ちょこっとだけ味覚のこと

 食い物の味がわかるということは、ちょっと奇妙なことがある。ま、ちょこっとだけ書く。
 味がわかるというのはちょっと恐い面がある。
 味がわかる人は、案外、味のことをそれほど言わない。もちろんぜんぜん言わないわけではないのだけど、怖さの面をあまり出さない。
 どんなに偉い人でも偉そうな人でも、味がわかってるかわかってないかは、味がわかる人にはかなりくっきり見えてしまう。そして、そのことの意味をすすっと理解されてしまう(ある意味却下されてしまう)。このあたり言うのがとても微妙なのだが。
 男女の恋とかにも、これがちょこっと絡むことがある。あ、この女・この男、味覚ないんだってわかる。わかってどうよということでもあるのだが、このあたりが微妙。そしてこの感覚が微妙におセークルに関係しているっぽい。
 味がわかるというのは一元的ではなくて、たとえば、少なくとも血の味系と山菜系はかなり違う。でもベースの味覚の残酷さみたいのは共通している分もある。
 嗅覚も関係しているっぽい。
 あと。
 味覚はある訓練しないと開花しない領域があって、これは一種の階級装置かもしれない。ワインとかそう。その味がわかる階級を作り出す装置かも。
 これと関係するのが自然の素材の味とか奇妙な料理技法。
 永田農法の永田さんだったが、トマトは金物の包丁できると美味しくない、セラミック包丁で切るといいと言っていて(書籍にて)、ああ、と思ったことがあった。この感じはけっこうきっつい。
 あと。
 これはネットで書くと反発されそうだけど、B級グルメというのは不味いもんだよ。もちろん、そんなのわかってらい、B級がいいんだよとか言うのもあると思う。でも、まあ、ちょっとだけいうと、それを極めようとすると味覚壊すよ。