ま、ざっくり

 吉本にしてもというか吉本は端っこだが、国家論、国家権力の起源論、というのは、どうもなんか前提そのものが変だという感じはしている。軍事力や権力の概念が違っているというか抽象的すぎる。
 むしろ、貨幣=信用の公義というとこで王権が特徴付けられるではないか。これはちょっと誤解を招きやすいが、つまり、そこから王権ができるわけではない。
 ユダヤ、ソグド、イスラム……これに、近江商人を入れてもいいと思うのだが、内的な公義によって信用と遅延のシステムができあがり、市場は彼らへの依存によって動く。この場合、地方の小さな王権は、商業システムのなかで均衡することで、いわば、公義を市場に搾取されることになる。
 絶対王制は逆に、この信用の公義が王権化したものだろうし、現代社会はけっこうそれっぽい。
 ま、で。
 ざっくりの部分だが。
 たぶん、女系社会(系は関係ないが)、女が子を産み育て、生存を維持再生産されるところに、遅延化される価値の必要性はなく、男がそれに組み込まれる必要性もない。男はまあ純粋にチンコだ。
 しかし、男が労働に組み込まれるのは、マンコ買い=貨幣=遅延された労働・価値、に組み込まれるからだし、それがさらに、子の育成まで組織化される。
 これを父系と言っていいのかよくわからない。男系ではあるだろうとは思うし、そのなかで女性の蔑視というか、売春婦が疎外されるのだろう。
 でだ。
 こうしたマンコ買い=貨幣=遅延された労働・価値は、もともと、余剰であることに加え、これを蓄財する権力が発生したとき、遅延された労働・価値は、傭兵に転化するのではないか。
 つまり、いわゆる王権の発生は、本質的に傭兵を前提としているのではないか。つまり、労働=価値から遅延されることで疎外された男を作り出す、男は対価で労働から疎外されて軍事を行えるようになる。
 通常は傭兵の出現は逆に捕らえるのだろう。いわく、集落の自治権力みたいな。あるいは生産活動を行いつつ軍事活動を行なうとか。しかし、違うのではないか。
 実際の世界史をみているとどうも通説に合わない。むしろ、傭兵から先行して考えるとすっきりしそうだ。
 ま、どさくさまぎれに、ちょろっとトンデモを言っておくと、たぶん、日本国家の起源はたぶん鮮卑の傭兵だろうな。