産経社説 水俣病50年 想起したい「不作為」の罪

 産経って朝日に似ているなと思う。

 健康被害や公害はどれも行政、企業の対応遅れと不作為で広がった。水質、土壌、大気の環境汚染に注意が払われるようになったとはいえ、新たな問題が起きる可能性はある。行政は被害を小さく見積もり、大したことはないと保身に走ってはならない。健康被害を未然に防ぎ、起きた場合は迅速な対応で最小限に食い止めたい。

 鉛害とか日本では調査もされてなげだと思うが。

毎日社説 憲法記念日 情熱をどう取り戻すか

 これは愚論だと思う。
 憲法は成文法の部分だけではない。戦後の司法の積み上げもまた憲法の一部だ。というか、いわゆる日本国憲法は歴史文書であり、成文法としてはもう死んでいる。歴史が続いているのだからそれでいいし、死んだ日本国憲法を書き換えて生きた成文法にするほどの重要性が日本社会にあるとも思えないというか、歴史を書き換えるような情熱には困ったものだ。
 迂遠だが⇒「痛快!憲法学 ― Amazing Study of Constitution & Democracy: 本」

歳だなと思うのは疲れが1日遅れてくること

 けっこう無理しても、っていうか、あまり無理はしないが、ちょっと無理めか、というときでも、まあ、翌日はもつ。で、その次の日がもたない。
 これがその日にダウン、翌日ダウンとなると、ま・ま・ま・マジで老人ってやつか。
 いずれにしても、翌々日のスケジュールを少し調整するっていうのが、50歳を迎える知恵ってやつでしょうか。とほほほ。