基地集中 失う根拠/大野長官発言

大野功統防衛庁長官は十八日に出演した民放番組で、稲嶺県政が県外移転を要望している海兵隊について、「どこに置いてもいいじゃないか、という議論は当然出てくると思う」と語った。

 沖縄の第三海兵師団の国内最初の駐留は、岐阜県山梨県での分散配置だった。一九五三年八月、朝鮮半島に駐留する第一海兵師団(米カリフォルニア州)を支援する「戦略的予備軍=ストラテジック・リザーブ」だった。
 岐阜、山梨から沖縄に移駐したのは五六年で、いま普天間飛行場の移設先とされている名護市辺野古に最初の駐屯地を建設した。七〇年代までに在沖米軍の主役が陸軍から海兵隊に代わり、基地もそのまま引き継がれた。
 本土から沖縄に移駐した理由はいまなお、つまびらかでない。当時の在沖米総領事ジョン・スティーブス氏は「陸軍省、極東司令部、海兵隊上層部ですら反対だ。国防長官の決定は誰も説明できない」と、海兵隊の沖縄移駐に反対する秘密書簡をワシントンへ打電している。
 五〇年代、国内各地で反米軍基地運動が盛り上がっていた。東京で米空軍立川飛行場の拡張工事に対する住民と警官隊が衝突(砂川闘争)、山梨では富士山ふもとの演習場で海兵隊の砲撃演習を住民らが砲身にしがみつき実力阻止。ほかにも静岡、石川、山形、新潟など、国内で基地問題が厳しい局面にある中、沖縄への基地移転が断行された。

 基本的には日本が独立したので日本じゃない=沖縄に移転した。その理屈からいえば、72年に変更すべきだったのだが。