備忘

 長いけどあえてコピペ。
 ⇒LAP1:NL29/薬害エイズ被害者の抱えるジレンマ

郡司篤晃氏をめぐる複雑な背景
 元厚生省生物製剤課長の郡司篤晃氏に対する被害者らの非難の声があるが、これも複雑な背景を背負っている。
 郡司氏は、民事裁判で被告側の証人であったと同時に、原告側の証人でもあった。原告側の弁護士との事前打ち合わせでも協力的で、国の主張にも配慮しつつ、ある程度、国の責任につながる証言をした人物と言えるだろう。偽証罪での告発は受けたが、不起訴となり刑事被告人とはなっていない。
 その後の真相究明にも積極的で、厚生省から入手した資料を自ら検察に提出もしている。昨年七月四日に放送されたNHKスペシャル『薬害エイズ16年目の真実』で、郡司氏は(番組では一切触れられなかったが)未公開資料をわざわざ検察から取り寄せ持参までしている。
 厚生省への検察の立入調査で見つけ出された第一回エイズ研究班の録音テープのなかで、郡司氏は相当な危機感を持って対策の必要性を訴えている。
 少なくともヒーローとされているアメリカでのドン・フランシス博士のように、「机を叩いた」者の一人だと言えるだろう。郡司氏が真相究明に積極的なのも、個人的にはできるだけのことをやったとの自負があるのだろう。それでも、結果としては郡司氏の危機感はかき消され、国は有効な対策を取れずに終わった。郡司氏も権限を持った当時の担当者として、結果責任を問われる立場にはあると考えられる。
 そうした郡司氏に対する非難を繰り広げ始めたのは、民事裁判での和解のテーブルに国を引っ張り出すための戦術でもあった。製薬企業の責任はある程度認められることが想定されており、問題は国の責任が認められるかどうかであった。
 前述のように、医療や福祉などの救済措置を考えた場合、国がその権限を握っている。その国に責任を認めさせなければ、(たとえ製薬企業から賠償金を勝ち得たとしても)真の救済につながらないと考えられていた。それゆえ、第一次的責任があるはずの製薬企業より、国の責任をターゲットとしたのである。
 しかも、その後刑事被告人とされた後任の松村氏では、被害者らの感染時期や過失基準時の問題から全員救済につながらない。全員救済のためには、郡司氏の在任期間の責任を問わなければならなかったのだ。
 それが現在にも尾を引いていると言わざるを得ない。
 
 ■刑事裁判が進むほど矮小化せざるを得ない
 民事裁判の和解だけで終わらず刑事裁判にまで至ったことは画期的なことだった。けれども、刑事裁判では民事裁判より厳格さが求められる。被害者とされたのは、極めて特殊な事例の被害者のみとなった。刑事裁判の争点とされているのは、すでに多くの被害者が感染してしまった後の、一九八四年から八五年の時期だ。刑事裁判が進めば進むほど、薬害エイズ全体の構造は矮小化していかざるを得ない。多くの被害者たちにとって「あなたの感染は仕方がなかったのだ」と言われるにも等しい結果になりかねなくなる。
 薬害の再発防止のための真相究明にしても、その結論は冷静で客観的、学問的分析でなければ有用ではない。たとえば、加害者側が、なぜそのような選択を行ない、どうしてそのような行動をとり、もしくは行動しなかったのかを合理的に突き止めなければ、再発防止につながらない。
 しかし、加害者の側の心情や行動を理解しようなどという態度は、被害者らにとって許されざるところであろう。