finalventの日記

2007-02-03

そういえば

 明け方、夢の中で、恐怖に絶叫し、それが実際の声になって、自分の恐怖の絶叫で目が覚めてもうた。

 またか。

 なんか夢精しちゃうより恥ずかしいというか。

 目が覚めて、息切れして、しばらくぼんやりする。

 夢の話は覚えていない。

 というか、そういう表層レベルじゃないのが出てくる。

 もう身体の心底から、ずこーんと恐怖が吹き上げて絶叫してしまう今日このごろの49歳のオッサンってなんなんでしょうね。キンモー。

 まあ、しかし、これが私。私の運命。とほほ。

 

screenshot

 ⇒砂に書いた○○- はてなセリフ

復旧したのか? 書き込みテスト

 テスト。

 提示復旧ではなかったのかな。よくわからんが。

 なんかまだ調子悪いっぽい感じがするが。

 テストがてら。

 やるせない話⇒

 短いので全文コピペ

 既成の味付けソースを使わない特製の麻婆豆腐を振舞ってあげた。

「変わった味やけどくせになるね」と言われたので豆板醤と山椒の話をしてあげたら、その場にいた全員が豆板醤を唐辛子100%の調味料だと思い込んでいた。

 こういうのをやるせない、というんだろうか。

 そりゃやるせない。

 よく熟成たした豆板醤はなかなか手に入らない。

国谷裕子さん、お誕生日おめでとうございます。

 50歳ですね。

 ⇒国谷裕子 - Wikipedia

死ぬ間際の遠藤周作の心

 マルコ青年⇒明日また生きるぞ - 死ぬ間際の遠藤周作の心をガチで読んだよ

 まあ、そうかもしれない。

 ただ、もっとテレーズと罪の問題だったかと私は思う。実際には脳に病理がなかったかとも思うけどよく知らない。

 「わたしが・棄てた・女」については。

 ⇒極東ブログ: 遠藤周作「沈黙」の自筆草稿発見に想う

 名前だけリンク付きで言及した。

 あまり語りたくない。

 が、率直に言うと、この作品は完全に大衆作であり、文学的には失敗していると私は見る。ミツ(言うまでもなく罪)が主人公を結果的に救済している点だ。お涙頂戴風だが、この文学が描くべきは、ミツによって主人公の罪が救済されないことだった。しかしこの作品では結果的に救済を志向してしまった。

 このあたりの読みについては(駄作でしょあれ的)、ヌーンさんとかユキさんとかは言うまでもなく普通の文学的な感性として持っていると思う、という以前に、キモくて読まないだろう。

 それと。

信者なんだけど、彼は死ぬ間際宗教替えしたと思うよ。改宗とか回心とかって意味じゃなくて、信仰の変化、というか昇華というか。これはひょっとしてまだ誰も書いてないんじゃないのって思うね。

 タメの反論に取らないでほしいけど、遠藤の読者はほとんどが深い河のインド的なユンク的な意味については了解していると思う。ただ、カトリシャン的な読み手の言葉がオモテに出ているだけだと思う。

 「わたしが・棄てた・女」よりも、おそらく失敗作と評価されるかもしれないこれ、

cover
国境の南、太陽の西: 村上 春樹

 が罪のある感触を描いている。

 文学的な感性というのは文学者の感性とは違うし、批評家のそれでもない。ヌーンさんとかユキさんとかたぶんかなりたぶん弁当なんでゲとか言いまくるのではないかと思うし、私も言わせる。言わせることが私はすこぶる愉快だ。私は文学的な感性のある水準を持つ人は私を誤解しえないと確信している。もちろん、不愉快だろうし、馬鹿とか思うだろうが、文学的な感性というのはもうちょっと強い何かがある。(ただしこれはもっと醜態的な不幸感でもあるのであまり言うこっちゃない。)

 そのあたりはけっこうゆったりと確信しているし、ま、ダメなら、彼らがダメなんだろうと暢気に思う。そのあたりに超むかつく人もいると思う。

 マルコ青年にはそうした文学的な感性があるかどうかよくわからない。これは多分に生得的なものなのでないんじゃないかと思う。ただ、お互いキリスト教にやられたせいかメタな感性がある。これはこれでやっかいなものだし、普通は文学的な感性はメタな感性と同居しない。

毎日社説 温暖化防止 排出大国の削減が不可欠だ

 今回の報告は、90%以上の確かさで人間活動が温暖化の主因であると指摘している。であれば、人間の活動を変化させるしかない。

 このあたりがいわゆるネットだと科学的と自尊している人々がよくわかってなげ。

朝日社説 衛星破壊 宇宙の軍拡を憂える

 胡錦濤側からの意見と見るべきだろう。いずれ内政の問題は大きい。雑駁に言えば、今回の衛星破壊は失態。ただ、子細に見ているこの実験の前段は以前もあり米国が黙認していたのでやってしまったかとも。

朝日社説 温暖化対策 科学者が背中を押した面

 この社説は識者が書くのだが今回はちと変。

 なにより朝日が食いつきそうなワックスマン調査についてまるで触れていないのは奇っ怪。なんか中国様にご迷惑でも?

 ⇒米政権が温暖化研究に圧力 NASA研究者ら議会証言 : U.S. FrontLine

いま確実に言えるのは、温暖化の主犯とほぼ認定されたCO2が増え続けていることだ。大気中の濃度は産業革命前の1・35倍になる。

 この問題を考えていた人ならこうは書かない。温暖化の影響はもっと確実だと見る学者が増えているので、「いま確実に言えるのは」といってこうした問題をスルーすることはない。

 ついでに⇒極東ブログ: 対流圏オゾン

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 なんか春間近という感じか。

 今日は終日メンテらしい。あるいは午後には復旧?

 なわけでちと早いが。

Marco11Marco11 2007/02/03 19:42 こんばんわ。アッキーのコメント欄にもちょっと書いたのですが、カトリック「付近」のある種の人間に共通した、「利用する」感覚ってわかりますかね。神父にも多いですが、身の置き場としてのカトリックみたいな。そういう信仰のあり方を提示するっていう意識を感じるんですよね。文学者としての業と宗教者としての業って違うと思うんですよ。で、結局どっちを優先して執筆してたんだろうと。文学者ならノーベル賞もらえばよかったのにって思いませんか?w。
なんというか遠藤周作に関することは、その突っ込みを受けて次の説明に入る、という段取り的エントリ(アッキーとの対話の抜粋エントリ)なのでいいのですが、おいおいって思ったのは、その村上春樹の小説です。発売されてすぐ買って読んだのかな確か。その後あまり読み返してませんが、僕が語りたくない小説はそれですね。その小説はちょっとアレですよ。よく読み取りましたね。ひとりっこのわけないですよねfinalventさん?w。ひとりっこ小説ですよそれは。それ読んで、あ、村上はヤヴァイって思った。

Marco11Marco11 2007/02/03 19:49 『普通は文学的な感性はメタな感性と同居しない』こういうことなんでしょうかね。文学って括りがどうもよく解らないんですよ。どこまで含むの?みたいな。芸術って括りなら解るような気がするけど。っていうかついでだからベタに書いちゃうけど、「文学」って言葉や括りって実は欺瞞なんじゃねえの?っていうのがあのエントリの本当の意図です。

mtfyfmtfyf 2007/02/03 19:50 国谷裕子さんてフリーの方だったのですね。NHKの社員だとずっと思っていました。大阪出身にも見えないなあ(笑)。大学卒業後どういう経歴を経てHNKで働くようになったのか?そこをもっと知りたいですね。

Marco11Marco11 2007/02/03 19:52 すいません、「欺瞞」は語弊がっていうか意味が違うかもです。ガチかヤオかで言ったらヤオだろみたいな。少なくとも半ヤオだろっていうことです。ガチってのは間違いなく実践を伴うんですよ

finalventfinalvent 2007/02/03 20:37 Marco11さん、ども。春樹の「国境の……」はまあ失敗作です。ただ、最終部分に出てくる棄てた女への感触はよく書けているな、と。ま、そのあたりも、「文学」的な感性ってやつです。ここでやっかいなんだけど、

>「文学」って言葉や括りって実は欺瞞なんじゃねえの?

 皮肉に取らないでほしいのだけど、Marco11さんにはこれからもそう見えるんじゃないかと思う。
 このあたり、ちょっと言いづらいのだけど、文学というのは馬鹿でなくてはできないものなんですよ。ヌーンさんとかはちょっと頭良すぎ。頭の良さがどうしても戦略的に批評的に出てしまって、実際には彼が強調しているセックスとかエロスというのがうまく伝わってない。そのあたりの伝わらなさへの愚直な忠実さというのが最後に文学的な感性を優位にしているのだと思う。まあ、陰口とかじゃなくて、文学的な感性と知性の関係性の一例として。
 文学というのは、田山花袋の蒲団じゃないけど、棄てられた女の体臭をくんくんしてオナル人間存在っていう感じです。
 ここでキンモー!とか言うのは文学と関係ないというか、まあ、別の文学というのはあるかもですが。

finalventfinalvent 2007/02/03 20:37 mtfyfさん、ども。ええ、彼女の経歴はけっこう面白いですよ。旦那さんとの関係もちょっとスケベ心で気になりますが。

Marco11Marco11 2007/02/03 21:06 「深い河を探る」って、「深い河創作日記」と違うんでしょうかね?パッケージしなおしたものなんじゃないんでしょうか?

finalventfinalvent 2007/02/03 21:08 TekeTekeさん、ども。そういう趣もありますね。キング的かも。

Marco11Marco11 2007/02/03 21:08 死にたくないよヽ(`Д´)ノウワァァァンってのが文学なんじゃないんですか?wそう思ってフシはあるんですけど自分。

finalventfinalvent 2007/02/03 21:10 Marco11さん、ども。ごく直感的な言い方ですが、「死」とか「死にたくない」とか死の恐怖とかそういうのはそれほど文学のテーマではないと思います。そこに人との関係性が入ってこないと文学の臭いが出てこないと思うのです。むしろ、死は哲学とかメタな思考の問題かも。

Marco11Marco11 2007/02/03 21:13 「棄てた女」って足の悪い女のことですか?もう1人棄てた女がいませんでしたっけ?

Marco11Marco11 2007/02/03 21:18 まじですか?!完全に取り違えてますよ俺は文学を。人間を文字で切り取るのが文学だと思ってたんで。そしてそれは突き詰めれば死の問題じゃないですか。純文学と大衆文学の違いはテーマの一般性というか普遍性によって別けるんでしょうか?

finalventfinalvent 2007/02/03 21:36 Marco11さん、ども。文学は文字で人を云々はさておき、その「突き詰めれば」が「メタ」なんですよ。文学はそういうある種ロジカルな突き詰めそれ自体を虚偽を感じるものだと思います。むしろ、関係性におけるドラマ(ストーリー)です。

finalventfinalvent 2007/02/03 22:11 Marco11さん、ども。率直に言うとそれほど重要っぽそうなことを公開の場で聞きたいとは思いません。重要なことは関係性の中でのみ開示される、もし、そうでなければ、それは関係性に対する別の意味を持つだろうからです。

finalventfinalvent 2007/02/03 22:21 Marco11さん、ども。なんだかチャットみたくなってきましたね。ええ、私はそうした言葉を関係性の外部に聞こえるように聞きたくはありません。というか、それがもし大切なことなら。逆に言えば、関係性の外部で語りうるものは別のあるいは逆の意味を持つだろうと思います。同じこの繰り返しですね。Marco11さんのその大切な言葉はいつかその関係性のなかで語られるか一生秘めておかれてもよいものではないでしょうか。

finalventfinalvent 2007/02/03 22:47 Marco11さん、ども。Marco11さんが言われる「ネ申」は日本人的な神ではなく、ユダヤ・キリスト教的な創造主だ理解します。私が私を創り出した創造主を舐めているか? これを謙虚であるかとキリスト教的に理解します。と、すれば、私は神の前に謙虚ではないか? そしてそれを使徒的なMarco11青年に問われるという関係性ですね。
 問いは二相になります。
 私が神との関係において謙虚ではないか。それとも、Marco11青年とのεκκλησιαにおいて謙虚ではないか。
 前者における謙虚さとは私が彼の使命を全うすることです。彼が私に貸与した全存在をかけて彼の企てをなすことです。つまりそこでは謙虚さとは、神が私に与えた能力を過信あるいは卑しめてはならぬことを指すでしょう。「お前を破壊できるのは我のみ、なにものも恐れるな」と。
 後者であれば、「おめーなぁ、爺ぃ、εκκλησιαにあって、もっとこの謙虚になれや」でしょう。
 後者なのでしょう。我がεκκλησιαに感謝を捧ぐ。

Marco11Marco11 2007/02/03 22:58 こういうのって文学っていうんですかね?w。すいませんなんか。でも、εκκλησιαはネット上?HD上?サーバー上?なんと言って良いかはわかりませんが、ここにありますよね、間違いなく。僕はそう信じます。明日は安息日ですね。おやすみなさい。ありがとうございました。

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