あれ的対談

 猫猫先生猫を償うに猫をもってせよ - 「対談集」が減る

 それに限らず、「対談集」は減った。昔は、柄谷行人対談集「ダイアローグ」なんて何冊も出ていたし、山口昌男とか岸田秀とか、よく対談本を出したものだ。今は対談集ではなくて、香山リカ福田和也の悪名高いあれみたいな「対談本」ばやりだ。安直に一冊できあがる、あれ。

 あの「悪名高いあれ」は、福田の後書きでばっちぐーな作品でした。だったら出すなよのツッコミが織り込み済みというあたりに、余裕もあり。
 個人的にはウメッチの対談本は、微妙にウメッチ側の対談の揺れというのがあって面白い。表面的にはウメッチも編集者もうまくまとめているし、そう読めるのだけど、奇妙に文学的なブレがあるように、私は感じる。
 異質者との対談というのは、二者が理知的なら、とても読みやすいものになる。つまり、理知的にだけ読めるようになり余韻はあまり残らない……と思う。
 山本七平小室直樹のれいの対談だが、小室がすっきっとして山本はどうも鈍い。流れも世間話的だ。だが、微妙な余韻があり、その中に割り切れない部分というか、ずっと残るものがある……まあ、残る読者にだけかもだけど。
 大森荘蔵坂本龍一の対談も、ある意味ではつまらなかったが、坂本がぽろっと若い感性を出して大森がそれに答える部分があり、そこは大森が出てしまっている。大森と中島義道の対談だと、中島がある意味でうますぎて大森の揺れがない。
 そういえば、岸田と柄谷の対談があって、柄谷は岸田を、軽くゆるい人に見ているのだけど、どっちが学者的かというと岸田なんだよなと思ったことがある。学者というのは知的である必要はなく、概念や理論に偏執的なところだろう、とか。