議論がきちんと噛み合えば面白いのだろうなとはちと思う

 1⇒池田信夫 blog:マルクスとロングテール
 2⇒[R30]: 悪夢のロングテール考
 3⇒池田信夫 blog:マルクスとロングテール(その2)
 で。
 それはそれとして。1の。

必要を超えた過剰な資源が利用可能になる社会というのは、非現実的に聞こえるが、半導体の世界では(ムーアの法則によれば)性能が40年間で1億倍になる「爆発的な富の拡大」が生じ、コンピュータは「必要に応じて使える」状態になっている。これによってITの世界では、資本家と労働者を区別していた「資本」の意味がなくなり、だれもが情報生産を行うことができるようになった。

 このあたりが面白い。
 批判とかではなく、この部分は、資本論を逸脱していると思う。
 アウトラインだけいえば、資源=リソースの問題ではなく、サービスの問題だろうし、サービスであれば、マーケットがその価値を定位する。
 ところがここではリソースが一億倍という話になり、それによって資本の意味がなくなるという話に展開する。
 わけわかめといえばそうなのだし、「富」概念が曖昧だから議論が曖昧ではないかとも言えないこともない。ま、そんなことが言いたいわけではない。
 富を裏打ちするのはサービスであり、それはニアイコール労働としていいだろう。どこかでサービスが搾取される必然的な変化をITが担っていたと考えるほうがよりマルクス的だろうと私は思う。
 ただ、そう言っても池田氏と議論が噛み合うものでもない。
 で。
 私のこの問題のマルクス的なフレームワークに引き取る。
 たとえば、米国の衣料産業を事実上潰したのはなにか? ITと言えるか。このあたり、経済学者とかエコノミストの意見を聞かない。愚問だからとも思えるが。直接的に衣料産業をITが潰すわけはない。
 だが、国際貿易の比較優位のように、産業セクター間の比較優位のようなことが起こり、ITが富≒サービス≒労働となるとき、労働者をITが吸収する一方、この産業セクターを対外的に移動させる。
 粗っぽい言い方が続くが、これは簡単に言えば、中国人とかの労働の搾取の構造でもあるが、マルクスがよく見ていたように、この運動は搾取という一方的な問題ではない。というか、こうした弁証法的な運動こそが本来の帝国主義論となるべき萌芽であった。
 すこし話を戻す。
 富が膨れたのではなくサービスを吸収するシステムが膨れたのだろう。そして、資本というのはいわゆる富に裏打ちされたものというより、よりシンボリックななにかになった。あまり突っつくのもなんだが国家が通貨をいじるということが大きな意味をもったのはこのシンボルと国家の関係だろう。
 というか、超国家と米国とドルとは基本的には同じなのだろう。といえば曖昧すぎる。
 まあ、議論のうまいフレームワークが見えない。
 で。

アナロジーがここから先も続くとすれば、マルクスが予告したように「物質的生産の領域のかなた」にあるサイバースペースでは「貨幣の消滅」が起こるかもしれない。

 これも面白い指摘だが、たぶん逆の意味だろう。現在ですら巨大なマネーはシンボルであって貨幣的でない。
 話が錯乱するが、もう一つのファクターは農業だろう。ITによって農業が構造的に搾取されるようになったというか過剰な生産性が結果的に農業的な農業(これは非貨幣経済的という意味)を潰した。
 人類の大半はその人生を貨幣と関わりなく幸せに生きられるはずだった。そうした農民の存在をマルクスは憎みスターリンは意図的に殲滅した。スターリンの誤解は悪夢のようだが、マルクスの理念はそれが先進国において必然的に起こるとした、が、それはローカルに閉じていたというのが前提だろう。国家は貿易や戦争など結びついていたとしても依然ジオポリティックなものだっただろう。
 今我々が直面するのは、そういう世界ではなく、人生を貨幣なく幸せに生きられた人々をねこそぎ世界の運動に巻き込むようななにかだ。