酒というのはただ飲むから酒というのもあるが……

 ⇒南無の日記 酒は美味いから、絶対、やめん!
 わからないでもないが。
 私はそういう生き方ができなかった(でもけっこうめちゃくちゃか)。
 自分で言うのもなんだが、酒でも女でも賭け事でも私は身を持ち崩さない。どっかで醒めていてただ世界を測量している。それが耐えられなくてさらにのめり込む人もいるのもわかるが、なぜか自分の身体も運命もそれをついには許されなかった、とはいえ、そう長い人生でもないのだろうが。
 「酒は美味い」と言える人のために酒があるのだろうと思う。そのような酒を私は知ることなくこの人生を終えるのだと思う。同じことは女についても言える。
 私にとっては、世界には旨い酒と不味い酒がある。ある程度主観幻想で言うのだが、それが冷酷にわかる人間は酒に向かない(同じことは女についても言えるかもしれない)。
 代わりになにが欠落しているか。
 たぶん、愛情のようなものだろう。
 子供のころからそうだが、いつも孤立していた(と内面的には了解していた)。
 そういう孤立した視点から人々の集団を見ると、単純に狂気と暴力にいかれた人々に見える。というか、人間の集団というのは、本質的にいかれているとしてか思えない。こいつらが語っていることは狂気だし、私を暴力的に排除するのだ、と。もっとも、これはもちろん妄想である。
 子供のころから、こんな世界にどう向き合って生きていくか、苦戦した。
 ツールはたった一つ。私は計測すること。仮説を立てて検証すること。
 人々がなにかをする、なにかを言う。私はそれをすべて仮説とする。私は自分が正しいとは思わない。およそ人々に向けてなにかを言ってもそれを正しいと認めてくれるわけもない。ではどうするか。あらゆる仮説をフラットに並べて計測する。計算する。
 私は私の感性や思考を計測する。私が正しいと出たときは、こっそり世の中に逆らう。世の中が正しいと出たときはこっそり私が折れる。