産経社説 民主党大会 野党共闘優先でよいのか

 一方、小沢氏は党大会で、自身の資金管理団体が平成17年の政治資金収支報告書に事務所費約4億1500万円を計上していたことに触れ、「使途不明や他の経費との付け替えなどの不正や虚偽記載は一切ない」と述べた。その後の記者会見でも透明さを強調した。秘書の宿舎の建設費用などを事務所費に計上したとの説明であり、現行法では問題ないとされている。
 ただ、国庫からの政党助成金は合計で年間300億円以上にのぼる。政治家は政治資金の「出」についても道義的な説明責任を果たしてほしい。

 うやむやになるのでしょう。
 参考⇒2007/01/16 (火) 22:39:37 伊藤元長官、不起訴に(2) : さるさる日記 - 泥酔論説委員の日経の読み方
 後々参照するかもなので長いけど引用させてもらいますよ。

ここから先は公人たる小沢一郎氏に関してのことですので、いままで確認できた部分を開示します。
今日まで集められた情報を総合すると、小沢一郎氏の資金管理団体陸山会」が政治資金収支報告書に記載した不動産の所在は誤りであった、ということが判断できます。
「世田谷区深沢6丁目28番5号」には、住居表示だろうが地番だろうが小沢氏関連の不動産は存在せず、「世田谷区深沢8丁目28番5号」という登記簿上の所在である地番が真正だったのです。
これじゃいくら深沢6丁目を探しても該当する不動産がないわけです。
小沢氏のご自宅からおよそ800m、住居表示では深沢8丁目7番付近でしょうが、もともとここは畑でして、1991年の住宅地図には「区立深沢第一苗園」と表記されています。
登記簿によれば、平成16年10月5日に小沢氏名義でここを「売買予約」し、同年10月19日には「所有権移転請求仮登記」をします。
そして翌17年1月7日、小沢氏に所有権が移転するのですが、その前の所有者は不動産業者のようです。
 
ここで終わりではありません。
この28番5号は、面積が274平米しかありません。報告書では476平米なのに200平米ほど足りません。
残りは何処に行ったのか、小沢氏は隣りの28番19号・201平米も同時に買っているのです。
彼は2筆所有しているのに、1筆のみを収支報告書に記載していたわけです。
元は1筆だった畑を、不動産業者が売却する際3つに分筆し、そのうち2筆を陸山会が購入し、小沢氏名義にした、というのが本当のところでしょう。
独身秘書寮を建てたのはそのうちの1筆で、残る筆には別の家屋が建築途中であるのは、日本テレビの画面からも分かります。
200平米に40.5平米のアパートというのは「随分と庭を広くとってますね」と豪儀な話ですが、もう一筆の建築主は陸山会の秘書氏名義となっており、これは見たところ敷地の大きさなりに建てています。
外見は一般住宅のように思えますが、これも小沢氏が秘書のために建てた独身寮なのでしょうか、よく分かりません。

毎日社説 自転車の歩道通行 歩行者の安全確保が第一だ

 沖縄から8年ぶりに本土暮らしに戻って何が一番いきり立ったかというと自転車だった。ここでもブログでも書いた。怒りをぶちまけて書いたと思うが、最近はもういいやという感じになった。自分が被害に遭わなければ他の人の被害が増えて社会問題になるのを待つしかないだろう。
 個人的には自転車に課税すべきだと思う。ただ、言っても無駄だろうな。
 お巡りが暢気に自転車通行が許可されていない歩道を走っているので、注意したことがあるが、わかってないようだった。
 ああ、この社説について言えば、高齢者は足が弱いので自転車を好み、そしてそれはしばしば加害者というかトラブルメーカーなのだが略。

読売社説 [春闘スタート]「景気拡大がどう反映されるか」

 連合はパートについても1000円以上の時間給確保などを要求する方針を掲げた。労働組合の組織率は18%台前半まで低下したが、パートなど非正規従業員が増えたことも一因だ。組合員以外にも視野を広げた取り組みを通じて、組織率を高める努力もしていくべきだ。

 先日ある古い労組の人だったか、正規雇用者は非正規雇用者に支えられているのにと困難げに語っていた。もう少し考えれば非正規雇用への事実上の搾取は経営というより正規雇用者の側にもあるのかもしれない。まあ、議論をすればそうじゃないということになるのだろう。
 労働現場はそれなりにいろいろ見たな。ひどいもんだ。ひどいもんだと割り切って、正義だの国家だのと距離を置いて人は生きていくように当面割り切るほうがいい。

朝日社説 大火の備え 「緑の壁」で命を守れ

 これはけっこう専門的な知識がいるし日本各地のいろいろな条件があるのですよ。半可通がエコで短絡できる問題じゃない。

大火に備えるため、防災計画にドングリの森で「緑の壁」をつくることを盛り込んでもらいたい。街路樹には火に弱い樹種を避けるのはもちろんのこと、避難所になる学校周辺の森づくりを進めるべきだ。庭木への助成なども組み合わせることで、植樹を後押ししたい。

 ブログじゃないんだしさ。

地下道を歩いていたらでっかく「今週妻が……」

 のポスターがあった。
 テレビドラマか?
 原作はどうなっているのだろうか。
 これってハッピーエンドだったっけ。
 知らないなぁ。変な世の中だなと思った。
 そういえば地下鉄ホームに自動ガードというのか増えたなぁ。高齢者対策なのか?

猫猫先生述懐するに

 ⇒猫を償うに猫をもってせよ - 古典はいつ読み終わる

 先日、ゴーゴリの「死せる魂」と、ゾラの「居酒屋」を、いずれも百円くらいで古書店で買った。どちらもまだ読んでいないが、はて、自分はいつになったら、このレベルの古典的文学作品、あるいは古典的著作を全部読んでしまうのだろう、と考えた。

これほど読みに読んでも古典的作品を読み終わらないのに、新作小説の片々たるものなど読む人は、何であろうか。そういえばトゥキュディデス「戦史」もまだだ。

 私も同じ嘆きを持つ。まあ、猫猫先生とは嗜好が違うし、私は後期モームや後期ヘッセからは強い影響を受けた。
 「月と六ペンス」なんか現代でもまだまだ面白いと思う。この作品はゴーギャンの文脈や芸術家の文脈で語られることが多いが、女という奇っ怪な生き物という点で読むのほうが面白い。

cover
月と六ペンス: モーム,行方 昭夫

平成の時代の優れた翻訳, 2005/11/13
レビュアー: kobeprof - レビューをすべて見る
 英語の教師としてモームの作品を教材にする際、中野訳(ものによっては龍口訳)を参考にすることもありますが、古文・漢文的知識を読者への当然の前提としている中野訳、龍口訳では少なからぬ大学生にとり歯がたたない表現が散見されます。その点、今回の行方訳は、英文の理解の正確さを踏まえた上で、若い読者にわかりやすい日本語で訳されており、自信をもって「平成の時代のモーム定訳」と呼びうる仕上がりになっています。名訳といわれる中野訳にもある誤訳をしっかり修正している点も見落とせません。

 原文はパグリックドメインになっているので訳が気になるところがあれば原文を参照するといい。
 ⇒Moon and Sixpence by W. Somerset Maugham - Project Gutenberg

フランスの出生率2.0へ

 ある意味とても重要なニュースなんであえてコピーしときます。
 ⇒仏の出生率、2.005に上昇・欧州一の多産国に : NIKKEI NET:国際 ニュース

 仏国立統計経済研究所(INSEE)が16日発表した2006年の人口動態統計によると、同年の出生率が2.005に上昇した。「欧州一の多産国になった」(人口問題研究部)としている。子育て支援策の整備を受けて働く女性の高齢での出産や3人目以上の出産が増え、婚外子も増加している。
 同年の出生数は前年比2万3100人増の83万900人で、過去25年で最多だった。この結果、15―50歳の女性が一生の間に生む子供の数を示す合計特殊出生率(速報値)は前年比0.062ポイント上昇し、統計がさかのぼれる1980年以降の最高を更新した。
 第一子の出産年齢は29.8歳と「晩婚・晩産」傾向は続くものの、30代以降の第二子、第三子の出産が増えている。婚姻件数は減少しているが、事実婚の増加が出産増を支えている。また、移民の出生率が平均より高いため、過去の移民受け入れが出生率上昇につながっている。
 仏の出生率は1990年代に1.6まで低下した後、各種手当や育児休業など出産・育児支援策が拡充され、上昇に転じた。(パリ=野見山祐史)(01:53)

 一番の要因はやはり移民かなと思う。
 これに、婚外子の受容と、労働者保護があるのだろう。
 と、すれば、そのあたりはフランスの問題とも深く関わっている。つまり、移民と労働者保護は今後はバックラッシュになる。
 婚外子の問題はその点では中立っぽいように思うが、意外と、移民社会では受け入れてないような気がする。
 いずれにせよ、社会構成からすれば日本の遙か未来のような社会のようでもあるし、実際の生活のディテールからするととても保守的な国なので、いわゆる未来的な要素でもないのかもしれない。
 まあ、多様なんで、みなさんあちこちからネタ満載ではあるんだろうけど。
 余談で、まあ、サルコジじゃないか、ロワヤルの目はないと思う。が、けっこう左前がいろいろとメディア攻勢などしているのでどうかと思う(日本の左前インテリは甘ちょろいのでそのあたり見えてないようだが)。
 ロワイヤルで連想したのだが、ブレアの奥さんの若い時のヌードモデル問題はその後それほど話題にならないなぁ。まあ、お下品なんだけど。個人的にはちょっと萌えるんだが。

そういえばこれも日本では話題にならなかった

 これ⇒【西海岸から】シンプソン本その後|米国|国際|Sankei WEB
 話題にならなくていいのだけど。
 沖縄にいたころ米人と話すとこの話ばっかで辟易としたな。

なんなんだよこのネタ、ランチ症候群って今時

 ⇒livedoor ニュース - 【ファンキー通信】急増中!? 「ランチメイト症候群」って何だ?

女性の皆さん! 勇気を持って一人でご飯を食べてみて!!

 っていうかさ略。

結婚の年齢差っていうのは最近どうなんだろ

 しょーもないネタを読んでちと思った。
 ⇒livedoor ニュース - えみり 旦那とのジェネレーション・ギャップに疑問!?
 私の世代はなんとなく、同級生社会っぽいし、大学なんかというか青春なんかでも横並びというか、いわゆる戦後中産階級の完成期にあったから、すでに性を鬻ぐ系はなくなり、ただ、その後の世代は逆に性を鬻ぐのではなく別の意味で鬻ぎまくるようになったが略。
 団塊世代までの恋愛は、まだまだ、学生(つうことは左前ないかれポンチ)と高卒の女子という組み合わせだったが、というか、女子大生が少なくいても左前略。その私の世代になって同級生恋愛の時代になるが、まあ、なんつうか。
 こんな感じ⇒「 同級生 [ワイド版:コミックセット]: 本: 柴門ふみ」
 同級生恋愛はそういえば意外に戦後の数年に多いのではないかな。民主化日本でようやく恋愛という感じだったのだろう。この世代の老人のカップルにはとても美しいケースがある。とかいって羽仁家を想像してしまう私もなんだかなだが。
 そういえば、柴門ふみんところも年齢差が大きいな。
 こうした問題はけっこういろいろ問題なのだが、はてなとか見ているとあまり見かけない。っていうか、そういう層ときれいに分離されているのだろうな。いや、そんなわけもないと思うけど。わからん。

はてなを見ていて思うのだけどネットの表街道と裏街道というか

 なんかそういうのがあるような感じがする、というのも曖昧で、ちょっと違うのだが。
 ネットの場合、catfrogさんが先日驚いていたけど、意外とマスは「お気に入り」オリエンティッドなわけで、これはある程度のPVを受けてくると、え?とか思うようになる。ほいでじゃ、その層にどう答えるかというか、答えるべきなのかよくわからない。
 自分についていうと、うーん、正直に言えば、その層に答えようとしている部分は大きい。嫌ったらしいと思う感性のほうが正直なので私もきちんとイヤミとか非難を受けなくちゃねと思うが、それでも、まあお若い衆、finalvent爺の話もお聞きなさいな的なね。モームの「月と六ペンス」を読むと女ってものがわかるぜとか。射精について俳句なんぞひねっているわりにゴムでなけりゃ射精できない元気な若者ももいいけどねとか略。
 で、ネットの表街道は、そういうなんか書籍に近いようなマスがある。上のようなことを書いたけど、私はそういうマスに了解されもしなければ受容されるような才能なんぞないので、少しずれるというか、ネットというのは基本的にサブカルチャーだったし、自分はそういうサブな人間だし略。
 で、80年代以降まさにネットがそうなのだが、サブの部分がメインに見えるような先導的な光景も見える。この辺りはトラップなので、勘違いして頓死する人がいてもしかたがない。というか未だにネットから書籍への経路はない。あるように見えるけど、それは書籍からネットへの経路が勘違いされているだけだ略。
 で、と。
 サブカルチャーの力は裏側にある。裏といってもいわゆる裏だ裏だエロだ違法だというような、わっかりやすいぜの部分にはない。いつももっと微妙なところにこっそり現れて消える。その奇妙な湿地帯の植物のような手触りがネットの面白さでもある。そこに男や女や若さはそういう不思議な存在が開示される。なので、そういう世界に自分が接近していたいし、魅せられてもいる。
 まあ、うまく言えないけどね。
 2ちゃんとか見てもわからないので、Marcoさんとかに、違いますよ全然とか突っ込まれるわけだが、それでも2チャンネルはそういう場ではなく終わった場所のような感じはする。ま、そうでなければそうでないで勝手にがんばりなさいなと思うし、略。
 ああ、ほいで、はてなにおける表と裏の関係についてちと考えたのだけど、というかそれを書くはずだったのだが、略、というかうまくまとまらないな。ブックマークはすでに裏をうまく覗かせてくれないという感じがするし、クラスターブロガーズのなかで湿地があるようには思えない。というかクラスターブロガーズたちは常に表を目指しているんじゃないか。なにか正しいあるべき正義、日本歴史の理解とか掲げて。どうでもいいよ。知るかよ。

昔から人と話していてああ通じてないなと思うことは普通

 これは私が悪いんだろうなととりあえず思うことにしている。
 で、通じるように努力するかというと、物事には相手というのがあって、相手がそれを求めていないことが多いので、そのあたりで略。
 ただ、なんつうか。
 通じてない理由が、問題の基礎というかメタフレームワークが違っていることがあって、そうなると、もう全然だめだね。
 個人的には、あー誤解されているなと思うけど、誤解とかじゃなくて、土俵が違っているわけで、しかも、相手は違った土俵が唯一だと思ってべたに批判とかしてくると、こりゃスルー以外にどうしようもない。
 めんどくせー。
 土俵が違っているというか、メタフレームワークが違っている場合、誤解を解くとかにはならない。
 個々の事例を挙げるとなんなんなんで、まあ、線路は続くよだな、どこまでも。
 まあ、メタメタ的に一般的に言えることだけど、自分の言っていることが正しいとかの前提に立つ人はもうダメダメ。で、この自分の言っていることが正しいという前提は、実は、議論じゃなくて、スタイルなんだよね。だから、語りのスタイルでだいたい、もう、これはディスコミュニケーションで決まりでしょというのが多い。
 世の中偉そうなやつは避けるが吉。
 で、ってなことを言う私も偉そうに見えるかな。まあ、結果論からすると、偉そうな人を誘発しちゃう何かはあるのだろうし、不徳の致すところでありますな。

通じないといえば

 ほいでも個別に書かないのだけどね。
 通じないA派とB派があった場合、というかそういうのはありがちなんだけど、ほいでこれが対立するとする。で、この場合、A派の世界、B派の世界、と傍観者の世界というかまず3つあってネットだと云々というのはある。それとネットだとこの世界の対立に工作とかあるし、ああ勘違いもある。
 で、なんつうかワタシ的にはそうした3極性というのはけっこうどうでもいいんですよ。もちろん私だってある見解を持つからA派であったりB派であったり傍観者であったりするわけだけど、重要なのは、私と公の二項の垂直関係ですよ。
 「公」の関係において、A派とB派が許容かどうかが「私」に問われるわけで、その問いかけから越えて、派の争いというのは、それぞれのプライベートというか党派の問題になる。
 だめだめなのは党派の水準が「公」になると思っている香具師が大杉。
 次にだめだめなのは「公」が「正義」とか勘違いしている香具師
 「公」というのは基本的に妥協なわけですよ。最低の許容性。どこまで自由がそれぞれ公認できるかということ。
 派的議論が「公」に問われるのはその最低綱領でしかありえない。トイレの外でウンコするなよ(でも下痢だったんだよ看病してくれよじゃしかたないか)的。そこを確認したら、あとはほっとけ、通じないな、で終わる。
 っていうか、終われよ、と思うのだけどね。
 あと、「公」というのは実際には手順なんですよ。連携プレーだから。馬鹿が一生懸命集まって妥協で生きていく場を支えるのが「公」なわけで、最初からフールプルーフな手順として問われなくてはならない。
 だから、フールプルーフな手順が問われないで、「こんなこともわかんないの馬鹿」というのはだめだめ。まあ、私もけっこうそれげなことを言うのでだめだめだけど。
 じゃ、どうなのさ、というのを手順で、馬鹿でもフォローできるように提示されない議論はスルー以外にどうすりゃいいのさというか、「公」の場ではですね。
 利口なやつはその派閥のなかでたーんと議論でもして死闘でもすればいいけど、「公」とはまるで関係ない。「公」に関係なければ、「私」に問われるところはゼロだと言ってもいい。
 あとついでに言うけど、「公」というのは「国家」とは直接関係ない。まあ国家なんか、夜回りとゴミ収集以外に出てくるとろくなことがない。