2005-04-28
■のり上がり脱線ではなさそうなのだな…
これはある意味、運転ミス説でもなく、置き石説でもない、ということになるのだろうか。置き石説はすでに消去されているふうではあるが。
なにか未知なメカニズム、あるいは、車両欠陥などが存在するのだろうか。
■ブログと専門性…
禁断のメタ論に入りつつあるかもしれないが、このくらいで止めにするので…。
昨今のブログ論で、↓のFPNエントリでもあるけど、専門家のブログというのが出てこないという嘆きがある。
そのあたり、ちょっと違和感があるのは、専門家はブログに出てくる必要はない、というか、出てきてもPVは取れないし事実上消える。ニーズがあるのは、専門家そのもののスクリプトではなくて、それを伝えるスクリプトなわけで、単純にいえば、専門と一般を繋ぐブログということになる。
ただ、それも、そうした構図では啓蒙になるし、私のように吉本隆明に傾倒したようなタマからすると、啓蒙ですがぁ、市民主義ですかぁ、へなへなーは髪の健康…みたいなことになる。もうちょっと開いていうと、専門=権威、それをわかりやすく市民に啓蒙するというのは権力の構図であり、すでに失敗した構図なので、それをブログでなぞることはあまり意味がない。(専門性とは職業性のことだろうし、職能を通した産業構造の問題だろう。)
と、いう発想はちょっと蛸壺化しつつある。
いずれにせよ、ちょっと面白げに見える場というか話題というが、実際は、古いなにかの解体のパロディかもしれないなら、あまりそこでエンタテインするんじゃなくて、ちょっと別の方向性を考えたほうがいいだろうとは思う。
もうちょっと言うと語弊があるので言わないが。
じゃなくて、うまく言えないが、ある種の「連帯」の構築なのだろう。
そう書いてしまえば、いわゆるネット上のヴァーチュアルなつながりとかにリダクトされるわけだが、そうした、対人的な関係・連帯でなく、そうではなく、ある種の社会合意形成の連帯だろうと思う。(mixiはそこで方向が違って「うざい」。)
その連帯の基礎条件の作り方が、そう簡単に過去の事例から導けるものではない、ということだろうとは思う。
つまり、語られた言説を審判するという言語内部に閉じるものではない、し、また外部の確実性の高い知識とのリンケージでもない。
少し具体的な側面でいうと、例えば北朝鮮拉致問題や中国反日問題。基本的にこうした問題について、あまり声高に意見を述べる必要はない。また、特定の意見や特定の論者を信奉する必要はない。大抵の場合、大衆の健全な常識はこうした場合に無言なものだ。が、その無言がかつては、ある実際的な社会連帯の実感を伴っていた。現代ではそれがない。現代では、実体的な社会でのそういうコミュニケーションはないし、復権もできない。
そうしたとき、ブログなりは、ある種、フツーなふーん、という常識的な連帯の水準を形成しえるように思う。
むしろ、その連帯の水準は、専門的な知識による審判をそれほど必要としない。
そうした連帯が必要なのは、すでに旧来のメディアが別の組織性(含権力)という側面を明かにしてきているためだ。
必要なのは、ふーん、そーだよねー、である。
例えば、これとか⇒らくだのひとりごと: 席を譲らなかった若者
気の効いた意見というより、ふーん、そーだよねー、である。
これを読んだ人がその若者のような行動をするかといえば、しないのではないか。ただ、こうしたエントリーを読みながら、ふーん、そーだよねー、というふうに意識を再確認するという連帯があると思う。そしてこの弱い連帯性は、デュルケム的な意味での連帯の代用にもなるだろう。
■例のブログブーム終わり論関連…
ただ、最近になって「これはもう勝負あったな」と思う象徴的なものとなったのがフジテレビで放送されている「ブログタイプ」。
ブログタイプをご覧になった方は感じていると思いますが、あの番組で取り上げているブログはもちろん「面白い日記」。
各社ポータル系は最初からそれだったわけでもあるし…。
所謂ジャーナリズムや論壇?その手の側からは、ブログってレベルが低いというわけで、私などもそう言われる。いずれにせよ、日本のブログのレベルは低いということで円満な結論がでて、終わりというになっているのかもしれない。
そのあたり、繰り返すけど、あまり関心がもてない。
別の側面でいうと、そういうレベルとかいうメタ論でブログを考えるというのもそれほど関心ない。
ちょっと誤解される言い方になるけど、宮台真司や浅田彰が読まれるのは、既存系では、その名前のブランドなので、そのブランドを落として内容だけがブログにあるということは、理論上はあり得ても、ない、という建前になる。
だが、だからといって、それだけのブランドに匹敵するクオリティがあればいいとも、逆に、ブログ側でブランド的な書き手が出るということも、あまり関心が向かない、のは、それが、結局既存の回路だからだ。
既存回路もよい点は多い。なにより収益モデルがしっかりしている。意見とか書いていてもそれなりに喰えるやつは喰える。ブログで喰えるやつはない。というか、そういうモデルをついに出せなかった。ま、最初から無理無理ではあった。2chのばりばり編集の「電車男」でベストセラーを出したみたものの、ブログでは続かない。(これはまさに出版レベルととしてレベル低すぎばっかというのもあるかも。)
じゃ、ブログで喰えるようにするかという模索は、それこそ、取り敢えず、結論は出ただろう。失敗。誰も成功していない。
じゃ…というあたりが問題でもあるのだが、けっこう、その部分は地味な地平(NPO的な)になる。
■あまり報道を見かけないのだが…
国連(CNN) 国連人権委員会(定数・53カ国)で27日、任期満了に伴う改選が行われ、ジンバブエや日本など15カ国が選ばれた。日本もジンバブエも再選。
日本は1982年以来、連続してメンバーに選ばれている。
ということで、国連的には日本はかなり人権問題に貢献しているとも読めるだが、国内的はフォローはいまいち。外務省のこのあたりのことが錯綜。そしてメディアも…。
あまり言うととばっちりがきそうだが例の法案も潰しておくと日本の面子も潰れてよいとする勢力もありそうだが、ま、錯綜はしている。
国連人権委員会に対しては、選出基準があいまいで人権侵害への対応能力に欠けているとの批判が絶えない。アナン事務総長は先月、国連改革の大きな柱として人権委の廃止と、これに代わるより機動的な機関としての人権理事会の設立を提案した。
拒否権付きの常任理事国なんて野望は捨てて、こっちに力を注いだほうがましだと思う。ま、そのためには国内が…とまた小一時間になりそうではあるが。
いずれにせよ、中国は拒否権を手放すわけはない。で、日本もそれを手に入れたいというカウンターより、つねに中国にジャブを浴びせるポジションを固めたほうがいいと思うのだが。
■はてなDって文系が多いのか…
洒落でポエムを書いてみたらエズラ・パウンドがキーワードになってら。と思って、見たら、T・S・エリオットもそうだ(こっちは英語名がないけど)。今時、そんな詩を読む若者とかいるのだろうか。
イカロスもキーワードだった。ふーん。
追記
munagurumaさんからご指摘。"Musee des Beaux Arts"( W. H. Auden)ですね。あああ。W・H・オーデン。
■ポ、ポ、ポエム…
エズラ・パウンド(Ezra Pound)の詩だったか
たまたま紛れ込んだM教授の授業だったか
それとも生涯辞書を編み続けたS教授のお弟子のS教授の授業だったか
それともT・S・エリオット(Thomas Stearns Eliot)の詩だったか
----それはないなきっとたぶん雨の予感のように
----そんな構成的な詩じゃなかったしどこにもそれはそれはそれは
初夏の日だった
背の高い窓の向こうの
少し淡い大空を
よく広げた毛の薄い猫のような雲が流れていき
たぶん僕の知らない人たちの町では
ちょっと固めのビジネスが繰り広げられているのだろうけど
その詩のなかでは
世人の営みの盲点となる天空のかたすみで
イカロスは失墜したのだと
-----やはりその趣味はパウンドだったかと思う
人はそうして知らぬとき
ふとしたときに気付かれることなく失墜していくのだと
だれもそのイカロスを見ることはできないのだと
そうでなければ世人と多角形のような世界の内側がそうであるように
静かに老いていくのだろうたぶん白い石のように
S教授はたぶん先生のS教授のように髭を伸ばし
M教授と並びの教室はがらんとしているか
あるいはその詩を今でも講じておられるのだろうか
■はてなQ 私の妻は30代で、かんしゃくを起こすと止まりません。
先日も、ケチョンケチョンに言われました。非は、私にあるようなのですが、そこまで先読み出来ない所もあります。そこで、「夫婦生活における女心のわかる本」のようなものがあれば、教えて下さい。よろしくお願いします。
ちなみに、私はのんびりタイプで、妻はチャキチャキタイプです。
なんかあったような。
■今日の新聞各紙社説は…
郵政民営化については、朝日と産経の社説がよかった。古い政治の問題は古い社説が合うのかと皮肉も言いたいようにも思うがそうではあるまい。微妙にだが、朝日も産経もこの間、変化しているのを感じてる。
ブログの世界では、新聞vsブログと見て、新聞の世界を固定化しているが、実は静かに新聞の内部が変わりつつある。
毎度のことだが、四月二八日の日本の主権回復というふざけた話には呆れる。国土と国民が分断されてなにが日本国の主権か。
●日経社説 家庭用燃料電池の可能性
この話題は自分では評価できない。わからない。
●日経社説 ベトナム戦争後30年を振り返れば
くだらない。
これを読め。
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●産経社説 世界の教科書 誤った対日認識を正そう
そんなこたぁどうでもよい(教科書で学ぶと考えるな、と)。
●産経社説 郵政民営化 欠陥の修正を躊躇するな
これはやや勇み足だが、85点。
この機を逃せば民営化が再び政治日程に上る可能性は極めて低く、市場メカニズムと無縁な郵貯・簡保合計三百四十兆円という巨大な資金が温存されるからだ。
このうえは、国会審議や民営会社を監視する民営化委員会などを通じて、今回の民営化の欠陥を躊躇(ちゅうちょ)せず指摘し、かつ修正していくことを切に望むしかない。
●毎日社説 郵政民営化法案 後は野となれ山となれか?
これもダメ。日本人ならしかも言論を担う人間なら、なにがこの状況で最善かという言論に責任を持て。
●読売社説 [講和の日]「『主権回復』の重みを忘れまい」
この社説執筆子は愚か者である。
●読売社説 [郵政民営化]「改革の貫徹へ国会審議を尽くせ」
議論が上滑り。
ところが、合意文書は“抜け穴”を用意した。いったん市場で売られた金融2社の株式を、持ち株会社傘下の郵便や窓口網の両社が買い取ることを認める。持ち株会社が完全処分の義務を果たさなくてもペナルティーを科さない。
だめなところ、一、妥協無くして法案は成立しない、二、合意文書と法案は異なる。
●朝日社説 郵政法案 それでも、やらぬよりは
この社説は非常に良い。95点。
●朝日社説 脱線事故 奪われた命を思う
深刻なテーマだが、実際には無内容である。
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で、俳句に興味をもった方にオススメのはてなDね。
http://d.hatena.ne.jp/misosazai/
それはW. H. Audenの”Musee des Beaux Arts” では?
これを日本のマスメディアは追いかけてくれるでしょうかね?
それはそうとJRの事故ですが確かに一人のミスで大惨事になってしまうのはシステムに問題があるのだろうとは思うのですが、あまり会社の勤務実態などを標的にするのはそれぞれの会社自身はどうなんだ?なんて思ってしまいます。
>2chのばりばり編集の「電車男」
に登場する、紅茶について説明する名無しさんって、実はfinalventさんなのではないか、としばらく前から思っているのですが、そうですか?
理由は以下;
(1)finalventさんの語調も時々2chばりばりになる。
(2)紅茶に詳しく、レスもすらすら書ける男性が日本にはそんなに沢山いるのかという疑問。
(3)なんとなく雰囲気が似ている。
Dejaのおかげでusenet関係のGoogleはほぼ完全なArchiveになってますね。Webの方のGoogleに先生の敬称をつけてる限り、バランスが崩れるのも必然かと。
関係ないですけど、fjがゆっくり崩壊したように2chも終わりの始まりがきてるような気がします。なんとなく。
話をちょっと戻して申し訳ありませんが、最近某所で祭があって、燃料になる資料がNifのフォーラムにごろごろあるのが解っているのに誰もひっぱってこない(IDがあればブラウザで引っ張れるのに)、て面白現象があるのですが、「ネットとメールしてます」的な無知と違う、内向きの力を感じます。なんでもGoogleで済ませる・Webで完結しようとする引きこもりっぽさというか。コスト意識の問題なのか(記事のscanや音声のencodeの手間は惜しまないが)、Google万能幻想に似たものをWeb自体にも求めているのかは私には判断できませんが、関係ありますでしょうか。>10年以前前の歴史知識のバランス
この前観た「恋人までの距離(ディスタンス)」という映画に、主人公(男の方)が「ディラン・トマスの詩をW・H・オーデンが朗読しているのを(テープか何かで)聞いたことがある」と言って自分も真似してちょっと朗唱してみる、というシーンがありました。
この際本人の朗読でなくてもいいんですが・・・。(とは言えやっぱりせめて英語圏の本職の詩人が朗読しているものがいいなあ。)
もし何も不備が無くて「ちょっと高めの」スピードと「絶妙なタイミングの」ブレーキングだけで転覆したとしたら207系車両は設計上重大な欠陥を抱えていることになります。いずれにしても、高見運転士の過失はさほど重大ではないのではないでしょうか。現役や引退したJRの運転士がほとんど誰もブレーキングによる転覆の可能性の大きさを指摘していなかったということは、運転マニュアルにもその操作の危険度の高さがそれほどには指摘されていないということになりますし。
nif のフォーラム、数日前にたまたまアクセスしてみたら、今月一杯でフォーラム全部消して、過去ログも無くします、と出てました。
2ch やブログのコメント欄で論争になったとき、最近のセイガクらしき連中は、で、そのソースは?と、ホットリンクの提示要求します。せっかく新出のキーワードちりばめてるんだからgoogleってからソース要求しろよ、と思う漏れはヘタレ?