finalventの日記

2008-10-11

大人は汚いと思っていたし今も思っている

 まあ、そんだけなんだけど。

 少年・青年期に大人は汚いものだなと思った。今にして思うと、誰も自分を愛してくれないじゃないか、という思いと、自分の中の矛盾で懊悩していただけ。

 大人になると、誰も自分を愛してくれないのは前提というか、で、何か? になるし、自分の矛盾は自分で引き受けるようになるから、その分汚くなる。懊悩は、やってしまった後の、罪のような感覚になる。大人の顔というのは、どっかに松ヤニのように罪がべっとりついているもので、その下に顔が見えるか見えないかくらいなもの。大人の顔になっていない大人もいるけど、まあ、率直に言えば狡いな、お前らのために大人は泥を被っているんだぜと思う。お子ちゃまについてもそう思うけど、そう言っても通じないし、そこまで自分の心の中の子供を虐待するものでもないと思う。

 大人は汚い、嘘だと、みたいな、糾弾をする日本人の類型というのがあって、類型だからごろごろいるわけで、それが何をもたらすか、結果はわかっている。酸鼻なものになるよ。ネットでもそうだけど正義でどんぱちやる光景を薄目でみたら、おまえら個室でオナヌーをするほうがええよとか思うというか普通そう思う。

 とはいえ、汚い大人になってどうとなるものでもないし、罪は罪の懊悩があるし、漱石先生の「こころ」のKは、そういうきれい事だけという問題でもないし、まあ、意外とどうしようもない問題がある。

 それに「性」がからむ。

 あまり言うのもなんだけど、「オレ、非モテ」とかいう男は、どっかに「でも汚くなりたくないよ」な感があるのではないか。いや非モテの現実ってそんな理念的なもんじゃないというのもあるだろうが。が、それでも、ええい汚れてしまえみたいに人は生きているというか、どっかで、ぼろぼろになる時期というのはある。

 先日、人と話していて、カトリックやエバンジェリックな人は除くとクリスチャンというのは独自の暗さがあるよねと。まあ、そうかな。そのあたりもけっこうめんどくさいもんだいだ。

 そういえば、山本七平バッシング華やかなりしころ、彼を街中に見かけた人が、その顔に浮かぶ焦燥感を見てあれは心にやましいものがある人間だとか言っているのを読んで、この人、救いようがないなというか救われている人間の残酷さというか、七平さんの人生を見れば、そんなのはわかるはずだよ。人をイデオロギーで見るんじゃなくて、生き様で見るといいと思う。受け入れる受け入れないじゃなくて。というか、人間どっかで、かならず松ヤニべっとりになるわけだから、それは大人を見て学ぶしかない。

 でもなあ、尊敬する人は、お父さんお母さんとかいう時代なのかもな。ぐふぇえ。

BPM280BPM280 2008/10/11 11:10 おはようございます。結びの言葉でゲラゲラ笑っちゃいました。

antonianantonian 2008/10/11 11:37 カトリックもけっこう暗いのいますよ。どす暗くて闇の中の蛸壺でどろどろしてるのから明るすぎてあまり近づきたくないのまでいます。
そいやカトリックのお膝もとのイタリア人は人間のしょうもなさをポジティブに見てますね。人間なんぞ汚物まみれでしょうもないもんだという前提からはじまる。確かに彼らは暗さ度が少ないかな?
まぁ、生きるってしんどいですよね。

e_p_ie_p_i 2008/10/11 12:16 生きるというのは基本的に汚いと思いますよ…。人によっては身につけた聖性でそう感じさせないケースもあると思いますが。
自称非モテ(避モテ?)ですが、高校時代は「でも汚くなりたくないよ」という思いがありました(といってもその頃は男子校でしたが)。しかし大学以降は、むしろ色恋沙汰へのついていけなさから非モテですね。転がり込む幸あれば非モテから脱するかもしませんが、そんなうまい話も無いし、もうこのままでいいかなぁ…と思っているところです。

>尊敬する人は、お父さんお母さんとかいう時代なのかもな。
幼い頃は凡人の両親を尊敬出来なかったものです…。そんな私から見ると、尊敬する人がお父さんお母さんってのが本当ならそれはそれで大したものなんじゃないかと思ってしまいます…。

finalventfinalvent 2008/10/11 12:33 BPM280さん、ども。「ひでぶ」じゃないですし。

finalventfinalvent 2008/10/11 12:33 antonianさん、ども。イタリア人の暗さもあるわかるんですけどね。なんか。

finalventfinalvent 2008/10/11 12:34 e_p_iさん、ども。凡人ゆえに尊敬というのはわかるんですけどね。まあ、尊敬とか、方向違うかもですが。

faye2071faye2071 2009/11/28 22:49 げげげげ。いや、そういう時代になってますよ、本当に。ACからの回復ってあるでしょ?あれ、教科書によると、お父さんお母さんに対する、恨みつらみを書きならべた後、「でもやっぱりありがとう」って結ぶの。・・・それが出来ないと、健常者(ってナンダ)とは言えないんだってさ。・・・ちなみに、私が両親を尊敬すると言えば、戦争経験があるところと、学生運動の経験があるところかな。・・・子としては、特にないよ尊敬するところ。

HIROMITIHIROMITI 2010/01/02 13:17 「お父さんお母さんを尊敬する」とひとまず言ってみるものの、じつはただ「和解」しているだけで、そういうことばが反乱しているからそういうことばを使ってみるというだけのことかもしれない、と思ったりします。
大人は汚い、嘘だ……といっても、そういう言い方が目立っているというだけのことで、彼らの無意識にはもう、大人に対するそれほどの関心もないのではないでしょうか。
われわれは、そうやって彼らを甘く見ることができるほどの代物でしょうか。
「尊敬」といったって、それはただ「裏返しの差別意識」に過ぎないという側面もあるわけで、そういうことばを流行らしたのはいったい誰なのだ、という問題もある。
もし「尊敬」ということばを使うのなら、僕は、この世のいちばん不幸な人、いちばん弱い人に向かって使おう、それが日本列島の伝統だ、と思っています。
神は乞食の格好をしてやってくるとか、白痴の子供は鯨に生まれ変わってこの村に幸せと繁栄をもたらしてくれるとかという伝説のコンセプトは、そういうところにあると思っています。
僕だってけんめいに日本列島の伝統文化のことを考えているつもりだけど、べつに山本七平を尊敬しようとも思っていない。というか、「尊敬する」という心の動きは、できるだけつつしむか、すべての人間に向けるか、いちばん低いところにいる人に向けるか、そのどれかしかないと思っています。
いまどきの20代以下の若者たちは、「お父さんお母さんを尊敬する」といっても、心底尊敬してしまうほど甘ちゃんじゃないと思います。ひとまず和解しているだけのことで、自分がそこから生まれてきたことをひとまず受け入れようと覚悟を決めただけのことで、彼らの「幻滅」や「喪失感」は、それほど無邪気に大人たちを尊敬していけるほど表層的なものではない、と思います。
そして日本列島の伝統文化もまた、そういう「喪失感」の上に成り立っている、と思っています。
そこが、問題です。

finalventfinalvent 2010/01/02 15:38 HIROMITIさんへ。なるほど、「和解」ですか。そうなのかもしれませんね。むしろ、「尊敬」というのが変、とまでいわなくても不自然なのかもしれません。

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