発、外務省東亜局長宛のこんな文書がある。

 靖国神社臨時大祭参列遺族ノ身元調査方ノ件照会
来る二十五日靖国神社臨時大祭執行に際し之に参列する遺族(満州国中華民国在住者)の身許調査に関しては曩に陸軍省副官より御照会有之候事と存候も右調査の結果に関しては警衛上注意を要する者の有無とも(若し有之節は其住所、氏名、年齢並其の内容を具体的に)直接当方にも御通報相煩度此段及照会候也。
(略)
一、素行上注意を要する者に非ざるや
1、精神病者に非ざるや
2、平素不平不満を抱懐し居り上書建白等の惧れなきや
3、其他警衛上注意を要する者に非ざるや
二、遺族に対する賜金を繞り家庭紛争議等を起し悪化し居るものにに非ざるや

(文書中のカタカナをひらがなに改めた)
 
 いくら「誉の遺族」と持ち上げていても、実のところ大日本帝国が遺族たちに向けるまなざしは、これほど猜疑心に満ちたものであったことがよくわかる調査項目である。
「遺族に対する賜金を繞り家庭紛争議等を起し悪化し居るものにに非ざるや」などと家庭の秘部まで調べ上げよというのだから、おそるべき警察国家というほかはない。
 この要請に基づいて在外公館は、現地警察を駆使して、外地から参列する遺族の身上調査に狂奔した。

 ……靖国神社に参列する遺族の方が一様に「模範的」遺族で、雨の中、紋付き袴で玉砂利の上に正座させられても文句を言わないのは、そもそもそういう人間だけを抽出し、
「美しい靖国」「美しい英霊の親族」
 を、国家を挙げて演出していたからなわけです。
 
 家庭内の調査、というのもなかなか恐ろしい話ですが、個人的には、
「平素不平不満を抱懐し居り上書建白等の惧れなきや」
 というのが心に残りました。
 
 田中正造
「お願いがございます! お願いがございます!」
 みたいなのが紛れ込んでいたら台無しですからね……。
 
 こう……やっぱり北朝鮮の、首都・平壌には「核心階層」に属する政治的に忠実な市民しか住めない、という話を連想したり。

靖国の社頭に聴く」はいいけど、
「よね子か、よくきてくれたね。兄さんは喜んでゐました」
 って、誰に聞いた誰のコメントなんだろう……。
 

業務災害は反逆です、市民。

 
 お国の為に身命を投げ出すのは、もちろん戦地の兵隊さんばかりではありません。
 銃後の産業戦士もまた同様なのであります。
 
 国家総動員法の施行に伴い、未熟練労働者が大量に工場に送り込まれた結果、現場では事故が多発することになりました。
 これに対して発行されたのが、「戦時安全訓」(武田晴爾:産業経済新聞社

 ああっ、産経だ!(他意はありません)
 
 その前文。

 われわれの生産成績如何が、皇国の興廃を決定するのに重要なる要素であることが、はつきりわかつてきた今日、われわれは最早銃後の人と云ふが如き生ぬるい思索を追ふてはならない。
 日毎の職場を決戦の新戦場と念じ、必勝の戦略を練つて不敗の生産を戦ひ取らなければならぬ。
 此の目的を達成するために最も必要なることは、精神力の昂揚である。大和魂にみがきをかけて生産戦を戦ひぬくことである。

 ……ちょっと待って、「安全訓」のはずなのに、「精神力の昂揚」「大和魂」で生産成績を上げよう、って話が前面に来てるんですが。
 
 いや、もちろん安全の話も出てくるんですけど。

 生産職場の安全を希ふ心は、日本に於ても昔からあつた。
 職場に注連縄を帳りめぐらし、もろもろのつみけがれを払ひ給へ清め給へと神に折る心、魔除けの神符を招じて職場にことなきを念ずる心は、古来からの日本の習慣であつた。

「古来からの安全対策」の例として出てくるのが注連縄と魔除けの神符……いやそれ絶対他にもっとマシな例があるはずだと思うんですが。

 米英の安全運動は、もちろん米英の個人思想国家に生長したものであるから、其の底を流れて居るものは、個人主義自由主義である……
 彼等が安全を説く根底は、正邪善悪に非ずして損得利害である……
 此のやうな如何にも低俗幼稚にして悪どい考へ方は絶対に日本の国柄には合はない。

注意:「自由主義」は罵倒語。
 
 ああ……でも、「自分の利害を考える従業員は低俗。日本の国柄には合わない」とかいう経営者、今でもたくさんいそう……。

 われわれの身体は自分勝手に自由にしてはならない陛下の臣民であり、建物設備も機械装置も、事業主のものにして事業主のものではない。
 すべてが陛下に帰一し奉るべきものである。
 若し不注意や過失で災害に身を傷け、設備を破壊したり焼失したりするやうなことがあれば、臣子として申し訳なき不忠である。
……かく考へると、明らかに諸君の身体は、諸君の身体であり乍ら、面も諸君の身体ではない。戦ふ日本国家の身体である。

 職場で事故を起こすのは「不忠」。
 国民の身体は国家の身体……。やっぱり主体思想じゃないか!
 
 公地公民制は奈良時代に廃止されたかと思いきや、大日本帝国では生きていたというですね……。
 

極楽往生する奴は反日

 
「忠霊公葬」論、というのがあったんだそうです。
 
 当時、明治十五年に出された内務省通達により、神職は一般に葬儀への関与が禁止されていたとか。
 
 これに、当時の「愛国」人士が「戦死者の公葬は仏教式ではなく神道式で行うべき」と主張していたという……。

「忠霊公葬」論の急先鋒、大東塾の影山正治は、次のように書いている。

一、聖職奉公のための戦死は生命奉還である。畏こみて大君の辺にこそ死ぬるのである。死して忠霊なほ大君の辺にまつろひ、以て無限に皇運を扶翼し奉るのである。
 若しその霊を阿弥陀仏に托して西方十万億土に送り、釈迦仏に附して彼岸極楽に送りやる如きことあらば、忠死の根本否定であり、忠霊の致命的冒涜である。
 肉体の生命は至尊に捧げるが霊魂の生命は天津日嗣以外に捧げると言ふのでは忠節どころか、恐るべき国体叛逆の大罪である。
 この様な相対忠は絶対に否定されねばならぬ。これでは断じて「天皇陛下万歳」にはならぬ、即ち「天皇機関説」の極致にほかならない。

「陸軍葬再論」「忠霊神葬論」(大東塾出版部、昭和十七年七月)

注意:「天皇機関説」は罵倒語。
 
 ……天皇機関説ってそういうのでしたっけ……?
 
「24時間死ぬまで働け」
 どころか、
「死んでも靖国で護国のため永久に働け。極楽に行くのは国体叛逆の大罪である」
 という恐怖のブラック国家。
 
 靖国に行くのが本当に恩寵なのか、死んでも解けない呪いなのかわからなくなってくるんですが……。
 

まとめ

 
 もちろん、靖国の思想が戦死を賞賛するものであり、それが国家によって利用されていた、ということは、わりあい一般的な知識だと思います。
 
 しかしながら、その「利用」というのは、単に靖国神社の境内や、当時の軍人・政治家の発言に登場していた、という話ではありませんでした。
 靖国の思想は、子ども向けの雑誌や女性向け生活雑誌、業務災害防止マニュアル等々、ありとあらゆる表現に浸透し、国民生活を覆い尽くしていたのです。
 その狂気の片鱗を覗くことができる、という意味で、本書は大変興味深いものです。
 
 一方で、今回挙げたエピソードの中にも、それを狂気として受け止めず、
「戦前の日本人はこんなに愛国的だった」
 等々と持ち上げる人がいかねないのでは……と感じざるを得ない現在の日本でもあります。
 
 靖国というと、公的参拝か私的参拝か、とか、A級戦犯の合祀、といった話ばかりがクローズアップされますが、じゃあA級戦犯分祀すれば政治家が参拝してもOKなのか、というと、全然そうではなく。
 むしろ、A級戦犯が英霊扱い、などというのはわりとどうでもよいことであって、
靖国を讃える人々によって、私やその次の世代が『英霊』にされる日が来るのではないか」
 という怖れこそが本質ではなかろうかと思います。
 
 靖国参拝に反対すると、
「戦死者の慰霊をして何が悪いんだー!」
 とおっしゃる方が必ずいます。
 
 もちろん、戦没者の慰霊をするのは悪くないのです。
 しかし、靖国神社には、「それ以外」の意味があるのですよね……。
 
 個人的には、国立の慰霊施設の建設が実現すれば良い、と思っているのですが……当面望み薄、といった感のある昨今です。
 
 さて、
「お前どんだけ引用してんだよ」
 と思われたかと思いますが、これは本書のごくごく一部に過ぎません。
 
 今回、特に靖国に関わる部分を挙げましたが、本書は「皇国プロパガンダ」全般を扱った本であり、内容は靖国にとどまりません。
 
アメリカ人をぶち殺せ!」等のスローガンがページごとに刷り込まれているという、雑誌「主婦の友」。
「結婚委員」を委嘱し、二十五歳以上の未婚男子と二十三歳以上の未婚女子を「一掃」することを決定した、という、大日本婦人会土浦支部
 昨今の「外国人が見たスゴイ日本」系番組を彷彿とさせる、「イタリア大使館付き陸軍武官の愛娘・フランチェスカちゃん(ファシスト少女団所属)」の日本文化体験記事。
 市営バスの前面に掲げた日の丸が外れて落下した際、とっさに拾おうと飛び降りてトラックにはねられて死んだ女性車掌が「美談」扱いされ、歌やら16ミリ映画やらが作製された……というエピソード(奉安殿の火事で校長が焼死した話は知ってたけど、日の丸かよ……)。
 靖国の妻(戦争未亡人)が、「女性の詰らぬ劣情や、一時的の感情に左右されて」再婚しないよう「日本婦徳」を守ろう、というパンフレット。
 
 ……など、素敵な内容の数々。
 
 ……なのになんで「オススメ度は星3つ」とか書いたかというとですね。
 
 著者の文章、上で引用を避けた部分の書きぶりが。
>少年少女が「涙のこぼれる様な心持ち」なんて答えるのだから、靖国フェチの人びとはたまらなく萌えるのであろう。
 とか、
大日本帝国の通信インフラは神がかりのアホ文書であふれかえっていたのだろう。
 とか、
>子どものあごに手をかけグッと上に向かせるのは、太りぐあいと血色を凡る「人買いの品定め」ポーズ。まるで、出征したお父様の生き血を啜った現代の山椒大夫に、女の子が品定めをされているようです。
 とか、いちいち扇情的な文章が多くてですね……(人のことは言えない、という話もありますが)。
 
 挙げられた資料は、それだけ見ても充分狂気が伝わってくるものばかりなので、あえて煽っていただく必要はないんではないかな……と思うのですが、元々が雑誌連載だった文章をまとめたものだ、というので、そう考えるとまあ腑に落ちるかな、と……。
 ともあれ、買って他人に勧めるには難しい本です。
 
 しかし、この記事を読んで「興味深いな……」と思われた方にはオススメかな、と思います。
 

 コタツやあやとり、水墨画を珍しがるフランチェスカさん。
 あれ、これこの前テレビでやってたような……(錯覚)。

*1:実のところ、人権作文の方が出品数は遥かに多い。学校経由で半強制的に集めてるから