2005-03-20
■「気象庁は何をやっている」 ネチズンの非難殺到
気象庁というのは韓国の気象庁ですが…:
キム・ヨンデというネティズンは「テレビで字幕放送を見て、気象庁のホームページにアクセスしてみたが、何も載っていなかった」とし、「日本 のNHKを見ながら地震状況を把握しなければならない国民の心情が分かるのか」と気象庁を批判した。
この話を聞いた日本人は( )した。
括弧の中はどれか。
(1)爆笑 (2)苦笑 (3)失笑
(4)痙笑 (5)諂笑 (6)冷笑
■散人先生 なぞなぞ(漢字系)「“先生”という言葉にからかいのニュアンスが含まれるようになったのはいつからでしょうか?」
古典が大好きな現代中国人にもこのニュアンスは伝わると云うことかな。
現代中国語で「先生」は年上の「さん」と同じ。
台湾だと自称の用例多し⇒台湾 現地採用滞在記:「私は○○さんです」
ついでに、日本語の「先生」は中国語で「老師」。別に老いてなくても、そ。
それと…現代中国人が古典を好むか…以前に、漢字が読めるかが問題。
■新垣弓太郎
近年別の意味で沖縄で見直されることが多い。うちなーんちゅの真骨頂ともいうべき漢である。孫文とともに革命に前半生を投じた。蒋介石の盟友とも言える。たしか、彼の死に国民党からの敬意があったように記憶しているが…手元に資料がない。
戦時、日本兵の無礼な行為を責めるおり、目前にて妻を射殺された。彼は「日兵逆殺」と記した墓を建て、妻と永眠している。
■徳田球一
沖縄で暮らしながら、なんども徳田球一のことを思った。
徳田球一を一言で言うなら、日本共産党の創始者である。うちなーんちゅである。なごんちゅである。このうちなーんちゅが、日本共産党を打ち立てたのである。球一とは、琉球一の男、という意味だ。そしてその名に恥じないうちなーんちゅでもあった。そのことを今の日本共産党はなにも語らないに等しい。左派でうじゃうじゃする沖縄の左派が特にそのことを語らない。1998年に名護に記念碑ができたが、郷里の偉人としてこれを建てたのは政党で言えば、自民が主体であった。この時ほど、恥よ、共産党と思ったことはない。
もちろん、共産党には言い分があるし、私もある意味でひでーめにあった。所詮ないちゃーの幻想なのかもしれないなとも思った。
⇒徳田球一
毛沢東やスターリンと会談し支持を得る一方、伊藤律らとともに亡命指導部「孫機関」から武装改革をはかるが失敗。 53持病であった糖尿病が悪化し、北京で客死した。 55年までその死は明らかにされないが、同年9月13日に北京で追悼大会が行われ、三万人が参列したという。
■今の老人たちも戦後世代なので意外と現代史を知らなかったりする
と、私などが言うのも僭越だが。
昭和一桁世代というのは、物心ついたときにGHQ文化だから、意外と日本の現代史を知らなかったりする。そのあたりの極度の反発というか、自分をかなぐり捨てたくなるような嫌悪感みたいなものもあって、江藤淳とか西尾幹二とか西部邁とかにに出てくる。そのあたりを、いわゆる左派的な人達は、右派と見ているが、私なんぞから見れば、同じムジナですよと言えないこともない。小林秀雄がぶいぶい言った時代のものを読むと、この人達の若造時代が微笑ましい。というか、爺もみんな若造でした。そして、こういうのもなんだが、若造の愚かさというのを人は一生引きずることになる。もちろん、自戒と絶望を込めて言うのだ。
ところが、私よりちょい上の小林よしのりとか、私よりちょい下の福田和也とかだと、そうしたものですらない。言い方は悪いのだが、歴史の感覚というものがおよそ感じられない。そこまで言うのもなんだかなと思うのだが、なんだろと思うのは、江藤淳、西尾幹二、西部邁とかだと、「ひもじいい」「腹減った、喰えないのくやしい」という泣きたくなるようなトホホな心情がある。あれが、小林よしのりとか福田和也なんかにはない。おぼちゃんだし、ぷくっとしているとしているし。回顧して自分の惨めさに全身発汗するようなつらさというものがない。が、その代替として小林には喘息、福田には…なんだろ家業継ぎか、ま、そういうパーソナルなものがある。が、そこから、歴史への通路が、いわば文学になっている。
私は野坂昭如とかまるで好きではないが、ひもじいという絶対的な感覚からこいつが語っていることだけははっきりとわかる。そうした部分が、むしろ、老いた左派側にあるのだが…と書いていて言葉につまる。
■宗教というものにどうも関心がもてない…
というと失笑されそうだが…内心としてはそうだ。
ま、そのあたりの感性はフツーの日本人というだけのことだろう。が、フツーの日本人のような信仰心があるわけでもない。
米国文化とは結果として長いつき合いになるからなのかクリスチャン回路?みたいなものはあるようだが、さして。
道元禅師と禅を好むが、ま、好むというくらいか。
超越なるもから脱色しているからだろうか。よくわらん。
人生に救いなどあるきゃねーというのが信仰より堅固なものになってしまったかだろうか。
■御木徳近
そういえば、懐かしい名前だな。
⇒歴代教祖
PLを描いた小説を読んだことがあるが、あれはなんだったのだろう。後、羽曳野のあたりの古墳巡りなどで旅行などしながら、あのタワーが妙なものだと思ったものだ。そういえば、花火がきれいというのが有名だったらしいが、最近はどうか。
リンク先を見ると現在は三代目らしい。知らないな。
知らないといえば、初代のころの教えでは、夫婦は毎日セックスせよだったはず。そのあたりの教義はどうなっているのだろう。(神道がGHQ的な変貌した宗教のようにも思えるのだが。)
天理とかもどうなっているのだろう。生長の家とか…、立正佼成会とか…現代史を調べていくと、こうした宗教がところどころでとても重要な意味を持っているのだが、最近の現代史研究ではあまりそういう相貌を見かけなくなったように思う。キモイからであろうか。かく言う私も、こうした分野に踏み入れるのは、うへーになりつつある。
ふと思ったのだが、このキモさは、あれだ、スピリチュアルカウンセラーとかいうのだったか、あの手と同質のようにも思う。旧新興宗教はうまくリメークされなかったということかもしれない。
■コゲラ……Japanese Pygmy Woodpecker
英語では Japanese Pygmy Woodpecker というとのこと。この「ピグミー」という言葉を見て、昔々「日本人より体格がみっともないのは、ピグミーとホッテントットぐらい」と書いた職業外交官がいたことを思い出してしまった。
元アルゼンチン大使・河崎一郎『素顔の日本』二見書房(1969)
曰く、「ピグミー族とホッテントットを除けば、恐らく身体的な魅力といった点で最も劣っているのは日本人であろう」。
ちなみに1969(S44)年のベストセラー(出版ニュース社)。
〈5〉大もの小もの(御木徳近、読売新聞社)
〈7〉水平思考の世界(エドワード・デボノ、講談社)
〈8〉初歩・自動車工学〈カッパ・ブックス〉(樋口健治、光文社)
〈9〉素顔の日本 (河崎一郎、二見書房)
〈10〉断絶の時代(P・F・ドラッカー、ダイヤモンド社)
うち八冊は読んでいる私って爺ぃか。青春の蹉跌(石川達三)、スパルタ教育(石原慎太郎・光文社カッパ)もこの年。この二冊も読んでいる俺。どう考えても中一だったのだが、当時の出版界は二年くらいはだらっとベストセラーが続いていたか。ま、当時はそれほど話題の本っていうのがなかった時代でもあるのだろう。日本人とユダヤ人などもこの年であった。
「素顔の日本」は父が読んで、ほれ、これ面白いぞ、と渡してくれたのを覚えている。実家にはまだ初版があるかもしれない。
河崎一郎は昨年8月13日に94歳でなくなった。すげー長生き。
■基地集中 失う根拠/大野長官発言
大野功統防衛庁長官は十八日に出演した民放番組で、稲嶺県政が県外移転を要望している海兵隊について、「どこに置いてもいいじゃないか、という議論は当然出てくると思う」と語った。
沖縄の第三海兵師団の国内最初の駐留は、岐阜県と山梨県での分散配置だった。一九五三年八月、朝鮮半島に駐留する第一海兵師団(米カリフォルニア州)を支援する「戦略的予備軍=ストラテジック・リザーブ」だった。
岐阜、山梨から沖縄に移駐したのは五六年で、いま普天間飛行場の移設先とされている名護市辺野古に最初の駐屯地を建設した。七〇年代までに在沖米軍の主役が陸軍から海兵隊に代わり、基地もそのまま引き継がれた。
本土から沖縄に移駐した理由はいまなお、つまびらかでない。当時の在沖米総領事ジョン・スティーブス氏は「陸軍省、極東司令部、海兵隊上層部ですら反対だ。国防長官の決定は誰も説明できない」と、海兵隊の沖縄移駐に反対する秘密書簡をワシントンへ打電している。
五〇年代、国内各地で反米軍基地運動が盛り上がっていた。東京で米空軍立川飛行場の拡張工事に対する住民と警官隊が衝突(砂川闘争)、山梨では富士山ふもとの演習場で海兵隊の砲撃演習を住民らが砲身にしがみつき実力阻止。ほかにも静岡、石川、山形、新潟など、国内で基地問題が厳しい局面にある中、沖縄への基地移転が断行された。
基本的には日本が独立したので日本じゃない=沖縄に移転した。その理屈からいえば、72年に変更すべきだったのだが。
■国政に関する公聴会における佐藤内閣総理大臣の発言
こんなものがあるのか。ネットは面白いものだ。
第二の問題といたしまして、ただいま問題になつておる李承晩ライン、これは一体どうなのか、李承晩ラインは国際法上認めておらないラインであります。韓国が一方的にこれを作つたのであります。私は外交上でしばしば国際法上認めないラインだということを申して参りました。しかし今回の条約によつては、漁業協定によりまして、この李承晩ラインがあるのとかないのとか、いろんな議論がございますが、漁業は安全操業ができるのであります。私は李承晩ラインが漁業を操業する上において、だ捕あるいは逮捕、拘留等があつた、そのことが李承晩ラインというものをわれわれ日本国民に強く印象づけたのでありますが、今後は漁業協定によりまして安全操業ができるんだ、安全操業ができる以上、李承晩ラインの存否についてとやかく議論することは、私はあまり意味のない議論、事柄だと、かように思います。安全操業ができるということ、それによりまして李承晩ラインの存続を云々議論しなくてもいいと、かように私は考えるのであります。ただ、この問題につきまして民社党の西村君は、五年たつたら、いわゆる漁業協定の期限が到来したら李承晩ラインが復活し、また問題が起こるのではない{原文ママ}ということをいつております。私は両国の関係におきまして、かような無条約状態を起こさない修好関係を結ぶ、友好関係を樹立する、そのための日韓協定であります。日韓の基本条約であります。今日ただいまから、かような意味において心配されることは、こういうのが本当のき憂ということではないだろうかと思います。私はただいま申し上げましたように、今後は漁業に携わられる方、奥能登付近あるいは福井県からも、この対馬海峡に出漁される方はずいぶんあると思いますが、この付近の方々も今度は安全操業ができるんだ、われわれ日本のもとで、その法規に違反しない限り、われわれは安全なんだということが、はつきり言えるのでありまして、ただいま申し上げましたように李承晩ラインを云々する必要はないように私は思います。
難しい問題だなと思う。佐藤がこう発言するあの時代の背景はわからないでもない。
蛇足だが、1965年は日韓基本条約調印によって李承晩ラインが廃止された。
まさか、こんな時代になるとは。
■【日弁連】 李ライン問題に関する日本漁民拉致に対し韓国の反省を求める件(宣言)
ちょっと長いが、竹島問題の根幹にある李承晩ラインがいかに人権問題を起こしていたか、ということで。1953年(昭和28年)10月31日於高知市、人権委員会秋季総会、より。
国際法上の慣行である1国の領海が干潮時の海岸線より3海里の沖合を限度としているのに、李韓国大統領が一方的に擅に公海上に所謂李ラインの一線を画し、之を宣言したことは、国際正義に対する重大なる反逆であり、公海内に於ける魚族其の他一切の資源は人類共同の福祉のため全世界に解放せらるべきである。
しかるに、之を封鎖して独占を企図し剰え平和的漁船を拿捕し無辜の漁民を拉致し而も刑事犯人として処罰するが如きは洵に許し難い所業である。
世界平和を遵守する我等は、正義と平和の名において断乎韓国の反省を求め相共に東亜の再建に貢献したい。
(附帯決議理由)
本年9月以降10月6日までに韓国に拿捕された船舶は水産庁の調べによれば、39隻、現地臨検64隻、退去命令8隻、停船命令を受け逃げたもの13隻に達し、乗組員は482名全員抑留されているという。已に第二徳島丸の船長以下は判決を受けたが韓国スポークスマンの言によれば拿捕船舶は、没収、抑留船員の大部分は2、3カ月の懲役と罰金を科せられ10日乃至15日で裁判終了といわれている。洵に一刻を許さざる憂慮の状態である。
よって、単に宣言に止まらず緊急動議として茲に附帯決議を提出するものである。
更に本宣言並に附帯決議実現のため理事会の承認を得要望先に対し左記の要望書を提出した。
昭和29年4月23日 人権委員会
李承晩ライン、そしてそれを敬称する竹島問題が、実は、人権蹂躙的問題の根である、というあたりをマスメディアはあまり言わない。右派とみられるブログでもあまり指摘されていない気がする。
■誰か昭和を想わざる 月の朝鮮海峡
この竹島は元々、日本の実効支配の島であったのだが、ある時を境に韓国の実効支配に変ってしまい、現在に至っている。そのある時というのはいつの事か?昭和29年の青木光一の歌で「月の朝鮮海峡」という曲がある。この曲そのものはヒットしなかったので余り知られていないが、李承晩ラインを歌ったものである。李承晩ラインとは何か?まさにこれこそが竹島が韓国の実効支配の下に入るに至った元凶で、時の韓国大統領、李承晩が日本海に日韓国境線として勝手に定めた海の国境である。それ以前にはマッカーサーラインという国境線がちゃんと存在していたのだが、徹底した反日主義者だった李承晩は、そのマッカーサーラインより更に日本寄りに李承晩ラインを設定、このラインより韓国寄りの海域では水産物はじめ韓国の国家主権が及ぶと宣言、昭和27年1/18の事であった。竹島はこの時、李承晩ラインより韓国寄り、つまり李承晩が勝手に宣言した国境線によって韓国領に入れられてしまったのである。
日本側にとって、この李承晩ラインで頭を痛めたのが、何よりもそれまで公海であった済州島西側や南側の水域での漁であった。以前よりこの水域は底引トロール漁の好漁場で、いわし、さば、くじらなどがよく獲れる場所であった。
李承晩ラインの国際的な合法性というのはどうなんだろう。
ちなみに、米国の地図をいくつかあたってみると、竹島あたりの国境線がない。World Windだと確認もできない。
ただ、現実的に言えば、実効支配があり、それを許している以上、現実的には竹島は韓国領なのだろうなとは思う。問題は海域なんで、そのあたり、政府間でこそっと手を打てばいいのだけど、現韓国政権じゃだめだろうな。
■香雪ジャーナル - はてなを考える。
細かい話には率直に言って関心はない(ゲマインシャフトとか)。ただ、ふと思ったのだが、はてなのよさというのは、アマチュアリズムのよさなのではないか。そして、はてなブックマークでも思うのだけど、このマーキングは特定の層を反映している。その意味で、はてな、というのはそれ自体が得意な日本のサブカル集団なのだろう、いい悪いじゃなくてね。
で、そうした生息をしている以上、エコロジカルにというか、ある生息条件は限定されるのだろう。
もし、国際的になる、もっと大きくなる、というなら、クラスターを変えていく必要もあるだろうけど、そこは見えない。
ヤプログとかもそうだけど、ただ、着せ替えだけでユーザーを稼げる(でもないか)もあるかもしれないし、ま、総じてそうした傾向にはあるようだけど。
なんとなく思うのは、SNSにしても枠組みが古すぎる。たまごっちのお節介婆さん的な機能が求められているのではないだろうか。
■産経抄の「言いたいこと」
「ネットは新聞を殺すのか」より。
プロの情報の門番の必要性は今後も変わらない、という主張なのだろうか。ホリエモンのお陰でこうした主張が最近増えているなあ。
まったく。
関連⇒Sankei Web 産経朝刊 産経抄(03/18 05:00)
僚紙のホームページ作成に携わっていたときにも、こう考えた。玉石混交さまざまな情報の真偽を確認し、伝えるべき事柄を掘り起こす。それを読みやすい形に編集し提供するプロ集団が必要だと。思いは今も変わらない。新聞を殺せばその集団も消える。それはあり得ない。
おもわず、○カみたいと呟いてしまうのだが…それ以前に、この人の頭のなかの新聞って日本の新聞なんだろうな。新聞というのが基本的にローカルであること、クオリティーペーパーとそれ以外は違うこと、フィリーペーパーが増えていることなど、全然知らないのだろう。ブログを読めよ、サンケイ記者。
関連⇒愛と妄想の日々。:産経抄「インターネットがテレビや新聞を殺す」
こちらはトラバをいただいたような…。
■ビタミンC流儀・・・・効果的な飲み方、新情報 o(-_-;*)
この情報は正しいのですよ。でも、ソースがないのですよね。ちなみにこのCの摂取量の研究は、NIHのマーク・レビン教授の研究だったはず。これが間接的に日本のC所要量に影響している。
それと、もう一点、私なども軽くさらっと書いてしまうこともあるけど、このページの書き方は処方になっている。これって私の考えでは、医療コンサルトになって、アウチの領域にも見える。
そのあたりの指標はどうなのだろうか。
■笹山登生の掲 示 板
この掲示板の構造がわからないのだが(nameはねーの?)。[802] 注目するライス国務長官の言及、は、端的によく表している。
来日中のライス米国務長官が、今日、上智大学で行う予定のアジア政策に関する演説の事前原稿が公開され、この中で、アメリカ牛肉の輸入再開問題について、「この問題については科学的根拠に基づく国際基準が存在する。国際基準に基づいて解決を図るべき時だ。」と訴えている。
おそらく、そのいわれる『科学的根拠にもとづく国際基準」とは、「ミニマム・リスク論」であり、「ミニマル・リスク地域」を指すのであろう。
これがOIEガイドラインに沿ったものとして認知されることによって、SPS協定もクリアでき、WTOの場でも、パネル設置が出来る環境に、本来は至ったはずだったのだが。
しかし、その『科学的根拠に基づく国際基準』をはじめて適用しようとしたカナダが、アメリカ議会自らの手で、否定されてしまっているではないのか?
その矛盾にどうこたえられるのですか?
NYTの記事もこれに関連する。
ただ、もう少し政治的にいうなら、というか、私はなんども言っているが、カナダ牛による米国のマーケットの問題が重要なのだ。
■BSEはメディアリテラシー力を問う [ブログ時評15]
NYTの記事は3.20現在まだNYTのサイトで無料で読める。もちろん、読むためには登録が必要ではあるのだろう。
なのに
同ブログは、3月15日付「NYタイムズ紙が社説で『飼料管理、きっぱり改善すべき・必要なら全頭検査も』と主張」とのニュースも伝えている。社説の原文は台湾のサイトに転載された「The beef merry-go-round」で読める。
というのは、いかがなものか。
少なくとも、オリジナルのリンクはすべきでないか(一般読者に登録を強いるとしても)。というか、ソースを大切にするというのは基本ではないか。その後、台湾サイトのリンクもありだろう。
そして、この重要な記事を参照させるなら、このNYTの記事におけるカナダと米国の問題が、今回の日本の問題に派生している点を読み取らないと大筋を外していることになるのでは。
ところで、なぜブログ時評がNYT記事を台湾サイトで読むようにしているのか奇怪なので、ちょっと調べてみたら、あれま。BSE&食と感染症 つぶやきブログの記事:
笹山掲示板[791]にて原文のご紹介がありましたので抜粋させていただきます。
とあり、その笹山登生の掲 示 板
の791を見たら…
http://archives.foodsafetynetwork.ca/fsnet/2005/3-2005/fsnet_march_15.htm
http://www.etaiwannews.com/Opinion/2005/03/16/1110937348.htm
とある。つまり、この掲示板を辿ってブログ時評ではリンクを貼ったのではないのか?
些細なことだが、NYTの記事を取り上げるなら、まず、NYTに当たるべきではないのか。
そして、確証はないけど、他人がシークしたソースをそのままコピペというのは、クリップページでもない(オピニオンページ)のだから、恥ずかしいと思う。
当方もあまり他人のことを言えた義理でもないが、記者さんのイロハに関わることだと思うのだが。
以上、タメの批判というか非難にとらないで欲しい。(というか、トーシロさんには言わないですよ。)
ちょっと余計なことをいうと、「ブログ時評」ならあくまでブログ時評の内部に留まるべきであり、それらを俯瞰するがごとき視座を出しても悪いとは思わないが、あくまでそれはブログ時評の方法論であるべきではないのか。
というか、「ブログ時評」というスタンスをもうやめたほうがいいと思う。
普通のブログとまったく同じ地べたに立って、発言していくほうがいいと思う。
■今日の新聞各紙社説は…
主眼の一つはライス来日なのだが、どれも浮ついて切り込んでいない。あるいは、もっとライスという個人に切り込んでもいいのではないかと思うが、恐いのだろうか。
サリン事件関連も焦点がぼけている。
米国牛肉についても、おざなり。
社説の枠では無理があるということなのかもしれないが、どうもこの薄さが耐え難い。
■日経社説 地下鉄テロから10年の教訓
つまらない。
■日経社説 アジアへの懸念もにじますライス歴訪
もう少しくっきり書けないものか。
■産経社説 米国務長官来日 進めたい「思いやる同盟」
つまらない。
■産経社説 対中ODA 大国なら自力開発できる
どってことない。
■毎日社説 ライス外交 同盟のソフトパワー生かせ
このレベルを書いて新聞かねというのと、このレベルが新聞なのか。クサシではない。公開されていないところに切り込むのが新聞記者でしょ。
■毎日社説 米国産牛肉輸入 再開強要は米国にも益がない
薄いなぁ。
■読売社説 [日米外相会談]「戦略対話を重ねることが大事だ」
これも内容なし。
■読売社説 [地下鉄サリン]「テロへの備えを迫り続けた10年」
特に内容はない。
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確かに、私の掲示板で、ニューヨークタイムズに登録していない読者の皆様にも、原文を見せたいということで、台湾版などのミラー版をリンクしたことが、転々、流通してしまったようで、その点については申し訳なく思っております。
今回のライスさんの上智大学での講演内容も、日本の新聞では、公開されないものですから、直接、アメリカ国務省のサイトから引っ張ってきているのですが、これも、読者の方にわかりやすいようにと、私が仮訳したものが、今度は、公式訳として、転々、流通することにでもなりますと、困るなぁ、とも思っています。
今後、どのような対応をするのか、この際、よく考えてみたいと思います。
ご指摘ありがとうございました。
http://www.sasayama.or.jp/wordpress/
当時の韓国は、ちょうど今の北朝鮮のように人権を無視する国と見られていたのでしょう。
李承晩時代はその前後と比べて日本人にはあまりよく知られていない時代なので、呉善花さんか金完燮さんが本でも書いてくれると面白いんですが。
あと、沖縄タイムズの報道は興味深いですね。
本土から沖縄に基地が移転されていたというのは、これまで取り上げられなかった話です。
と、こういうのを聞いたり読んだりすると軍隊というのはあまり上品とは言えなくて、同じ日本人相手にもやるのだから中国人や朝鮮人相手ならなおさらもっと気楽に殺しまくっていたのではと思うこともあるのです(特に戦争に行っていた祖父たちの朝鮮人に対する評価などを考え合わせると特に)。ひょっとすると沖縄人は日本人と思われてなかったのでしょうか。
こういう話題はWebではなく個人でそっと勉強するものなのでしょうか。私も興味はあるというかちょっとした義務感のようなものもあるのですが本を読むにもたくさんありすぎて迷います。finalventさんは確か以前に、南京にいた方の話を直接聞いたけど書かないと書かれてました。ほんとうは本よりも体験者経験者の顔を見ながら話を聞くのが一番よいのではないかと思うのですがその機会はどんどん減っていきます。2年前になくなった祖父にももっと話を聞いておけばよかったと少し後悔しています(戦争の話をする何とも言えない祖父の表情を見るのが厭であまり聞かなかったのです)。
ちょっとというかぜんぜんまとまりなくてすみません。また出直してきます。
目先の利で、陰陽180℃変化します。これはちょっと恐ろしいくらいです。
でも、それはあくまで目先であって、長期的な視野で見た利というのに非常に疎い。
このあたりが日本人と韓国人を大きく隔てるものだと思います。
竹島問題なんて、それが大きく表面化したものかなぁと。
もちろんそうじゃない人もいますが、そうじゃない人の多くは悲しいかな、韓国以外で教育を受けた人々です。
ブログのほうには早速URLサイトをUPいたしました、ご指摘ありがとうございました。
平和的かつ継続的でなければならないとか、決定的期日がどうたらとか今一つよくわからんのですが。
それにしても国境線が絡んだ問題というのは、面子のために寸土を争う国際政治というものを我々に教えてくれるよい題材だと思うのです。日本で暮らしているとこのようなことが世界に満ちていることをつい忘れがちですから。
山本氏がディプロマシー入門を始めたりやたらと物事の内情を書いてみたりするのは、彼の童貞ぶりもさりながら、このような日本の思想的風俗に対する生真面目さに原因があるような気がしました。