今日の大手紙社説
G7話が多いけど、なんかよくわかんなかったな。サブプライム問題は証券化というのはそうだけど、べた部分ではヨーロッパが米国の田舎の不動産買うなよとも言えるし。
話はずっこけるがたまたこれを見た。
これ⇒福田康夫が「消費税10%」を決断する日(2007/10/19 ) : NET EYE プロの視点
プロの視点ですか。と読むに表題とは違った話っぽい。
読売社説 G7声明 成長減速への警戒感を強めた
なんか朝日新聞の社説をまた読んでいるような。
朝日社説 G7と市場―先送りされた二つの難題
なんか変な社説。なんか変というのは散漫ということ。
今回のG7では、難題への答案を書けなかった。主要国の監督当局などで作る会合に対し、金融機関のリスク管理や当局の監督体制の改善策について提案するように求めた。専門家へ宿題を出して、とりあえずしのいだわけだ。
これは逆で今回の各国中央銀行が答案どおりでしょ。
サウジアラビアやロシア、中国などが設けたこうした政府系ファンドの運用残高は、それぞれ10兆〜30兆円にのぼる。アラブ首長国連邦のアブダビ投資庁にいたっては、日本の年間政府予算を上回る100兆円規模といわれる。
これだけの資金を操れば、為替や金利、株価に影響を及ぼすことも、他国の基幹産業を買収することもできる。損得を超えた国家の意思が投資に反映されると市場をゆがめ、安全保障を脅かすかもしれない。厄介なのは、政府系ファンドの実態が外からうかがえないことだ。
日本にとってというか、すでに米国でも警笛っぽいけど、中国マネーの動きがな、と。
で、オイルマネーなんだけど、朝日の言い分とは逆に現状では、イスラムの縛りがあるのと国家なんで臆病というのがあって、債権市場をてこ入れとかで、総じて、世界経済に安定要素っぽい。
快晴
秋空をふーっと見上げる。
なんとなく今日も爺的早起き。レモネードを飲む。天気図を見ると台風は特に影響なく過ぎそうだ。
ざらっとネットに書いたりした。
いわゆるもめ事っぽい感じもするけど
⇒童貞と学歴? - WEB SPA!|中年童貞日記
で、米蘭に猫猫先生登場。
むしろ『ちくま』10月号に書いた文章を見て欲しいのですが、私が問題にしているのは、第一に、全国童貞連合のHPに、サクラだらけの出会い系サイトの広告を置いているのはどういうことかということで、このことの方がよほど重要です。
次にあなたは学歴を隠しているが、それはなぜか。
猫猫先生の疑問点はまず2点。
- 全国童貞連合のHPに、サクラだらけの出会い系サイトの広告があるのはなぜか?
- 学歴を掲載しないのはなぜか?
で、その応答がある。が、基本は。
正面からお答えする必要が感じられません。
ということで回答拒否。
回答拒否の理由だが、私の印象では、小谷野の問い掛けが無礼だから、ということのようだ。(「無礼」という言葉を渡部は別応答で使ってもいる。)
しかし、あえてまとめると。
- 「サクラだらけ」と断言できない。
- 自己紹介に学歴の掲載の意義はない。
2点目の学歴云々については私はよくわからない。あれば出せばいいのではないかとは思うけど、出さなくても別に著作家に問題があるかわからない。ただ、この問題は、小谷野の文脈では別の色合いがありそうなのだが、私には理解しづらい。
で、一点目だが、これは、渡部は回答になってないと思う。回答拒否だからということかもしれない。
というのは、「全国童貞連合のHPに、サクラだらけの出会い系サイトの広告がある」という可能性はある。しかし、その真偽について、 全童連会長としては責任を持たないというのだ。
私はそれは違うのではないかと思う。
というか、この問題は、 全童連という組織の理念から問われるべきもので、「現状では、サクラがいるかもしれないが君たち自己判断でやってね、当会としては広告料が必要なだけだから」という表明になると思う。
そういう理念の全童連、というのは、一種の洒落でしかないのではないか。
つまり、社会問題として、童貞を論じるに足る団体ではないのではないか。
で、と。
これで話が終わったかのようだけど、さらにもう一点、猫猫先生は問う。
私はだいたい、あなたが本当に童貞だとは信じていない。あなたは「童貞だと自称して商売をしているだけ」としか私は思っていない。それがなぜ分かるかと言われても、文章を見れば分かるとしかいいようがないね。
つまり、全童連会長に童貞ではない疑惑がある、と受け止めていいのだろうと思う。
これに対しての全童連会長・渡部の回答だが。
いやいや、商売になどなってませんよ。
さまざまなコストがかかる以上、どう考えても大赤字です。
プログラマも「童貞保健室」の女性たちも、そして各派閥のリーダーのコミットメントも完全にヴォランティアでの参加であって、私は彼らには本当に感謝しています。
正直、商売にしたいくらいなんですが、それはたぶん無理です。
私は素朴に疑問に思ったのだが、全童連会長・渡部は自身を童貞かどうかという回答を回避している(もともと応答しないという枠組みなのでしかたないにせよ)ことだった。
先の出会い系CMがサクラか?の応答と同じように、応答がずれていると思う。つまり、童貞かどうかではなく、童貞業という商売かということ。で、商売かどうかは赤字だから違う回答されている。
だが、日本企業は銀行なんかが顕著だが、税金対策で赤字とすることは多い。それは商売の判定にすらならない。
というあたりで、なんかおかしいと私は思うようになった。ので、これを書いている。
童貞かについてはさらに、渡部は。
それからもうひとつ。私の文章に童貞っぽさが感じられないというのは、なんとなくわかります。とにかくさらりと書くことを心がけてますから。わかる人にはおわかりかと思いますけれども。
でもまあそもそも、仰る意味で汚らしかったり生々しかったりする「童貞っぽい」ものは小谷野さんが書いてらっしゃるので、別に私が書かなくてもいいんじゃないかと思うんですが如何でしょう? 別に全人類が小谷野さんみたいになる必要はないでしょう?
ここでも率直に言うのだが、問われるべきは童貞か?であって、童貞らしい文章か?ではないはずだ。
渡部はある種、童貞芸を問われていてそれなりに芸風で答えていますよ、というふうに応答しているように思える。
で。
結局、渡部は童貞なのか?
それを、ずばり答えないメリット、ないし、その戦略性とでもいうものがあるのだろうか?
私は、再び全童連というのがわからないのだが、童貞ではない可能性の人が会長につきうるものなのだろうか?
もちろん、私はこれをギャグで書いているのでない。つまり、童貞かどうかを述べろとかいうのではない。
そうではなくて、全童連というのが会なら、その会則というか会の規定に、童貞の基準が存在するのではないか? そしてその基準によって、童貞の認定(会による認定)がされているのではないか、というか、会がその認定的ポジションにあるのではないか?
で、ぐぐる。
⇒全国童貞連合
会員資格と登録方法
全国童貞連合でアピールするためには、 絶対条件として、貴男が童貞である必要があります。
それさえ満たすなら、至急 「全童連会員登録フォーム」に、 プロフィールと簡単な 自己アピールを記入し、 顔写真を添付した上で送信して下さい (アピールの内容や写真の写りには一切手を加えません。ただし写真の大きさは、こちらで微調整させてもらいます)。後は柔軟な童貞審査をクリアした段階で、速やかに貴方の「アピール文」と「顔写真」を、当サイトの会員名簿へ掲載させてもらいます。それにより晴れて全童連の会員となることができます。
ということで、申告と審査を持っていることがわかる。
問題は審査の基準(ないして手続き)だが、どこの明記されているのかわからない。
FAQは先の言及と矛盾しているように思われる。つまり、審査なしに見える。
●全童連会員になる資格は?
童貞の男性であれば誰でも会員になれます。年齢、国籍、宗教を問いません。ただ、やっぱり女性に対して失礼のないよう顔写真を出せる人という条件を付けさせていただきます。また卒業生になっても、そのノウハウを後輩たちに伝える努力をしてあげられる人が望ましく思います。その他の会員規約についてはこちらをご覧下さい。
あるいは顔出しが審査だろうか。
つまり、童貞だと言い張って顔出しすれば、全国童貞連合に入る。
さてと。
まあ、洒落だよ洒落ということで、野暮なつっこみするなよということかもしれないけど、私の普通の市民感覚からすると、童貞がとかいう以前に変だと思うし、実際に中年童貞のかたにとってあまりメリットのない団体に思われる。
それは受け止め方の一つだと思いますよ
⇒ブロガーの多くは僕が思ったよりずっと健全 | 住 太陽のブログ
わからないではないけど。
それと、釣りっていうこともあるのだろうけど、また釣られるよ。と。
最初に住さんが出された問い掛け「ブログ書いてるってキモくね?」みたいのは、多くの人がそれなりにいろいろに受け止められる広さがあったと思う。
で、このエントリだけど。
といった感じでしょうか。この反応を見る限り、反応してくれたブロガー諸氏のほとんどは、まったくキモくないか、または自分がキモいかどうかということについて特段の悩みは持っていないように見えます。
と見えてしまうのは、そうなのかもしれない。
けど、住さんがそう見えたことと、そういう人達なんだとタイプ分けして、しかも、住さん対健全ブロガーというふうな世界観を提示されると、そこで、なんというか、終わりなんですよ。
きゅーっと狭くなってしまう。
まあ、たいていの話がそんなふうに終わるものっていうのもあるかもしれないけど。
たぶん、住さんは自身に関心を持っているか、あるいはそういう世界を知りたいというツールとして他者に問い掛けたりタイプ分けしているのだろうと思います。でも、他者というのは、そういう存在じゃなくて、もっと多様なもので、たとえば、今回のエントリでまとめられているかたのエントリについて私も読んだけど、へぇ、弾さんはそう考えますか、みたく他者をそのまままず受け止める。
たとえば、私について言えば。
つまり(僕を除く)多くのブロガーは、自分の承認欲求や自己顕示欲を当然のことのように肯定できている。
のではなく、一種の絶望感なんですよ。で、たぶん、引かれているNOV1975さんはそういうニヒリズムとは違っているでしょう。
まあ、でもそこを掘るんじゃなくて。
誰も、というかブロガーの少なからずが、キモイかなと問われれば、キモイっていうのはいちおう織り込んでいるけど未決部分はあるしと思うから応答するわけで、その未決部分というのが結果的にコミュニケーション、ブログのコミュニケーションね、そういうものを生み出している。
というシーンで、ちょっと責める言い方みたいだけど、「住さん」の内面的な感受を対比的に論じられるのは、違うかな、と。
繰り返しになるけど。
僕の自己肯定感の揺らぎは、あくまでも僕自身の問題でしかなく、大多数の人には無関係であるということは、僕にとっては福音です。呼びかけてみて本当によかった。反応をくれた皆さん、ありがとうございました。
それは違うよ。みな「僕自身の問題を抱えている」しそれは未決部分を含んでいるから、コミュニケーション的に表出されている。そういう部分を読み取って、その誰かに関わるとき、たぶん、感謝の言葉が内面に充足的に響くと思う。