finalventの日記

2005-02-17

「考えるヒント」より。

 人生を簡単に考えてみても、人生は簡単にはならない。道徳の問題を考えるに際し、良心の問題を除外し得ても、良心とは問題ではなく、事実なのであるから、彼が意識するとしないとを問わず、彼の心のうちに止まるであろう。例えば、あの男はスパイだと聞いて、私達は何故一種の嫌悪の情を覚えるのだろうか。スパイのうちにも正義の士があって、弁解するだろう。「社会の正義の為なら、嘘もつこう、仮面もかぶろう。(中略)」何やらおかしい、何かが間違っている。人間は、彼のようには生きられる筈はあるまい。(中略)感情の呟く言葉は、その種の不明瞭な言葉には相違なかろうが、良心の言葉とはそういうものなのではあるまいか。

 良心ははっきりと命令もしないし、強制もしない。本居宣長が、見破っていたように、恐らく、良心とは、理智ではなく情なのである。彼は、人生を考えるただ一つの確実な手がかりとして、内的に経験される人間の「実情」というものを選んだ。では、何故、彼は、この貴重なものを、敢て、「はかなく女々しき」ものと呼んだのだか。それは、個人の「感慨」のうちにしか生きられず、組織化され、社会された力となる事ができないからだ。社会の通念の力と結び、男らしい正義面などできなからだ。(中略)

 だから、私達は皆ひそかにひとり悩むのだ。それも、悩むとは、自己を審くものは自分だという厄介な意識そのものだから。公然と悩む事が出来る者は、偽善者だけであろう。(後略)

今日の文春・新潮は、そりゃあホリエモン

 新潮もなかなか飛ばす飛ばす。IT関連の話はテキトーだが、TOB関連の話はあんなものだろうか。ホリエモン、すってんてんになるのだろうか。このわけわかんねー感がすでに大人物。というか、大看板。っていうか、所詮は看板。でも、メディアの流れがホリエモンの認識に近いだろうとは思う。ただ、それで経営なんかできないでしょというあたり、某山本さんの言うとおり。

はてなブックマーク - 英語力つけば「省エネ脳」に? 東大チームが実験 - livedoor ニュース

 また、君か的 orz

 ところでこのスキームなんだが

 研究チームは、右利きで19歳の東大生15人に協力してもらい、英語の不規則動詞の正しい過去形を瞬時に選んでもらう実験を行った。

 なーんだ的。

 英語の不規則動詞っていうのをルールとして記憶していて運用するのと、文法の感性(っていうかこれがUGの具現だろうけど)で判別するのでは、負荷が違うのは当たり前だと思う。いわゆる非文をよりわける能力はほとんど無意識に近い。

R30 京都議定書なんかどうでもいいよ、自然が一番

 どもぉ、という感じで、まず受けておくし、相変わらず、達筆だね。

 で、ま、わかっていると思うけど、そこで終わらないわけなんだよ。そこって、つまり、どうでもいいよ、でね。というか、そのあたり、自分がちょっと変節しちゃったんだよ、ってあたりなんだけど。と、書いて、別に反論ということではないよ。うまく言えないのだが。

 政治的に言えば、どこで、米国が転換するかでもあるし、対中政策の動向でもある。また、対サウジともいえる。ま、このあたりは、この2、3年結果として極東ブログで自己学習しちゃった面があるので、ま、それなりに書ける、けど、それほどは意味ないというか、まだ見えない。ちょい目先のところでは、原油のピークアウトの問題(ピークアウトなんかしないのだけど、その関連)。

 まだ、自分でもうまく整理できていないのだが、だから、うまく書けないのだけど、温暖化防止なんかある意味どうでもよくて、その排出権の市場が成立しちゃうかということでもある(存知のとおり米国では亜硫酸ガスではすでに成立している)。これがどう動くか。これはある意味で、遠大にして壮大な欧州における米国潰しなのだ。

 もう一つは、京都議定書について日本政府は表向きマジだ。表向きマジということは、これが政治のメカニズムとして動き出すということだ。あれなんだ、お役所っていうのは、文書を投下すると動かなければいけないようなシステムになっていること。別の言い方をすると、教育問題なんだか問題意識があってもだめだめなのはシステムが変わらないこと、また変わると阿呆に変わることだが、環境については、そういう訓戒的なものではない、ということ。

 ま、うまく言えないし、それほど危機感という問題でもないから、ま、現状はいいにはいいのだけど…。でも、ここは、たぶん、大きな世界史の曲がり角なのかもしれない(それほど確信はないけどね)。

香雪ジャーナル - はてなブックマークとMM/メモツール

 via id:yukatti:20050216#1108561200

 なるほど。というのと、私的には、はてなブックマークはけっこう個人的なツールですね。検索機能が便利だな、と思います。

 あるページを見ていて、… (1)個人的にローカルに記録しておく、(2)はてなブックマークに入れとく、(3)この日記に貼り付けておく … の3つあり、(1)の負担が減りますね。

 なにかこー、もうひとつ技術的な革新があるとビジネスツールかなと思うのだけど。

「10桁で終了」 円周率ついに割り切れる

無限に続くと思われていた円周率がついに終りを迎えた。千葉電波大学の研究グループがこれまでの円周率演算プログラムに誤りがあったことを発見。同大のスーパーコンピュータ「ディープ・ホワイト」を使って改めて計算しなおしたところ、10桁目で割り切れたという。10桁目の最後の数字は「0」だった。

 わはは。

キムタケ 週刊!木村剛 powered by ココログ: [ゴーログ]ホリエモンvsフジテレビ:抗争の果てにあるものは?

 いまさら言うなよだが、これ読みながら、キムタケは、自身を肯定するというかそういうクローズなブログしか相手にしなくなっているのだな。つまり、オープンSNSだ。なんてこった。

散人先生 それこそ男でありサムライなのだ。

散人は出された食べ物にいっさい文句は付けないぞ! 出されたものは黙って食べる。それこそ男でありサムライなのだ。たかが食べてしまうものにこだわり、底の浅い蘊蓄を傾けるのは、さもしいし、カッコワルイ。日本人は分不相応に食にこだわりすぎで、みっともないと感じる。

 禿同!!!

 とかいうと、オメーは食のウンチク言うじゃんかとか言われそうだが、私だって、「出されたものは黙って食べる。」…ちょっと違うか。しかし、言ってしまえば恥ずかしいなとは思う。

 かくして、私は毎朝、馬の餌を食う。

今日の新聞各紙社説は…

 意外といえば意外だと思ったのは、中部国際空港のネタが今日の主眼だったこと。ま、そう言われてみればでもあるが。そして、どれも社説として面白いものでもない。中部国際空港をヨイショしているいる分にはいいが、関空成田の惨状はどないするねんみたいな領域は大きい。このあたりの問題は、と、言いつつも自分で明確なビューがあるわけでもない。

 読売が遅れて京都議定書に触れた。どってことない。このどってことない感はなんだろうと思う。

 というか、いわゆるアルファブログっていうんですか、論壇系っていうのか、どうでもいいか、いや、オメーさんだよなのか、エキサイトブログのリストを見ても、どうもみなさん議定書発効には一顧だにしてないふうである(PVの取れるネタではない)。批判ではまるでない。というか、ブログの底辺というのも言うにまずいのだが、総量で言えば、議定書に触れている件数は多いのだろう。だが、たぶん、薄い。

 この問題は、ある意味で、マクロ経済学的な問題でもあるのだが、そっち系の人の発言はあまり見かけない。というか、これをいうとうんことか失笑とか飛んできそうだが、通称リフレ派というのはある意味であたりまえに学部レベルの話を杓子定規にやってみましたということではある。これは他分野でも言えて、theoreticalな部分をしっかり見て現状の批判というのはありうる。ま、だからレベルが低いんだよという言う気はないが(当方の低さを自覚もしているしね)、そういう問題ではなく、もう少し環境問題を経済学の枠組みで議論があってもよさそうなものだが見かけない。その間隙にエコノミストとやらはつけいる。

 話が社説からそれたが。

日経社説 足踏み景気に春は来るか

 来ない。

 というか、この手の「踊り場論」を観賞しませふ。

日経社説 3国際空港は民間の知恵を競い合え

 当たり前のようだが…

 どの空港も単独ではアジア各国の大規模ハブ空港と互角に太刀打ちできない現状では、とりあえず3空港の総合力で対抗するしかない。

 これは話の筋が違うと思うが。

 つまり、ハブとの太刀打ちが求められているのか。

産経社説 米大使離日 同盟のずれに調整力示す

 どうでもいい話というか社説の話ではない。

毎日社説 教職員殺傷 なぜ母校が襲われたのか

 皮肉でいうのではないが、なぜ大阪なのかが先立つ疑問だろうと思う。

 そしてそう考えるとこの社説がいかに空想的かわかるだろう。

 いったい何が少年の心の傷となったのか、その過程と社会的な背景を可能な限り解明する必要がある。そのことが遠回りに見えても、学校への襲撃を避けるための手掛かりとなる。

 これが結語ではだめ。

読売社説 [量的緩和政策]「デフレ克服は日銀の重い責務だ」

 量的緩和政策の継続は、ごく当たり前のことだが読売のような大衆紙が言うのは少し心強い。

 量的緩和政策は二〇〇一年三月、デフレ克服を最大の目的に導入された。デフレ脱却を達成していない現段階で量的緩和政策を解除すれば、目的を放棄したと受け止められる。市場の変動で一時的に目標を下回ることは容認されるにしても量的緩和政策は堅持していくべきだ。

読売社説 [議定書発効]「削減義務達成から次が始まる」

 スルーするかと思ったら、翌日出てきましたか(っていうか内部の突き上げか)。

 内容は昨日の毎日社説を薄めてお説教トーンにしただけ。

朝日社説 中部空港――ライバルは仁川、上海だ

 これはよくある話のパクリっぽい。パクリっぽい感というか考えてない感は結論が精神論だから。

新空港は3月の愛知万博の開幕、好調な名古屋経済を背に離陸する。ライバルは仁川、上海、チャンギといった空港である。小粒でも、サービスでは負けない。そんな心意気を期待したい。

synonymoussynonymous 2005/02/17 10:34 妻の作る料理を日々褒めていたら、彼女の料理の腕前はどんどん上達しました。文句言っちゃだめです。

finalventfinalvent 2005/02/17 11:09 synonymousさん、ども。あはは、それは人生の達人。

馬車馬馬車馬 2005/02/17 11:15 アメリカでは環境経済学という分野がちゃんとあり、しっかりした研究者がちゃんとした研究をしているようですが、一方で日本では環境経済学はイロモノとなってしまっているきらいがありますね・・・もちろん、いい研究者がいないわけではないのだと思いますが。アメリカの大学の本屋に立ち寄ったとき、環境経済学の本が大量に並んでいて、「こんなにいろんな研究があるのか」と驚いたのを思い出しました。

それから、急に思い立って札割れに関する情報をざっとまとめてみました。ご高覧頂ければ幸いです。
http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2005/02/1_.html

finalventfinalvent 2005/02/17 13:13 馬車馬さん、ども。あー噂には聞くけどやはりそうなのですか。それなりの成果もあるのでしょうし、当然、日本でも研究者はいるというか出てくるのでしょうね。もっと関心をもっておきます。札割れの件の話ありがとうございます。むずかしいのでゆっくり考えてみます。

R30R30 2005/02/17 16:28 お返事どもです。ええとあのエントリ、3本目の記事読む前に書いちゃったんですよ。なのでfinalventさんの「変節」のところまでは織り込んでないです(笑)。というか、マクロレベルで排出権取引の何たるかをもっと語らなきゃいけないと思うんですが、この壮大なる欧州の陰謀を語れるメディアやアカデミシャンが日本にはないんでしょうね実際のところ。某経済誌の特集も思いっきり「外し」だと思います、個人的には。日本の環境経済学なんて、もうホントに笑っちゃうレベルですよ。ど下手なマーケッターという表現がぴったりです。その点、欧米の連中の研究は視点の高さでも科学的なレベルでも半端じゃありません。バックにNGOの巨額資金がついてるからでしょうねえ。

finalventfinalvent 2005/02/17 16:45 R30さん、ども。ええ、そういうことなんですよ。ただ、これから日本の環境経済学にも期待したいですね(と、気弱に言う)。この問題を、たははレベルから少し掘り下げていったら、また、欧米人マジで洒落やってらから、しだいにこちらの背筋が寒くなってきましたよ。洒落のわからんやつらです。落ち葉で焼き芋喰えみたいなのが通じないかも。ま、しかし、なんか泣き言いうようだけど、そんな世界に生きていかなくちゃね。

通りすがり通りすがり 2005/02/17 20:48 finalventさんはケン・ウィルバーをご存知ですか?読まれたりしました?http://www.janjan.jp/media/0502/0502133557/1.phpここで出てくるんですけど、どんなもんでしょう?(まぁこの記事が与太話なのは置いといて)道徳とかはfinalventさんはどう定義づけるのかぁと思いまして。。。

finalventfinalvent 2005/02/17 21:33 通りすがりさん、ども。ウィルバーなのですが、ある意味よく知っています。率直に言うと、私は彼を似非哲学者だと考えています。読む必要はないとすら思います。心理学的な部分では、まずマズローとかちゃんと嫁とか思いますし、パールズやNLPなどもっと豊かなものがあるのになぜウィルバーなのか?あるいは仏典を嫁とも思います。大乗起信論でも井筒俊彦でも…というのが率直な私の印象です。で、道徳なのですが、まず、哲学なりを考えるなら、カントを嫁、ヘーゲルを嫁、それで足りなければ、ベルクソンを嫁、ニーチェを読め、ウィリアム・ジェームズを嫁…という感じです。いや、もっと古典で、マルクス・アウレリウスでもいいでしょう。プラトン、アウグスチヌス…道徳を考える上での重要な思想家がたくさんいるのになぜウィルバーなのか?という感じです。ま、それを言うならニューエージ系は全滅になってしまうのですが、そうでもないのはニューエージ系のポイントは私は身体性にあると見ています。で、このJANJANなんですが、「ケン・ウィルバーの道徳発展の理論によれば、道徳には3つの段階があります。」とか突然書き出すのは、私には、もう論外です。「道徳的な発展のレベルには、前慣習的(私が望むことは正しい……自我中心的)、慣習的(グループが望むことは正しい……社会中心的)、脱慣習的(人種、性別、信仰にかかわらず、すべての人々にとって正しい……世界中心的)です」(ケン・ウィルバー『ワン・テイスト(下)』123ページ)。「私が望む」…グルジェフなら「それが可能ならお前は存在する」と皮肉につぶやくでしょう。所属するグループの意識…と言いますが、人はつねにコミュニティのなかにいます。単純な話、人は友愛のために生死をかけるものです。そして、「人種、性別、信仰にかかわらず」と言う人間は歴史に所属していません。あるいは、身体的に存在すらしていません。私たちがなぜ黄色人種として日本人としてここにいるのか。その問いを回避する超越性への志向は私にはある種の世界から隔絶された宗教のように思えます。

finalventfinalvent 2005/02/17 21:43 あ、いけねー、道徳ですね。道徳をどう定義づけるか。逃げみたいですが、品位の感覚は定義づけはむずかしいでしょうが、それでも道徳とは…ですね。そう考えると、やはりカントやニーチェとかになりますね。妥当にはカントでしょうか。しかし、れいの、あなたの意志の格率がつねに同時に普遍的立法として妥当するように行為せよ、は、率直に言うと私の心にはないです。では、私は道徳をどう考えているか。情のひとつのありかたですね。なんだか、いろいろ言って自分のほうが洒落みたいですが、「もののあわれを知る」ことでしょうか。嘘くさい人、からごころに理を立てるというのを心情的に忌避する面がありますね。ま、矛盾はしてます。

summercontrailsummercontrail 2005/02/17 22:48 finalventさんこんにちは。ニューエージや道徳のお話、興味深く拝読しなるほどと思いました。生身の存在としてほかならぬ自分がまさにこの世界と関わっていくという点で、道徳と身体性のお話はつながるかもと思いました。よくわかりませんが実存っていうやつでしょうか。考えるヒントのそのくだりもずっと心に残っています。
 ただ『「人種、性別、信仰にかかわらず」と言う人間は歴史に所属していません。』とのこと、ここは文脈に依存するのかもしれませんが、「〜にかかわらず」とあえて言うべき場面もまた存在するのではないかと。JANJANの記事の論調はアレですが、何らかの理念を大事にすること・およそ理を立てることをすべてひっくるめて嘘くさいと言ってしまっているように読まれてしまうと、そのお言葉が一人歩きして、自分の悪事を正当化するために他人をくさして受け売りでそううそぶく人や、不当な偏見で「嘘くさい」と罵られて傷つく人も出るのではないかと感じました(なんか読みにくい文章ですみません)。
 私などはネットでは、そうやって嘘くさいと言われてしまうことが多いので……まあ実際そういう罵倒がふさわしい人間かもしれないので、最近はめっきりものを書かなくなりました。それでも、(たとえば個人の良心として)否を発すべき事柄もあるようにも思うし、「悪」を「正しく」憎むということは必要なような気もしています(このあたりはfinalventさんとそう違いはないとも思うのですが)。

bowbow 2005/02/17 23:05 なんか皆さん真面目なコメントをしているところに申し訳ないのですが。
10桁目が0ってことは、9桁なんじゃないのって突っ込みは無しなんですかね?

BaatarismBaatarism 2005/02/17 23:30 嘘ニュースのオチに突っ込みは無しでしょう。(笑)

嘘ニュースはここから色々リンクされてますね。
http://d.hatena.ne.jp/senmu/

kagamikagami 2005/02/18 04:56 この件、「問いを回避する超越性への志向」に驚きました。こういうタイプの司祭って、今も生きているんですね…。あなたが私ではなく、私があなたではないということ、他者の理解できなさがそのことを現していること、いやあ、それすら分からない他者がいることを思うと、まさに身体性は千差万別ですね…。「愚鈍はいくつかの特権を持っている。その特権の一つが神の道徳である。なぜなら愚鈍は自分自身を事物の中へ投影する。こうした単純化された幸福を愚鈍は”神”と呼ぶ。我々愚かでありたくない者は異質なものを事物の中に投影して見る。ゆえに我々にとって”神”は興味深いものとして観察される」(ニーチェ)そのものな感じで…世界って変わらないんだなあと思うと、酷く絶望的な気持ちになります…こういうのって変わってゆく可能性はないのでしょうか…。

finalventfinalvent 2005/02/18 09:36 summercontrailさん、ども。あれ、レスを書いたのを別の日に投稿してしまったみたい。ま、そこは難しい問題だと思います。原理から考えるのではなく、友愛、つまり、理念の共有の語りかけから考えたらいいのではという感じです。

finalventfinalvent 2005/02/18 09:37 bowさん、Baatarismさん、ども。これなかなか面白かったので。こういうドライな感じのユーモアってあまり日本では見ないように思ったので。

finalventfinalvent 2005/02/18 09:39 kagamiさん、ども。私などもその類なのでしょうが、愚者が自ら超越規範を語る愚はまさに愚者の標章として有益ですね。そんなふうに受け止めていきましょうやって感じです。

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