中年童貞とか

 私が語ると秘境プゲラの探訪記とかになりそうだが。
 ⇒中年童貞…なぜ生まれる? 「恋愛資本主義」の肥大化|話題|社会|Sankei WEB
 ⇒finalventの日記 - こ、こ、こかこーら、じゃねーや、こんな本が存在するのかぁぁ
 まあ、直接的にはパス。
 30過ぎて、処女の女性がどのくらいの比率なのか、以前見かけたが、よくわからない。
 処女であるか否かということは、奇妙な意味を持っている。
 ある種の女性は多数の男性と関係をもってもそれほど異和感がないというか、自然的な性的な自己のようなものをもっており、ああ、この男違うわ、とか自然に分かって、ある一時期をすぎて、ま、おかん、になる。
 そういかない、いけない女性も少なくない。むしろ、恋愛という一種の不思議な精神圏内に置かれてしまう女性の場合、処女性の喪失はべたにトラウマになっており、そのトラウマからハイティーン以降三十代半ばまである種の強迫的な恋愛を反復してしまう。むしろ、処女を守ったほうがその点楽だなと計算できる女性は、三十まで処女で残るし、でも、三十を越えたあたりでそこでまたなんか奇妙に追い詰められる。(たぶん、子供を産んでしまったほうがある種の救いのようになるだろうことも多い、と思うが、あまりこの問題は公的に語れない。というかいろいろやっかいな問題がありそうだ。)
 たぶん結婚もそうした対処にはならないのだろうが、それでも結婚みたいな重たいフタはある程度精神的に役立つだろうし、男の側はこうした問題に単純なんで、けっこうどうでもよいというか、イケメンでなければそうしたチャレンジを受けることもない、平和。(イケメンは結婚が平和にできない。)
 ま、話がめんどくなったが、このあたりに、フェミニズムは答えてくれなかった的問題が残り、それがあるスレショルドを越えると変な社会現象になる。
 というか、すでにまたそうなりつつあるように思える。