毎日社説 視点05=郵政造反組 論説委員・与良正男

 少々手前みそになるが、毎日新聞が「解散・総選挙があってもいい」と社説で書いたのは郵政民営化法審議が本格的に始まる前の5月20日付朝刊だった。「自民党の造反者は離党するのが筋だ」ともその時点で指摘した。朝日や読売など他紙が8月8日の衆院解散直前まで「解散は目的不明」「民営化法を通せ」とそろって反対する中、私たちは5月以降も再三、解散是認論を掲げてきた。
 なぜか。一つは同じ自民党内に与野党があるかのような対決劇が演じられ、いつしか改革が骨抜きになっていく政治は、もう限界であり、一度選挙で整理した方がいいと思ったからである。

 そうだ。

 「自分党」などと自慢していた自民党が、曲がりなりにも政策の一致をめざす党になったという点で、今も私は夏の郵政解散を評価する。しかし、勝手なものだ。首相が登壇するたび、小泉チルドレンから熱狂的な拍手が起きる状況を見ていると、「こんなはずでは」と感じるのも事実なのだ。

 後半は政治の上ではどうでもいい心情というか、私はそんな風景を見る趣味はない。
 政治はたかが政治だ。機能すればいい。
 この心情から以下の段落に流れ込む。

 「日本はみなで幸せになる共生の国だった。今や弱者は強者の繁栄のための道具だ」という亀井氏の主張に、もう少し耳を傾ける時期かもしれない。市場原理優先は手段であり、勝ち組、負け組と平然と色分けされる社会が私たちの目標とは思えないからだ。

 こういう毎日の主張は愚かだと私は思う。先の心情と、この問題意識は政治の言葉ではつながっていないのだ。
 亀井のいう共生の社会とは国家を一部の特権が弱者を建てに食い物にしていく社会でしかなかった。その特権の一部に新聞もメディアもいた。