増田的ブログ観の一例

 ⇒ブログを辞めた理由

個人ブログって評価できる物(事・人)が前提にないと流行らないと思うのですよ。
アクセス数の少ない日記ブログなんかはローカルで管理したほうが精神的に楽。建前だけの日記はmixiに書くべき。

 アクセス数というのは、一般に思われているよりとても不思議な現象みたいだ。
 こういうとなんだけど、基本的にブログというかネットというのは、無料クレクレの世界で、というか、社会というのはカネで動く(サービスと対価)なので、無料だけど有料の価値のある情報の、いわばコスト差のマーケット性でアクセス数が決まる。
 その経済学で言えば、アフィリエイトはそこでバランスする。もっともマーケットの細分化によってはそうでもないけど。
 で。
 これはちょっと言うと誤解されるかもだけど、アクセス数の短期変動はネタ性にあって、長期変動は個性にありそう。
 で、短期変動のネタ性に、書き手が巻き込まれると、そう長くはもたない。はてなのコンクストでいうとはてぶネタばかり書いていると、燃え尽きるしというか意見なんてそうバラエティはないので底が見えて終わる。
 個性についても、個性がネタになるというのはあって、簡単なのは痛い人っていうやつ。私なんぞもそーとーに痛い人なんで痛い人ヲチ対象にはなるのだろうけど、単純な話、痛い人を5年も淡々と続ければそれはそういう人だというだけのこと。
 で、痛い人系もやはりたいていは自滅してしまう。し、ワンパターンになる。
 ちょっとまとめると。
 アクセス数の基本構造は、先に触れたようにクレクレ性。
 それをうまくアフィリで支えられるといいけど、現状は難しい。というか、弾さん一人勝ち的か、特定分野で勝ち(アキバ系)。
 あるいは、本業への支援で支えるというのはあるかも。よくわからないので外しているかもだけど、内田先生なんかはそうではないかな。つまり、本業を支えるサービスというか。梅田さんは微妙にブロガーの前線のほうに足を突っ込んでいるっぽいけど。
 で、と。
 個性の部分というかその表出が、クレクレ性になるような、いわば個性の表出が情報価値を持つというのが理想と言えば理想なのだけど、そして、結局そういうこととも言えるのだけど、ブログのモデルとしては不適格かな。
 アイドル(死後?)とかファンというなら、そういうのはあるだろうし。たとえばヒッキーのブログなんかはそれに近い。彼女がビッグネームがなければただの痛い人なんだけど。
 本質論的には。
 ブログなんかを書こう、そしてそれを継続できるというのは、個性的な部分の剰余性がつよい人なんで、そういうスタイルとブログの市場性みたいな均衡の感覚をもつと楽かな。
 というか、なんだかんだで、ブログというのは自滅しやすいメディアだなとは思う。