finalventの日記

2007-07-28

自分はもう少し仕事できそう、という直前で5回くらいは壁をずり落ちている気がする

 厄年越えてから。

増田(その1)が予測するはてなワールド

 増田⇒はてなワールドの予想

予想する。

はてなワールドはGUIベースの自己認識が可能な状態でのネットブラウジングだ。

 ついそう考えてしまうんだよね、というか、けっこうそう考える。

 でも、インプルメントと考えると、はてなDirectXみたいの使うわけねーじゃんとか思うので、すると、JavaAS3ということになる。AS3はマチュアしてないしはてなにそれほど技術力はないんじゃないか。するとJavaというところで、ちょっと萎えて、私の推測は予期せぬ終了。

 はてなはデザインが弱いというかリソースもってないのもなとか思う。

へぇと思ったら

 きっこ読んでないんで。

 ワッチャー栗先生俺のターン - きっこのブログがコメント解放してた

 へぇと思ったら。

 エントリのコメントにはなってないのだね。こういうやりかたの好きな人の独自のメンタリティみたいのもあるのだろうか。

 いずれにせよ、エントリのコメントにはなってなくて、ブロガーへのコメント指向になってしまう。でも、ブログのコメントというのは、経験的にいえば、エントリを抜いてしまったブロガーへのコメントというのはダメの典型なんだけど。

あれ的対談

 猫猫先生猫を償うに猫をもってせよ - 「対談集」が減る

 それに限らず、「対談集」は減った。昔は、柄谷行人対談集「ダイアローグ」なんて何冊も出ていたし、山口昌男とか岸田秀とか、よく対談本を出したものだ。今は対談集ではなくて、香山リカ福田和也の悪名高いあれみたいな「対談本」ばやりだ。安直に一冊できあがる、あれ。

 あの「悪名高いあれ」は、福田の後書きでばっちぐーな作品でした。だったら出すなよのツッコミが織り込み済みというあたりに、余裕もあり。

 個人的にはウメッチの対談本は、微妙にウメッチ側の対談の揺れというのがあって面白い。表面的にはウメッチも編集者もうまくまとめているし、そう読めるのだけど、奇妙に文学的なブレがあるように、私は感じる。

 異質者との対談というのは、二者が理知的なら、とても読みやすいものになる。つまり、理知的にだけ読めるようになり余韻はあまり残らない……と思う。

 山本七平小室直樹のれいの対談だが、小室がすっきっとして山本はどうも鈍い。流れも世間話的だ。だが、微妙な余韻があり、その中に割り切れない部分というか、ずっと残るものがある……まあ、残る読者にだけかもだけど。

 大森荘蔵坂本龍一の対談も、ある意味ではつまらなかったが、坂本がぽろっと若い感性を出して大森がそれに答える部分があり、そこは大森が出てしまっている。大森と中島義道の対談だと、中島がある意味でうますぎて大森の揺れがない。

 そういえば、岸田と柄谷の対談があって、柄谷は岸田を、軽くゆるい人に見ているのだけど、どっちが学者的かというと岸田なんだよなと思ったことがある。学者というのは知的である必要はなく、概念や理論に偏執的なところだろう、とか。

これはべたにそう

 これ⇒フィードバックとしてのはてなブックマークへの依存度を下げたい。[雑記] 真性引き篭もり/entry

たとえば、よくいる普通のブロガーであれば、フィードバックは多種多様である。まず「コメント欄」があり、「トラックバック欄」があり、「メールアドレス」があり、「日毎のアクセス数を確認できるアクセスカウンタ」がある。そして、程度の差こそあれ「アクセス解析」「リンク元表示」などもほぼ100%のブロガーに浸透していると言ってもよい。

 このあたり、「よくいる普通のブロガー」といえばそうだけど、その多様なパスについてそれぞれ質と量の意味が微妙に変わってくる。このあたりのブログ運営の技術みたいなものがありそうだけど、あまり語られていない。たぶん、PVが少ないとSNS的な意味を越えないだろうし、メガPVでは基本的にPV量に集積されて(つまりコメントとか実際には読まれていない)といった二極になっているからだ。実際には、ブログの運営はその間の微妙なステップがある。もうちょっと言うと、ある程度読まれないように書く。(もうちょっというと適性PVに均整するように書く。)

ところが、僕は、そういった、フィードバックの多様性を確保する事に完全に失敗してしまっている。コメントと、トラックバックはかろうじて機能している、と言うことも不可能ではないけれど、他は全滅である。

 そこが真引きさんの小狡くないところで魅力でもあるのだろうけど(れいのエディタページ一気書きとかも)。

 それとこれは真引きさんは嫌がるかもしれないけど、ある意味で、ちょっと推測に踏み込むけど、たぶん、普通の社会から引きこもっているのでその社会のというか世間の人というのの感触が弱い、というと正確ではなくて、別の言い方をすると頭良すぎ。だから世間の人を割り切ってしまう。でも、世間というのは知的にあるいは云々というふうに割り切れるものではない(という言い方がすごいキモイだろうけど)。で、世間に実際に身を置いたときの微妙な人の思いの感覚というかバランス感というのがあり、ブログなどネットメディアの持つ奇矯さ(これはマスメディアについても同じだけど)への補正というかディスプレースメントの感覚が必要になる。

 いや、必要、とまでは言えない、メガPV系はむしろそれに従属していればいい(民放テレビと同じ)。いや従属していればいいと簡単なものではないが、いずれにせよ、PV取ったら勝ちに最適化すればいい。ブロガーはそう割り切れない。

けれども、フィードバックの多様性というのは、ブロガーとしての体力、耐久度、最大HPといったものと密接に、直に関わって来るので、なんとかして多様性を確保したい。愛する人をコマンド1つで切り刻める位に強くなりたい訳じゃないけどせめてヒャドで即教会送りにならない程度のHPを確保したい、という思いは物凄く強くあって、ずっと考えてはいるのだけれど、名案永く浮かばない。

 名案はあるよ。たぶん、真引きさんが別IDでもっと普通に近いコミュニティで人と関わること。でも、それって名案だと思わないでしょ。いろいろ理屈付けて却下でしょ。あるいはまたfinalventバーカバーカかな。でも、却下している主体、意思主体である真引きさんというペルソナへの執着だと思う。ブランドといってもいいのかもしれない。でも、そのブランドはたぶん、真引きさんの中の人を幸せにしていない。

 30半ばを越えたら、もう幸せに生きてもいいのだ、と、私は思うよ。むかつくようなことを言ってしまったけど。

日経 春秋(7/28)

 上手な文章なんだけど、これ、頭で書いているのね。

 冒頭の体験的な食わせはすごくうまいのだけど。

今宵(こよい)、江戸中期の「川開き」に始まる東京隅田川の大会で、2万2000本もの花が咲く。圧巻は最後の5分間だそうだ。2つの会場で3000発ずつ上げるというから、1秒間に10発。超高速の爆音と閃光(せんこう)はさぞ盛大だろう。間髪いれずに連射するのが現代流なのか。風情まで吹き飛んでしまわないか、ふと心配になる。

 今宵の話だから予断みたいな流れはわかるのだけど、こういう現代花火は昨年もあった。で、執筆子、現代の花火を見ましたか? というか文章からは見てないなと感じがする。見ると、思うところがあるはずだ。現代の花火職人の技術はそれはすごいものだよ。

 というわけで、この手の話は、実際に体験したところから書くべきだと思う。

 というあたりで、上手な文章というか文章技術というのは、それは技術としてはあるけど、実際にいい文章はそういう技術からは生まれない。あるいは文章技術から生まれるのがうまい文章ということになるが、言葉のもつ力を活かせない。この例でいえば、現代の花火職人の技術や意気込みがあの花火から伝わるし、それはかならず見ている人というものを含み込む。そのなかに自分の身体を晒して、そこから自分に文章を書けと促すものがないかぎり、言葉の力は出てこない。

日経社説 連鎖株安が発する警告は何か

 米国株が調整局面に入る前から、日本の株式相場は相対的にもたついていた。参院選後の政局が混迷し、日本の経済効率化や政府のスリム化に向けた構造改革が停滞するとの懸念があるとすれば、株安が発するシグナルは軽視できない。株式市場は参院選後も改革路線を後退させない決意を求めているように見える。

 その割には日経の社説もがたがた揺れていたように思える。

産経社説 【主張】中国汚染食品 抜本的な対策が不可欠だ

 ざっくり言うとこれは間違い。中国に抜本的な対策は無理。日本の輸入分は日本がきちんと囲い込むようにすること。中国はこの手の行政をするには国がでかすぎる。なぜ13億人の単一国家が存在するのかわけわからない。そうでなくても、行政の大半は地方に移管し、国家との分担をすべき。でも、たぶん、中国というのはそれこそができない。

毎日社説 治安対策 「警察の問題」と考える浅薄さ

 なんだろこれ。

しかし、いわゆる「体感治安」はますます悪化している。銃器犯罪が続発し、幼児虐待は増加を続けている。少なからぬ小中高生がいじめにおののきながら学校生活を続けている現実も、看過できない。

 「体感治安」とやらが悪化しているのはわかったが、で、現実はという流れになっていないとお話にならないのだが。

朝日社説 科学五輪―高校生よ、世界に挑もう

 まあ、それもだが、普通の人に普通の近代科学の常識を行き渡らせるということが日本社会の課題のような気もする。もうちょっとスペシフィックにいうと、栄養とか化学薬品とか環境とかの普通の知識というか。

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 昨日の社説コメントを逸したのでざっと見たが、どれもスルーでよさそうな感じだった。しいていうと読売の教員育成問題だが、教師や医師というのは社会の叡智が十数年かけて聖人を作り出す側面がある。そういう表現もなんだが、昔の人はそういう聖人を知っていたものだった、と思う。

sakaepikurosusakaepikurosu 2007/07/28 10:05 時折のエントリ抜きコメントすいません。。

>毎日社説
体感治安(?)は、ベタに、メディアが煽るからでしょ、とか思うのですが。というより、TBSの相次ぐ不祥事考えたら、モラルがどうたらとか毎日が何を言う、と言いたくなります。

hnamihnami 2007/07/28 10:07 >学者というのは知的である必要はなく、概念や理論に偏執的なところだろう、とか。

 そうなんですよね。スタイルなんです。誰も見たことがないものを「見た見た」と言い張るのが学者で、「誰が見てもそうだろう」と言った時点で論文のスタイルではありません。社会人学生に「心底ああなってしまう必要はないが、そこは空気嫁」と論文スタイルの文章を書かせるのが結構大変です。

finalventfinalvent 2007/07/28 12:49 sakaepikurosuさん、ども。毎日新聞バッシングになってはいけないけど、なにか最近ブレが大きい気がします。前からそういう面はあったにせよ。内部にインテリジェンスを持てないなら外部の学者さんとかフォローしてもらうようにしたらいいのでは、とも。

finalventfinalvent 2007/07/28 12:50 hnamiさん、ども。学者道、というのがありそうですよね。学問にうまく結びつかなくても、ああ、学者さんというのはあっても良いような。(全然皮肉ではなく。)

mtfyfmtfyf 2007/07/28 17:41 ミニブログを見て思ったのですが、レストラン等で食べた物をデジカメで撮ったのを掲載していますが、あれって抵抗感ありませんか?最近そういうブログが多いのですが、いつも勇気あるなあと思って見ています。撮られる側も食事の前にパチリとやられると結構複雑な気分があると思うのですが・・・。そう思うのは私だけかなあ?そういえばジュンク堂って店内撮影禁止じゃなかったですか?書泉系は駄目だったと思います。最近書店では店内撮影禁止のところが多いと思います。マナーに厳しいfinalventさんにしてはすこし軽率な気が・・・

odakinodakin 2007/07/28 17:51 駒かい事を

itfitf 2007/07/28 18:08 自分がとりあえず立てた目的があってそれにコストを払う所からスタートするんだけど、見通しが当然人間には予知能力がないから外れてそのコストが精神的なものや、経済的な苦しさとなって、どすんっと自分にのしかかってきた事は誰にでもあると思うし、私にもあるし、これをどうするかをここ2,3年ずーっと考えてきたように思う。例えば大型テレビが100万円から30万円に下がった所で私には高い事に代わりがないから関係ないけど、スーパーで食料品が10,20円上下するだけで、敏感に反応する(やや大袈裟)。何か凄く下のほうで戦ってる気がする、私は。例えば美女も美人投票的な美女は当然常に希少だがこれは今は書かない(まだ纏まらない)。コストが仮説や目的や見通しや、平たく言うと自分の妄想の下で払われたコストがハッピーエンドへと繋がる伏線になれば良いわけだけど、経済学的な中央銀行という無敵の存在が市場に降りて来てインフレを起こせばいいみたいな理論では私は納得できない。結局市場の中で駆け引きをしながら、汚い手を使う奴とかいたりして、いろいろあって、とりあえず誰かがコストを背負わされるんだけど、それがうまくその人の物語の中で伏線として処理されれば良い。それがなんとなく見つかりそうな希望は私には少しある。後最後に、例えば軽自動車は途上国では高級車になるけど、日本ではそうではない。これが壁を超えてるか。超えてない。安くて良いものがあるんなら金があまりない事で悲観する事はないけど、金がないことでいやな上司の元で時間を拘束されるわけだから!

finalventfinalvent 2007/07/28 19:57 mtfyfさん、ども。ジュンク堂は知らなかったので以降慎みます。食事のほうはフォーマルなところではしない、というか、けっこう回りがラフなところで食べるので。そのあたりは状況に合わせて、他の人の不快にならないように気をつけます。

finalventfinalvent 2007/07/28 20:12 itfさん、ども。私が外しているかもしれませんが、「経済学的な中央銀行という無敵の存在が市場に降りて来てインフレを起こせばいい」というのは私もナイーブだなという感じがしています。実際のところ世界のなかの通貨というのはドルとユーロくらいなものであとは一応中央銀行はあるにせよ、ドルやユーロとの関連に置かれているので、いわゆるマクロ経済学の国家モデルでは動かないという印象を持っています。円はその中でドルとの連携ですし、元はいずれそこでばたばたするのでしょう。ただ、そんなこと頭のいいマクロ経済学者がわからないわけない……のかあるいは……というかそもそも経済学が自然科学モデルなので、そういう限定された世界の状況を扱ってないのか、そこがよくわからないです。ただ、結局のところ、国家というのは国家幻想からは免れない、その意味で今の日本人の選択にいずれ日本人が尻をぬぐうことになってもそれはそういうものかな、と。

finalventfinalvent 2007/07/28 20:14 odakinさん、ども。と、レスから外れた話だけど、外食で一人食っているとき、自然に携帯見ているんです。そしてそのことに特に違和感はなくなっています。その延長に写真とかもあるような。若い人の行動パターンを見ていても写真はちと違うけど、食事のとき携帯を見ていますね。

mtfyfmtfyf 2007/07/28 20:20 ええ、確かに細かいことかもしれませんが、携帯電話についてのマナーがある程度確立しているのに対し、デジカメについてはあまりにも無法状態ではないかと思ったんです。例えば自分が歩いていて知らない人に写真を撮られると不快ですよね。同じく自分の家をパチパチ撮られているのを見かけたらやっぱり不快だと思います。という風に考えていくとデジカメで写真を撮る場合、どこまでは良くてどこからはいけないのか、その線引きについて、それなりの基準があってよいと思うのです。ただ自分でもその基準をどう合理的に作ればよいのか、正直、今はよくわからないのです。いつもモヤモヤしてます。

finalventfinalvent 2007/07/28 20:35 mtfyfさん、ども。この問題先にも述べたように、うかつにもあまり考えていませんでした。まず、人間は撮らないです。個人宅も撮らないです。犬とかもたぶん。書籍の内容ももちろん。そのあたりはその映像の権限みたいのは自分にないだろうと自然に思っています。では、店内の風景は? これは考えてみるとダメですね。ではなぜ自分はそうしていたのかというと、公共の風景の延長のように思っていたというのはあります。食事は? これは店内の風景ではあるけど、自分が購入したものに限定されたら? というあたりで、モラルとかマナーの問題になるのでしょうね。そしてマナーであれは他者との関係、モラルであれば自分との関係でしょう。とすると、そこは決めごとでもあるし、なるほど以降個人的に慎むかなという感じです。

himorogihimorogi 2007/07/28 23:13 数日前、投稿しそこなったのですが。
ペシャワール会の報告だと、今、アフガンは、カブール周辺相当ヤヴァイそうです。
NGOなども欧米の軍の手先として目の敵にされてる。
そういうアフガンで、子供をおびき出してこういう布教やってるウリナラ。
http://www.mefeedia.com/entry/3158524/

finalventfinalvent 2007/07/29 19:45 himorogiさん、ども。洒落でかぶせているのかと思いましたよ。

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