増田の釣り

 ⇒私は愚かだろうか?
 ぶくま⇒はてなブックマーク - 私は愚かだろうか?
 ⇒私は愚かだろうか・・・の続きです。

勿論、お解り頂いていると思いますが、釣りでした。
久し振りの土日2連休だった為、適当に創作を書いてみたのですが
釣りと解られつつも、ここまでブクマが付くとは思いませんでした。

 ぶくま⇒はてなブックマーク - 私は愚かだろうか・・・の続きです。
 出だしのエントリの3番目のブクマカは私。その前に2人いたはず。ひとりが消えている。
 ⇒釣り乙
 うがった見方をすると、3人目として私を釣るという仕組みだったかもしれないなと思うが、私は「あれ?なんでこのエントリの最初のブクマカが私ではないのか」と少し疑問に思っていた。

サパテロ首相再任

 ⇒BBC NEWS | Europe | Socialists win Spanish elections
 ⇒VOA News - Zapatero's Socialists Win In Spain Elections
 ⇒スペイン総選挙、与党の社会労働党が勝利・サパテロ首相再任へ : NIKKEI NET(日経ネット):主要ニュース−各分野の重要ニュースを掲載
 案外国民党の勝ちの目があるのではないかと思ったが、サパテロ継続。

わかりやすいコピペネタ増田

 ⇒はてなユーザーってちょっとデカダンスなとこあるよね
 まあ、これコピペネタなわけだけど。
 で。

ロゴスとパトスって言うかさ。弁証法的に止揚されるにはペダンチックすぎるw
 ロゴスとパトスの弁証的な止揚はそれ自体がペダンティズムの否定にならざるを得ない。
 レヴィ・ストロース唯物史観アイデンティティ確立されてないし
 レヴィ=ストロース唯物史観はない(エンゲルスの原始性の了解と対比せよ)し、唯物史論世界観にアイデンティというのはない(マルクスの自由の概念はそれに近いにせよ)。というか、アイデンティティは現代哲学のコンテクストでは実存主義の言い換え的側面があり、後期サルトルが的唯物史論世界観に惹かれたのは構造側つまり非アイデンティの問題への配慮であった(あるいは自由の主体的な再定義)。
 もっと生の哲学の面からコンテクストを抽象化していかないと
 生の哲学は多様なんだけど、基本的にウルな現象性の抽出後のメタ的な理解なので、そのままのコンテクストの抽象化は独断論的になりがち。
 まあここらへんは実存的にはパラダイム入っちゃったかな
 実存論自体がパラダイム的というのはあるけど、実存論的なパラダイムというのはない。
 ヘーゲル歴史観に立つ俺からすればテロスがニヒリズムに否定され得るアポリアだとして
 ヘーゲル歴史観は絶対精神の顕現のプロセスでありそれは国家の精神に集約される。その意味でテロスは国家的な運動の終点でありニヒリズムよる否定ではない。というか、これはベタに近代の超克の問題のむしなおし。アポリアではない。が、ニヒリズムをニーチャ=ハイデガー的に捉えると、近代国家そのものがテクネーの産物でありその内在性においてテクネーのテロスが想定されるならアポリアになりうる。
 そのドラスティックなヒューマニズムの上にアジェンダを構築することがアルチュセール構造主義における、ミームだ。
 アルチュセールらの構造主義は基本的にアンチ・ヒューマニズムの相貌をしたヒューマニズムとも言えるので、それをアジェンダ化することは不可能ではないが、それらの世界の意味構造としてミームを了解した場合、ヒューマニズムが内包している主体性と関連で矛盾を起こす。ミーム的な世界観はアンチ・ヒューマニズムである。人類種への優勢性みたいなものはあるにせよ、歴史に対する主体意識的ではない。
 いずれにせよ、ケイオスティックな人間存在における経験をテクネーへと、普遍へと、止揚することが、デカルトパラダイムモダニズム的出発点だ。
 デカルトパラダイムモダニズムを生んだとするのは、基本的にハイデガー以降のポストモダニズムの基本了解のようにも思えるが、問題はデカルトの思想とその受容とは微妙に異なっている。その意味で、反哲学が目論むための基本的な仮定が本来存在しえたのか疑問だし、もともとポストモダン的な思念の歴史を持つ異文化においてそのパラダイム的な指向は安易な誤解を生む。カルチャラルスタディーズの視点がボンクラっぽく見えるのは哲学の基礎的な理解が足りないせいもある。
 人間存在をケイオスティックとして措定することそれ自体が後期ハイデガー的な目標を間違って先取りしかねない。また、人間存在における経験がテクネーへ止揚されることはなく、テクネーの運動はそれ自体がハイデガーのピュシスに含まれている。問題は、むしろ、そのピュシスがゲシュテルとして現れ出でる現在を否定的に捉えないとした場合、かつそこで実存主義的なヒューマニズムあるいはポストモダン的な迂回では対応しきれない。
 エピステーメー的に論考すればリングイスティックターン以降の日常的言語学派におけるアフォーダンスシラバスにおいてエキュートすることがアカディメイアのタスクだと思われ
 リングイスティックターン以降の日常的言語学派という動向それ自体を一つの知的考古学の対処としてみることもできるという点で、エピステーメー的に論考は可能かもしれないが、アフォーダンス的な生世界的な哲学とは接続しない(むしろ大森荘蔵的なべな日常性に還元は可能)。こうした知的な作業、あるいはその分離の知的作業をシラバス的なエキュートにするというのは浅田彰が20年以上も前に構造と力で行ったポストモダニズムのスキーム化に近いようだが、それがアカディメイアのタスクであるというより、基本的に脱アカディメイアに近く、むしろ文献学的な基盤をもたない日本のアカディメイアにおいてはむしろ正統的なリベラルアーツ的な基礎がまず求められる。
 さもなければ想像の共同体はサイバーカスケードの上にもろくも崩れ去ってしまう。
 想像の共同体はおそらく廣松渉の幻想の共同体あるいは吉本隆明共同幻想論あるいは岸田秀のいう共同幻想といった諸概念を曖昧にしたものだろうが、いずれにせよ、市民=個体の主体意識に対応する、国家的な共同性の了解性といったものがサイバーカスケードの上で崩壊するかどうかは、つまり国家的な共同性の了解にどれだけ、現在のゲシュテルともいるテクネーが関与しているかによるだろう。
 おそらく実際には、グーグリズムなどによって現れ出でるゲシュテルの新しい相貌は、一方においてIT戦士的な新しいタイプを生み出しつつ、他方においてミクシや2ちゃんる的な大衆化の地獄の分別を、あたかもスエーデンボルイにおけるキリストの技のように展開している。
 ここまですれば、はてな問題の意味がわかるだろう。つまり、IT戦士的な新しいタイプマンセーに対する文系的・非モテ的視点の構造的な意義申し立てである。

韓リフ先生の視点が優れている理由のひとつ

 ⇒「 不謹慎な経済学 (講談社BIZ): 田中 秀臣: 本」

 ただ、僕には不安な点も一つある。それは、湛山の小国主義の「理念」だけが賞賛されてしまい、その経済論的側面が無視されてしまうのではないか、という懸念である。
 湛山が訪中の前から構想していた「日中米ソ平和同盟」論は、長期には軍備撤廃、世界国家、「第三の生活原理」(資本主義でも社会主義でもない第三の道)を長期的な「理念」にしていたという。これは一見、現実的な経済論からは遠い議論のように見える。しかし実際には、ソ連フルシチョフ首相(当時)による米ソの緊張緩和という「現実」を背景にした、実践的な意義を持つ平和論だったのである。すなわち「国民の富を再軍備や軍備拡大に使うよりも、国内の福祉に使った方が国民の幸福につながる」という観点であり、これが湛山の平和活動の基礎であった。その点では、戦前の小国主義の主張と同じ経済論的色彩が強い。
 しかし、今日の湛山への再評価は、憲法第9条を中心とした護憲論や、「国を喪うことも覚悟した」軍備全廃・平和論などが多く、その実践的な側面や経済論的な側面を顧みないものばかりだ。このまま単なる「湛山のイデオロギー化」が進みはしないかと、僕は案じている。

 まったく。

これはさすがに事件だけど

 似たようなことはけっこう社会でよくあって、唖然とする。
 釣りみたいな話だけど。
 ⇒東京新聞:校長が元教え子脅迫 『交際相手殺すことも平気』:社会(TOKYO Web)

 調べでは、市川容疑者は同県北部の県立高校で教頭だった二〇〇〇年から〇一年の間、当時在校していた女性と交際を始めた。昨年、女性が別の男性と付き合うようになってからも、交際を続けることを要求。昨年十一月下旬から十二月中旬までの間、携帯電話や勤務先の学校にあるパソコンから「交際相手の住所、経歴全部知っている。何かあっても知らないよ。人を殺すことは平気だよ。二人の関係をばらすよ」「着信拒否や無視を続けるなら恋人に会いに行くか、手紙を書くか、すべてをばらす」などと書いたメールを送り、脅していたという。
 昨年十二月、女性が大量の睡眠薬を飲み、自殺を図ったことがきっかけで、家族などが市川容疑者との関係に気づき、同署に相談していた。

 「まじめで仕事一途」という評判の裏で、元教え子への思いを断ち切れなかった。県警によれば、昨年から「交際を続けないなら樹海に飛び込む」「一緒に死のう」などと書いたメールを送っていただけでなく、女性の家の前で待ち伏せしたり、女性が携帯電話の番号を変えても、新しい番号を調べ出して脅迫を続けていたという。

 こういう闇の人格もっている普通の人は少なくない。
 かく言う自分はどうなんだよと一応自省はするがピンとこないというか、この手のことに触れるたびに、この世界は自分に向いてないなと思う。
 
朝日新聞
 ⇒asahi.com:「写真送るよ」と脅迫 川口の校長、学校の封筒使う - 社会

ポエム 真夜中のはてな

はてダのどこかに
淋しがり屋がひとり
いまにも泣きそうに
ブ米を書いている
 
愛を失くしてぇ
スターを求めてぇ
さまよう
似たもの同志なのね
 
ここへおいでよ 
2ちゃんは冷たくうざぁい
黙って夜明けまで
Twittterで愚痴ろうよ
 
はてブをごらんよ
淋しがり屋のスターが
なみだの尾をひいて
京都へ旅に立つ
 
愛を失くして
アフィリを求めて 
さまよう
似たもの同志なのね
 
そっとしときよ
みんな孤独でつらい
黙って夜明けまで 
増田を書こうよ
 
愛を失くして
増田に釣られて
さまよう
似たもの同志なのね
 
そっとしときよ 
みんな孤独でつらい
黙って夜明けまで 
ギターを奏こうよ
(リフレイン)

 
参考⇒YouTube - 真夜中のギター