Hatena::ブログ(Diary)

Stay hungry, Stay foolish!   ―fwdの読禅的空間

 

2011-12-30

ハゲを愛する人のためのブックガイドーハゲを取り巻く世界

03:14

寒い季節になって来ました。

ええ、いよいよ寒いです。

個人的にはマンチェスターユナイテッドがCL決勝トーナメントに進めなかったのは、ルーニーが植毛なんてふざけたことをしたからだと思っています。


最近いよいよヤバくなってきたから、

ということではなく、最近またハゲを取り巻く環境に興味を持ち始めています。

というわけで、ハゲを愛する方々のために書籍を何冊か紹介していきたいと思います。

注意:今回紹介する書籍はあくまでハゲを取り巻く環境やハゲの思いを描いたものを独断と偏見で選んだものです。生やしたい人はまた別途考えましょう。

ハゲを生きる―外見と男らしさの社会学

ハゲを生きる―外見と男らしさの社会学

ハゲ本、といえば紹介しないわけにはいかないのが、これ。

ハゲを社会学的に論じています。

社会学的にハゲを扱う、といってもいろいろな論点があるわけですが、この書籍ではジェンダー論が中心になります。

ジェンダー論というと、女性差別撤廃!みたいなイメージ(誤解)をもつ人もいるかと思いますが、「社会的な性」という意味で言えば、男性性も当然そこに該当するわけです。

他にも社会学的な理論を引きつつハゲを取り巻く環境・社会を上手いこと整理しているように見受けられます。

厳密さはともかく、論点を知りたい方におすすめ。


ところで、この本の中で「ハゲ差別を糾弾する主張は、いささかの笑いの要素も含まない形で存在しうるとは現在のところ考えにくい」(p.3)とあるのだけれど、この状況を打破していくのが、私の夢でもあります。

例えば、ハゲが、ファショナブルにカツラをかぶれる社会、あったっていいじゃないですか。


ぼくらはみんなハゲている

ぼくらはみんなハゲている

次の一冊はドキュメンタリータッチ。

というか、ドキュメンタリーの書籍化。

第一章ではハゲを生きる人々にインタビューを敢行していきます。

しかし注目は第二章、いわゆるハゲ産業に鋭く斬り込んでいきます。

何がハゲを作っているのか。

何がハゲを物悲しい物にしているのか、その真相の一片がここにあります。*1


ところで、カツラ一個の原価は2万5000円から3万5000円程度(当時)であることが明らかにされています。ただし、頻繁に買い換えるものでもないので、単価を高くしないとやっていけない、と。

ということは逆転の発想で、ファッションとしてのカツラが成立するならば単価を下げつつ、利益もあげられるはずではないのか、と思うのですが。


禿頭礼讃

禿頭礼讃

ハゲは海外でも持てるという言説もありますが*2、ここでは見事に打ち砕かれます。

筆者はフランス人ジャーナリスト。若くして男性型脱毛症、つまりいわゆるハゲ、の診断を受けることになり、闘いがはじまります。

クスっとした笑いの数々。しかし、それを読んだ後についてくる共感。

人間の業というものを感じさせてくれます。

ハゲの問題は洋の東西を問わない!


そして、著名なハゲの対談集がこれ。

誇大毛想

誇大毛想

出たときに思いました。これは誰が読むのだろう、と。

ハゲに関係のない人は読まないだろう。

かといって、はげている人はこれを買えるのか?

しかし、後から考えてみれば、上で挙げた『僕らはみんなはげている』にも参考文献として挙げられているし、後述のハゲ本でも言及されています。

ハゲにとって、どうどうとハゲを語ってくれる人というのはある意味で貴重なのかもしれません。

ハゲにとってなぜそれが苦しみなのか、ということを考えつつ、一方で、明るい話題を提供してくれます。


最後にこれを紹介しておきます。

ハゲを治す、という方向には走らないといっておきながら何ですが、

ハゲという運命に直面した一人の男性の奮闘ぶりを見るに適した一冊だと思います。

結局、生やそうとすれば、怪しげな育毛剤やシャンプーではなく、

薬(フィナステリドなど)と徹底的な生活習慣の改善が求められるということになります。

髪のためにここまでやるんだよな、人は、っていうのが身にしみてわかります。


そんなこんなで様々なことが起きた2011年ももうすぐ終わりますが、来年もよろしくお願いします。

良いお年を。

*1:一方訴訟リスクはかなり高かったはず!?

*2:例えば、井上章一『ハゲとビキニとサンバの国―ブラジル邪推紀行』新潮社, 2010.などで言及されているもの。未読。

2011-05-02

"水平的な"キュレーション

| 22:13

一冊簡単な本を読んで読書会をしようという話になり、

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)

キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)

を読んだ。


読み終わってから一週間ほどして、読書会

こまった、何も頭に残っていない。

そんな時に思い出すのは、『読んでいない本について堂々と語る方法』*1である。

彼がその書籍の中で著したのは、読んでいない本について簡単にかたる方法ではない。

そもそも、読むとは何か、それについて述べるとはどういうことか、だ。

本の中で出てくる多くの人物は、本を(精密には)読んでいなくても、その関係性を知ることで、語ることを可能にしている。


そういう話が他にもある。

マングェルの『図書館 愛書家の楽園』*2に出てくる図書館司書*3は、本を読まない((少なくとも目次以上には))。

彼もまた、書物と書物の関係性の中で提供すべき本を知る。

その時、中身を読んでいてはかえって妨げになる。


キュレーションとはそう言うことではないかと思うのだ。

本来は、一つの「モノ」でしかないはずの作品を、立体的な網目の中に位置づける。

そして、提供するときにはそれらを一つの切り口から切り取って見せる。

もちろん、一つ一つのものに対する「審美眼」は必要だろう。

しかし、それは、アドホックに対象を紹介することではありえないはずだ。


では、佐々木氏がわざわざ本を書くほどの"新しい現象としての"キュレーションは如何にして可能なのだろうか。

直接に書いてあった記憶はないが、ストーリーとして描くことは難しくない。

"オープン"で"フラット"な情報流通の場(インターネット)が登場することで、

世の中には大量の情報があふれることとなった。

また、そこには様々な(情報の)圏域が現れることになる。

常人には「すべての」情報に目を通すことが不可能になるので、

多くの情報(それは各圏域に特化したものかもしれない)に目を通し、

有益と思われるものについて、付加的な情報を与えながらまとめていく「キュレーター」が新たな役割を担う。

それは"水平的な"キュレーションと呼べるのかもしれない。

素晴らしいことだ。


しかし、彼らの存在もまた"オープン"で"フラット"なものではないのか。

だとすれば、私たちにはキュレーターキュレーターが必要になってしまう*4

そうではない。佐々木氏が文中で挙げる例が「著名人」であったことに象徴されるように、

少数者が権威を帯びるのではないか。

それでは、いままで、マスメディアがになってきた役割を少数個人が代替する(あるいは経路が追加される)だけではないか。*5

それは果たして私たちの望む未来と言えるのだろうか。


例えば、彼は、個人に対する信頼を情報の真贋を見極めよ、という。

個々の情報自体は裏が取れないが、今までその人物が発信してきた情報とその検証された真贋から人の信頼性を判断することは可能だというのだ。

一面真理をつく。しかし、一面ナンセンスである。

その人(新聞社・放送局)が発信したものだから大丈夫だ(すべて嘘だ)というのは、

マスゴミは」、「アカヒは」、といって、思考停止する某巨大掲示板住民*6と変わりがない。

「情報を批判的に見る」というのは、そう簡単なことではない。

それは「リテラシー」が文字を読むことのみならず「行間を読む」ことを要求するのと同じ程度には高度なことを要求する。


確かにこの本は眼に見える範囲のことを様々な例示(と必要とも思われない新語)をうまく(時に詐術的に)使いながら、

世界をモデル化することには成功している。

私たちはそれを「神話」と呼ぶのではないか*7

そういう意味で私はこの本の描かれ方にも不満がある。


しかし、そうした中であえてこの本に、

そしてこの本が持ち上げられているという状況に、意味を見出すのなら、

それは「独創」の相対化の極北に吹く風を感じることにあるのではないだろうか*8

その風を心地良く感じるにはまだ私は若すぎるようだ。*9

*1http://www.amazon.co.jp/%E8%AA%AD%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E5%A0%82%E3%80%85%E3%81%A8%E8%AA%9E%E3%82%8B%E6%96%B9%E6%B3%95-%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%AB/dp/4480837167

*2http://www.amazon.co.jp/%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8-%E6%84%9B%E6%9B%B8%E5%AE%B6%E3%81%AE%E6%A5%BD%E5%9C%92-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%A7%E3%83%AB/dp/4560026378

*3:本来何に登場する人か失念したので

*4読書会ではあえて挙げなかったけど、2chnaviとかは近い気もする

*5マスメディアジャーナリズム)の本質は情報を速報することでも何でもなく、「選別する」ことだと考えています

*6:あ、僕がそうでないとはいいませんw

*7:雷がおちるのはゼウスが投げたからだ、というのと同じように

*8:うまく言語化できない。そして、逃げた。

*9:あまりにひどいレビューだと思って一日寝かせたが何も思い浮かばなかった。ご批判お待ちしております。

2011-03-26

帝都復興院について

17:55

 大震災が日本をおそって早2週間が経とうとしています。

復興に向けた作業も本格化し、なかでは「復興庁」創設へ向けた動きも見られます。

そのモデルとなったのが、帝都復興院です。

今回は、その帝都復興院について、背景や概要などをまとめてみたいと思います。


 政府民主党は20日、東日本巨大地震被災地復興などに取り組む「復興庁」を創設する方向で検討に入った。


 複数府省にまたがる復興事業を統括し、迅速に復興を進める狙いがある。専任の担当閣僚を置き、内閣法改正で増員を検討している閣僚の1人を充てる方針だ。


 「復興庁」は、関東大震災後に首相直属機関として設置され、大規模な復興計画を立案した「帝都復興院」を念頭に置いたものだ。東日本巨大地震では、復興予算の規模が阪神大震災を大きく上回る10兆円超に及ぶとの見方もあるため、政府民主党は新たな統括組織が必要と判断した。


 現時点では内閣府外局とする案が有力だが、独立組織とする案もあり、今後、具体的な議論を進め、必要な法改正も行う方針だ。

2011年3月21日08時48分 読売新聞


http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110321-OYT1T00005.htm


0.復興院前史

 1921年4月。当時東京市長であった後藤新平はのちに「所謂八億円計画」と呼ばれることになる都市計画を市参事会、市会議員、中央政府に対しそれぞれ提出する。当時東京市の予算は1億2,3千万円、中央政府の予算総額が15億円程度である。その時代に、7から8億円の予算を要する大きく16項目の都市計画を打ち出したのだ。


 この計画は「大風呂敷」として論議を呼ぶことになる。また、このとき、推進に当たり、市に必要なこととして、調査機関の設立公務員職制の改革による予算の節減を達成していった。結果として、都市計画はあまり遂行されなかったものの、この計画が、のちの東京のかたちに大きな影響を与えたと考えられる。またこの他にも、後藤は都市計画法の公布や専門家スタッフの養成など後につながる多くのことをやってのけている*1


 そして、1923年9月1日午前11時58分、関東大震災が起こる。地震と猛火は東京に壊滅的なまでの打撃を与えた。死者・行方不明者は10万人にのぼるとも言われている。後藤新平は、翌日成立した第二次山本権兵衛内閣にて、内務大臣に就任。その日の夜には一人で東京復興の基本方針4項目を練り上げている。それは、


1)遷都を否定する

2)復興費に30億円をかける

3)欧米の最新の都市計画適用する

4)都市計画の実施のために地主に断固たる態度をとる

*2


というものである。

 そしてまた、そのわずか、4日後の9月6日には「帝都復興の議」を閣議に提出する。


 この中で帝都復興のための最高政策を決定するための臨時帝都復興調査会の設置や復興に関する特設官庁の新設を提唱した。また、復興経費は国費とし、その財源は長期の内外債で賄うこと、罹災地域の土地は買収・整理の後適当公平に売却貸し付ける、といった方針を出している。これを受け、9月19日に「帝都復興審議会官制」が発布。内閣総理大臣を総裁とし、その諮問に応じて審議を行う機関が立ち上がった。その根底には「東京は帝国の首都」であり、「単に一都市の復興」ではない。そしてこれが「理想的帝都建設のため真に絶好の機会」という考えがあった*3


 そして、9月27日、震災復興のための特設官庁として、「帝都復興院」が立ち上がる。都市をもとの形に戻す「復旧」ではなく、新たなものを作り出す「復興」が目指されることとなった。



1.概要

 帝都復興院は東京及び横浜における都市計画都市計画事業の執行および市街地建築物法の施行その他復興に関する事務をとる機関である。以下では、その組織、計画内容、その後の評価などについて概観する。


1-1.組織

 帝都復興院には、総裁官房、計画局、土地整理局、建築局、土木局、物資供給局、経理局がおかれ、職員数はそれぞれ以下のとおり。


総裁(1人)

副総裁(2人)

技監(1人)

理事(7人)

書記官(15人)

事務官(30人)

技師(105人)

属(150人)

技手(350人)

(事務官には他に内閣総理大臣の奏請により関係各庁の高等官を命じられる。また、参与・参事として各庁の高等官または学識経験者を命じられる)


 初代総裁は、もちろん後藤新平。そして、局長など幹部職員は内務省鉄道省の後藤派が占めた。理事建築局長に東大教授でった佐野利器(「都市計画法制定運動」の立役者でもあった)を迎えたとき、何をするのかと問われた後藤は「復旧などではなくてこれからは復興だ。この際何をするのかということはソッチで考えろ、俺にわかるか」と言ったという*4。他にも、人材を広く求め、幹部職員の会合で方針を速断していった。


1-2.計画と成果、その後

 帝都復興計画の策定は池田宏と佐野利器が中心となって進めた。理想案では、41億円の予算を要するものだったが、財政事情が考慮され10億円の規模となった。10月18日帝都復興院の理事会は計画原案を決定し、10月27日閣議の了承を経て、政府原案となった。

幹線道路の整備(非焼失地域含む)、大規模な公園、地域コミュニティの中心としての小学校の設立などをふくんでいた。

 その後、予算計画の最終的な詰めが行われ、借金の利払いの関係から、11月下旬には7億300万円(後藤が大風呂敷と批判されたあの計画と同程度の額)として、復興審議会に提出された。しかし、この場で計画は大きな反対にあい、幹線道路の幅員縮小(廃止)や築港、運河の廃止など含む大幅な予算減を強いられることとなる。

 1924年3月、区画整理の実施が認められ、焼失区域は区画を整備される。また、幹線道路と生活道路が行き渡り、上下水道も整備された。また、デザイン性のある橋梁は近年再評価され、大きな公園(隅田公園など)は世界的にも称賛を受けた。その他にも同潤会アパートの建設など、この計画による遺産には枚挙にいとまがない*5

 しかし、復興院の規模は権限内容に比して大きすぎるのではないかといった議論から、1924年始めには復興員は廃止され、内務省外局としての復興局に格下げされてしまっている。

 

1-3.評価

 現在の東京の骨格を作った計画であり、現在求められている大規模な幹線道路を車のない時代から計画に盛り込む(幅員は縮小されてしまったが)など評価されることが多い。「当時の有力者、世間の無理解と反対を考えると、復興事業が短期間で実現したことはむしろ奇跡に近い」*6ともいわれ、それを可能にした、一つの要因として、復興の事務を一手で取り仕切ることのできる組織があったことは十分に考えられる。

 一方で、区画整理においては当時より財産権の問題が議論にあがった。また、無秩序なスプロールによる郊外の脆弱な市街地の形成や、バラック建築の未撤去によるスラム地区の形成など、問題点を指摘されることもある。*7くわえて、財政・経済面の問題も指摘せねばならないだろう。租税減免の実施もあり、震災発生直前1.1億円であった国債費は1924年2倍近い1.9億円まで上昇した。また、震災外債が発行されたが、その条件は不利なものとなり、「国辱公債」などと批判を浴びた。長い目で見れば、ここで行われた財政・金融政策は(その後の政策ともあいまって)昭和金融恐慌や昭和恐慌へとつながったとも考えられうる。


2.まとめ

復興庁をモデルとした組織構想は今回がはじめてではない。「九五年の阪神大震災でも「阪神淡路復興委員会」が設置され、住宅や神戸港の早期復興などの提言をまとめ、復興を加速させた」(「政府復興庁」創設へ 今国会で法案成立目指す」『東京新聞』2011.3.23<http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2011032302000032.html>.)


 今後、東日本を襲った大震災からの復興が本格化する。関連する組織が多くある中で、また新たに復興庁を立ち上げるのは尚早であるという意見もなおあろう。

 復興院(復興計画)の業績、初動の速さは少なくとも一面においては讃えられるべきものではあるが、今求められているのは、それを無条件に模倣することではない。後藤の時代とは違い、新たに創り上げていかなければならないものは都市ではない。「復興」されるべきは社会そのものだ。そのために、何が必要か、考えることが肝要であろう。


(詳しくは参考文献の方にあたっていただければ幸いです。)


3.主要参考文献

関東大震災における国の体制」『「復興体制・手順」に関する参考データ』p.1-3<http://www.bousai.go.jp/fukkou/kento21-4_files/08_sanko1.pdf>.(内閣府防災情報のページより、「首都直下地震復興対策のあり方に関する検討会(第4回)平成22年3月17日」の参考資料)

「帝都復興院」毎日コミュニケーションズ編『大正ニュース事典』毎日コミュニケーションズ, 1988, pp.548-551.

越沢明「関東大震災後の「帝都復興計画」に学ぶ」『President』1995.4, pp.168-175.

「第2章 関東大震災と帝都復興越澤明復興計画』中央公論新社, 2005, pp.41-86.

室崎益輝「過去の災害に学ぶ26 1923年9月1日関東大震災 その3」『ぼうさい』55号, 2010.1.

<http://bousai.go.jp/kouhou/h21/01/past.html>.

小野寺伸夫「後藤新平研究(VIII)帝都復興計画の基本発想」『医学史研究』(70), 1996, pp.31-36.


*1佐野利器、池田宏らは都市計画の実施への機運の盛り上がりの中、都市研究会を結成。会長に後藤を迎えていた。彼らと関西建築協会、建築学会らは都市計画法市街地建築物法の制定に向けて動き、後藤の賛同もあって、内務省都市計画の課がおかれることになる。

*2越澤明,2005:p.43.

*3:『帝都復興の議』より

*4:越澤前掲書:p.48

*5中央卸売市場、ゴミ処理場、浄水場なども作られた

*6:越澤前掲書, p.83

*7:室崎益輝, 2010.

filled-with-deitiesfilled-with-deities 2011/04/12 22:04 訂正:
阪神・淡路復興委員会については、復興庁のような構想があったが、省庁新設等に対する慎重論から見送られ、会議・委員会という形での提言になったようです。
お詫びして訂正いたします。

「復興庁」構想が浮上 野党にも後押しの声
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103220537.html

2010-07-07

インターネットの革命と反革命 ipad/電子出版/フリーの終焉(下)

| 19:55

境さんの本も7割がた読み終わったのでホントは読み終わってから書くべきかもしれませんが、まぁ、サクっとまとめちゃいますね。


AppleAmazon(あるいはGoogle?)といった私企業が情報のでもとを独占してしまうことで、

彼らに大きなコントローラビリティが与えられてしまうという問題です。

実際、iPod/iPadにおいては、さまざまな表現について規制が見られます。*1

私企業に対して、情報を「検閲」できるような大きな権限を与えてよいのか、というのは大きな課題とみなすことができるでしょう。

これについて、境さんは「書店が書棚を作る自由」*2を挙げます。

この自由に関しては多くの人が納得するでしょう。iPadとの大きな違い(と思われるの)は書店はたくさんあることです。

Aという書店で買えなかったとしても、Bという書店では買える可能性がある。

また、多くの書店で置かれなかったとした場合にも、一種の「社会的合意」("常識的に考えて")が成立したとみなすことができる。

しかし、実際には、iPad上でもi Book Store以外にも書店を開くことはできる。つまり、たくさんの書店が並立する状態は可能である。

境さんが主張するのは「iPad上で」Appleがよしとしたものしか読めないのであれば、断固戦うべきである。しかし、i Book

Storeでは選ばれた本しか買えない、というのであればバランス感覚として許容すべきではないか、ということ。


また、こうした「検閲」の恐ろしさとして、”1984”*3的であるという点が挙げられます。

つまり、修正や増補があとから可能であり、しかもそれを検証するすべが与えられていない。検閲されている感覚を奪い去られた検閲と呼ぶことができるかもしれません。

こうした後出し的な「検閲」についてもある種のバランス感覚が肝要ということになるのでしょう。


#後述のとおり、この点は紙の本との大きな相違であり、ある意味ではインタラクティビティとトレードオフであるということができるかもしれない。

こうした点は、人文科学において電子書籍を扱う際に大きなポイントになってくるのではないだろうか。


ここで会場からの質問。「電子書籍はいつまで読むことを保証してくれるのか」

境さんが経済産業省という立場からコンテンツ産業を考えるにあたって、

そもそもコンテンツを買うとはどういうことであるか、ということに対して出した一つの考え方は「本やCD/DVDなどを買うということはコンテンツを見られる(聴ける)債権を買うということ」だということです。

その観点からするとこれはとても大きな問題。もちろん限界はある*4ものの基本的には契約上解決する(i.e.機種変更しなければ半永続的にDL可。1ヵ月の間は何度でも可など)問題であろうということでした。

もちろん、それには独占の問題も絡み、不当に消費者の側が不利な立場に置かれるような場合にはまた方策を考えなければならない、とのことでした。


あわせて紙の書籍の生き残りに関しても質問がありました。

これに関しては、紙のコストダウンや書店でのオンデマンド、など、いろいろな変化もありうるとしながら、基本的には生き残るだろうとのことだった。

また、電子書籍に関しても最初は「大翻訳運動」よろしく現状のコンテンツを電子化するだろうが、のちには電子でしかできないような *5ものへと変化していくだろうとのこと。


#「電子書籍」という名前に引っ張られがちだけれども、今迄のように文字と動かない写真や挿絵だけで本が構成されるかというとそれはありえないだろうと思います。

しかし、そうなってきたときに「書籍」というのはパッケージングの問題だけなのでしょうか。例えば、それとWebサイトの定義上の違いはなんになってくるのか、非常に難しいと思います。

官庁界隈では中間フォーマットを決めてどうこう、という話も聞かれるようですが、実際にはWebサイトなどともフラットに考えるべきではないかと思います。「テキストデータだけあればよい」という読者だっていっぱいいるでしょう。

普通に生きていく分にはそんなものがどうなろうと、問題ありません。

しかし、私にとっては非常に内向きな問題が生じえます。

NDLで何を収集すればよいのか」問題です。Webサイトなども含めて収集するとなれば確実にストレージが不足する。しかし、一方で、「選ぶ」*6ことになるならば、国家による「良書/悪書」の選別ともなりかねず、非常に難しい問題が発生する。

こうした正統性(多くは社会的合意)をどこから調達するのかというのは実は大きな問題ではないかと思うのです。

あと、いつまで見られるのか、事後検証性という意味で言うと、毎日Waiwai問題はすでに消されてしまった(事後検証が不能)という点でひとつの事例となります。


次に話題となったのはGoogle Booksと国立国会図書館による書籍の電子化の問題です。

なぜ、Googleがやると駄目で、国会図書館がやるとよいのか。

結局ここに関しては「納得できるか」の問題だとされました。

図書館に関しては著作権上においてもある種特殊なポジションにあることが確認されました。特殊であるというのは、良くも悪くも、ということですね。


次に出版社の機能をどう代替するかという話題に移りました。

外から見ると単なる中抜きのように見えなくもないのに、コンテンツクリエイターが口を揃えて編集者の必要性を説く。

やはり、編集者の役割というのはバカに出来ないものがある。

しかし、筆者と書店ないしはAppleの直接契約”も”成立する環境になったとき、編集者の再生産システムを真剣に考えなければならない。*7


#確かに編集者の機能は重要だと思うし、そうありたいとも思っているのですが・・・。編集者にもいろいろなバージョンがあるということは考慮すべき点かと。話題に上がった漫画や小説の場合は赤を入れながら編集者が作家を育てていくというかるちゃーがあります。しかし、社会科学や評論系では文章に赤を入れることなど殆ど無い*8ということもあります。あるいは、リサーチやデザインを主にやる人もいます。そういうものを十把一絡げに「養成」といっても難しいですよね、と。


あとの部分は自分の弱いところで自信がないのでトピックだけいくつか。


Kindleの強み=Amazonが本屋であること

1.購買動向がわかる

2.本好きのユーザーをたくさん持ってる

3.ポチっとすることを習慣付けられてる。


AmazonAppleは根っこを持ちながら広げている。

根っこはコンピューティングであり本屋。

そういう視点からするとKindleiPadはぜんぜん違うもの、ぜんぜん違う思想に基づくもの。


東京都児童ポルノ規制(非実在青少年)は変なロジック

全く無検閲のショップ・プラットフォームという公益団体をやる人がいてもいいのでは。


#そうじて面白かったです。だいぶ端折ったのでしっかり見たい人はUSTreamで。最初の方でマスメディア税金投入するのはおかしい、って話が出てて、そりゃそうで賛成。ただ一方で表現だったりジャーナリズムの場・生態系を以下にして構築すればよいか、というのが今最大の関心事。

*1:話題に出たのは『働きマン』の入浴シーンや暴力シーン

*2:本屋が置く本を選ぶ自由

*3:G.オーウェルディストピアSF小説から。また、『1984』はKindleで販売許可を得ていないのに販売されたとしてユーザーの端末内データを遠隔消去された

*4:出版社が倒産するなど

*5:雑誌をアプリで表現など

*6:網羅的収集を大義とした納本制度に反して

*7OJTの場をとっても今後どうつくっていくかは難しい

*8アジェンダセッティング等が仕事

filled-with-deitiesfilled-with-deities 2010/07/14 23:24 ちょうどこの直後に知りましたが、図書館の収集対象は今までの出版物と同じく何らかの編集過程を経ているもの、だそうですね。「編集」という言葉にはなんとなく敏感なので難しい部分もあると思いますが。

2010-07-06

インターネットの革命と反革命 ipad/電子出版/フリーの終焉(上)

| 01:09

ジャーナリスト昼間たかしさんが『Kindleショック インタークラウド時代の夜明け』の著者・境真良さんを迎えて、電子書籍やコンテンツ産業のこれからについてのトークイベントが行われました。

詳しくはUSTream*1に上がっていますし、この界隈の人はだれかしらまとめると思うのでw、#でコメントを入れながら割と自分の厚い部分だけ切り取りつつまとめていきたいと思います。


最初は『Kindleショック インタークラウド時代の夜明け』についてのおはなしから始まりました。

インタークラウドというものが出始めているのをみて、これがユーザーの需要にはこたえるものの、これまであったインターネットのバランスを崩していく、状況が変わっていくと感じたことがこの本の始まりとなったようです。

では、このなかでよく使われる単語「デバイスクラウド生態系」とはなにか。

これは、従来の「ネット=PC生態系」と対比されるものです。経済の基本は交換*2ですが、PCの場合、それが成立しないことが多々あります(cf.海賊版)。もちろん、であるがゆえに広がった部分はあるけれども、これではお金がとれない。

そこで、Appleが生み出したのが、iPodiTune music storeの組み合わせ。つまり、PCよりも汎用性の低いデバイス=コントロールはされるけれども単機能で使いやすいデバイスを用意することで、PCの場合に生じていたコピー可能性をコントロールしていく。その上で課金を行っていく。こういった仕組み、インターネットの上には成立しているけれどもひとつの生態系を構築しているような仕組みを境さんは「デバイスクラウド生態系」と呼んでいるとのことです。


#やっぱり、デバイスでコントロールされることって結構思うところもあるわけです。日本人がYahoo!ばっか使うのだって、もともと入ってるIEホームページYahoo!になってるからとか言うし、導入初期の経路って結構意味を持つ、と考えると、iPadデファクトスタンダードになる(ならざるをえない)っていう状況はよくよく見てかないと行けない気がするなぁ。


こうした形式の進展により、近年ではFreemiumと呼ばれる経済が登場していると言われます。*3音楽で言えば、楽曲そのものはほとんどタダのような値段で配信するけれども、それをプロモーションとして、ライブで儲けようという形式です。*4しかし、TVや映画、あるいは書籍というものはこうしたFreemium経済が成立しづらいというのが境さんの主張です。

しかし、そうしたコンテンツにもiPad/Kindleというデバイス=プラットフォームの登場で課金の可能性が出ているといいます。


#めっちゃ共感。やっぱり、本売るのと講演とまとめて商売と思うのはちょっと違う気がする。例えば小説は?っていうのもあるし*5。音楽業界がライブで儲けるって言ったって、ライブ昔からやってたよね?って疑問があったりなかったり。


ここで会場からの質問として、imodeとの違い(ある意味同じでは?)というものがでました。

その答えとして、「支払いの文脈」のプロデュースの問題が提示されました。imode初期にはケータイブラウザが付いていること自体が、付加価値であり、課金もうまく行った。しかし、うまく行ったがゆえに、今見ると、払っているという感覚が強く出る形式になってしまっている。Appleのうまいのはその部分で、ブラウザを使わず、インターネットiTuneというアプリケーションでラップに包むことで、支払っている感を薄めた、これが功績だ、と。

海外でのimodeの普及状況について追加の質問が出ましたが、普及が進んでいないの1.NTTが力を入れなかった 2.すでにPCインターネットが普及した02年くらいのことでタイミングが悪かった 3.回線が3Gになっていかなかった と複数の要因をあげて説明していました。


#まぁこのへんの話は割と専門でもあり、ふむふむ、って感じ。


次に、iPadKindleはほんとに普及するのか、という話題に移りました。

つぶしが効くので普及するでしょうというおはなし。格差についても、ほんとにひどくなれば社会保障の対象ともなり、それほど大きな問題ではないのではないか、というお答えでした。


#このあいだ友達に見せてもらってちょっと欲しくなったけど、買えないなぁ・・・。家内で誰か買わないかなぁ、と思っているのだけれども。


今日のところはこのへんで。

明日予定の下では「検閲」やコンテンツのこれからなどいよいよホットなイシューに入っていきますので乞うご期待。


#ほとんど序文で終わってしまった。おやすみなさい。

*1http://bit.ly/9YnWXd

*2:お金とモノ、など

*3http://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC~%E3%80%88%E7%84%A1%E6%96%99%E3%80%89%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%8A%E9%87%91%E3%82%92%E7%94%9F%E3%81%BF%E3%81%A0%E3%81%99%E6%96%B0%E6%88%A6%E7%95%A5-%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3/dp/4140814047

*4:他にもSNSのサービスなど様々な例がありますが、アンダーソンの前掲著を参照

*5:とはいえそのへんこそ紙の本が売れそうな分野でもあり儲け方はいろいろなのかも?