2007-02-03
■そういえば
明け方、夢の中で、恐怖に絶叫し、それが実際の声になって、自分の恐怖の絶叫で目が覚めてもうた。
またか。
なんか夢精しちゃうより恥ずかしいというか。
目が覚めて、息切れして、しばらくぼんやりする。
夢の話は覚えていない。
というか、そういう表層レベルじゃないのが出てくる。
もう身体の心底から、ずこーんと恐怖が吹き上げて絶叫してしまう今日このごろの49歳のオッサンってなんなんでしょうね。キンモー。
まあ、しかし、これが私。私の運命。とほほ。
■復旧したのか? 書き込みテスト
テスト。
提示復旧ではなかったのかな。よくわからんが。
なんかまだ調子悪いっぽい感じがするが。
テストがてら。
やるせない話⇒■
短いので全文コピペ。
既成の味付けソースを使わない特製の麻婆豆腐を振舞ってあげた。
「変わった味やけどくせになるね」と言われたので豆板醤と山椒の話をしてあげたら、その場にいた全員が豆板醤を唐辛子100%の調味料だと思い込んでいた。
こういうのをやるせない、というんだろうか。
そりゃやるせない。
よく熟成たした豆板醤はなかなか手に入らない。
■死ぬ間際の遠藤周作の心
マルコ青年⇒明日また生きるぞ - 死ぬ間際の遠藤周作の心をガチで読んだよ
まあ、そうかもしれない。
ただ、もっとテレーズと罪の問題だったかと私は思う。実際には脳に病理がなかったかとも思うけどよく知らない。
「わたしが・棄てた・女」については。
名前だけリンク付きで言及した。
あまり語りたくない。
が、率直に言うと、この作品は完全に大衆作であり、文学的には失敗していると私は見る。ミツ(言うまでもなく罪)が主人公を結果的に救済している点だ。お涙頂戴風だが、この文学が描くべきは、ミツによって主人公の罪が救済されないことだった。しかしこの作品では結果的に救済を志向してしまった。
このあたりの読みについては(駄作でしょあれ的)、ヌーンさんとかユキさんとかは言うまでもなく普通の文学的な感性として持っていると思う、という以前に、キモくて読まないだろう。
それと。
信者なんだけど、彼は死ぬ間際宗教替えしたと思うよ。改宗とか回心とかって意味じゃなくて、信仰の変化、というか昇華というか。これはひょっとしてまだ誰も書いてないんじゃないのって思うね。
タメの反論に取らないでほしいけど、遠藤の読者はほとんどが深い河のインド的なユンク的な意味については了解していると思う。ただ、カトリシャン的な読み手の言葉がオモテに出ているだけだと思う。
「わたしが・棄てた・女」よりも、おそらく失敗作と評価されるかもしれないこれ、
![]() 国境の南、太陽の西: 村上 春樹 |
が罪のある感触を描いている。
文学的な感性というのは文学者の感性とは違うし、批評家のそれでもない。ヌーンさんとかユキさんとかたぶんかなりたぶん弁当なんでゲとか言いまくるのではないかと思うし、私も言わせる。言わせることが私はすこぶる愉快だ。私は文学的な感性のある水準を持つ人は私を誤解しえないと確信している。もちろん、不愉快だろうし、馬鹿とか思うだろうが、文学的な感性というのはもうちょっと強い何かがある。(ただしこれはもっと醜態的な不幸感でもあるのであまり言うこっちゃない。)
そのあたりはけっこうゆったりと確信しているし、ま、ダメなら、彼らがダメなんだろうと暢気に思う。そのあたりに超むかつく人もいると思う。
マルコ青年にはそうした文学的な感性があるかどうかよくわからない。これは多分に生得的なものなのでないんじゃないかと思う。ただ、お互いキリスト教にやられたせいかメタな感性がある。これはこれでやっかいなものだし、普通は文学的な感性はメタな感性と同居しない。
■毎日社説 温暖化防止 排出大国の削減が不可欠だ
今回の報告は、90%以上の確かさで人間活動が温暖化の主因であると指摘している。であれば、人間の活動を変化させるしかない。
このあたりがいわゆるネットだと科学的と自尊している人々がよくわかってなげ。
■朝日社説 衛星破壊 宇宙の軍拡を憂える
胡錦濤側からの意見と見るべきだろう。いずれ内政の問題は大きい。雑駁に言えば、今回の衛星破壊は失態。ただ、子細に見ているこの実験の前段は以前もあり米国が黙認していたのでやってしまったかとも。
■朝日社説 温暖化対策 科学者が背中を押した面
この社説は識者が書くのだが今回はちと変。
なにより朝日が食いつきそうなワックスマン調査についてまるで触れていないのは奇っ怪。なんか中国様にご迷惑でも?
⇒米政権が温暖化研究に圧力 NASA研究者ら議会証言 : U.S. FrontLine
いま確実に言えるのは、温暖化の主犯とほぼ認定されたCO2が増え続けていることだ。大気中の濃度は産業革命前の1・35倍になる。
この問題を考えていた人ならこうは書かない。温暖化の影響はもっと確実だと見る学者が増えているので、「いま確実に言えるのは」といってこうした問題をスルーすることはない。
ついでに⇒極東ブログ: 対流圏オゾン
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なんというか遠藤周作に関することは、その突っ込みを受けて次の説明に入る、という段取り的エントリ(アッキーとの対話の抜粋エントリ)なのでいいのですが、おいおいって思ったのは、その村上春樹の小説です。発売されてすぐ買って読んだのかな確か。その後あまり読み返してませんが、僕が語りたくない小説はそれですね。その小説はちょっとアレですよ。よく読み取りましたね。ひとりっこのわけないですよねfinalventさん?w。ひとりっこ小説ですよそれは。それ読んで、あ、村上はヤヴァイって思った。
>「文学」って言葉や括りって実は欺瞞なんじゃねえの?
皮肉に取らないでほしいのだけど、Marco11さんにはこれからもそう見えるんじゃないかと思う。
このあたり、ちょっと言いづらいのだけど、文学というのは馬鹿でなくてはできないものなんですよ。ヌーンさんとかはちょっと頭良すぎ。頭の良さがどうしても戦略的に批評的に出てしまって、実際には彼が強調しているセックスとかエロスというのがうまく伝わってない。そのあたりの伝わらなさへの愚直な忠実さというのが最後に文学的な感性を優位にしているのだと思う。まあ、陰口とかじゃなくて、文学的な感性と知性の関係性の一例として。
文学というのは、田山花袋の蒲団じゃないけど、棄てられた女の体臭をくんくんしてオナル人間存在っていう感じです。
ここでキンモー!とか言うのは文学と関係ないというか、まあ、別の文学というのはあるかもですが。
問いは二相になります。
私が神との関係において謙虚ではないか。それとも、Marco11青年とのεκκλησιαにおいて謙虚ではないか。
前者における謙虚さとは私が彼の使命を全うすることです。彼が私に貸与した全存在をかけて彼の企てをなすことです。つまりそこでは謙虚さとは、神が私に与えた能力を過信あるいは卑しめてはならぬことを指すでしょう。「お前を破壊できるのは我のみ、なにものも恐れるな」と。
後者であれば、「おめーなぁ、爺ぃ、εκκλησιαにあって、もっとこの謙虚になれや」でしょう。
後者なのでしょう。我がεκκλησιαに感謝を捧ぐ。