2006-07-24
■「印象操作」って何?
定義とか、初出とか、基礎文献は?
語源は英語?
impression management?
印象管理のこと。
とすると、ある発言者なりが、統一的な印象のトーンを持つように管理しなさい、ってことですよね。
なんとなく、ネットの用例だと、相手のとか読者の印象をコントロールするというか誘導するというかいう操作概念で捉えているみたいだが、それって基本的な誤解では?
つうか、そういう意味の「印象操作」というのは、受け側のメンタル・モデルが先ず問われるのではないのか?
富田メモの報道が例えばそういう意味での印象操作だとする、としても、印象は対極的になった。メンタル・モデルにおけるフレームワークの差でしょ。
つうか、その意味での印象操作というのはきちんと定義されているのか。
つうか、やっぱり、impression managementとぜんぜん違うのではないのか。
あるエントリなりを、印象操作だとかいうのが批判の対象になると考える香具師はただのバカ、なんじゃないか。
……と、いうのが「印象操作」になりましたかね(なるわけなーじゃん)。
つうか、発言意図と受け側の印象がどのように発生するかは相互モデルなわけで、発言意図から演繹されるわけねーって。
追記
■子細はわからないのだが
⇒アノレファコメンテーター詰め所2.0:尋ね人 - livedoor Blog(ブログ)
承前⇒http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060612#c1150156053
振り出しに戻る?
振り出しはこんな感じか?⇒ネットジャーナリストを生暖かく見守ろう:ネットジャーナリズム原理主義
トリルさんを責める意図はありません。ご苦労様。
ただ、トリル裁定が「形」になるなら一つの落とし所かなとも思っていたので。
渦中はもう私なんぞにはよくわからない。
■日経 春秋
なんかものスゴイこと書いている。
日本のサラリーマンにとってスーツは平服ではない。戦闘服だ。あまり気は引き締まらないが、クールビズも戦闘服なのだろう。企業戦士だけではない。いま東京で与党の政治家や官僚たちは、ネクタイを締めたくても締めない。決められた戦闘服でなければ政権への忠誠を疑われるからか、単なる横並び意識か。
■毎日社説 サイバー犯罪対策 ネット社会の危うさ認識して
そんなことより地味な庶民のための警察になってくれ。
■毎日社説 首相の靖国参拝 世論も反対が増えている
読むだけ頭悪くなりそうなお話。
今回、注目されるのは、A級戦犯の分祀に63%もの人が賛成と答え、無宗教の国立追悼施設建設にも賛成が64%に上ったことだ。中韓両国だけではない。A級戦犯が合祀される靖国神社に対し、国民の多くもわだかまりや疑問を持っている証左ではなかろうか。残る任期はわずかだからこそ、首相は「国内で反対する人は中韓の言いなり」などと決めつけず、国民の声に謙虚に耳を傾けた方がいい。
分祀の要求は宗教法人靖国神社へでしょ?
小泉への要求は、公人まがいで靖国神社という一宗教に肩入れすんじゃねー、ってことでしょ?
っていうか、分祀っていうのの決定権は宗教法人靖国神社でしょ。例えば、キリスト教っていうのは偏狭でいかん仏陀と孔子とマホメットも崇拝しないさってな感じで国民が圧力加えてどうする?
なんでこんなロジカルエラーみたいな議論が起きるのかわけわかんない。
■読売社説 [政府系金融]「新制度の設計には疑問が残る」
重要な問題だと思うのだが、よくわからない。
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http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2006/07/post_5e43.html
http://ameblo.jp/disclo/entry-10015013159.html
法律論上は、まったく以て仰る通りだと思います。
たとえ全国民が分祀しろやと思っても、それを決断するのは宗教法人自身。
国民の理解を得ずに分祀を拒否して立ち行くのか、とか先帝の御遺志に背くのか、とか
そんな心配も神社がすれば宜しい話。
そこに嘴突っ込むのは政治家の仕事じゃない、はずなのですが
真っ先政争の具になってしまうあたり、国民も本当のところは
信教の自由なんてどうでも良いと考えているんじゃなかろうか、と。
てか、そもそも件のメモが本当に昭和天皇の発言録だというエビデンスは何処?
あらゆる表現を印象操作と考えて、その中でもなにか裏がありそうで恣意的誘導が行われてそうなものをあえて「印象操作」と呼んで使ってる感じです。
>分祀
日本人って宗教は定義的に考えるものでないと信じてるような気がします。だから分祀はロジカルエラーというよりリスクヘッジのように考えてるのかも。
興味深いところです。
「もし有罪なら彼らを神様にはできないし、無罪というなら、参拝するでしょう。」については、私は無神論的というか死んだ人は存在しないと思うので、どうお答えしていいか。神社の中に霊魂はいないと思います。なにかいると思いますか? そういう信仰を私は持ちません。ただ、同じ日本人としてあまり世間や歴史問題を荒立てないというか、経験に思うことはあり、神社とかはそれなりに伝統として大切にしなくてはならないとは思います。
「日本の最高裁で判決をだすべきでしょうね。」については、一般論としては司法は歴史を裁けないし、歴史というのは司法を含め、我々人類の最終的な審判者というか、後世の人に委ねればいいのではないでしょうか。失恋とかと同じ類の問題かなと思います。
と、言葉がこなれてないので、あまり堅くとらないでくださいね。
ちょっと論旨からは外れるのですが、
そのフレームワークをおのおのが振り回して収拾つかなくなってる状態がそこら中で見受けられるのです。
こういうと語弊がありまくりそうですが、「情念」を「フレームワーク」で扱うことに違和感を覚えます。
私の親類のひとりは大戦中東南アジアへ出征し、家族が戦死の報を受けた後、生還したとのこと。数年前息を引き取るまで、如何に飢えを凌いだか、戦闘を切り抜けたかなど、ほとんどが聴くに堪えない話ばかりでしたが、酒を飲んでは自分が体験したありとあらゆる戦争の話を、ゆっくりと周りの者に聞かせました。その都度必ずといっていいほど激しく天皇陛下を罵倒しましたが、彼が罵倒したものは、一体なんだったんだろうと、このところのエントリを読んで今更思い返しています。やさしくて思いやりのある、本当にいい人でした。
tabioyajiさんの問いかけの文脈で言うなら、「A級戦犯が靖国神社に祭られた事実以外、何が必要なんですか」についてですが、まず、戦犯はもういません。死んでしまいました。私は霊魂を信じません。靖国神社に祭られた何かとは、無、です。私はそこに無を見るだけです。なにもそこにはありません。
次に歴史を学ぶことは人を賢くします。日本国民は国会の手順において、戦犯を釈放しました。人の世の罪には終わりがあります。あるいは死をもって贖って終わりというのがこの世の限界でしょう。
私は天皇や当時の国家指導者の責任を問うべきではないとは思いませんが、今巷に溢れてる問題提起は、日中の歴史をちゃんとフォローせずに浅薄な認識で語るのはどうもね。