ログイン 晴れ
秋空という感じだ。10月6日か。明日も良い天気のようだ。
大手紙社説より
日経春秋 春秋(10/6)
8年前のデビューアルバムで売り上げ日本一の記録を持つ宇多田ヒカルさん(24)が、今年はじめから先月末までにネットを通じダウンロード販売した総計が1000万を超えた。「Flavor Of Life」という歌だけで700万強。ネットでは世界で最も売れた歌となったが、曲名をご存じだったろうか。
よく知っているよ。
⇒finalventの日記 - Flavor Of Life
⇒finalventの日記 - Flavor Of Life 2
⇒finalventの日記 - Flavor Of Life 3
⇒finalventの日記 - 水の響きとFlavor Of Life
朝日社説 親方解雇―「打ち止め」とはいかぬ
どうやら私は、もともと関心がないせいもあって、この問題を誤解していたようだ。リンチが心理的なあるいは偶然的な経緯を介しての死ではなく、べたに撲殺したのではないか? とすればこれは相撲がどうというより、べたな凶悪犯罪だろ。相撲とか日本のなんとかという背景の回路から社会問題というより、まずこの問題にフォーカスし、それから相撲なり日本人のこういうリンチ好き性質を考えるというスジではないか。
朝日社説 アフガン支援―小沢論文への疑問符
朝日はタメで小沢批判しているのか、小沢構想が理解できてないのか。案外後者なんじゃないかとちょっと思えてきた。
2003.10.05⇒極東ブログ: 日本はいまだ国連の「敵」である
国連と日本の関係を正常化させることは難しいのだろうか? 意外なソリューションを私は小沢一郎の主張から啓発された。常備の国連軍を作り、日本が兵を出せばいいのだと。なるほど。そうすれば、死文は論理矛盾から本当に死に絶えるだろう。だが、日本の平和勢力、国連主義の人たちはそれを認めるだろうか。今の日本の空気を読む限りそうはいかないだろう。衆院選挙でも、冷静に考えれば、新民主党は敗退する。
2004.11.01⇒極東ブログ: 香田証生さん殺害に思う
ただ、私は、この12月15日に期限を迎える自衛隊の派遣延長問題だけに関心が集まっている世相に違和感がある。というのは、以前からの極東ブログの主張でもあるのだが、自衛隊のイラク派遣は500人規模でありしかも軍事活動の後方支援でもないので、そもそも軍事的な意味に乏しい。これに対して、10月26日の閣議で決定したテロ対策特別措置法に基づくインド洋への自衛隊派遣の延長ほうは、もろに米英軍の後方支援としての軍事的な意味を持つ。しかも、この延長はすでに6回目である。状況が状況だとはいえ、このだらだら感は当初の特別措置法としての性格からすれば、異常ではないのか。しかも、今回の延長では、外国艦艇に搭載されたヘリコプターへの給油と飲料水の提供が追加された。7月に発効した米物品役務相互提供協定(ACSA・参照)からすると、こうした提供は有償が原則のはずだが、なお今回の延長では無償提供を継続するらしい。
ザルカウィのようなチンピラ上がりのテロリストはこうした世界状勢が読めないかもしれないが、なにも日本人がそのレベルに国際的な軍事見識を同調させることはないだろう。
これね
これね⇒「毒吐き@てっく」の閉鎖に関して:現役雑誌記者によるブログ日記!by オフイス・マツナガ
てっくさんのところはよく読んでなかったので、経緯も問題点もよくわからない。
ときたまリファーされたことがあって、トピック的には読んでいたし、個別トピック的には面白い見解もあった。というか、namiさんというかたから、てっくさんは面白いみたいなことを伺ったような気がするけど、勘違いだったか。
単著を出されるという話があったので、読んでみたいとは思ったが、結局でなかったのだろうか。
ちょっとバランスというか
ブログというのは、特定の話題・分野・知識領域に特化したほうがいいという意見があり、まあ、それはそれでいいんだけど、やはりパーソナルなメディアなので、特定分野の専門家でも非専門外の言及はある。で、そこで見識に落差が大きいということもある。この場合、そういう床屋談義的な部分はスルーして専門的な見解だけ参考にするというのもあるのだけど、ちょっとこれを言うと揶揄みたいだけど、そういうケースは、いわゆる普通の人が特定分野を職業的に専門にしているというか、職人というか、お寿司屋さんや大工さんみたいなもので職能の領域かな、と。なので、そういうふうに接するべきで、この場合、ブロガーというのもとても限定的になる。
専門分野的なブログでも、本人は専門に限定しているのだろうけど、一般社会からすれば、その専門領域の人に答えてほしい難問をスルーしまくっているケースもあり、特に、啓蒙的なスタンスにそれが多いように思う。私の考えでは、専門家というのは、一般社会からこそいちばんシビアな専門的な問い掛けを受けているので、それにもう一度市民社会に向いたときどう答えるかというのが重要だと思うので、なんというのか、専門知識のあるという人と、専門家というのはちょっと違うかなとも思う。つまり、啓蒙以外のスタンスで難問に向き合うようすを見せることができない人は、それほどたいしたことないんじゃないかな、と。
ついでなんで。批判がメインになるブログ、あるいは一言でばっさり系のブロガーというのが多いんだけど、基本的にゴミでいいと思う。ブログというのは累積なんで、つまり、そのブロガーが積み上げた背景の関連のなかで発言するものであって、ログと切り離して発言できるという幻想は、つまり、リアル本人の各種の自負を他者に受け入れろというに等しく、説明性というかフラット性がない。「俺様の一言が聞けないやつはバカだ」というだけのことだろう。つまりは、どのような理念であっても、自己の特化が前提になるという構成を持っているのだが、そういう発言は、むしろ情報受容の点では除外したほうがいいかなと思いつつある。
ちょっと向きを変えると、知識というのは、ここでいう知識はいわゆる職能的専門知識じゃなくて、市民社会が生きて課題とする知識、それこそがバランス良くブロガーに求められるもんかもしれない知識、それは個人を特化しないのではないか。ちょっと話が飛躍するけど、みんな死んでいく。俺様さんたちも死んでいく。そのとき、死なれた俺様さんたちより、たくさんの思考のアーカイブや時代の息吹のようなものを多くの人に、どうですか?と残して、無名のなかに死んでいくのが知識の重要な現れなのではないか。
というか、ブログはいわゆるネットの流行としては終わったとも思うけど、実はとても本質的な提起をしている人類の知の最終形態を暗示しているんじゃないだろうか。
ベニテングタケだけど
⇒マリオの「スーパーキノコ」そっくりのキノコは実在した - GIGAZINE
白樺林に入ると普通にあちこち生えているというか、普通のキノコだよ。
きれいなもんだよ。
毒性については、ちょっとブログとかに書くのはやばいんだけど、文化によっては毒抜きというか処理して食うところがある。信濃の文化にもそういうところがあったかと思う。ウィキペディアにも書いてあるか。
で、以前に書いたと思うけど、私、これ食ったことがある。
焼いてね。
すげー旨いの。
でも、ごっくんしなかった。
知人はこんなうまいもの食わずにはおけないとか、めりめり食っていた。
そのあと、彼は異様にハイだった。云々。