finalventの日記

2006-07-19

非常識だといえば世間的には非常識なんだろうと思うが

 和歌山ヒ素カレー事件を思い出すのだが、詳しく知らないせいもあるのだが、私は、林眞須美容疑者は犯人ではないと考えている。あるいは、犯人だというふうにはどうしても考えられないとか、犯人だという確信が持てないというか。

 イデオロギーとか人権とか、そういうメタなことはなにも考えない。

 自分が生きてきた経験というか、社会の真理に対する自分の感性から、これはありえないというふうに思う。

 もちろん、自分が世間的に間違っているということを受け止められないわけではない。

 話がそれたのは。

 そういう、なんというか、世間との表面的な妥協によって、私は私の内面のなにかを延命させている。狡いのかもしれないが、どうも、世間というものがうまく納得できないという子供ときの思いは変わらない。

日記の中の自分と歳

 言ってることが矛盾するけど、この日記を書き続けてきたことで老いたことはあると思う。言葉使いもなんか年寄り臭いなと思う。年寄りくさい文章を書いているというかそれが自然であるように馴染ませようとしている、自分の意識に対して。

 私には文才はないので、今の若い人の言葉の真似はできないし、今の若い人の感性を真似ることもできない。ただ、自分の若い日の言葉と若い日の感性にはあまり変化はない。そのあたりをただそのまま表出しているのかもしれないが、意識としては、あまりそうしていない。少しずつ歳の間合いを取っている気がする。

 若さというのは、しかし、若い言葉が使えることかもしれない。そして、私が若くないというのはその言葉が使えないということでもあるのだろう。言葉はたぶん現実の肉体に近いように、私の肉体は老いている分、若い人のような恋愛とかセックスとかはできない。そうしたいとも思わないが。

 以上と矛盾するのだが、日記のなかで私は、誰もがそうなのだろうが、どうしても擬似的になる。偽物というか作り物というか。ネットが匿名といった議論はうんざりだが、私はネットの関わりにおいて、実は匿名であったことはない。それはネットの時代的な位置の違いかもしれない。今のネットカルチャーとかつてのそれとは違っていた。友情とか仕事とかにも直結していた。

 今はそういうのはない。そういうのを持ちたいとは思わない。そういうのが若さではないと言われればそうかもしれない。そういうものの持つ痛みみたいのにもう耐えられないだろうなと思う。そうした意味で、実名とかいろいろそのスジで関わりたくはない。

 ネットは仕事ではないし、もうちょっと言うと趣味でもないかもしれない。ではなぜ?と自問するのがわからないし、わかるより今は今のままでしかない。

 たぶん、ということもなく、存命ならあと5年で私は決定的に変化しなくてはならなくなるだろうし、その時は、心も玉手箱を開けたように老いるのだろうなとも思う。その時、もし私を覚えている人がいたら驚くかもしれないし、かつての私を知っている人がいたら(5人くらいはいる)、今の私こそが奇妙な迂回のようでもあるだろう。

オジンとか爺とか言われるが

 実際、若い人の話題についてけないし、説教みたいなこと書くし。

 でも自分は心は若いんだよ、とか、言う気もさらさらないし。

 ただ、私をオジンとか爺とか言う人は、私が年齢を公開しているからそう思うのではないか。あるいは懐古話からそう思われるか。懐古というのは老人の特徴と言えないこともないし。

 芸能とか世相の話題を抜きにして、物や人間とかの感覚の表出面で見て、私が、オジンとか爺とかに見えますか。

 こんなことを言うと誤解されるのだろうけど。

 正直に言うと、私は、感覚面でというか内面で全然成長していないように思えて戸惑うことがけっこうある。

 世間を見ていると、そういうタイプの人間がどうも一定数あるような気がする。

 まあ、若い人の仲間に入りたいとか、そう見られたいとか、さらさら思わないし、オジンとか爺扱いされてもいいのだけど、私は実際はそうでもないのかもしれないけど、そういう一群の変な人が見えますか。

 ある感性が、少年というか少女というか、そのまま変化しそうにもない牢獄のような人生というのもあるように思えるし、まあ、正直にいうと、私はそういう囚人の一人かもしれないとけっこう諦めている。

ぶくまの終わりというわけではないが

 ぶくまのクラスタリングのようなものが進んでいる気がする。別に嫉んでいうわけではないが、GIGAZINEのぶくまになんの意味があるのか……あるとすると20ぶくま以上のエントリはよくできましたというくらいなものだろう。とすれば、これは別のフェーズからは5ぶくまくらいでいいのではないか。同じことがフェミとか、ぶくまを話題にするぶくまとかもそう。

 で、ぶくまから見えないのが、一部の若サヨ系とか松永さん追求派とか、別に見える必要はないのだろうが、見えないでいることで閉じていく傾向がある。閉じていくことで失われるものがあるようにも思うだが、率直に言ってよくわからない。

 別の言い方をすると。

 ぶくまは現在、数、として抽象化されているのだが、特定ブログのぶくま者には傾向が見られるのだろうから、そのあたりので、デフォ部分を計数的に軽減するぶくま評価みたいなの処理はできないものだろうか。

 あと。

 1ぶくまみたいのに、実は、とても重要なものがあるが、現状では、1ぶくまのみで終わることがある。このあたりについては、実質、いわゆるアルファークリッパーがどう動くかによるのだが、クリッパー自体の関心の偏差とそれに影響を受けるクラスタがあるので、それほどうまくは動いていない。

 なにかうまいメカニズムはないものかと思う。うまいというのは、ぶくまの数だけではなく、特定のぶくまから話題の公的性というか議論的話題性を抜き出すしくみはできないか。

 繰り返し的だが。

 RSSを整備していけば、というか、ある読者にとって質のいいブロガーをピックアップしていけばけっこういい情報や意見が集まる……というのは、いい。だが、そのとき、その読者は、ブログの総体知みたいなもの呼びかけは得られない。その呼びかけが、公的というか、という部分だ。

読売 7月19日付・編集手帳

◆「鳩(はと)のごとく素直に、蛇のごとく慧(さと)かれ」とは新約聖書の一節だが、事故の火種を消し止める際の要諦(ようてい)でもある。最初の社長会見では犠牲者に謝罪の言葉もなかった。ハヤブサもハトもいない。

 ま、野暮を承知で……。

 ハトは神殿に捧げる犠牲である。ハトの身になるとこれから疑念も持ちようもなく神に捧げらるということ。

日経春秋 春秋(7/19)

変死者の検視は法で義務づけられている。CO中毒は血液を調べれば、簡単にわかる。当然燃焼器具の不具合が事故原因として浮上するはずだ。1980年代にまっとうに捜査していれば、同じメーカーの製品で、20人もの犠牲者は出なかったろう。犠牲者と遺族の無念に言葉を知らない。

 たぶん、20人ではないのだろう。ま。

 この問題のいくぶんかは検視にある。が、検視というのは経験者は知っているがちょっと微妙なものだ。

日経社説 イラク派遣から何を学ぶか(7/19)

 サマワに駐留して復興支援活動に当たっていた陸上自衛隊全員のイラク撤収が完了した。2年半にわたる活動のなかで1人の犠牲者も出さずに任務を終えたのは当初の予想からすれば奇跡に近い。

 そうだろう。

すべての関係者に敬意を表するが、小泉純一郎首相による現地視察がなかった点は残念だった。

 なぜと考えてよく理解できない。そうすれば現地自衛隊の士気が高まったか? 無駄なじゃまではないのか。

日経社説 安全への責任感欠けた湯沸かし器事故(7/19)

 この問題が私にはよくわからない。聞こえてくるファクトだけを見ると、これは20人死亡とかいう規模の事件ではないと思える。そしてにも関わらずなぜ社会的に隠蔽されていたのだろうか。

毎日社説 陸自撤収完了 サマワの経験どう生かす?

 何を言いたいのかよくわかんない社説だが、なんとなく、「失敗してたらいいのに」的トーンは感じられる。

毎日社説 リハビリ制限 患者に効果のほどを聞こう

 この問題はマクロとミクロが奇妙にゆがんでいると思う。現場の問題が大きいだろうし、現場の運営にどう裁量を持たせるか、ということではないか。

読売社説  [秋田長女殺害]「母親の凶行を見逃した甘い捜査」

 朝日よりはマシか。

 畠山被告の供述に、警察は「自分が作った記憶が混ざっている。意図的でないから真偽の判断が難しい」と指摘している。供述の信用性も含め、慎重な取り調べと裏付け捜査が欠かせない。

 これは重要な指摘だと思う。この事件を、どうしても他者はあるドラマとして理解する。しかし、これがドラマであるなら、脚本はおかしい。どうおかしいのかうまく説明できないのでもどかしいのだが。

畠山被告のように、「邪魔になった」と平然と語る母親が珍しくないことも重大な社会問題である。

 私は、たいていの母はそういう心理を抱えていると思うし、言える分だけマシという状況もあるだろう。

読売社説 [陸自撤収完了]「成功の後に残された大きな課題」

 これは日記でもブログでも書き落としていたが、自衛隊のみなさん、ご苦労さまでした。と同時に政府もこの限界のなかでよくやったと思う。

 原油の約9割を中東に頼る日本にとって、この地域の安定は極めて重要だ。

 それとこれとは別の話題だと思うけど。

朝日社説 露鵬の暴行 土俵が泣いている

 この事件については私はほとんど知らない。社説の話題とも思えないが、つらつらと読むに。

 長い年月をかけ、代々の師匠から弟子へと受け継がれてきた伝統が揺らいでいる。露鵬の暴力事件から、そんな危うさを感じた人は少なくなかろう。

 その一因として考えられるのが、外国出身力士の急増だ。

 今や幕内の3分の1が海外勢だ。ハングリー精神も旺盛で、土俵に活気が戻ってきた。だが、多くが入門から数年で昇進するため、下積みの中で身につく礼節が軽んじられている面は否めない。

 ヲイヲイ、そんなこと言っていいのか。

朝日社説 秋田事件 「事故」判断が早すぎた

 いつもらしい朝日のトーンとも言えるのだが、この事件について現状でこれを書くのは早いと思う。現状の疑問が何を意味しているのかの考察もない。「畠山容疑者の行動」以前にこの事件には自供以外に確たる物証がない。

hihi01hihi01 2006/07/19 11:05 finalventさん、こんにちは。ぶくまですが、一番私にとって大事なのはぶくまの「お気に入り」です。ご信頼もうしあげているクリッパーな方々をお気に入りにさせていただいています。メールで毎朝、毎夜送られてくるようになっているのですが、私にとってかなり重要な情報源です。

finalventfinalvent 2006/07/19 11:28 hihi01さん、ども。ある部門の専門家のクリップとかあるといいですね。

finalventfinalvent 2006/07/19 11:29 benzaminさん、ども。「ぶくま時代の到来についていけず、新人類に羨望のまなざしを向けるオジンブロガーはけーん。」で発見されたのは、finalventということですね。

synonymoussynonymous 2006/07/19 11:44 1年越しで1userのページをぶくまして、2usersにできた時なぞ、胸のすくような思いです。

nami-anami-a 2006/07/19 13:23 >ただ、私をオジンとか爺とか言う人
あ、あたしの事っすか。確かに、弁当さんの事をオヤジと言ってます。
なんなら、弁当さんも私の事を「いけずな後家」と言って下さいw

himorogihimorogi 2006/07/19 13:32 私が幼少のミギリ、薀蓄語るオヤジや顔に渋い年輪刻んだオッサンに憧れていたけどなぁ。
トラ技の和田則彦のページに出てくる訳の分からんオッサン達とか。

SundalandSundaland 2006/07/19 13:42 一般論としてエラソに言ってみますが、仰ぐべき背中が見えにくいというのはあるかもしれません。弾に当たって死ぬまでまだ少しあるのに、ぽかーんと間抜けに空いてる感じというか。これじゃ歳を見失いますよ。または、みにくい老人が露出しすぎというか、これは言い過ぎでしょうか。

kinghuradancekinghuradance 2006/07/19 13:50 >ある感性が、少年というか少女というか、そのまま変化しそうにもない牢獄のような人生というのもあるように思えるし、まあ、正直にいうと、私はそういう囚人の一人かもしれないとけっこう諦めている。

フランソワーズ・サガンが亡くなったときに、「彼女はまるで『老いた少女』のように死んだ」と誰かがコメントしていたと聞いたことがあるのですが、そんな感じなんでしょうか。
しかし感性というものは普通「放っておけばどんどん摩耗していくもの」であり、思春期の感性がそのままの状態で保持されている人生というのは、やはりそういう人生をどこかで選択しているのだとも思います。
自分はどうなんだ。と言われるとよく分かりません。エントリーのタイトルの誤字を9時間くらい放置してしまいましたし。

hihi01hihi01 2006/07/19 14:36 finalventさん、ども。なんというか私にとってかぼそい信頼の糸みたいのが専門性よりも大事な気がします。この意味で、kagamiさんに1000点!

finalventfinalvent 2006/07/19 15:06 synonymousさん、ども。1年後に1ぶくま増えるというのはよいロングテールなんだと思いますよ。

finalventfinalvent 2006/07/19 15:06 nami-aさん、ども。じゃ、そう呼ばせてもらいます……とかいかない知恵が身に付くのは歳。

finalventfinalvent 2006/07/19 15:07 himorogiさん、ども。そういえば、そういうオッサンがヤダなと思っていたフシは私にはありますね。

finalventfinalvent 2006/07/19 15:08 Sundalandさん、ども。醜い老人の肉体になにか子供の心のように取り残されているという感じでしょうか。もうちょっと言い過ぎると、人は権力を振るった量だけ老いていくような感じがします。

finalventfinalvent 2006/07/19 15:09 kinghuradanceさん、ども。ああ、サガンはそんな感じです。感性が若々しいというより痛々しい感じのなにかでしょうね。

finalventfinalvent 2006/07/19 15:10 kagamiさん、ども。ぶくまがどう公的な響きを持つかみたいな問題意識でしょうか。かつては朝日新聞が知性=公的という時代があったように。

finalventfinalvent 2006/07/19 15:11 hihi01さん、ども。そのデメリットみたいなものがあるように思うのですよ。

nekopichinekopichi 2006/07/19 17:48 こんにちは。お初です。ちっちゃい時に自分と世間は決定的に違うんだ、と感じた人と、比較的すんなり世間の一員になれた人の違いかも。距離感でしょうか。まあ、あいさつはきちんとするとか、自分のうんこは自分で拭くとか、ちゃんと出来ていれば子供のままでも全然構わないと思います。とていうか世間にゃいい大人面して、自分のケツすら拭けない奴大杉。

finalventfinalvent 2006/07/19 18:06 ume-yさん、ども。その感覚は50歳になっても変わらないかもしれませんよ。もちろん、局面局面で違いがあって、それなりに老いてしっかりする部分もあるのでしょうが。

finalventfinalvent 2006/07/19 18:06 nekopichiさん、ども。ええ、世間=大人って変だなと思った思いは今でも変わらないですね。なぜか。なにか心理的な防衛かもしれませんが。

kinginsunagokinginsunago 2006/07/19 20:07 >露鵬の暴行 土俵が泣いている
この社説を、高校野球に当てはめて読んでみると面白いかも(笑
それにしても最近のジダンの件といい一般うけ狙いで取上げた所で、社説子のお里が知れるだけなのに(苦笑

luxonluxon 2006/07/19 23:13 自分は40代半ばですが、未だに買い物をするときなど、店員さんがどれだけ若くても「相手は世間 (すなわち大人) で自分は子供 (未だ世間に入り込めていない身)」みたいな気分になることがあります。
最近の (以前からですが、最近特に) finalventさんの「内面ネタ」には、激しく「うぅ、そうなんだよ...」となることが多いです(笑)

finalventfinalvent 2006/07/20 08:32 kinginsunagoさん、ども。営業努力かもですね。社内一丸。

finalventfinalvent 2006/07/20 08:34 indoorffmさん、ども。時代的な現象かもしれません。あとちょっこっと言うと、30歳以降の女性の関わりというのが実際には重くないのがあるようにも思います。これは女性から見て男性もそうか。私より上の世代は、30歳以降の男女の距離は、うっうっとおしいじゃないか、ぷらす、お子様のママでしょ、パパでしょがあったはずです。

finalventfinalvent 2006/07/20 08:36 luxonさん、ども。たぶん、はてなぶいぶいの若造さんの少なからず、10年後も20年後も内面はそのままだったりするのでしょうね。年上の人は、下から見ると随分年上に見えるものですが、変われない痛い部分をもっているものですよ。

synonymoussynonymous 2006/07/20 09:13 結局はパパママロールモデルをうまく取り込んでやってくしかないのが現況だったりします。

finalventfinalvent 2006/07/20 10:15 synonymousさん、ども。ええ、そうです(読みが深いですね)。

synonymoussynonymous 2006/07/20 14:52 思うがままに愛を叫ぶことができる世界の中心ではなく、そこから離れたところに住んでいるので、そうすることに社会からの要請を感じているのです。

indoorffmindoorffm 2006/07/20 17:55 お返事どうもありがとうございます。
>30歳以降の女性の関わり
>パパママロール
ああ、なるほどなるほど! ・・・と暢気に納得してていいのかとも思いますが。
ちなみに林眞須美容疑者は、確か私と同い年だったはず。

ken-kataokaken-kataoka 2008/03/13 16:48 はじめまして。
和歌山カレー事件が冤罪だと思い、そのことを広めるブログをこのたび始めた者です。

>自分が生きてきた経験というか、社会の真理に対する自分の感性から、これはありえないというふうに思う。

経験や感性から、この事件が冤罪ではないかということを感じ取られたこと、敬服致します。
実際、論理的にみても、この事件の裁判はおかしなことばかりです。
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今後もカレー事件にご関心を持って頂ければ幸いです。
どうかよろしくお願い致しますm(_ _)m
http://d.hatena.ne.jp/ken-kataoka/

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